12 / 16
第十一話
しおりを挟む
真が葉を夕食に誘おうと思ったのは、ただただ葉が心配だったからだ。元々様子がおかしい子だけれど、真と晴のアルバイト先に現れた葉の挙動は、いくら思い返しても不審でしかなかった。それに真には解明したいこともある。葉の思考を読み取れないのは、幼馴染として許せないことなのだ。
そして今、真は大学近くの居酒屋で葉と向かい合っていた。お互いに酒を嗜める歳になったことが感慨深い。でも、今日も大学の中庭で生き物観察に精を出していたらしい葉は白い肌をほんのり赤くしていて、そこは昔と変わらないと思うとどこか安心できた。
「日焼け止め、塗ってないな」
真がじとりと葉を見ると、葉は慌てたように「背中は大丈夫だよ」と言った。唐突な背中という言葉に少し首を傾げてから、すぐにモデルの件を気にしているのかと思い至る。透がどんな絵を描くのか知らないけれど、きっとモデルが葉なら日に焼けていようがなんでもいいのではないだろうか。そう言おうと思って結局やめたのは、葉が変わらず気落ちしたような顔をしているからだった。こんな表情は珍しい。追いかけていた蝶々に逃げられたって楽しそうにしている子が、なにを考えているのだろう。
「葉?」
それとなく名前を呼んでみると、葉も小さな声で「真」と言った。
「うん」
「俺、実は」
「うん、どうした」
「実は、好きな子がいるんだけど」
心の中でだけ「わお!」と感嘆して、表面上は「そうなの、すげえ」とだけ言っておいた。でも本当にすごいことだ。幼い頃の葉は、葉に一途な思いを向け続けた透にも、ませた女の子にも見向きもしないで、一生懸命に生き物へ愛情を傾けていた。それは小学校から中学校、そして高校に上がっても同じだったのだ。その葉に好きな子ができたなんて、赤飯でも炊いた方が良いかもしれない。
「でも、その子の好きな子は、別にいるんだ」
「ふーん、そっか。そういうこともあるよね」
「うん」
「それで最近変なの?恋煩いなんだ」
「いや、違うと思う。俺は本気で、好きな子と、その好きな子が、結ばれてほしいんだ」
純粋な思いに感心しながらも、慎重に言葉を選ぶ。
「でもそれは、葉が出る幕じゃないんじゃないの」
「……やっぱりそうだよな」
「もう面倒だから聞いちゃうけど、葉の好きな相手って晴?それとも透くん?」
机の辺りを眺めていた葉の目が見開かれて、真を捉えた。どちらかは正解らしくて、少し気分が晴れる。
「俺に隠し事は無理だよ。だって俺は葉の幼馴染なんだから」
隠し事なんて百年早い。きっと葉なりに好きな相手の詳細は言わないと決めていたことなのだろうけれど、真がじっとその丸い目を見つめると、葉は少し安心したように「それもそうか」と笑った。
「どちらにしても、葉は面食いだ」
「うん」
「そこに俺がいないことにはちょっと腹立つけど」
「うそうそ!俺に好かれたって困るくせに」
そうやって笑い合っているうちに、酒と料理が運ばれてきた。葉は生き物と戯れることの次に食べることが好きだ。それなのに、いつものような目の輝きはまだ見られない。それでも乾杯をして、料理に手をつけ始めたら、段々と葉が纏う雰囲気が柔らかくなった。
「真、このタコのやつ、美味しい」
「うん、本当だね」
「そうだ、タコの背中ってどこだと思う?」
「考えたこともなかったな。あの頭みたいなところのあたりかな」
「実は、タコの背中は目がある側なんだよ」
「へえ、知らなかった。タコってなんだっけ、頭足類だっけ」
「そうそう。さすが真だな」
葉は頬を赤くして、手をぱちぱちと叩いた。どうやらピーチサワーを少量飲んだだけでほろ酔い状態らしい。葉と長年一緒にいればある程度生き物の知識が勝手につくものだけれど、褒められて悪い気はしない。そう思っていたのに、拍手をやめた葉が急にしょぼんと沈んでしまって、真はその顔を慌てて覗き込んだ。
「今度はどうした?」
「晴ったらさ、あんなに良い男なのに不器用だと思わない?」
「え?……まあ、ちょっと不器用かもね」
美しくてひたすらに優しいのに、クールぶっていてちょっと太々しい。その全部をひっくるめて、真は晴という親友のことが好きだ。でも、葉はその不器用さが気掛かりらしく、小さく息を吐き出した。
「そりゃさ、どうせ俺はなんの魅力もないですよ」
「なに、突然」
「男の裸なんて普通描かないって。そりゃ晴にとったら俺は普通の男かもしれないけどさ」
この間のやり取りを思い出して、適当に頷いておく。あれは晴なりの嫉妬なのだろうと真にはわかったけれど、多分いまだに葉には通じていない。
「あれじゃあ、透くんに嫌われちゃうよ。ちゃんと透くんは違うよって伝えなきゃ」
ぽつりと独り言のように行ったその言葉に、真の中では全てが繋がった気がした。やはり、葉は晴が透を好きだと思っているのだ。どうやったらそんな勘違いができるのかわからないけれど、そこが葉らしくて、いじらしくて、「そうだね」とだけ言っておいた。
その後もちびちびと酒を飲みながら晴と透の話をする葉の姿を見て、真は考えた。きっと葉は傷ついたのだろう。「男の裸なんて普通描かない」という言葉は、主語が葉に代わって彼の心に突き刺さったに違いない。おそらく葉は晴のことが好きで、それなのに晴が透と結ばれることだけを必死で考えている。そう思い至った瞬間、真は思わず腕を伸ばして、健気な幼馴染の甘栗色の頭をポンポンと撫でた。本当に可愛い。葉はそれを素直に受け止めて、アルコールで潤んだ瞳で真を見上げながら唇を突き出した。
「真がなんとか言ってやってよ」
「俺がなんて言うのさ」
「好きなら好きって言いなって」
確かに、晴に早く言うべきかもしれない。なんだか少し笑いそうになりながら、「葉が言ってやりな」と言おうとして、直前で思いとどまった。どんな形であれ、葉の一生懸命な気持ちを蔑ろにはできない。
「機会があれば言っておくよ」
「うん、絶対言っておいて」
葉の勘違いと共に、夜は更けていく。真が全て種明かししてもいい。でもそうしなかったのは、真なりの粋な計らいのつもりだ。
「葉は、昔から良い子」
すでにうとうとと船を漕ぎ始めた葉にこっそり囁いてみた。良い子だから、真は一生懸命に彼を守ってきたのだ。葉に恋人ができたら、真と葉の関係はどうなるのだろう。少し考えてから、たいして今と変わらないだろうと確信して、真はハイボールをグッと飲み干した。
そして今、真は大学近くの居酒屋で葉と向かい合っていた。お互いに酒を嗜める歳になったことが感慨深い。でも、今日も大学の中庭で生き物観察に精を出していたらしい葉は白い肌をほんのり赤くしていて、そこは昔と変わらないと思うとどこか安心できた。
「日焼け止め、塗ってないな」
真がじとりと葉を見ると、葉は慌てたように「背中は大丈夫だよ」と言った。唐突な背中という言葉に少し首を傾げてから、すぐにモデルの件を気にしているのかと思い至る。透がどんな絵を描くのか知らないけれど、きっとモデルが葉なら日に焼けていようがなんでもいいのではないだろうか。そう言おうと思って結局やめたのは、葉が変わらず気落ちしたような顔をしているからだった。こんな表情は珍しい。追いかけていた蝶々に逃げられたって楽しそうにしている子が、なにを考えているのだろう。
「葉?」
それとなく名前を呼んでみると、葉も小さな声で「真」と言った。
「うん」
「俺、実は」
「うん、どうした」
「実は、好きな子がいるんだけど」
心の中でだけ「わお!」と感嘆して、表面上は「そうなの、すげえ」とだけ言っておいた。でも本当にすごいことだ。幼い頃の葉は、葉に一途な思いを向け続けた透にも、ませた女の子にも見向きもしないで、一生懸命に生き物へ愛情を傾けていた。それは小学校から中学校、そして高校に上がっても同じだったのだ。その葉に好きな子ができたなんて、赤飯でも炊いた方が良いかもしれない。
「でも、その子の好きな子は、別にいるんだ」
「ふーん、そっか。そういうこともあるよね」
「うん」
「それで最近変なの?恋煩いなんだ」
「いや、違うと思う。俺は本気で、好きな子と、その好きな子が、結ばれてほしいんだ」
純粋な思いに感心しながらも、慎重に言葉を選ぶ。
「でもそれは、葉が出る幕じゃないんじゃないの」
「……やっぱりそうだよな」
「もう面倒だから聞いちゃうけど、葉の好きな相手って晴?それとも透くん?」
机の辺りを眺めていた葉の目が見開かれて、真を捉えた。どちらかは正解らしくて、少し気分が晴れる。
「俺に隠し事は無理だよ。だって俺は葉の幼馴染なんだから」
隠し事なんて百年早い。きっと葉なりに好きな相手の詳細は言わないと決めていたことなのだろうけれど、真がじっとその丸い目を見つめると、葉は少し安心したように「それもそうか」と笑った。
「どちらにしても、葉は面食いだ」
「うん」
「そこに俺がいないことにはちょっと腹立つけど」
「うそうそ!俺に好かれたって困るくせに」
そうやって笑い合っているうちに、酒と料理が運ばれてきた。葉は生き物と戯れることの次に食べることが好きだ。それなのに、いつものような目の輝きはまだ見られない。それでも乾杯をして、料理に手をつけ始めたら、段々と葉が纏う雰囲気が柔らかくなった。
「真、このタコのやつ、美味しい」
「うん、本当だね」
「そうだ、タコの背中ってどこだと思う?」
「考えたこともなかったな。あの頭みたいなところのあたりかな」
「実は、タコの背中は目がある側なんだよ」
「へえ、知らなかった。タコってなんだっけ、頭足類だっけ」
「そうそう。さすが真だな」
葉は頬を赤くして、手をぱちぱちと叩いた。どうやらピーチサワーを少量飲んだだけでほろ酔い状態らしい。葉と長年一緒にいればある程度生き物の知識が勝手につくものだけれど、褒められて悪い気はしない。そう思っていたのに、拍手をやめた葉が急にしょぼんと沈んでしまって、真はその顔を慌てて覗き込んだ。
「今度はどうした?」
「晴ったらさ、あんなに良い男なのに不器用だと思わない?」
「え?……まあ、ちょっと不器用かもね」
美しくてひたすらに優しいのに、クールぶっていてちょっと太々しい。その全部をひっくるめて、真は晴という親友のことが好きだ。でも、葉はその不器用さが気掛かりらしく、小さく息を吐き出した。
「そりゃさ、どうせ俺はなんの魅力もないですよ」
「なに、突然」
「男の裸なんて普通描かないって。そりゃ晴にとったら俺は普通の男かもしれないけどさ」
この間のやり取りを思い出して、適当に頷いておく。あれは晴なりの嫉妬なのだろうと真にはわかったけれど、多分いまだに葉には通じていない。
「あれじゃあ、透くんに嫌われちゃうよ。ちゃんと透くんは違うよって伝えなきゃ」
ぽつりと独り言のように行ったその言葉に、真の中では全てが繋がった気がした。やはり、葉は晴が透を好きだと思っているのだ。どうやったらそんな勘違いができるのかわからないけれど、そこが葉らしくて、いじらしくて、「そうだね」とだけ言っておいた。
その後もちびちびと酒を飲みながら晴と透の話をする葉の姿を見て、真は考えた。きっと葉は傷ついたのだろう。「男の裸なんて普通描かない」という言葉は、主語が葉に代わって彼の心に突き刺さったに違いない。おそらく葉は晴のことが好きで、それなのに晴が透と結ばれることだけを必死で考えている。そう思い至った瞬間、真は思わず腕を伸ばして、健気な幼馴染の甘栗色の頭をポンポンと撫でた。本当に可愛い。葉はそれを素直に受け止めて、アルコールで潤んだ瞳で真を見上げながら唇を突き出した。
「真がなんとか言ってやってよ」
「俺がなんて言うのさ」
「好きなら好きって言いなって」
確かに、晴に早く言うべきかもしれない。なんだか少し笑いそうになりながら、「葉が言ってやりな」と言おうとして、直前で思いとどまった。どんな形であれ、葉の一生懸命な気持ちを蔑ろにはできない。
「機会があれば言っておくよ」
「うん、絶対言っておいて」
葉の勘違いと共に、夜は更けていく。真が全て種明かししてもいい。でもそうしなかったのは、真なりの粋な計らいのつもりだ。
「葉は、昔から良い子」
すでにうとうとと船を漕ぎ始めた葉にこっそり囁いてみた。良い子だから、真は一生懸命に彼を守ってきたのだ。葉に恋人ができたら、真と葉の関係はどうなるのだろう。少し考えてから、たいして今と変わらないだろうと確信して、真はハイボールをグッと飲み干した。
2
あなたにおすすめの小説
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
サラリーマン二人、酔いどれ同伴
風
BL
久しぶりの飲み会!
楽しむ佐万里(さまり)は後輩の迅蛇(じんだ)と翌朝ベッドの上で出会う。
「……え、やった?」
「やりましたね」
「あれ、俺は受け?攻め?」
「受けでしたね」
絶望する佐万里!
しかし今週末も仕事終わりには飲み会だ!
こうして佐万里は同じ過ちを繰り返すのだった……。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
先生と俺
春夏
BL
【完結しました】
【エールいただきました。ありがとうございます】
ある夏の朝に出会った2人の想いの行方は。
二度と会えないと諦めていた2人が再会して…。
Rには※つけます(7章)。
【完結】毎日きみに恋してる
藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました!
応援ありがとうございました!
*******************
その日、澤下壱月は王子様に恋をした――
高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。
見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。
けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。
けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど――
このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。
病弱の花
雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる