魔法使いは廃墟で眠る

しろごはん

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第一章

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紅蓮院(こうれんいん)椿(つばき)は目の前の少女に心を奪われていた。
 人里離れた森の中、誰からもその存在が忘れられた廃墟がある広場。昔は竹刀を持ってこの森でよく遊んでいたものだ、と、ふと懐かしく思い散歩しに来たのが全ての始まり。
 真夜中。都会の喧騒もここには届かず、本来ならば静寂だけがあるこの場所で、今、一人の少女が戦っていた。
闇に溶け込むような黒いドレス。夜より濃い漆黒の髪と、その中にあってなお飲み込まれることなく輝く紅い右眼。
その姿はまさしく、
 「――魔女」
 少女が右手をゆっくりと前に突きだす。すると目の前に、彼女の華奢な体躯を護るように不思議な図形や文字が描かれた蒼く光る円が描かれた。
 刹那、一つの光弾が彼女を襲う。
 大地が割れたかのような爆音と爆風。少女の姿は土煙に消えた。
 光弾が飛んできた方を見ると、一つの影と彼女が先ほど描いた物と似たような円が宙に浮いていた。
(なんなんだ、これ――)
 眼前で繰り広げられる死闘。それは余りにも現実離れしすぎていた。
椿にとって少女が展開した円――ファンタジーでよく見かける魔法陣のような物――は空想世界の産物である、宙に浮かぶ霧のような影に至っては漫画の中でも見たことがない。
今まで平凡に過ごしてきた椿はこの非現実的な光景についていけないでいた。
(あの女の子大丈夫なのか?)
いまだに土煙は晴れず少女の安否は確認できない。あれほどの爆発だ、彼女の矮躯ではひとたまりもないのではなかろうか。
だが、その心配は無用だった。
突如、周囲に突風が吹き荒び土煙を吹き飛ばす。少女は無傷。先程となんら変わらない姿で佇んでいた。
(あ――)
少女と眼があった。紅い瞳が椿を捉える。
脳が全身に危険信号を送り出す。体中から嫌な汗が噴き出してきた。
瞬時に理解した。否、理解させられた。これは世界の裏側、自分如きが触れてはいけない世界だということを。
少女が重力を感じさせない、ゆったりとした跳躍で椿の前に降り立った。互いの吐息が触れ合う距離。先程までと違い細部まで少女の姿が捉えられる。
雪のように白い肌。影が出来るほど長い睫。だが、何より印象的なのは焔の如く紅い右眼。まるで童話の世界から抜け出してきたお姫様の様に整った顔立ちは氷の様に無表情。
笑えばもっと可愛いだろうな――命の危機に晒されながら、椿は眼の前の少女に見惚れていた。
「どうして来たの?」
透き通るような声。可憐な少女の指が椿の首筋を伝い、頬を撫でる。余りにも現実離れしている少女に椿はドギマギすることしかできない。少女の胸元に光る物が見えた。指輪だ。それは幻想的な彼女が身につけるには酷く不釣り合いに思えた。
「下がって」
「え?」
 トン、と胸を押された。バランスを崩した椿は無様にも尻餅をつく。少女の背後から光弾が迫ってくる。宙に浮く影が円から光弾を射出したのだ。
 だが、光弾が届くことはない。少女の背後に先程と同様の魔法陣が展開され遮ったのだ。
 「邪魔な人ね」
 くるりと振り向いた。ゆっくりと右手を前に出し、魔法陣を描く。その巨大さと複雑さは光弾を防いだ物の比ではない。素人目に見てもわかる。これから繰り出される一撃は今までの物とは格が違う。
 放たれる光の奔流。紅が世界を塗り潰す。余りの眩しさに腕で顔を覆い隠す。数秒が経ち、恐る恐る状況を確認すると、広場は本来のあるべき静寂を取り戻していた。
 「安心して、もう終わったわ」
 見上げると雅に輝く満月を背に、紅い瞳が椿を見下ろしていた。
 「君は一体――それに、今のは――」
 「いつまでそのままでいるの?」
 言われて自分の今の状態を確認する。彼女に押されてからずっと尻餅をついたままだった。椿は慌てて立ち上がり少女に向き直る。
 「キキョウ。今のは魔術」
 椿は疑問符を浮かべる。少女が何を言っているのか理解できない。
 「すまない。もう一回言ってくれないか?」
 「キキョウ。今のは魔術」
 「えっと、キキョウって言うのは――」
 「私の名前」
 それでようやく合点が言った。彼女は自分が何者か尋ねたから名乗ってくれたのだろう。では、その後に続く言葉は、
 「魔術って言うのは?」
 「さっきあなたが見た物のことよ」
 魔術――ゲームやアニメでよく見るあれのことか。勝手に納得する。にわかには信じがたい話ではあるが魔術でもなければ今ここで起こった現象に説明などつけられないだろう。
 というか――
 「そんな大事そうな話を僕にしちゃっていいのかい?」
 「大丈夫よ。今から椿くんの記憶を消すから」
 突然の宣告にも椿は焦ることなく、僕、名前教えったっけなぁ、まぁ、魔術が使えるぐらいなんだから名前ぐらい言わなくてもわかるのか、などと呑気な事を考えていた。
 「一応聞いときたいんだけど、なんで僕の記憶を消すんだい?」
 「あなたは魔術世界に関わるべきではないわ」
 一瞬の間も空けることなく、
 「そうか、ありがとう。じゃあ消してくれ」
 躊躇うことなく言い放つ。記憶を消す、その行為を甘く考えている訳では決してない。どの程度の期間の記憶を消されるのかもわからないし、記憶を消されることで自分という人格がどう変化するのかもわからない、今ここにいる紅蓮院椿という存在そのものが消えてしまう可能性だってある。それらのリスクを全て承知した上で椿はそれを受け入れることにした。
 「抵抗しないの?」
 「ああ、しないよ」
 「怖くないの?」
 「怖いよ」
 「嫌じゃないの」
 「嫌だよ」
 「抵抗しないの?」
 「しないよ」
 堂々巡り。果てのない問答が続く。キキョウが椿の瞳をじっと見つめる。紅い瞳に心の奥まで見透かされているような気がした。そして、一拍間を空けてから、キキョウは、
 「何故?」
一言、そう訊ねた。
彼女がその疑問を抱くのも無理はない。普通なら魔術という未知の力を恐れ、彼女から逃げ出すのだろう。だが、椿にその選択肢は初めからなかった。何も自分が勇敢な人間だと思っている訳ではない。外見も中身も平凡で、人より優れた所など何一つないことは自分が一番よく知っている。それでも逃げ出さない理由はただ一つ。
「君のことを忘れるのは嫌だけど、君に迷惑を掛けるのはもっと嫌だ」
ただそれだけ。
それだけのことが平凡な少年にそれだけの覚悟を決めさせていた。
迷いのない答え。少女の眼は椿を捉えて離さない。椿も自分の気持ちに偽りはないことを証明するためにじっと彼女を見つめ続けた。
暫しの沈黙。木々のざわめきさえも聞こえない。まるでここだけが世界から切り取られたかのような静けさ。
その沈黙を破る様に、キキョウが言葉を発した。
「帰るわ。見逃してあげるから、椿くんも早く帰りなさい」
そういうとキキョウは振り返り、何事もなかったように立ち去ろうとした。椿は言葉の意味が分からずぼんやりとしている。キキョウが一歩を踏み出したところでどこかに飛んでいた意識が戻る。このまま彼女を帰らせてはいけないと思い、慌てて、
「まってくれ」
 手を伸ばし、キキョウの右肩を掴んで呼び止めてしまった。キキョウは何かしら、と振り返る。その瞳に、自分の必死な姿が映って見えた。
自分でも何故こんなに必死になっているのか分からない。彼女の言うとおり、すぐに家に帰るべきだ。そしてここで見たことを忘れ、明日から、またいつも通りの生活をすればいい。だが、ここで彼女と別れてはいけない。なぜか、そう思ってしまったのだ。
「帰るって、一体どこに?」
 少女は無言。口元に手を当て、何か考えるような仕草をしてから、
 「そこよ」
 と、広場の中心に不気味にそびえるそれを指さした。
 「そこって――」
 「そこの廃墟」
 キキョウが指さした廃墟はもはや原型を留めていないほどに風化している。とてもではないが人が住めるような場所ではない。
 「本当にここに住んでるのかい?」
 「そうよ」
 キキョウはきっぱりと断言する。それがどうしたの、と言わんばかりの様子だ。まるで椿が変なことを言ったようである。
 「寒くないのかい?」
 「魔術で体温は一定に保ってあるわ」
 「お風呂は?」
 「魔術で身体を清めているから必要ないわ」
 なるほど、と感心した。魔術がどのような物か自分にはまだ理解が出来ていないが日々の生活をサポートする物もあるのか。先程の光景を見て戦闘に特化した物だと誤解していた。が、まだ一つだけ疑問が残っている。
 「食事はどうしてるんだい?」
 「気合いよ」
 「気合い!?」
 気合い――それだけでどうにかできるものなのだろうか。いや、仮にも魔術師、想像を絶する修行の果てに食欲など自分の意志で支配できるようになったのかも知れない。外見からは想像できないが、キキョウは自分では足元にも及びつかないほどの高みにいるのだろう。普段から体を鍛えている椿ではあるが、まだまだ自分は未熟なのだと思い知らされた。
 「冗談よ」
 「なんだ……冗談か……って冗談なのか!?」
 「冗談じゃないわ」
 「どっちなんだ!?」
 「冗談よ」
 「結局冗談か!」
 常に無表情なキキョウからジョークの類が飛んでくるとは予想していなかった。自分が勝手に勘違いしていただけとはいえさっきまでの尊敬の念を返して欲しい。結局食事についてははぐらかされてしまったので別のことを質問することにした。
 「幽霊とか出そうだけど怖くないの?」
 「椿くん、幽霊なんている訳ないわ」
 「いや、うん、まぁそうなんだろうけどさ、キキョウ、君は自分が何者なのか一度考え直した方がいい」
「ただの魔法使いよ。それがどうかしたの?」
「……どうもしないよ」
「椿くんもおかしなこと言うのね」
(自分が非科学的な存在であることを棚に上げて幽霊の存在を否定するだと!?)
キキョウは不思議そうに首を傾げる。理不尽さを感じながらも椿はこれ以上この件を議論するのはやめることにした。主に自分の世界観を崩さないために。
(あれ、そういえば――)
 「他の家族はどうしてるんだい?」
 ふと、疑問に思い訊ねた。その質問に意味はない。ただ気になったというだけの短絡的な物である。だが、椿はすぐに自分の浅慮さに後悔することとなった。
 「知らない。私、気が付いたらここにいたから」
 自分と同年代の女の子が一人で廃墟に暮らしている。その理由など限られている。少し考えればすぐに辿りつくことの出来た結論。愚かな問いをした自分に嫌気がさす。
 「ごめん、気安く訊ねることじゃなかった」
 彼女の持つ神秘性に惹かれ浮かれ過ぎていた心を戒める。
 「気にしないで。私も気にしてないから」
 それは彼女なりの優しさか、それとも本心か。目の前の魔法使いの少女は変わらず無表情。何を想っているのか読み取ることはできない。そんな彼女を見て、椿の中に一つの想いが芽生えた。
 「キキョウ――もしよかったらでいい。僕の家に来ないか?」
 断られるのは承知の上。出会ったばかりの男にこんなことを言われて不審がらない訳がない。自分でも馬鹿なことをしているという自覚はあったが、それでも言わずにはいられなかった。
 「どういう意味?」
 キキョウが疑問で返す。今度ははっきりと自分の想いが伝わる様に言い直そう。
 
 
 
「僕と一緒に暮らさないか?」
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