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Past#5 名前-name- side.az
しおりを挟む"要求を呑む"
俺は、要求を呑んだろうか。
そもそも、どんな要求だった?
ぼんやりと、はっきりとした形を為さない記憶に、眉をしかめる。
確かに覚えているのは、俺が理性を留めおくことのできた所までだ。
彼の猫と出会ったところ、まで。
しかし朧ながら、あの闇にまみれた路地でアイツと会話した、そんな気はしている。
会話の内容なんかは覚えがなくとも、どうせ死にたがりと生かしたがりの攻防だろう、そう安易に想像つくもんだが。
しかし耳に入り込んできた声に、目を見張った。
「生きたい、と言ったそうじゃないですか」
……俺が?
死にたがりの俺が、『生きたい』?
「そいつは、また」
「えぇ。私もそれは聞き間違いだろうと思ってますが。でも、貴方があの子のものになったことは事実でしょう?」
あの子のものに。
それは言葉上のだけの"契約"だろう、そう頭では分かっているが、この男が言うと本当に、俺に対する一切の権限がアイツに譲渡された気がするもんだから、不思議だ。
漂う沈黙の中で、考える。
そういえば、何か言ったような気もする。
意識も朦朧の状態で無理矢理引きずられて歩いた、あの時。
確かにあのまま雨に打たれて居ても、体力と出血の問題で生死問題に陥ったことは間違いない。
だからアイツの判断が誤っていたとは思わない。
だが俺は別に痛覚がないわけじゃない。
そりゃ人より馴れてる分耐性はあるだろうが、痛みに強いわけでも、ましてや好む、なんて性癖は持たない。
余りの痛撃に意識を手放すこともある。
あの瞬間、多分もう俺は意識がなかった。
今も鎮痛剤のお蔭で、喋れてるだけなんだろう。
静かに訪れる靄のような感覚に、抗うことなく目を閉じる。
「そんなに、俺が欲しい?」
誰が、と言わない。言わなくても伝わるはずだ。
厄介ばかりを抱えた俺を、この男が欲しがるわけがない。
「生きて『欲しい』そうですよ」
声から、綺麗な顔を歪め、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
そんな情景が目に浮かぶようで、失笑がこぼれる。
「じゃぁやるよ」
誰が、と明言しなかったように、誰に、とも言わない。
言う必要がなくとも、本来は明言すべきのだが。
何故ならこれは契約だった。
彼らにその気がないにしても、俺には今までがそうであったように、
新たな肩書きを与えられると共に、俺は俺の『死神』の異名を利用する権利を彼らに売り、彼らは俺に対価として、俺を引き取り最期の仕様までを決める。
そんな契約が、再び結ばれるだけのようにしか思えなかった。
一つ契約が破棄されれば、すぐに異なる契約を結ぶことになる。
思えば俺の人間として当然の権利など、武藤に『俺』を売り、死を契約したあの時からなかったのかもしれない。
だから、俺が生きるためには、契約を結び続けるしかないのか。
苦笑がもれる。しかし、それをかき消すように、あの男の大仰なため息が部屋の空気を震わせた。
「やるよ、も何も言ったでしょう。何を勘違いしてるか知りませんが、貴方は既にあの子のモノ。あの子の所有物である以外に、貴方に価値はないんです。つまり髪一本たりとも貴方のものではない。生死の采配の権利もあなたにはない、そういうことですよ」
シズと呼ばれる男の言葉は、俺がかつて結んできた契約と同じようで、全く異なる。
何かがおかしい。気づいたのはこの時だった。
「そもそも、もう『貴方』という人間は、この世に存在しないのですから」
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