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ぼくの起こした事件の結末
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休日にぼくはキャシーたちとルッシタン最大の街グロリオーサに出た。基地を出る前に一応ぼくは人を捜すつもりだった。ぼくがこの基地に転属になったことを知った仲間が、ぼくに何か連絡してくるかもしれないからだ。腐敗した国を救おうという崇高な目的の下に一致団結している大切なぼくの仲間だ。
ルッシタンの住民の多くはグロリオーサの街に住んでいる。何の産業もないこの星には、僅かな家畜を飼う遊牧民が多かった。基地ができてから、共存するように街ができたのだ。基地の居住区から直通のリニアトレインが出ている。駅出口の警備は物々しかった。この基地は、ぼくが渡り歩いた基地の中では一番警戒が厳重なのだ。
「一応、前線基地だからね」
キャシーがボソッと呟いた言葉は、前にもフォリーが口にしていた。変な違和感がある響きだ。砂漠の街の周囲には防砂林が植えられ、砂漠にいるときよりは風に舞う砂は少ない。ぼくたちは砂避けのマントを身につけていた。マントはルッシタン特有の民族衣裳だ。暑いかと思えば、そうでもない。ゆったりと身にまとったマントは砂を避けるだけで、身体を吹き抜ける風が心地好いのだ。ルッシタンでは始終風が吹き荒れている。この風が、ルッシタンの砂漠化を速めていた。
「失礼」
キョロキョロと物見遊山で歩いていたぼくは、前から来た背の高い男にぶつかった。バランスを崩して倒れかかったぼくは、男の逞しい腕に抱き止められた。
「かわいいお嬢さん、ご機嫌いかがですか?」
男はぼくに微笑んだ。
「最低よ」
短く答えて、ぼくは腕を振り解いた。男がクククと声を押し殺して笑う。気色悪い、それが第一印象だ。この男は危険だ。ぼくの本能が訴える。
「お嬢さんが気に入りました。ぼくの家に遊びに来ませんか?」
ぼくが困惑してキャシーを見ると、露骨に嫌な顔をしていた。マギーたちも警戒している。どうやら、この男とは知り合いらしい。
「アスビル、うちの若い子をまた、毒牙にかけようっていうの?」
「おや、おや、キャシーの連れですか?」
男は馴れ馴れしく、ぼくの肩に手を回した。女の扱いに長けている。自分の長所を生かして如何に誑し込むかが彼の手腕の見せ所なのだろう。ぼくは引っかからないがなと心の中で決意する。
「久しぶりに遊びに来ませんか? 先日、レグルス星系まで足を伸ばしたんで、美味しいお酒が手に入ったんですよ」
キャシーたちの顔が少し弛んだ。男はぼくを人質にして、さっさと歩き出した。キャシーたちが渋々と、内心は嬉嬉として後をついてきた。彼女たちは美味しいお酒の誘惑に弱いとぼくは心の中でメモをした。これは大事なことだ。円満な人間関係を掴むためのコツでもある。あとで美味しいお酒を差し入れしようとぼくは密かに決めた。
肩に手をおく男を興味深く見つめていると端正な顔をした彼が微笑む。彼がどんな男でキャシーたちが警戒しているのかはわからないが、お酒に惹かれるくらいの交流はあるのだと思うとぼくはおかしくなった。
「ウーン、やっぱり、レグルス産の地ビールはおいしいわ」
かけつけ三杯、キャシーはグビグビと喉を鳴らして飲干した。マギー、エミリ、シャーリーも同様だ。ぼくは一人だけ涼しい顔で、目の前でお酒を堪能している同僚の女たち四人と男を見守りながら紅茶をすすった。
男の名はアスビル、このルッシタンの貿易商らしい。基地との取り引きもしているが、専ら、自分の小型シャトルで他星系に行商に出ている。キャシーは、「ジムとハリーと同じ穴のムジナよ」と、レグルス産の地ビールを飲干してからぼくに忠告した。
アスビルは、貿易商という割に質素な暮らしをしている。ワンルームのアパート暮らしで、室内にはベッドとソファーセットが置いてあるだけだ。床にはルッシタンの工芸品である毛織物で敷き詰められている。ぼくたちは思い思いの場所に、適当に座り込んでいた。お行儀よくソファーに座ったぼくの隣には、ピッタリとアスビルが寄り添っている。それをキャシーは見咎めた。
「この子に手を出すと、うちの司令ににらまれるわよ」
ビールを片手にベッドに寄り掛かって座っているキャシーは、意味ありげな言葉を吐いた。マギーとエミリがクスッと笑い、シャーリーはビールを飲みながら、コクコクと頷いている。ぼくの顔が瞬時にカァッと赤く染まった。そういうのはやめてほしい。
「へえ、あの堅物司令がこの子に?」
意外そうな顔でアスビルがぼくをジロジロと見つめた。
「そうよ。この子を一人前の女にしたのは司令よ。だから、皆もこの子には手を出さないの」
ああ、やっぱり、ぼくと司令はそういう仲なのだ。初日にしつこかったジムやハリーが、ぼくと会っても、紳士然としているのはそういうわけだったのだ。ぼくは嵌められたのだ。親父と司令に。
昔、あの子に言われた。「一緒に行こう」と。それをぼくは断った。あの子はぼくの意思を尊重してくれた。なのに、今になって籠の鳥にしようというのかと憤りにも似た思いが沸き上がる。
「ちょっと、キャシーってば、言い過ぎよ」
シャーリーがキャシーを肱でつついた。キャシーは「構わないわよ」と言って、ビールをクイッと空けた。マギーとエミリが気まずそうな顔になる。ぼくは寡黙になって、紅茶をすすった。
「それはプレミアムだな」
アスビルがぼくの肩に腕を回してきた。
「ちょっと、アスビル、その子に手を出すなと言ってんのよ」
キャシーの目がつり上がった。
「恋愛は自由。俺はこの子の心は誰の物でもないと見た」
ぼくは物思いに沈んでいた。キャシーが強引にぼくたちの間に割り込んできた。あれ?これって、ヤキモチ?って奴。キャシーがヤケに絡んでくる。キャシーはアスビルからぼくを守るように抱きしめた。
「この子はあんたみたいなわけのわかんない奴とは付き合わせないよ」
フッとアスビルが嘆息した。首をコキコキと前後左右に動かして、頭を撫で擦った。
「わかったよ。但し、この子が俺に会いに来るのは構わないはずだ。なあ、お嬢ちゃん。そう言えば、まだ、名前を聞いてなかったな」
「ジャスティス。ジャスティス・オークリー」
アスビルの目が光った。ぼくの肩を抱いて、
「そうか、正義のお嬢ちゃんというわけだ」
と、ささやいた。仲間だ。ぼくの胸がドキンと高鳴った。ぼくは迷わずにコクンと頷いた。アスビルがニヤッと笑って、それ見たことかと言いたげにキャシーを見遣った。
「あんたって子は何を考えてるわけ」
キャシーがバンとテーブルを叩いた。コップがグラッと揺れてクルクルと倒れ、ビールがテーブルにこぼれた。
「帰る。気分悪いわ。サイテーよ」
キャシーはぼくの腕を強引に引っ張って、部屋を飛び出した。引き摺られていくぼくがアスビルの方を振り返ると、アスビルは不敵な笑みを浮かべていた。
ぼくは次の休みにまた、グロリオーサの街へ出かけた。アスビルの部屋を尋ねたのだ。アスビルは仲間のぼくを待っていた。ぼくはアスビルに今まで集めた情報を渡した。ぼくが勝手にアスビルのところへ出かけたと知って、キャシーはぼくを頭から怒鳴りつけた。怒っているキャシーに、ぼくはアスビルに一目惚れしたと告げた。これからも付き合うつもりだとも付け足した。キャシーは目を三角につり上げて、「サイテーよ!」とぼくの頬を叩いた。何を言われてもいい。ぼくがここにいるのもそう長いことじゃない。
ぼくは当然のように自分の転属の願いを出した。居心地のいい場所はぼくには辛すぎる。キャシーは親身になって、ぼくを心配してくれてる。今更、ぼくにそんな人が現れても、ぼくの決心は変わらない。ぼくは既にこの手を汚しているのだ。今更なかったことにしてあの子と暮らすことなどできない。
ぼくは腐敗したこの国を唯一救うことのできる解放同盟の一員なのだ。そこはぼくの唯一の居場所だった。ぼくたちは国を憂い、国を救うことを目標にしている。それが国のみんなのためだと信じている。そのためになら、ぼくはいくらでも汚いことができる。
「おい」
三度目のグロリオーサからの帰り道、リニアトレインの駅でぼくはジムに声をかけられた。ジムはぼくを待っていたらしく、駅の片隅に誘われた。話を聞かれたくないのだろう。ぼくには話の見当がついた。駅の照明から外れた薄暗い隅で、ぼくたちは向かい合った。
「あの男に近付くな」
「何でさ」
「いいんだよ。金輪際、近付くんじゃねえ」
ジムはぼくの首に手をかけて、ぼくの身体を壁に押しつけた。喉を締められているので苦しかったが、ぼくはジムに蹴りを入れた。ジムが避けようとした瞬間を狙って、ぼくはジムの顔にパンチを決めた。ジムは顔をしかめたけど、ぼくの首から手を放さなかった。ぼくは軽々しく腕を捻られて、今度は顔ごと壁に押しつけられた。
「さすがはオークリー堤督直々の格闘術だ。だが、まだまだだな。堤督が残念がってたよ。アイリーンが男だったらとな。俺たちが堤督に白兵戦技を教わってたときに、一緒に習っていたあのちび子供がおめえだったとは、司令に聞くまでわからなかったぜ」
ぼくは唇をかみ締めた。ジムはぼくの正体を知ってる。ぼくは身体を震わせた。
「アスビルの正体を知っているんだろう?あいつは解放同盟の一員だ。この基地の秘密を探っているテロリストなんだ。だが、それだけじゃねえ。あいつはもっと危険なんだよ。おめえはそんなことにも気付かねえのか!」
ジムの手に力が加わり、ぼくの顔をムギュウッと壁に押しつける。ぼくはギュッと力を込めて唇をかんだ。唇が切れて、口の中に錆びた鉄ような血の味が広がった。
「司令はアスビルを平気で泳がせているが、俺には我慢ならねえ。おめえがあいつとこれ以上付き合うと言うなら、俺は容赦しねえぜ。孫のくせに堤督の名を辱めるんじゃねえ」
ジムは言いたいことを言うと、ぼくの身体から手を放した。ぼくはフゥッと吐息を吐き出して、壁に寄り掛かかると座り込んだ。ジムはまだ、ぼくの前で仁王立ちしている。ぼくは血の混じった唾をペッと吐き出した。
「邪魔をするな!ぼくにはぼくの生き方がある。誰の指図も受けるもんか!」
「何だと、この子供!」
ジムがぼくの胸ぐらを掴み込んだ。張り倒される? ぼくは顔を横に向けて、目を閉じた。
「止めろ、ジム」
穏やかな声だ。ぼくが目を開けると、振り上がったジムの手を司令が掴んでいた。後ろにはキャシーの心配そうな顔も見えた。はん、そういうわけか、キャシーはぼくのお目付なのだ。司令はぼくがしていることなど、最初から全てお見通しだったというわけだ。
「野蛮人。女の子に手を上げるなんてサイテーよ」
キャシーがぼくに駆け寄ってきた。ぼくは差し伸べられたキャシーの手を邪険に払い退けた。ジムはペッと唾を吐き捨てて、司令に掴まれた腕を振り解き、ぼくから顔を背けた。
「いいんだ。ジム、この子の好きなようにやらせれば」
「司令、こいつのしてることは、堤督の名を辱めることになるんですぜ」
ジムが司令に食ってかかった。ぼくは三白眼になって、司令を見上げた。どうして?喉まで出掛かった言葉をぼくは飲み込んだ。
「この子は馬鹿でない。いずれはこの子も自分の間違いに気付く。それからでも十分に間に合うさ」
司令の茶褐色の瞳がぼくを射抜いた。その瞳があまりにも優しいあの子の瞳を思い出させるので、ぼくはさっと視線を避けた。胸にふつふつとした怒りがわき上がってきた。あの子と司令は同じなんだと思いながらも、あの子と違うとぼくは認めたくない自分がいる。
「ぼくは間違っていない。間違ってるのは今の世の中だ。ぼくたちはかつて自分たちの唯一の住み家であった地球を破壊したように、今この銀河をも破壊しようとしてるんだ」
ぼくは立ち上がって、三人の顔を代わる代わる睨みつけた。司令は無表情でぼくを見下ろしているし、ジムは呆れ果てたという顔で視線を逸した。キャシーはぼくを憐んでいる。三者三様の姿にぼくはたじろぐ。
「手段なんかどうでもいい。大切なのはいかにこの銀河を守るかだ」
ジムが首を振って、お手上げだと言うようなポーズを取り、首を竦ませた。司令は相変わらず無表情のままぼくを見下ろしている。キャシーは心を痛めているような表情でぎゅっと胸に手を当てていた。ぼくは一人座り込んで、三人を上目遣いに睨んだ。
「完全に洗脳されちまってる」
「ぼくは洗脳なんかされてない!」
ジムの言葉にぼくは腹を立てた。
「ぼくたちの目的は、この腐りきった銀河同盟国をよりよい国に導くことだ。テロはその一つの手段に過ぎない。それにテロの対象にされているのはこの国を食い潰した政治家だけだ。あんなゴキブリにも等しい奴らを殺して何が悪い!」
ぼくは頬をバシンと力まかせにぶたれた。殴られた拍子にぼくは少し舌をかみ切った。口の中に生ぬるい血が噴き出して、血が口端から垂れてきた。ぼくは拳を握って身体を震わせた。痛みよりも怒りにうち震えていた。
ぼくは殴った司令に飛びかかっていた。あの子から裏切られた気分だ。ぼくの唯一のよりどころだったあの子。もうあの子はどこにもいない。司令はぼくの体当たりを避けながら、ぼくの手を掴むと後ろ手に捻り上げて、プラットホームにぼくの身体を叩きつけた。
「アイリーン、堤督は死ぬ間際におまえがこうなることを予測していた。自分の存在の価値を問い出したときに、いつかおまえが自分自身を追い詰めるとな」
押さえつけられたプラットホームの上で、ぼくは微動だにしなかった。
「おまえが奴らに何を吹き込まれているのか、想像はついてる。ただ、一つ、これだけは言っておく。おまえの周りに、愛情がなかったことなど一度もなかったはずだ」
「嘘だ」
ぼくは言葉を吐き捨てた。ぼくはいらない子供だった。子供の頃のぼくの生活は、全て嘘で固められていた。十二才で大学に通い始めたぼくに、真実を告げる者がいた。リゲル連合国とカノープス王国の軍事衝突で出兵した父様のいた艦隊が、銀河同盟国の政治家の私欲で見殺しにされたこと。ぼくを無理して産んだために、心臓の弱かった母様が早死にしたこと。親父たちの本心が、ぼくよりも母様に生きていてほしかったのだということを知ったぼくは、自分を呪うことしかできなかった。
自分の生きる意味を見出せない幼いぼくに、おじいちゃんは軍人になれと言った。立派な軍人になるために士官学校を首席卒業をしたが、子供のぼくにはろくな仕事が与えられなかった。次第に、ぼくは腐っていった。年配の古参兵からは、やっかみで苛められもした。ぼくが唯一頼りにしていたオークリーおじいちゃんはぼくの大学在学中に亡くなっていて、どこにも居場所のないぼくの心は、どんどん荒んでいった。
二年前に、荒んでいたぼくの前に現れた解放同盟と名乗る男たちは、今の社会が歪んでいるのは、全て私腹を肥し国を食い物とする政治家が悪いのだと言った。ぼくも同感だった。同盟宇宙軍は、オークリーおじいちゃんが堤督をしていた頃と違って、政治家の人気取りの道具になっている。どうでもいい紛争にも正義の旗印の下に出兵が挙行され、死ななくてもいい兵士が殺される。一部の軍人は政治家に媚びへつらい、恩恵に預ろうと夢中になっている。このままでは、いずれぼくたちの国は駄目になる。その前に悪い芽は摘み取るのだと男たちは言った。ぼくは彼らに賛同したのだ。
居場所のないぼくに唯一の生きる目的ができた。それからだ、ぼくが転々と転属を始めたのは。各基地、各艦隊の規模、主な作戦などの中枢部分を解放同盟に知らせる。彼らはぼくの情報を元に同盟宇宙軍の動きを把握し、天註を加えるべき人物に報復する。テロは悪いことだとわかっている。それでも、ぼくは止めなかった。連絡員は、ぼくを《正義のお嬢ちゃん》と呼んだ。この基地に来るまでは、ぼくの仕事はうまくいっていたのだ。
「ぼくは信じない!」
怒鳴ったぼくは、口に溜まってた自分の血を飲み下して、咳き込んだ。血しぶきが辺りに飛び散った。司令がぼくの手を不意に緩めた。ぼくは無我夢中で司令を突き飛ばし、グロリオーサの街に飛び出した。テロリストの仲間だとばれたぼくには、基地に帰ることなどできない。行き先は一つしかない。
「アスビル、全てばれてる。ぼくはどうすればいい?」
真っ直ぐにアスビルの元に駆け込んだぼくは、仲間に救いの手を求めた。アスビルの目は冷ややかにぼくを見下ろした。とりあえず、ここにいてはまずいと、アスビルはぼくを連れて、ひとまず、砂漠地帯のオアシスにある遊牧民の村に身を潜ませた。
アスビルの知り合いらしい遊牧民たちは、喜んでぼくたちを匿ってくれた。一つのテントに落ち着いてから、アスビルは動揺しているぼくの目の前で、内ポケットから光電子銃を取り出した。
「そろそろ、ばれる頃だとは思ってたんですよ。お嬢ちゃんの持ってきたこの基地の情報は解析するとガセネタばかりでした。どうやら、私も身を隠すしかないですね」
アスビルは微笑みながら、ぼくに光電子銃を向けた。ぼくの身体が凍りついた。ここでぼくは自分がただ利用されていただけだと理解した。ぼくは捨て駒だったのだ。
「お嬢ちゃんは、もういらないんです。同盟宇宙軍の大方の情報は、お嬢ちゃん以外からも手に入りましたからね。こんな基地はどうでもいいことでした。これで、私もようやく国に帰ることができますよ」
アスビルの笑みが、氷のように冷たく感じられる。アスビルは本気だ。ぼくの背筋をゾクッと悪寒が走り抜けた。ぼくにもやっとわかった。アスビルは訓練された軍人なのだと。
「解放同盟ごっこはこれでもう終わりです。彼らは十分に役立ってくれましたからね。今頃はお嬢ちゃんと同じ運命をたどっているはずですよ」
ぼくの顔色が蒼ざめた。アスビルがぼくにポーラスター帝国の軍人を示す記章を示したからだ。軍国主義のこの国は、一人のカリスマ性を持つ軍人が数多の詭弁を弄し、その軍事力をもって国家元首に君臨している。その昔、地球で呼ばれた北極星という恒星の星系に首都星を持つ国、ポーラスター帝国はここ十年ほどで、急激に力を蓄え、最近の細かい紛争の陰には、ポーラスター帝国が見え隠れしているとまで言われている。ぼくは国を救うつもりでいたのに、実際には国を裏切っていたのだ。
「悪く思わないで下さいね。お嬢ちゃんはオークリー堤督の孫娘、用が済んだら殺せと命じられていたのですよ。オークリーの孫は生かしておくと、いつ、我々の計画の邪魔になるとも限りませんからね」
ぼくが信じた国の清浄化改革は、全て、ポーラスター帝国のシナリオの上で踊らされたことだった。ぼくが生きるための唯一の目的は、国を裏切る結果になった。死んでもよかった。ぼくが自分のしたことの責任を取る唯一の方法は、死ぬことだ。ぼくは両手を広げた。苦しまずに一瞬で死にたかった。
「ホゥ、さすがにオークリー堤督の孫、潔いですね」
アスビルが感心したように呟いた。
「このまま、殺すには惜しいですね」
アスビルが光電子銃を突きつけながら、ぼくに歩み寄ってきた。不意にぼくは抱き竦められた。これ以上、ぼくを辱めるというのか?ぼくは熱り立った。アスビルの光電子銃のトリガーを自分で引いた。目の前にピカッと閃光が煌めいた。腹部に激痛が走る。ぼくは床の上に力なく崩れた。アスビル自身も怪我をしたらしく、手から血が滴り落ちている。アスビルは床で呻いているぼくの顔を蹴飛ばした。
「最後まで、馬鹿な女だ」
これでいい、ぼくはこれで楽になれる。キュインという音がして、ぼくの前にアスビルがひざまずいた。ぼくの目の前に赤い血が流れ落ちていく。ぼくの前が真っ赤に濡れる。
「そこまでだ。とうにおまえたちのことは、調べがついている。仲間も全て押さえた」
声と共に複数の足音がテントに踏込んできた。黒のバトルスーツが目に写った。誰かがぼくの前にかがみ込んで、傷を調べ出した。衛生兵だろう。「死なせて」とぼくはか細い声で呟いた。「バカ!」と怒鳴った声の主はマギーだった。
「アスビル、ポーラスター帝国からは軍人の一部が国の意向を無視して、勝手に暴走したと内密に連絡が入っている。ポーラスター帝国は関知しないことなので、既に軍職から除籍になった君たちは、国際法に基づき、銀河同盟国で処分してほしいと言うことだ」
ぼくが担架に乗せられて運ばれるまでの間、延々と司令の声が聞こえていた。そうか、ぼくだけでなく、アスビルたちも国から切り捨てられたのだ。国際紛争は、確固たる理由がない場合、最初に仕掛けた国がバッシングされる。今の状況下で、ポーラスター帝国は国際世論からバッシングされてはまずいのだろう。国のためになどと言ってがんばっても、上の意向にそぐわなければアッサリと切り捨てられる。それが現実なのだ。
世の中は理不尽だらけだ。自分が望む望まざるに限らず、ぼくの運命は歯車に組込まれ、組込まれてしまえばそこから出ることを許されない。ぼく、ジャスティス・オークリー大尉はこの日、殉職した。
アスビルたちは軍事裁判にかけられて、強制労働収容所送りになったと聞いている。デライヤ元首の行方不明だった令嬢アイリーン・ジャスティス・デライヤは、ギタイト星系の惑星ルッシタンで重傷で発見、保護された。一時は危ぶまれたものの、一命をとりとめて、首都星キャンベルンで養療生活を送っている。それがこの事件の結末として発表された公式記録だ。
ルッシタンの住民の多くはグロリオーサの街に住んでいる。何の産業もないこの星には、僅かな家畜を飼う遊牧民が多かった。基地ができてから、共存するように街ができたのだ。基地の居住区から直通のリニアトレインが出ている。駅出口の警備は物々しかった。この基地は、ぼくが渡り歩いた基地の中では一番警戒が厳重なのだ。
「一応、前線基地だからね」
キャシーがボソッと呟いた言葉は、前にもフォリーが口にしていた。変な違和感がある響きだ。砂漠の街の周囲には防砂林が植えられ、砂漠にいるときよりは風に舞う砂は少ない。ぼくたちは砂避けのマントを身につけていた。マントはルッシタン特有の民族衣裳だ。暑いかと思えば、そうでもない。ゆったりと身にまとったマントは砂を避けるだけで、身体を吹き抜ける風が心地好いのだ。ルッシタンでは始終風が吹き荒れている。この風が、ルッシタンの砂漠化を速めていた。
「失礼」
キョロキョロと物見遊山で歩いていたぼくは、前から来た背の高い男にぶつかった。バランスを崩して倒れかかったぼくは、男の逞しい腕に抱き止められた。
「かわいいお嬢さん、ご機嫌いかがですか?」
男はぼくに微笑んだ。
「最低よ」
短く答えて、ぼくは腕を振り解いた。男がクククと声を押し殺して笑う。気色悪い、それが第一印象だ。この男は危険だ。ぼくの本能が訴える。
「お嬢さんが気に入りました。ぼくの家に遊びに来ませんか?」
ぼくが困惑してキャシーを見ると、露骨に嫌な顔をしていた。マギーたちも警戒している。どうやら、この男とは知り合いらしい。
「アスビル、うちの若い子をまた、毒牙にかけようっていうの?」
「おや、おや、キャシーの連れですか?」
男は馴れ馴れしく、ぼくの肩に手を回した。女の扱いに長けている。自分の長所を生かして如何に誑し込むかが彼の手腕の見せ所なのだろう。ぼくは引っかからないがなと心の中で決意する。
「久しぶりに遊びに来ませんか? 先日、レグルス星系まで足を伸ばしたんで、美味しいお酒が手に入ったんですよ」
キャシーたちの顔が少し弛んだ。男はぼくを人質にして、さっさと歩き出した。キャシーたちが渋々と、内心は嬉嬉として後をついてきた。彼女たちは美味しいお酒の誘惑に弱いとぼくは心の中でメモをした。これは大事なことだ。円満な人間関係を掴むためのコツでもある。あとで美味しいお酒を差し入れしようとぼくは密かに決めた。
肩に手をおく男を興味深く見つめていると端正な顔をした彼が微笑む。彼がどんな男でキャシーたちが警戒しているのかはわからないが、お酒に惹かれるくらいの交流はあるのだと思うとぼくはおかしくなった。
「ウーン、やっぱり、レグルス産の地ビールはおいしいわ」
かけつけ三杯、キャシーはグビグビと喉を鳴らして飲干した。マギー、エミリ、シャーリーも同様だ。ぼくは一人だけ涼しい顔で、目の前でお酒を堪能している同僚の女たち四人と男を見守りながら紅茶をすすった。
男の名はアスビル、このルッシタンの貿易商らしい。基地との取り引きもしているが、専ら、自分の小型シャトルで他星系に行商に出ている。キャシーは、「ジムとハリーと同じ穴のムジナよ」と、レグルス産の地ビールを飲干してからぼくに忠告した。
アスビルは、貿易商という割に質素な暮らしをしている。ワンルームのアパート暮らしで、室内にはベッドとソファーセットが置いてあるだけだ。床にはルッシタンの工芸品である毛織物で敷き詰められている。ぼくたちは思い思いの場所に、適当に座り込んでいた。お行儀よくソファーに座ったぼくの隣には、ピッタリとアスビルが寄り添っている。それをキャシーは見咎めた。
「この子に手を出すと、うちの司令ににらまれるわよ」
ビールを片手にベッドに寄り掛かって座っているキャシーは、意味ありげな言葉を吐いた。マギーとエミリがクスッと笑い、シャーリーはビールを飲みながら、コクコクと頷いている。ぼくの顔が瞬時にカァッと赤く染まった。そういうのはやめてほしい。
「へえ、あの堅物司令がこの子に?」
意外そうな顔でアスビルがぼくをジロジロと見つめた。
「そうよ。この子を一人前の女にしたのは司令よ。だから、皆もこの子には手を出さないの」
ああ、やっぱり、ぼくと司令はそういう仲なのだ。初日にしつこかったジムやハリーが、ぼくと会っても、紳士然としているのはそういうわけだったのだ。ぼくは嵌められたのだ。親父と司令に。
昔、あの子に言われた。「一緒に行こう」と。それをぼくは断った。あの子はぼくの意思を尊重してくれた。なのに、今になって籠の鳥にしようというのかと憤りにも似た思いが沸き上がる。
「ちょっと、キャシーってば、言い過ぎよ」
シャーリーがキャシーを肱でつついた。キャシーは「構わないわよ」と言って、ビールをクイッと空けた。マギーとエミリが気まずそうな顔になる。ぼくは寡黙になって、紅茶をすすった。
「それはプレミアムだな」
アスビルがぼくの肩に腕を回してきた。
「ちょっと、アスビル、その子に手を出すなと言ってんのよ」
キャシーの目がつり上がった。
「恋愛は自由。俺はこの子の心は誰の物でもないと見た」
ぼくは物思いに沈んでいた。キャシーが強引にぼくたちの間に割り込んできた。あれ?これって、ヤキモチ?って奴。キャシーがヤケに絡んでくる。キャシーはアスビルからぼくを守るように抱きしめた。
「この子はあんたみたいなわけのわかんない奴とは付き合わせないよ」
フッとアスビルが嘆息した。首をコキコキと前後左右に動かして、頭を撫で擦った。
「わかったよ。但し、この子が俺に会いに来るのは構わないはずだ。なあ、お嬢ちゃん。そう言えば、まだ、名前を聞いてなかったな」
「ジャスティス。ジャスティス・オークリー」
アスビルの目が光った。ぼくの肩を抱いて、
「そうか、正義のお嬢ちゃんというわけだ」
と、ささやいた。仲間だ。ぼくの胸がドキンと高鳴った。ぼくは迷わずにコクンと頷いた。アスビルがニヤッと笑って、それ見たことかと言いたげにキャシーを見遣った。
「あんたって子は何を考えてるわけ」
キャシーがバンとテーブルを叩いた。コップがグラッと揺れてクルクルと倒れ、ビールがテーブルにこぼれた。
「帰る。気分悪いわ。サイテーよ」
キャシーはぼくの腕を強引に引っ張って、部屋を飛び出した。引き摺られていくぼくがアスビルの方を振り返ると、アスビルは不敵な笑みを浮かべていた。
ぼくは次の休みにまた、グロリオーサの街へ出かけた。アスビルの部屋を尋ねたのだ。アスビルは仲間のぼくを待っていた。ぼくはアスビルに今まで集めた情報を渡した。ぼくが勝手にアスビルのところへ出かけたと知って、キャシーはぼくを頭から怒鳴りつけた。怒っているキャシーに、ぼくはアスビルに一目惚れしたと告げた。これからも付き合うつもりだとも付け足した。キャシーは目を三角につり上げて、「サイテーよ!」とぼくの頬を叩いた。何を言われてもいい。ぼくがここにいるのもそう長いことじゃない。
ぼくは当然のように自分の転属の願いを出した。居心地のいい場所はぼくには辛すぎる。キャシーは親身になって、ぼくを心配してくれてる。今更、ぼくにそんな人が現れても、ぼくの決心は変わらない。ぼくは既にこの手を汚しているのだ。今更なかったことにしてあの子と暮らすことなどできない。
ぼくは腐敗したこの国を唯一救うことのできる解放同盟の一員なのだ。そこはぼくの唯一の居場所だった。ぼくたちは国を憂い、国を救うことを目標にしている。それが国のみんなのためだと信じている。そのためになら、ぼくはいくらでも汚いことができる。
「おい」
三度目のグロリオーサからの帰り道、リニアトレインの駅でぼくはジムに声をかけられた。ジムはぼくを待っていたらしく、駅の片隅に誘われた。話を聞かれたくないのだろう。ぼくには話の見当がついた。駅の照明から外れた薄暗い隅で、ぼくたちは向かい合った。
「あの男に近付くな」
「何でさ」
「いいんだよ。金輪際、近付くんじゃねえ」
ジムはぼくの首に手をかけて、ぼくの身体を壁に押しつけた。喉を締められているので苦しかったが、ぼくはジムに蹴りを入れた。ジムが避けようとした瞬間を狙って、ぼくはジムの顔にパンチを決めた。ジムは顔をしかめたけど、ぼくの首から手を放さなかった。ぼくは軽々しく腕を捻られて、今度は顔ごと壁に押しつけられた。
「さすがはオークリー堤督直々の格闘術だ。だが、まだまだだな。堤督が残念がってたよ。アイリーンが男だったらとな。俺たちが堤督に白兵戦技を教わってたときに、一緒に習っていたあのちび子供がおめえだったとは、司令に聞くまでわからなかったぜ」
ぼくは唇をかみ締めた。ジムはぼくの正体を知ってる。ぼくは身体を震わせた。
「アスビルの正体を知っているんだろう?あいつは解放同盟の一員だ。この基地の秘密を探っているテロリストなんだ。だが、それだけじゃねえ。あいつはもっと危険なんだよ。おめえはそんなことにも気付かねえのか!」
ジムの手に力が加わり、ぼくの顔をムギュウッと壁に押しつける。ぼくはギュッと力を込めて唇をかんだ。唇が切れて、口の中に錆びた鉄ような血の味が広がった。
「司令はアスビルを平気で泳がせているが、俺には我慢ならねえ。おめえがあいつとこれ以上付き合うと言うなら、俺は容赦しねえぜ。孫のくせに堤督の名を辱めるんじゃねえ」
ジムは言いたいことを言うと、ぼくの身体から手を放した。ぼくはフゥッと吐息を吐き出して、壁に寄り掛かかると座り込んだ。ジムはまだ、ぼくの前で仁王立ちしている。ぼくは血の混じった唾をペッと吐き出した。
「邪魔をするな!ぼくにはぼくの生き方がある。誰の指図も受けるもんか!」
「何だと、この子供!」
ジムがぼくの胸ぐらを掴み込んだ。張り倒される? ぼくは顔を横に向けて、目を閉じた。
「止めろ、ジム」
穏やかな声だ。ぼくが目を開けると、振り上がったジムの手を司令が掴んでいた。後ろにはキャシーの心配そうな顔も見えた。はん、そういうわけか、キャシーはぼくのお目付なのだ。司令はぼくがしていることなど、最初から全てお見通しだったというわけだ。
「野蛮人。女の子に手を上げるなんてサイテーよ」
キャシーがぼくに駆け寄ってきた。ぼくは差し伸べられたキャシーの手を邪険に払い退けた。ジムはペッと唾を吐き捨てて、司令に掴まれた腕を振り解き、ぼくから顔を背けた。
「いいんだ。ジム、この子の好きなようにやらせれば」
「司令、こいつのしてることは、堤督の名を辱めることになるんですぜ」
ジムが司令に食ってかかった。ぼくは三白眼になって、司令を見上げた。どうして?喉まで出掛かった言葉をぼくは飲み込んだ。
「この子は馬鹿でない。いずれはこの子も自分の間違いに気付く。それからでも十分に間に合うさ」
司令の茶褐色の瞳がぼくを射抜いた。その瞳があまりにも優しいあの子の瞳を思い出させるので、ぼくはさっと視線を避けた。胸にふつふつとした怒りがわき上がってきた。あの子と司令は同じなんだと思いながらも、あの子と違うとぼくは認めたくない自分がいる。
「ぼくは間違っていない。間違ってるのは今の世の中だ。ぼくたちはかつて自分たちの唯一の住み家であった地球を破壊したように、今この銀河をも破壊しようとしてるんだ」
ぼくは立ち上がって、三人の顔を代わる代わる睨みつけた。司令は無表情でぼくを見下ろしているし、ジムは呆れ果てたという顔で視線を逸した。キャシーはぼくを憐んでいる。三者三様の姿にぼくはたじろぐ。
「手段なんかどうでもいい。大切なのはいかにこの銀河を守るかだ」
ジムが首を振って、お手上げだと言うようなポーズを取り、首を竦ませた。司令は相変わらず無表情のままぼくを見下ろしている。キャシーは心を痛めているような表情でぎゅっと胸に手を当てていた。ぼくは一人座り込んで、三人を上目遣いに睨んだ。
「完全に洗脳されちまってる」
「ぼくは洗脳なんかされてない!」
ジムの言葉にぼくは腹を立てた。
「ぼくたちの目的は、この腐りきった銀河同盟国をよりよい国に導くことだ。テロはその一つの手段に過ぎない。それにテロの対象にされているのはこの国を食い潰した政治家だけだ。あんなゴキブリにも等しい奴らを殺して何が悪い!」
ぼくは頬をバシンと力まかせにぶたれた。殴られた拍子にぼくは少し舌をかみ切った。口の中に生ぬるい血が噴き出して、血が口端から垂れてきた。ぼくは拳を握って身体を震わせた。痛みよりも怒りにうち震えていた。
ぼくは殴った司令に飛びかかっていた。あの子から裏切られた気分だ。ぼくの唯一のよりどころだったあの子。もうあの子はどこにもいない。司令はぼくの体当たりを避けながら、ぼくの手を掴むと後ろ手に捻り上げて、プラットホームにぼくの身体を叩きつけた。
「アイリーン、堤督は死ぬ間際におまえがこうなることを予測していた。自分の存在の価値を問い出したときに、いつかおまえが自分自身を追い詰めるとな」
押さえつけられたプラットホームの上で、ぼくは微動だにしなかった。
「おまえが奴らに何を吹き込まれているのか、想像はついてる。ただ、一つ、これだけは言っておく。おまえの周りに、愛情がなかったことなど一度もなかったはずだ」
「嘘だ」
ぼくは言葉を吐き捨てた。ぼくはいらない子供だった。子供の頃のぼくの生活は、全て嘘で固められていた。十二才で大学に通い始めたぼくに、真実を告げる者がいた。リゲル連合国とカノープス王国の軍事衝突で出兵した父様のいた艦隊が、銀河同盟国の政治家の私欲で見殺しにされたこと。ぼくを無理して産んだために、心臓の弱かった母様が早死にしたこと。親父たちの本心が、ぼくよりも母様に生きていてほしかったのだということを知ったぼくは、自分を呪うことしかできなかった。
自分の生きる意味を見出せない幼いぼくに、おじいちゃんは軍人になれと言った。立派な軍人になるために士官学校を首席卒業をしたが、子供のぼくにはろくな仕事が与えられなかった。次第に、ぼくは腐っていった。年配の古参兵からは、やっかみで苛められもした。ぼくが唯一頼りにしていたオークリーおじいちゃんはぼくの大学在学中に亡くなっていて、どこにも居場所のないぼくの心は、どんどん荒んでいった。
二年前に、荒んでいたぼくの前に現れた解放同盟と名乗る男たちは、今の社会が歪んでいるのは、全て私腹を肥し国を食い物とする政治家が悪いのだと言った。ぼくも同感だった。同盟宇宙軍は、オークリーおじいちゃんが堤督をしていた頃と違って、政治家の人気取りの道具になっている。どうでもいい紛争にも正義の旗印の下に出兵が挙行され、死ななくてもいい兵士が殺される。一部の軍人は政治家に媚びへつらい、恩恵に預ろうと夢中になっている。このままでは、いずれぼくたちの国は駄目になる。その前に悪い芽は摘み取るのだと男たちは言った。ぼくは彼らに賛同したのだ。
居場所のないぼくに唯一の生きる目的ができた。それからだ、ぼくが転々と転属を始めたのは。各基地、各艦隊の規模、主な作戦などの中枢部分を解放同盟に知らせる。彼らはぼくの情報を元に同盟宇宙軍の動きを把握し、天註を加えるべき人物に報復する。テロは悪いことだとわかっている。それでも、ぼくは止めなかった。連絡員は、ぼくを《正義のお嬢ちゃん》と呼んだ。この基地に来るまでは、ぼくの仕事はうまくいっていたのだ。
「ぼくは信じない!」
怒鳴ったぼくは、口に溜まってた自分の血を飲み下して、咳き込んだ。血しぶきが辺りに飛び散った。司令がぼくの手を不意に緩めた。ぼくは無我夢中で司令を突き飛ばし、グロリオーサの街に飛び出した。テロリストの仲間だとばれたぼくには、基地に帰ることなどできない。行き先は一つしかない。
「アスビル、全てばれてる。ぼくはどうすればいい?」
真っ直ぐにアスビルの元に駆け込んだぼくは、仲間に救いの手を求めた。アスビルの目は冷ややかにぼくを見下ろした。とりあえず、ここにいてはまずいと、アスビルはぼくを連れて、ひとまず、砂漠地帯のオアシスにある遊牧民の村に身を潜ませた。
アスビルの知り合いらしい遊牧民たちは、喜んでぼくたちを匿ってくれた。一つのテントに落ち着いてから、アスビルは動揺しているぼくの目の前で、内ポケットから光電子銃を取り出した。
「そろそろ、ばれる頃だとは思ってたんですよ。お嬢ちゃんの持ってきたこの基地の情報は解析するとガセネタばかりでした。どうやら、私も身を隠すしかないですね」
アスビルは微笑みながら、ぼくに光電子銃を向けた。ぼくの身体が凍りついた。ここでぼくは自分がただ利用されていただけだと理解した。ぼくは捨て駒だったのだ。
「お嬢ちゃんは、もういらないんです。同盟宇宙軍の大方の情報は、お嬢ちゃん以外からも手に入りましたからね。こんな基地はどうでもいいことでした。これで、私もようやく国に帰ることができますよ」
アスビルの笑みが、氷のように冷たく感じられる。アスビルは本気だ。ぼくの背筋をゾクッと悪寒が走り抜けた。ぼくにもやっとわかった。アスビルは訓練された軍人なのだと。
「解放同盟ごっこはこれでもう終わりです。彼らは十分に役立ってくれましたからね。今頃はお嬢ちゃんと同じ運命をたどっているはずですよ」
ぼくの顔色が蒼ざめた。アスビルがぼくにポーラスター帝国の軍人を示す記章を示したからだ。軍国主義のこの国は、一人のカリスマ性を持つ軍人が数多の詭弁を弄し、その軍事力をもって国家元首に君臨している。その昔、地球で呼ばれた北極星という恒星の星系に首都星を持つ国、ポーラスター帝国はここ十年ほどで、急激に力を蓄え、最近の細かい紛争の陰には、ポーラスター帝国が見え隠れしているとまで言われている。ぼくは国を救うつもりでいたのに、実際には国を裏切っていたのだ。
「悪く思わないで下さいね。お嬢ちゃんはオークリー堤督の孫娘、用が済んだら殺せと命じられていたのですよ。オークリーの孫は生かしておくと、いつ、我々の計画の邪魔になるとも限りませんからね」
ぼくが信じた国の清浄化改革は、全て、ポーラスター帝国のシナリオの上で踊らされたことだった。ぼくが生きるための唯一の目的は、国を裏切る結果になった。死んでもよかった。ぼくが自分のしたことの責任を取る唯一の方法は、死ぬことだ。ぼくは両手を広げた。苦しまずに一瞬で死にたかった。
「ホゥ、さすがにオークリー堤督の孫、潔いですね」
アスビルが感心したように呟いた。
「このまま、殺すには惜しいですね」
アスビルが光電子銃を突きつけながら、ぼくに歩み寄ってきた。不意にぼくは抱き竦められた。これ以上、ぼくを辱めるというのか?ぼくは熱り立った。アスビルの光電子銃のトリガーを自分で引いた。目の前にピカッと閃光が煌めいた。腹部に激痛が走る。ぼくは床の上に力なく崩れた。アスビル自身も怪我をしたらしく、手から血が滴り落ちている。アスビルは床で呻いているぼくの顔を蹴飛ばした。
「最後まで、馬鹿な女だ」
これでいい、ぼくはこれで楽になれる。キュインという音がして、ぼくの前にアスビルがひざまずいた。ぼくの目の前に赤い血が流れ落ちていく。ぼくの前が真っ赤に濡れる。
「そこまでだ。とうにおまえたちのことは、調べがついている。仲間も全て押さえた」
声と共に複数の足音がテントに踏込んできた。黒のバトルスーツが目に写った。誰かがぼくの前にかがみ込んで、傷を調べ出した。衛生兵だろう。「死なせて」とぼくはか細い声で呟いた。「バカ!」と怒鳴った声の主はマギーだった。
「アスビル、ポーラスター帝国からは軍人の一部が国の意向を無視して、勝手に暴走したと内密に連絡が入っている。ポーラスター帝国は関知しないことなので、既に軍職から除籍になった君たちは、国際法に基づき、銀河同盟国で処分してほしいと言うことだ」
ぼくが担架に乗せられて運ばれるまでの間、延々と司令の声が聞こえていた。そうか、ぼくだけでなく、アスビルたちも国から切り捨てられたのだ。国際紛争は、確固たる理由がない場合、最初に仕掛けた国がバッシングされる。今の状況下で、ポーラスター帝国は国際世論からバッシングされてはまずいのだろう。国のためになどと言ってがんばっても、上の意向にそぐわなければアッサリと切り捨てられる。それが現実なのだ。
世の中は理不尽だらけだ。自分が望む望まざるに限らず、ぼくの運命は歯車に組込まれ、組込まれてしまえばそこから出ることを許されない。ぼく、ジャスティス・オークリー大尉はこの日、殉職した。
アスビルたちは軍事裁判にかけられて、強制労働収容所送りになったと聞いている。デライヤ元首の行方不明だった令嬢アイリーン・ジャスティス・デライヤは、ギタイト星系の惑星ルッシタンで重傷で発見、保護された。一時は危ぶまれたものの、一命をとりとめて、首都星キャンベルンで養療生活を送っている。それがこの事件の結末として発表された公式記録だ。
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