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獅子倉龍二

ママ……?

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獅子倉の妻によって包丁を突き立てられた電話機は、それ以降、呼び出し音を鳴らすことはなかった。

「ああ…なんだ……最初からこうすればよかったんじゃない……」

包丁が刺さったままの沈黙した電話機を見下ろしながら、妻はうっすらと笑みを浮かべながらそう言った。

明らかに<普通>とは言えない様子だっただろう。

その時、妻の耳にまた別の<音>が届いてきた。瞬間、妻の顔が歪む。

「煩い……っっ!」

妻の口からは呪詛の如き言葉が発せられ、体には得体の力が漲っていく。

この時の妻の耳には、その音はまるで玄関のドアをしつこく叩くマスコミのノックのように聞こえていたのかもしれない。

だが実際には、それは<泣き声>だった。怖い夢を見たのか突然泣き出した勇雄(いさお)の。

「煩い、煩い、煩いっっ! どうして私達がこんな目に遭うの!? あの人は間違ったことはしてない…っ! あの人は正しいことをしようとしただけよ……! それがどうしてこんな……!!」

頭を抱え髪を振り乱しながら妻は叫んだ。叫んで、それから電話機に刺さった包丁を手にして、抜き取った。

そしてその包丁を手に、<音>のする方へとゆらりと歩き出した。

寝室の襖を開け、<それ>を見る。耳障りな音を発しているそれを。体を起こして手をついて、わんわんと泣きじゃくる幼い我が子を……

「黙れ……」

呟いた妻は、手にした包丁を高々と掲げたのだった。



「ママ……?」

朝、泣き腫らした目でゆっくりと体を起こした勇雄は、自分の隣で母親が普段着のまま寝ていることに気が付いた。

が、様子がおかしい。いつもならちゃんと布団に寝ているはずが今日はそこから大きくはみ出してうつぶせで寝ているのだ。まるで、部屋に入ってきた時にそのまま倒れるようにして眠ってしまったかのように。

しかも何とも言えない色をした何かが寝ている母親を中心にして広がって、布団のシーツを汚していた。

「ママ……?」

呼びかけても何の反応もない母親に向けて、勇雄は再び声を掛けた。だがやはり返事はない。ピクリとも動かない。

「ママ……?」

三度声を掛けた勇雄は、母親を揺り起こそうとして身を乗り出した。すると何とも言えない色に変色したシーツの部分に手を着いた時、ぬちっとした感触があった。表面は乾いていたようにも見えたそれは、ぬめりを持った生乾きの、固体に変わりつつある液体だった。

「え……?」

思わず手を引っ込めて見た勇雄の視線の先にあったのは、黒っぽい赤で彩られた自分の手の平だった。

「え…、え……?」



パニックを起こした勇雄が家を飛び出し、裸足で、かつ血まみれで火が点いたように泣いていたところを近所の住人によって発見され通報され、駆けつけた警察と救急隊員によって、首から血を流し既に息絶えた獅子倉龍二の妻が確認されたのであった。

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