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Past#5 名前-name-
Past#5 名前-name- side.az
しおりを挟む実態は要らないとされた『死神』。
だから『死神』が誰かであるかは、この世界に入ると共に秘密事項となった。
何人もの『死神』も生まれた。
そうして『死神』は、元は俺の異名でありながら俺のものではなくなり、俺が明と養子縁組を汲んで以来、完全に俺とは切り離され、俺自身がその名で呼ばれることはなくなった。
『死神』でない俺は『ヒロ』と呼ばれた。
とはいえ実際そう呼んだのは明だけで、他は俺を『ヒロ』と認識していても、決して呼びはしなかったが。
だから俺の本名を知るのも、今や明だけだろう。
元々、養子を組んだ際に名字が変わったのもあるが、それ以前にも戸籍上の名字も度々変わっている。戸籍は全ての名字を記録しているだろうが、人の記憶はそのようにはいかない。
基本的に人間は自分の生活とは無関係になった人間の名前など、覚えていない。ましてや俺は常に関わりたくない側の人間だった。早速と記憶からデリートされていることだろう。
もし、記憶にあったとしても欠片程度。
俺の身代わりをさせられた男の名が『ヒロ』、もしくは似た響きのものであったら。
または俺と良く似た背格好で、実は朝比奈に潜入していた武藤派だった、そう仲間内で納得してしまうような、行いを繰り返していたとしたら。
……それこそ、組の薬を武藤に流していた、とかな。
表の世界裏の世界関係なく、人々は容易く身代わりの男を俺と錯覚し、俺の死亡を信じるだろう。
加えて、武藤狩り。
武藤派の、二度と帰ってこない行方不明者たち。彼らの届けと共に間違った届出が一枚混在していても、気づかれはしない。
混乱する情勢の中だからこそできた、この策を、考えた『誰か』は間違いなく目の前に。
「もう一度聞く――アンタ、何者だ?」
「しつこいですねぇ。私は富岡静流です、何度もいっているでしょう?」
富岡静流、この男。
「俺はアンタの旧姓が聞きたい」
「へぇ?」
面白いそうなものを見るようにして、彼は俺の言葉を薄く笑った。
「既に貴方は自身で答えを導き出している様子。なのに、私に名前を尋ねるんですか」
「俺が持つのはただの仮説に過ぎない」
「つまり根拠を持たない、と?」
「あぁ」
ゆっくり、俺の目線の先で唇が横に広がる。
この一連の出来事を俺に語り始めた時点で、彼は既に素性を隠すつもりもなかったのだと思われる。
彼が言った策を施行するには、『誰か』が朝比奈内部を好きに動かせる立場にいなければならない。それは明白なこと。
「私は、」
微かに開いた空間からまさに言葉が飛び出そうとした時、どこからか重く鈍い鐘の音が届いた。
それを聞き、俺を見ていた彼の目が壁に掛かった時計へ移る。長針と短針はそれぞれ12と5を指している。
ふぅ、と一度開いた唇が閉じた。
「……せっかくですが、私の名前についてはまた今度にしましょう。これから長い付き合いになるんです。そう急く話でもない。それよりも私は、コタが帰ってくる前に、貴方に確認しなければならないことがあります」
すっと、笑みを称えていた富岡静流の顔が表情を消す。
「貴方は、コタが貴方につけた名前を覚えていますか?」
旧姓については、追求をやめて問いかけに、考える。曖昧な薄闇の記憶の中で、その声だけは鮮明に響く。
『アズミ。今日から貴方はアズミです』
「……あぁ」
アズミ。
ただの名前にしては重すぎた響きを持った、何か決死を覚悟したような呟きでもって、付けられた名前。
富岡静流は言った。
「その名前は、貴方にとってはただの名前でしょう。ですが、コタにとってはそうではない」
「親の名か?」
「いいえ」
ゆっくりと、首が二度横に振られる。
「それは猫の名です」
猫、口の中で富岡静流の言葉を繰り返した。
「あの子が初めて拾った、猫の名。それが『アズミ』です」
単に、猫の名をあやかっただけか、とは思えなかった。
彼、”コタ”にとって猫が、他人と同価値にないことを、俺は既に知っている。
「貴方は、私はあの子に甘すぎる、と思っているかもしれませんが。
……いえ、確かに甘い自覚もありますが。それでもヤクザを拾い、まして細工まで施して引き取ることを承認するほど甘くはない。貴方を引き取ることは、私ばかりでなくあの子にとっても危険な事です。もし、貴方がアズミ以外の名前をつけられたのであったなら、私は一般人であることを貫き、必ずコタを諦めさせたでしょう」
彼にとって存在意義の高い、猫。その中でも、その『アズミ』は別格だということか。
「『アズミ』は、小太郎にとっていわばスイッチのようなものです」
スイッチ。
「あの子の感情をあそこまで不安定にさせるのは、後にも先にも『アズミ』だけでしょう。何故かを私は語らない。どんな猫であったかも、何故コタが『アズミ』に執着するかも、私から語るつもりはありません。私が貴方を引き取ると決めたのは、あの子に『アズミ』の二番煎じを与えるためではないからです」
「つまり?」
「貴方には、『アズミ』を変えて頂く」
スイッチたる『アズミ』に伴う記憶、感情を塗り替える。
それが彼が俺に求めること。
しかし、と思う。
「俺が『アズミ』になることは、今まで以上に"コタ"に悪影響を与えるんじゃないのか?」
彼は、猫を、自身を肯定する存在として依存している傾向が見られる。
『アズミ』がスイッチになってしまったのもその関係からだろう。
そこで、俺みたいのが『アズミ』になることは、余計彼に『アズミ』への依存、執着を掻き立てるのではないか。
「私もそれは思いました。けれどコタは貴方をアズミと名付けてしまった。その上で貴方を見捨てることは、彼の抱える、『アズミ』の名に伴うトラウマを今まで以上に酷くする可能性が高い。そしてその方がリスクも高いんですよ」
苦々しい顔は、吐き捨てるように言い募る。
確かに俺を『アズミ』とし引き取ることで、コタは人間の形をした『アズミ』に、依存するかもしれない。
しかし、俺を『アズミ』にすることで、彼は『アズミ』の呪縛から解き放たれるかもしれない。
なるほど、俺を与えた方が可能性の選択肢は増える。そして当然、富岡静流が俺に求めるのは、コタが後者の可能性を得るよう仕向けることだ。
「だがどうやって? 俺は俺としてしか生きられない」
「簡単なことです。言ったでしょう? 貴方はコタが良いと言うまで、例え瀕死の瀬戸際でも、生きることにしがみついてもらう、と。それでいいんです」
まぁ、貴方にとっては何より難しいことかもしれませんが、と富岡静流は皮肉交じりに付け加えた。
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