おシゴトです!

笹雪

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第1話

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 一瞬、自分の身に何が起こったのかわからなかった。

 わかっていることと言えば、ここが自分とはあまり縁のないテレビ局のロビーで、自分はある人に頼まれてこの場所に来ていて、いま自分の腕を掴んでいるのが人気アイドルグループ『MAINSマインズ』の染井翔太ソメイ ショウタだということだけだ。
 一体なぜ、こんなことになっているのか。

「な、なんで……」

 柚希はそうつぶやいたまま、呆然と立ち尽くしてしまった。


*** *** ***


 わたし、河奈柚希カワナ ユズキは、とあるサービスの派遣社員として働いている。
 サービスの派遣と言っても、世間にはおおっぴらに出来ないような怪しいものじゃなくて、れっきとした王道、しかも由緒正しいサービスの中のサービスで、逆にわたしみたいな若い人がお仕事の現場に行くと驚かれるくらい。
 わたしはまだ18歳だけど、プロの派遣家政婦なんだ。

 で、なんでそのわたしがこんなところにいるのかというと。

「あ、……あの、何か?」

 精一杯の作り笑いを浮かべて、柚希は目の前で顔をしかめている翔太に話しかけた。そんな表情ですらちゃんと整っていて、こっそりカッコいいと思ったことは秘密だ。
 柚希は、先ほどからずっと掴まれてるせいでジンと痺れてきた左腕を、この際、気にしないことにした。

「あんたさぁ、なんでココにいんの」
「え……、それは、ちょっと仕事で…………」
「は?」

 翔太のあからさまな不機嫌な声に、柚希は思わず泣きそうになった。絶対信じてない。自分はただ、このテレビ局に勤めているクライアントのひとりに頼まれて、家に忘れたという書類を届けに来ただけなのだ。

「ココ、関係者以外立ち入り禁止なんだけど?」

 いまにもロビーから叩き出されそうな雰囲気に、柚希は困惑していた。
 実は柚希には、一部の友人しか知らない秘密があった。
 それは、MAINSのメンバーのひとりである『桃原潤也モモハラ ジュンヤ』の大ファンで、彼らのコンサートはもちろん、舞台や番組観覧、さらには、出待ちやメンバーが出演したドラマロケ地を探しにだって行ってしまうくらい。柚希はいわゆる『追っかけ』と呼ばれているファンなのだ。

 柚希は初め、翔太が追っかけである自分の顔を覚えていて怒っているのかと思った。だが、そんなはずはない。自分は同じMAINSでも、翔太ではなく潤也のファンなのだ。
 現に、先ほどメンバーがロビーに入ってきたとき、柚希がついうっかり声を上げそうになったのは潤也の方だった。
 それにただの熱心ないちファンの顔なんて、人気アイドルが覚えていてくれるはずがない。柚希はどうしたものかと、目の前にいる翔太を見つめた。
 ここを動くわけにはいかない。
 だが、約束の時間をとっくに過ぎているのに、一向に忘れ物をした本人の姿が現れない。これが自分自身の用事であればこのまま帰ってしまってもいいのだが、頼まれた書類はまだ手元にある。自分から仕事を放棄するわけにはいかなかった。
 柚希が途方に暮れたときだった。

「おい、」
「河奈ちゃーんっ!」

 翔太の言葉と聞き覚えのある声がきれいに重なって、エレベーターの方からバタバタと走ってくる人影が見えた。
 まさに救世主。おじさんだけど、と心の中で付け加えた柚希は、ほっと胸をなで下ろした。
 これで怒られなくて済む。

「篠原さん」
「ごめんごめん、途中でお偉いさんに掴まっちゃってさぁ」

 そう言いながら近づいてくるのが、柚希のお世話するクライアントのひとりである篠原で、このテレビ局の番組ディレクターである。

「あれぇ? 染井くんじゃないの!」

 篠原は、柚希と一緒にいるのがMAINSの翔太だとようやく気がついたらしい。ちなみに掴まれていた手は、篠原の姿が視界に入った瞬間に離されている。

「お久しぶりです」
「あ、何? 河奈ちゃん知り合い?」
「いえ、全く。……ていうか、ありえません」
「…………」
「それもそうだよねぇ」
 なぜかむっとしている翔太の気配を感じながらも、柚希は篠原に頼まれていた書類を差し出した。
「篠原さんがここで待ってろって無茶を言うので、怒られてました」
「あちゃー、そうか、それは悪かった」
 染井くんも悪かったね。篠原はそう言うと書類を受け取りながら頭をかいた。
「この子には、今日の企画会議で使う書類を持ってきてもらったんだ」
「書類?」
 ほら、もうすぐ番組改編の時期だろう? そう言った篠原と翔太が話し始めて、柚希はあまり聞かないようにと周囲に視線を走らせた。
 基本的に、仕事の現場で見聞きしたことは他言無用である。ならばいっそ何も聞かない方がいい。
 そう思って柚希が目をそらしていると、こちらに近づいてくる長身の人物が見えた。
 潤也だ。

「っ!」

 急にシャキっとした柚希に驚いたのか、話し込んでいた篠原と翔太がこちらを見た。
 やがて柚希の視線の先に潤也の姿を見つけて、篠原が軽く手を挙げた。
「翔太、時間」
 苦笑しながらそう言った潤也が、篠原に挨拶した。
 柚希はと言えば、いままでにないくらいの距離にいる潤也に、軽く焦っていた。
 目が離せない。というか、動けない。
 間近でみる黒髪は柔らかそうで、男性とは思えないほど肌が白い。潤也の魅力とも言えるその強い眼差しで見つめられると、呼吸困難になるというのはあながち間違っていないかもしれない。
 そんな潤也が翔太をつれて行こうとしたとき、不意に眼があった。

「ロケ帰りの翔太はいつもあんな調子だから、気にしなくていいよ」
「は、はい!」

 思わぬ言葉に驚いた柚希は、慌てて頭を下げた。
 顔を上げた途端、翔太が舌打ちするのが聞こえたが、この際聞こえないことにする。
「行くよ、翔太」
「…………ああ」
 歩き出した潤也の背中を見送っていると、不意に翔太が自分を見つめていることに気づいた。
 何か言いたそうな真剣な眼差しに、柚希の心臓がひとつ跳ね上がる。
「……?」
 だがしばらくすると諦めたのか、何事もなかったように潤也の後を追って行ってしまった。

「なんだ、河奈ちゃんは桃原くんのファンか」
「はい……やっぱり潤也さんは素敵です…………」

 それに比べて翔太ときたら。
 柚希は、さらさらした茶髪越しに自分をにらんでくる翔太の顔を思い出して、おもいっきり首を振った。不機嫌な顔でもカッコいいと思ってしまった自分が悔しすぎる。
「…………印象最悪」
 あえて誰とは言わない柚希のひとりごとに、篠原は笑いながら頭をなでてくれた。

(でも、さっきの翔太、何を言うつもりだったんだろ?)

 柚希はふと気になって、首を傾げた。
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