蝶々の夏

月丘きずな

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第十二話

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 葉がいない世界は、まるで灰色だ。頭の中に浮かべたその表現は月並みで、葉という存在はもっともっと神聖なものだと謎の怒りが湧いて出た。もうちょっと国語を勉強するべきだっただろうか。どちらかといえば理系な自分に、晴は本気でガッカリした。
 本当は葉があいつとカフェバーへ遊びに来たあの日、葉のアルバイト先にも向かったのだ。当然、険悪になってしまった仲を取り戻したかった。それなのにモデル業の打ち合わせが長引いたために、駅方向へ向かった時には二十二時をすぎたところだった。そこで目撃したのは、道端で抱き合う葉と透の姿。頭に血が昇って、目の前が真っ赤になった。人間とは、本当にショックを受けるとなにもできないものだ。葉はあんなところで抱き合うほどに、あいつのことが好きなのだろうか。あの瞬間から早一週間、晴の思考一面を埋めるのはそのことばかりだ。
 時刻は十二時。確か、葉が透のモデルをするのは今日の十三時か、十四時ごろのはずだ。本来であれば気が気ではないところかもしれない。でもまだ普通に息ができているのには理由があった。
「見学に行こうかな。デッサンとか、すごく興味ある」
 三日前、そう言ったのは親友の真だ。真自身も心配なのか、それとも本当に絵画に興味があるのか、あの男のことはよくわからない。でも確かに、葉がモデルをする現場を見に行くと言っていたのだ。だから晴は安心して、今日もモデル業の撮影現場まで来ていた。メイクにヘアセットまでして、まだ九月だというのにすっかり冬仕様の服を着させられている。
「最近あんまり遊んでないんだって?」
 セットの入れ替えを待ちながらパイプ椅子に座ってスマートフォンを弄っていたら、隣に座っていた今日のペアの高瀬が尋ねてきた。彼女は派手な外見の割にさっぱりした性格をしており、何かと話しやすい。でもそんな彼女相手でも、今日はあまり会話をする気になれなかった。
「ねえ、聞いてるの?」
「うん」
 適当に返事をすると、ぐっと顔が近づいてくる。
「なに、本命でもできた?」
「さあね」
「でも今日は浮かない顔ね。これは好きな人を他の男に取られる人相よ」
「放っておいてください」
 本当に、放っておいてほしい。確かに、想い人がモデルをしようが、上半身裸になろうが、あいつと二人きりなわけではない。そこでなにが起こることもないだろう。でもこれは晴にとって非常にデリケートな話である。他人にズカズカと入り込んできて欲しくないのだ。その気持ちが通じたのか、高瀬は肩を竦めて晴から体を遠ざけた。それとほぼ同時のことだった。晴のスマートフォンが振動したと思ったら、画面には親友の名前が表示されている。晴は一応現場の様子を確かめてから、まだ余裕がありそうだと判断して通話ボタンをタップした。耳に押し当てるより先に『よお』と聞こえてきた声に、「うん、お疲れ」と返すと、『あのさ』と聞こえてくる。
『晴、今日やっぱり行かないけどいい?』
「行かないって?」
『葉のヌード現場』
「……えぇっ!」
 晴の大きな声に、隣の高瀬がビクリと体を震わせた。
『だって、ヌードだよ?よくよく考えたら気まずい』
「ヌードだから行くんだろ」
『いや、別にどうだっていい。葉がヌードをやろうが、そこで透くんに喰われようが』
「はあ!?」
『俺の好きな人じゃないもん』
 人でなしにも程があるだろう。抑えきれない憤りに思わず大声を出しそうになったところで、隣から袖を引かれた。高瀬が小さな声で「好きな人がヌードやるの?」と囁いてくる。他人から改めて言葉にされると余計に心臓に突き刺さった。そうだ、好きな人が、他の男の前で裸にされるのだ。グラグラと眩暈までしてきてきて、正気を保てるはずがなかった。
『もし行くなら教えておいてやるよ。美術大学の、二十三号教室に十四時だって』
「薄情者」
『それは晴だろ。葉が傷ついてるのに、気が付かないなんて』
「え、傷ついてるって?」
『じゃあ、俺忙しいから』
 晴の言葉を待たずに切れた通話に唖然とすることしかできない。葉はどうして傷ついているのだろう。気になって心がざわついて、今すぐに駆けつけて心を癒してやりたい。それなのに、これから撮影を急いで終わらせたとしても、十四時には間に合うはずがなかった。
 すぐにメッセージアプリをタップして、葉とのチャット画面を開いた。でも、八日前の「おやすみ」で締めくくられた画面に、何を送るべきなのかすらわからない。晴は大きく息を吐いて、思わず額に手をやった。その瞬間、背中を高瀬からパシリと叩かれて体が跳ね上がる。
「なんか面白そうね」
「はあ?冗談じゃ」
「さっさとこの撮影終わらせるわよ」
 小声で囁かれたその言葉に、途端に希望の光が差した気がした。ペアである彼女が協力してくれるのならこれ以上心強いことはない。
「その代わり、ヌードの後どうなったか教えなさいよ」
 絶対嫌だけれど、ひとまず頷いておく。すると彼女は鼻で笑って「適当な男ね」と言った。
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