宿角玲那の生涯

京衛武百十

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伊藤玲那編

忘れ去られる命

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その日、莉愛りあは上機嫌だった。昨日、いつも自分を買ってくれる常連客が、チップを奮発してくれたからだ。だからいつも以上にサービスしてやったら客も喜んで、上機嫌で見送ってくれた。

そうやって自分を必要としてくれる人間がいるのは嬉しかった。何しろ彼女の両親は、莉愛のことを必要としていなかったからだ。

莉愛の両親は、愛し合って結ばれた訳ではなかった。お互いに打算と妥協によって結婚を決めたのである。それぞれ、そうしないといけない理由があった。

父親の方は、いつまでも独身でいては仕事の上で不利になるからということで焦っていたし、母親の方は、勤め先で次々と同僚が寿退社していくことに焦っていた。だからお互いに、共通の友人を介して知り合った人間で手を打ったのだ。お互い、ステータスは決して悪くなかったからである。

しかし、そうして結婚した二人の間には、愛情などまるでなかった。昔は見合い結婚というものもあったことだし取り敢えず結婚して一緒に暮らし始めれば多少は情も湧くかと思ったが、その気配すら微塵もなかった。体も何度も重ねてみたが、やはり結果は同じだった。二人の間には、何かが決定的に欠けているのだ。

なのに、そんな関係でもすることをすれば結果が伴う。妊娠だ。二人にとってそれは決して喜ばしいことではなかったが、周囲は二人の気持ちなど知らずに祝福し、それ故に要らないとも堕胎するとも言えないままに莉愛が生まれてしまったのだった。

だが、そんな形で生まれてしまった我が子のことさえ、両親は愛おしいとは思えなかった。事ここに至って、二人は自分達が根本的な大前提として結婚に向いていない性分なのだということにようやく気付いたのである。

目立った虐待はなかったが、二人の莉愛に対する態度はあまりに冷淡で、生まれたばかりの頃の彼女はそれを敏感に察したのか、いつも酷く不機嫌で泣いてばかりの子供だった。

そうなるとますます可愛いとは思えなくなり、莉愛の機嫌を取る為に次から次へと玩具やお菓子を買い与えるようになったのだった。いわゆる<甘やかし>ということなのだろう。

もっとも、この甘やかしによって一番甘やかされるのは、実は両親の方である。子供のことを理解しようとせず、安易に玩具やお菓子を買い与えることで自分が楽をしたかったのだ。結果、莉愛は物心つく頃には手に負えないワガママな子供に育っていた。

何でもかんでも欲しがり、手に入らないとなると大きな声で喚き散らして両親の方を折れさせた。そうすれば自分の機嫌を取る為に両親が言いなりになってくれると学習してしまったということだ。

これは、完全に両親の側の失策であろう。子供の相手をしてその目を見、その言葉に耳を傾けて我が子のことを理解するのを放棄したのだから。代わりに玩具やお菓子でご機嫌を取り、小学校に上がる頃にはそれは小遣いという形になった。そして莉愛はいつしか、金が自分を満たしてくれると思うようになっていた。

とは言え、両親の方も無尽蔵に金を渡せる訳ではない。やがて両親に頼るだけでは物足りなくなり、援助交際という手段があると知った彼女は、さほど抵抗もなく自分の体を金に換えた。自分より金が大事だったのだ。しかも、そうやって体を提供すれば、相手の男が面白いように自分に従順になった。自分とヤりたいが為にご機嫌を取り、金を出す。

その事実は、莉愛をさらに増長させた。

が、そんな状態がいつまでも調子よく続く訳もなく、金を払わずに逃げる男がいたり、写真や動画を撮ろうとする男がいたり、首を絞めるような危険なプレイを要求する男なども出てきたのだった。そこで彼女は、援助交際の先輩でもある従姉の莉々りりに相談を持ち掛け、派遣型の裏風俗の店に在籍するようになったのである。

しかしそれによって、莉愛は、面白くない現実も知ることになった。それまでは、小学生というだけでありがたがり、何万円もの金を出す男が自分にかしずいてくれていたと思っていたのが、自分以上にたくさんの客を取ってちやほやされるのがいるという現実を目の当たりにさせられたのだった。それが面白くなくて、莉愛は、自分よりも年下でたくさんの客を持つ<玲那れいな>という少女のことが不愉快で、ことあるごとに罵るようにもなっていた。

さりとて、そんなことで自分の人気が上がる訳でもない。そのせいで余計に鬱屈したものを募らせるようになっていったのだった。

なのにその日は、前日にいつも自分を買ってくれる男がいつも以上にチップを奮発してくれたことで上機嫌になり、いつものイライラした気分がかなりマシになっていた。その為か玲那に対しても態度や言葉遣いが柔らかくなり、戸惑わせたりもした。

でもそんなこともどうでもいい。今度会う時には新しい携帯をプレゼントしてくれるという約束もしてもらって、その上、服やバッグまで買ってくれるというのだ。自分のことがそれだけ評価されたと感じて、とにかく嬉しかった。

だから、いつも以上に注意力が散漫になっていたのだろう。いつも、赤信号になっていても自動車が近付いてさえいなければ気にせず無視して渡っていた小さな交差点に差し掛かった時、普段なら自動車が来ていないか確認してから渡るところがそれを怠ってしまったのであった。

そういう時にこそ、えてして間の悪いことが起こるものなのかもしれない。運悪くそこに酷くスピードを出して交差点に進入してくる自動車があった。しかもその自動車の運転手も携帯電話で話すのに夢中になって、前をよく見ていなかったのだった。

「…え?」

気付いた時にはもう遅い。いくら後悔しても時間は巻き戻せない。小学生としては大柄で中学生にみられることもよくある彼女でも、自動車が相手では勝ち目などない。

悲鳴を上げる暇さえなく、彼女の体は空中高く跳ね上げられ、でたらめな思考が脳内を駆け回ったその数瞬後、何もない真っ暗な世界へとその意識は消え去ってしまったのだった。



敷井出莉愛しきいでりあ。享年十二歳。死因、脳挫傷及び全身打撲。

その現場を目撃したものは、腕も足も首さえもあらぬ方向へと捩じれて折れた恐ろしい遺体を目にすることになったという。

だが、莉愛にとっての本当の不幸はその後だったのかもしれない。

我が子の存在を疎み、あわよくばと思ってかけていた生命保険が支払われた両親は、娘の死を悲しむどころかあぶく銭を手に入れて狂喜した。

さらに、彼女を跳ねた自動車の運転手は、赤信号を無視した彼女に責任があるとして無罪を主張。幼い少女を死に追いやったことなど欠片も反省していなかった。

また、ドライバーの主張とは無関係に、自動車の保険からも保険金が支払われ、両親はまたしてもホクホクだった。

莉愛の同級生は、ワガママですぐに感情的になって暴力を振るってきたりもする彼女がいなくなったことをむしろ喜びさえした。

そう、彼女は、死んでさえも誰からも本当に悲しんではもらえなかったのである。彼女を何度も買っていた客さえも、お気に入りの性の道具が失われたのを残念がっただけにすぎない。するとすぐに、次の少女を見付けてそちらに熱を入れ始めた。

彼女の死は、テレビのニュースにもなったものの、それさえも『赤信号を無視する奴が悪い!』『こいつを撥ねたドライバーはむしろ被害者だ』等の罵声が浴びせられる結果しか生まなかった。

こうして、親にさえ望まれぬ生を受けた一人の少女は、その死を悼んでくれる者さえなく、すぐさま忘れ去られていったのであった。

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