蝶々の夏

月丘きずな

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第十一話

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 真が葉を夕食に誘おうと思ったのは、ただただ葉が心配だったからだ。元々様子がおかしい子だけれど、真と晴のアルバイト先に現れた葉の挙動は、いくら思い返しても不審でしかなかった。それに真には解明したいこともある。葉の思考を読み取れないのは、幼馴染として許せないことなのだ。
 そして今、真は大学近くの居酒屋で葉と向かい合っていた。お互いに酒を嗜める歳になったことが感慨深い。でも、今日も大学の中庭で生き物観察に精を出していたらしい葉は白い肌をほんのり赤くしていて、そこは昔と変わらないと思うとどこか安心できた。
「日焼け止め、塗ってないな」
 真がじとりと葉を見ると、葉は慌てたように「背中は大丈夫だよ」と言った。唐突な背中という言葉に少し首を傾げてから、すぐにモデルの件を気にしているのかと思い至る。透がどんな絵を描くのか知らないけれど、きっとモデルが葉なら日に焼けていようがなんでもいいのではないだろうか。そう言おうと思って結局やめたのは、葉が変わらず気落ちしたような顔をしているからだった。こんな表情は珍しい。追いかけていた蝶々に逃げられたって楽しそうにしている子が、なにを考えているのだろう。
「葉?」
 それとなく名前を呼んでみると、葉も小さな声で「真」と言った。
「うん」
「俺、実は」
「うん、どうした」
「実は、好きな子がいるんだけど」
 心の中でだけ「わお!」と感嘆して、表面上は「そうなの、すげえ」とだけ言っておいた。でも本当にすごいことだ。幼い頃の葉は、葉に一途な思いを向け続けた透にも、ませた女の子にも見向きもしないで、一生懸命に生き物へ愛情を傾けていた。それは小学校から中学校、そして高校に上がっても同じだったのだ。その葉に好きな子ができたなんて、赤飯でも炊いた方が良いかもしれない。
「でも、その子の好きな子は、別にいるんだ」
「ふーん、そっか。そういうこともあるよね」
「うん」
「それで最近変なの?恋煩いなんだ」
「いや、違うと思う。俺は本気で、好きな子と、その好きな子が、結ばれてほしいんだ」
 純粋な思いに感心しながらも、慎重に言葉を選ぶ。
「でもそれは、葉が出る幕じゃないんじゃないの」
「……やっぱりそうだよな」
「もう面倒だから聞いちゃうけど、葉の好きな相手って晴?それとも透くん?」
 机の辺りを眺めていた葉の目が見開かれて、真を捉えた。どちらかは正解らしくて、少し気分が晴れる。
「俺に隠し事は無理だよ。だって俺は葉の幼馴染なんだから」
 隠し事なんて百年早い。きっと葉なりに好きな相手の詳細は言わないと決めていたことなのだろうけれど、真がじっとその丸い目を見つめると、葉は少し安心したように「それもそうか」と笑った。
「どちらにしても、葉は面食いだ」
「うん」
「そこに俺がいないことにはちょっと腹立つけど」
「うそうそ!俺に好かれたって困るくせに」
 そうやって笑い合っているうちに、酒と料理が運ばれてきた。葉は生き物と戯れることの次に食べることが好きだ。それなのに、いつものような目の輝きはまだ見られない。それでも乾杯をして、料理に手をつけ始めたら、段々と葉が纏う雰囲気が柔らかくなった。
「真、このタコのやつ、美味しい」
「うん、本当だね」
「そうだ、タコの背中ってどこだと思う?」
「考えたこともなかったな。あの頭みたいなところのあたりかな」
「実は、タコの背中は目がある側なんだよ」
「へえ、知らなかった。タコってなんだっけ、頭足類だっけ」
「そうそう。さすが真だな」
 葉は頬を赤くして、手をぱちぱちと叩いた。どうやらピーチサワーを少量飲んだだけでほろ酔い状態らしい。葉と長年一緒にいればある程度生き物の知識が勝手につくものだけれど、褒められて悪い気はしない。そう思っていたのに、拍手をやめた葉が急にしょぼんと沈んでしまって、真はその顔を慌てて覗き込んだ。
「今度はどうした?」
「晴ったらさ、あんなに良い男なのに不器用だと思わない?」
「え?……まあ、ちょっと不器用かもね」
 美しくてひたすらに優しいのに、クールぶっていてちょっと太々しい。その全部をひっくるめて、真は晴という親友のことが好きだ。でも、葉はその不器用さが気掛かりらしく、小さく息を吐き出した。
「そりゃさ、どうせ俺はなんの魅力もないですよ」
「なに、突然」
「男の裸なんて普通描かないって。そりゃ晴にとったら俺は普通の男かもしれないけどさ」
 この間のやり取りを思い出して、適当に頷いておく。あれは晴なりの嫉妬なのだろうと真にはわかったけれど、多分いまだに葉には通じていない。
「あれじゃあ、透くんに嫌われちゃうよ。ちゃんと透くんは違うよって伝えなきゃ」
 ぽつりと独り言のように行ったその言葉に、真の中では全てが繋がった気がした。やはり、葉は晴が透を好きだと思っているのだ。どうやったらそんな勘違いができるのかわからないけれど、そこが葉らしくて、いじらしくて、「そうだね」とだけ言っておいた。
 その後もちびちびと酒を飲みながら晴と透の話をする葉の姿を見て、真は考えた。きっと葉は傷ついたのだろう。「男の裸なんて普通描かない」という言葉は、主語が葉に代わって彼の心に突き刺さったに違いない。おそらく葉は晴のことが好きで、それなのに晴が透と結ばれることだけを必死で考えている。そう思い至った瞬間、真は思わず腕を伸ばして、健気な幼馴染の甘栗色の頭をポンポンと撫でた。本当に可愛い。葉はそれを素直に受け止めて、アルコールで潤んだ瞳で真を見上げながら唇を突き出した。
「真がなんとか言ってやってよ」
「俺がなんて言うのさ」
「好きなら好きって言いなって」
 確かに、晴に早く言うべきかもしれない。なんだか少し笑いそうになりながら、「葉が言ってやりな」と言おうとして、直前で思いとどまった。どんな形であれ、葉の一生懸命な気持ちを蔑ろにはできない。
「機会があれば言っておくよ」
「うん、絶対言っておいて」
 葉の勘違いと共に、夜は更けていく。真が全て種明かししてもいい。でもそうしなかったのは、真なりの粋な計らいのつもりだ。
「葉は、昔から良い子」
 すでにうとうとと船を漕ぎ始めた葉にこっそり囁いてみた。良い子だから、真は一生懸命に彼を守ってきたのだ。葉に恋人ができたら、真と葉の関係はどうなるのだろう。少し考えてから、たいして今と変わらないだろうと確信して、真はハイボールをグッと飲み干した。
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