2 / 40
第一章
しおりを挟む
紅蓮院(こうれんいん)椿(つばき)は目の前の少女に心を奪われていた。
人里離れた森の中、誰からもその存在が忘れられた廃墟がある広場。昔は竹刀を持ってこの森でよく遊んでいたものだ、と、ふと懐かしく思い散歩しに来たのが全ての始まり。
真夜中。都会の喧騒もここには届かず、本来ならば静寂だけがあるこの場所で、今、一人の少女が戦っていた。
闇に溶け込むような黒いドレス。夜より濃い漆黒の髪と、その中にあってなお飲み込まれることなく輝く紅い右眼。
その姿はまさしく、
「――魔女」
少女が右手をゆっくりと前に突きだす。すると目の前に、彼女の華奢な体躯を護るように不思議な図形や文字が描かれた蒼く光る円が描かれた。
刹那、一つの光弾が彼女を襲う。
大地が割れたかのような爆音と爆風。少女の姿は土煙に消えた。
光弾が飛んできた方を見ると、一つの影と彼女が先ほど描いた物と似たような円が宙に浮いていた。
(なんなんだ、これ――)
眼前で繰り広げられる死闘。それは余りにも現実離れしすぎていた。
椿にとって少女が展開した円――ファンタジーでよく見かける魔法陣のような物――は空想世界の産物である、宙に浮かぶ霧のような影に至っては漫画の中でも見たことがない。
今まで平凡に過ごしてきた椿はこの非現実的な光景についていけないでいた。
(あの女の子大丈夫なのか?)
いまだに土煙は晴れず少女の安否は確認できない。あれほどの爆発だ、彼女の矮躯ではひとたまりもないのではなかろうか。
だが、その心配は無用だった。
突如、周囲に突風が吹き荒び土煙を吹き飛ばす。少女は無傷。先程となんら変わらない姿で佇んでいた。
(あ――)
少女と眼があった。紅い瞳が椿を捉える。
脳が全身に危険信号を送り出す。体中から嫌な汗が噴き出してきた。
瞬時に理解した。否、理解させられた。これは世界の裏側、自分如きが触れてはいけない世界だということを。
少女が重力を感じさせない、ゆったりとした跳躍で椿の前に降り立った。互いの吐息が触れ合う距離。先程までと違い細部まで少女の姿が捉えられる。
雪のように白い肌。影が出来るほど長い睫。だが、何より印象的なのは焔の如く紅い右眼。まるで童話の世界から抜け出してきたお姫様の様に整った顔立ちは氷の様に無表情。
笑えばもっと可愛いだろうな――命の危機に晒されながら、椿は眼の前の少女に見惚れていた。
「どうして来たの?」
透き通るような声。可憐な少女の指が椿の首筋を伝い、頬を撫でる。余りにも現実離れしている少女に椿はドギマギすることしかできない。少女の胸元に光る物が見えた。指輪だ。それは幻想的な彼女が身につけるには酷く不釣り合いに思えた。
「下がって」
「え?」
トン、と胸を押された。バランスを崩した椿は無様にも尻餅をつく。少女の背後から光弾が迫ってくる。宙に浮く影が円から光弾を射出したのだ。
だが、光弾が届くことはない。少女の背後に先程と同様の魔法陣が展開され遮ったのだ。
「邪魔な人ね」
くるりと振り向いた。ゆっくりと右手を前に出し、魔法陣を描く。その巨大さと複雑さは光弾を防いだ物の比ではない。素人目に見てもわかる。これから繰り出される一撃は今までの物とは格が違う。
放たれる光の奔流。紅が世界を塗り潰す。余りの眩しさに腕で顔を覆い隠す。数秒が経ち、恐る恐る状況を確認すると、広場は本来のあるべき静寂を取り戻していた。
「安心して、もう終わったわ」
見上げると雅に輝く満月を背に、紅い瞳が椿を見下ろしていた。
「君は一体――それに、今のは――」
「いつまでそのままでいるの?」
言われて自分の今の状態を確認する。彼女に押されてからずっと尻餅をついたままだった。椿は慌てて立ち上がり少女に向き直る。
「キキョウ。今のは魔術」
椿は疑問符を浮かべる。少女が何を言っているのか理解できない。
「すまない。もう一回言ってくれないか?」
「キキョウ。今のは魔術」
「えっと、キキョウって言うのは――」
「私の名前」
それでようやく合点が言った。彼女は自分が何者か尋ねたから名乗ってくれたのだろう。では、その後に続く言葉は、
「魔術って言うのは?」
「さっきあなたが見た物のことよ」
魔術――ゲームやアニメでよく見るあれのことか。勝手に納得する。にわかには信じがたい話ではあるが魔術でもなければ今ここで起こった現象に説明などつけられないだろう。
というか――
「そんな大事そうな話を僕にしちゃっていいのかい?」
「大丈夫よ。今から椿くんの記憶を消すから」
突然の宣告にも椿は焦ることなく、僕、名前教えったっけなぁ、まぁ、魔術が使えるぐらいなんだから名前ぐらい言わなくてもわかるのか、などと呑気な事を考えていた。
「一応聞いときたいんだけど、なんで僕の記憶を消すんだい?」
「あなたは魔術世界に関わるべきではないわ」
一瞬の間も空けることなく、
「そうか、ありがとう。じゃあ消してくれ」
躊躇うことなく言い放つ。記憶を消す、その行為を甘く考えている訳では決してない。どの程度の期間の記憶を消されるのかもわからないし、記憶を消されることで自分という人格がどう変化するのかもわからない、今ここにいる紅蓮院椿という存在そのものが消えてしまう可能性だってある。それらのリスクを全て承知した上で椿はそれを受け入れることにした。
「抵抗しないの?」
「ああ、しないよ」
「怖くないの?」
「怖いよ」
「嫌じゃないの」
「嫌だよ」
「抵抗しないの?」
「しないよ」
堂々巡り。果てのない問答が続く。キキョウが椿の瞳をじっと見つめる。紅い瞳に心の奥まで見透かされているような気がした。そして、一拍間を空けてから、キキョウは、
「何故?」
一言、そう訊ねた。
彼女がその疑問を抱くのも無理はない。普通なら魔術という未知の力を恐れ、彼女から逃げ出すのだろう。だが、椿にその選択肢は初めからなかった。何も自分が勇敢な人間だと思っている訳ではない。外見も中身も平凡で、人より優れた所など何一つないことは自分が一番よく知っている。それでも逃げ出さない理由はただ一つ。
「君のことを忘れるのは嫌だけど、君に迷惑を掛けるのはもっと嫌だ」
ただそれだけ。
それだけのことが平凡な少年にそれだけの覚悟を決めさせていた。
迷いのない答え。少女の眼は椿を捉えて離さない。椿も自分の気持ちに偽りはないことを証明するためにじっと彼女を見つめ続けた。
暫しの沈黙。木々のざわめきさえも聞こえない。まるでここだけが世界から切り取られたかのような静けさ。
その沈黙を破る様に、キキョウが言葉を発した。
「帰るわ。見逃してあげるから、椿くんも早く帰りなさい」
そういうとキキョウは振り返り、何事もなかったように立ち去ろうとした。椿は言葉の意味が分からずぼんやりとしている。キキョウが一歩を踏み出したところでどこかに飛んでいた意識が戻る。このまま彼女を帰らせてはいけないと思い、慌てて、
「まってくれ」
手を伸ばし、キキョウの右肩を掴んで呼び止めてしまった。キキョウは何かしら、と振り返る。その瞳に、自分の必死な姿が映って見えた。
自分でも何故こんなに必死になっているのか分からない。彼女の言うとおり、すぐに家に帰るべきだ。そしてここで見たことを忘れ、明日から、またいつも通りの生活をすればいい。だが、ここで彼女と別れてはいけない。なぜか、そう思ってしまったのだ。
「帰るって、一体どこに?」
少女は無言。口元に手を当て、何か考えるような仕草をしてから、
「そこよ」
と、広場の中心に不気味にそびえるそれを指さした。
「そこって――」
「そこの廃墟」
キキョウが指さした廃墟はもはや原型を留めていないほどに風化している。とてもではないが人が住めるような場所ではない。
「本当にここに住んでるのかい?」
「そうよ」
キキョウはきっぱりと断言する。それがどうしたの、と言わんばかりの様子だ。まるで椿が変なことを言ったようである。
「寒くないのかい?」
「魔術で体温は一定に保ってあるわ」
「お風呂は?」
「魔術で身体を清めているから必要ないわ」
なるほど、と感心した。魔術がどのような物か自分にはまだ理解が出来ていないが日々の生活をサポートする物もあるのか。先程の光景を見て戦闘に特化した物だと誤解していた。が、まだ一つだけ疑問が残っている。
「食事はどうしてるんだい?」
「気合いよ」
「気合い!?」
気合い――それだけでどうにかできるものなのだろうか。いや、仮にも魔術師、想像を絶する修行の果てに食欲など自分の意志で支配できるようになったのかも知れない。外見からは想像できないが、キキョウは自分では足元にも及びつかないほどの高みにいるのだろう。普段から体を鍛えている椿ではあるが、まだまだ自分は未熟なのだと思い知らされた。
「冗談よ」
「なんだ……冗談か……って冗談なのか!?」
「冗談じゃないわ」
「どっちなんだ!?」
「冗談よ」
「結局冗談か!」
常に無表情なキキョウからジョークの類が飛んでくるとは予想していなかった。自分が勝手に勘違いしていただけとはいえさっきまでの尊敬の念を返して欲しい。結局食事についてははぐらかされてしまったので別のことを質問することにした。
「幽霊とか出そうだけど怖くないの?」
「椿くん、幽霊なんている訳ないわ」
「いや、うん、まぁそうなんだろうけどさ、キキョウ、君は自分が何者なのか一度考え直した方がいい」
「ただの魔法使いよ。それがどうかしたの?」
「……どうもしないよ」
「椿くんもおかしなこと言うのね」
(自分が非科学的な存在であることを棚に上げて幽霊の存在を否定するだと!?)
キキョウは不思議そうに首を傾げる。理不尽さを感じながらも椿はこれ以上この件を議論するのはやめることにした。主に自分の世界観を崩さないために。
(あれ、そういえば――)
「他の家族はどうしてるんだい?」
ふと、疑問に思い訊ねた。その質問に意味はない。ただ気になったというだけの短絡的な物である。だが、椿はすぐに自分の浅慮さに後悔することとなった。
「知らない。私、気が付いたらここにいたから」
自分と同年代の女の子が一人で廃墟に暮らしている。その理由など限られている。少し考えればすぐに辿りつくことの出来た結論。愚かな問いをした自分に嫌気がさす。
「ごめん、気安く訊ねることじゃなかった」
彼女の持つ神秘性に惹かれ浮かれ過ぎていた心を戒める。
「気にしないで。私も気にしてないから」
それは彼女なりの優しさか、それとも本心か。目の前の魔法使いの少女は変わらず無表情。何を想っているのか読み取ることはできない。そんな彼女を見て、椿の中に一つの想いが芽生えた。
「キキョウ――もしよかったらでいい。僕の家に来ないか?」
断られるのは承知の上。出会ったばかりの男にこんなことを言われて不審がらない訳がない。自分でも馬鹿なことをしているという自覚はあったが、それでも言わずにはいられなかった。
「どういう意味?」
キキョウが疑問で返す。今度ははっきりと自分の想いが伝わる様に言い直そう。
「僕と一緒に暮らさないか?」
人里離れた森の中、誰からもその存在が忘れられた廃墟がある広場。昔は竹刀を持ってこの森でよく遊んでいたものだ、と、ふと懐かしく思い散歩しに来たのが全ての始まり。
真夜中。都会の喧騒もここには届かず、本来ならば静寂だけがあるこの場所で、今、一人の少女が戦っていた。
闇に溶け込むような黒いドレス。夜より濃い漆黒の髪と、その中にあってなお飲み込まれることなく輝く紅い右眼。
その姿はまさしく、
「――魔女」
少女が右手をゆっくりと前に突きだす。すると目の前に、彼女の華奢な体躯を護るように不思議な図形や文字が描かれた蒼く光る円が描かれた。
刹那、一つの光弾が彼女を襲う。
大地が割れたかのような爆音と爆風。少女の姿は土煙に消えた。
光弾が飛んできた方を見ると、一つの影と彼女が先ほど描いた物と似たような円が宙に浮いていた。
(なんなんだ、これ――)
眼前で繰り広げられる死闘。それは余りにも現実離れしすぎていた。
椿にとって少女が展開した円――ファンタジーでよく見かける魔法陣のような物――は空想世界の産物である、宙に浮かぶ霧のような影に至っては漫画の中でも見たことがない。
今まで平凡に過ごしてきた椿はこの非現実的な光景についていけないでいた。
(あの女の子大丈夫なのか?)
いまだに土煙は晴れず少女の安否は確認できない。あれほどの爆発だ、彼女の矮躯ではひとたまりもないのではなかろうか。
だが、その心配は無用だった。
突如、周囲に突風が吹き荒び土煙を吹き飛ばす。少女は無傷。先程となんら変わらない姿で佇んでいた。
(あ――)
少女と眼があった。紅い瞳が椿を捉える。
脳が全身に危険信号を送り出す。体中から嫌な汗が噴き出してきた。
瞬時に理解した。否、理解させられた。これは世界の裏側、自分如きが触れてはいけない世界だということを。
少女が重力を感じさせない、ゆったりとした跳躍で椿の前に降り立った。互いの吐息が触れ合う距離。先程までと違い細部まで少女の姿が捉えられる。
雪のように白い肌。影が出来るほど長い睫。だが、何より印象的なのは焔の如く紅い右眼。まるで童話の世界から抜け出してきたお姫様の様に整った顔立ちは氷の様に無表情。
笑えばもっと可愛いだろうな――命の危機に晒されながら、椿は眼の前の少女に見惚れていた。
「どうして来たの?」
透き通るような声。可憐な少女の指が椿の首筋を伝い、頬を撫でる。余りにも現実離れしている少女に椿はドギマギすることしかできない。少女の胸元に光る物が見えた。指輪だ。それは幻想的な彼女が身につけるには酷く不釣り合いに思えた。
「下がって」
「え?」
トン、と胸を押された。バランスを崩した椿は無様にも尻餅をつく。少女の背後から光弾が迫ってくる。宙に浮く影が円から光弾を射出したのだ。
だが、光弾が届くことはない。少女の背後に先程と同様の魔法陣が展開され遮ったのだ。
「邪魔な人ね」
くるりと振り向いた。ゆっくりと右手を前に出し、魔法陣を描く。その巨大さと複雑さは光弾を防いだ物の比ではない。素人目に見てもわかる。これから繰り出される一撃は今までの物とは格が違う。
放たれる光の奔流。紅が世界を塗り潰す。余りの眩しさに腕で顔を覆い隠す。数秒が経ち、恐る恐る状況を確認すると、広場は本来のあるべき静寂を取り戻していた。
「安心して、もう終わったわ」
見上げると雅に輝く満月を背に、紅い瞳が椿を見下ろしていた。
「君は一体――それに、今のは――」
「いつまでそのままでいるの?」
言われて自分の今の状態を確認する。彼女に押されてからずっと尻餅をついたままだった。椿は慌てて立ち上がり少女に向き直る。
「キキョウ。今のは魔術」
椿は疑問符を浮かべる。少女が何を言っているのか理解できない。
「すまない。もう一回言ってくれないか?」
「キキョウ。今のは魔術」
「えっと、キキョウって言うのは――」
「私の名前」
それでようやく合点が言った。彼女は自分が何者か尋ねたから名乗ってくれたのだろう。では、その後に続く言葉は、
「魔術って言うのは?」
「さっきあなたが見た物のことよ」
魔術――ゲームやアニメでよく見るあれのことか。勝手に納得する。にわかには信じがたい話ではあるが魔術でもなければ今ここで起こった現象に説明などつけられないだろう。
というか――
「そんな大事そうな話を僕にしちゃっていいのかい?」
「大丈夫よ。今から椿くんの記憶を消すから」
突然の宣告にも椿は焦ることなく、僕、名前教えったっけなぁ、まぁ、魔術が使えるぐらいなんだから名前ぐらい言わなくてもわかるのか、などと呑気な事を考えていた。
「一応聞いときたいんだけど、なんで僕の記憶を消すんだい?」
「あなたは魔術世界に関わるべきではないわ」
一瞬の間も空けることなく、
「そうか、ありがとう。じゃあ消してくれ」
躊躇うことなく言い放つ。記憶を消す、その行為を甘く考えている訳では決してない。どの程度の期間の記憶を消されるのかもわからないし、記憶を消されることで自分という人格がどう変化するのかもわからない、今ここにいる紅蓮院椿という存在そのものが消えてしまう可能性だってある。それらのリスクを全て承知した上で椿はそれを受け入れることにした。
「抵抗しないの?」
「ああ、しないよ」
「怖くないの?」
「怖いよ」
「嫌じゃないの」
「嫌だよ」
「抵抗しないの?」
「しないよ」
堂々巡り。果てのない問答が続く。キキョウが椿の瞳をじっと見つめる。紅い瞳に心の奥まで見透かされているような気がした。そして、一拍間を空けてから、キキョウは、
「何故?」
一言、そう訊ねた。
彼女がその疑問を抱くのも無理はない。普通なら魔術という未知の力を恐れ、彼女から逃げ出すのだろう。だが、椿にその選択肢は初めからなかった。何も自分が勇敢な人間だと思っている訳ではない。外見も中身も平凡で、人より優れた所など何一つないことは自分が一番よく知っている。それでも逃げ出さない理由はただ一つ。
「君のことを忘れるのは嫌だけど、君に迷惑を掛けるのはもっと嫌だ」
ただそれだけ。
それだけのことが平凡な少年にそれだけの覚悟を決めさせていた。
迷いのない答え。少女の眼は椿を捉えて離さない。椿も自分の気持ちに偽りはないことを証明するためにじっと彼女を見つめ続けた。
暫しの沈黙。木々のざわめきさえも聞こえない。まるでここだけが世界から切り取られたかのような静けさ。
その沈黙を破る様に、キキョウが言葉を発した。
「帰るわ。見逃してあげるから、椿くんも早く帰りなさい」
そういうとキキョウは振り返り、何事もなかったように立ち去ろうとした。椿は言葉の意味が分からずぼんやりとしている。キキョウが一歩を踏み出したところでどこかに飛んでいた意識が戻る。このまま彼女を帰らせてはいけないと思い、慌てて、
「まってくれ」
手を伸ばし、キキョウの右肩を掴んで呼び止めてしまった。キキョウは何かしら、と振り返る。その瞳に、自分の必死な姿が映って見えた。
自分でも何故こんなに必死になっているのか分からない。彼女の言うとおり、すぐに家に帰るべきだ。そしてここで見たことを忘れ、明日から、またいつも通りの生活をすればいい。だが、ここで彼女と別れてはいけない。なぜか、そう思ってしまったのだ。
「帰るって、一体どこに?」
少女は無言。口元に手を当て、何か考えるような仕草をしてから、
「そこよ」
と、広場の中心に不気味にそびえるそれを指さした。
「そこって――」
「そこの廃墟」
キキョウが指さした廃墟はもはや原型を留めていないほどに風化している。とてもではないが人が住めるような場所ではない。
「本当にここに住んでるのかい?」
「そうよ」
キキョウはきっぱりと断言する。それがどうしたの、と言わんばかりの様子だ。まるで椿が変なことを言ったようである。
「寒くないのかい?」
「魔術で体温は一定に保ってあるわ」
「お風呂は?」
「魔術で身体を清めているから必要ないわ」
なるほど、と感心した。魔術がどのような物か自分にはまだ理解が出来ていないが日々の生活をサポートする物もあるのか。先程の光景を見て戦闘に特化した物だと誤解していた。が、まだ一つだけ疑問が残っている。
「食事はどうしてるんだい?」
「気合いよ」
「気合い!?」
気合い――それだけでどうにかできるものなのだろうか。いや、仮にも魔術師、想像を絶する修行の果てに食欲など自分の意志で支配できるようになったのかも知れない。外見からは想像できないが、キキョウは自分では足元にも及びつかないほどの高みにいるのだろう。普段から体を鍛えている椿ではあるが、まだまだ自分は未熟なのだと思い知らされた。
「冗談よ」
「なんだ……冗談か……って冗談なのか!?」
「冗談じゃないわ」
「どっちなんだ!?」
「冗談よ」
「結局冗談か!」
常に無表情なキキョウからジョークの類が飛んでくるとは予想していなかった。自分が勝手に勘違いしていただけとはいえさっきまでの尊敬の念を返して欲しい。結局食事についてははぐらかされてしまったので別のことを質問することにした。
「幽霊とか出そうだけど怖くないの?」
「椿くん、幽霊なんている訳ないわ」
「いや、うん、まぁそうなんだろうけどさ、キキョウ、君は自分が何者なのか一度考え直した方がいい」
「ただの魔法使いよ。それがどうかしたの?」
「……どうもしないよ」
「椿くんもおかしなこと言うのね」
(自分が非科学的な存在であることを棚に上げて幽霊の存在を否定するだと!?)
キキョウは不思議そうに首を傾げる。理不尽さを感じながらも椿はこれ以上この件を議論するのはやめることにした。主に自分の世界観を崩さないために。
(あれ、そういえば――)
「他の家族はどうしてるんだい?」
ふと、疑問に思い訊ねた。その質問に意味はない。ただ気になったというだけの短絡的な物である。だが、椿はすぐに自分の浅慮さに後悔することとなった。
「知らない。私、気が付いたらここにいたから」
自分と同年代の女の子が一人で廃墟に暮らしている。その理由など限られている。少し考えればすぐに辿りつくことの出来た結論。愚かな問いをした自分に嫌気がさす。
「ごめん、気安く訊ねることじゃなかった」
彼女の持つ神秘性に惹かれ浮かれ過ぎていた心を戒める。
「気にしないで。私も気にしてないから」
それは彼女なりの優しさか、それとも本心か。目の前の魔法使いの少女は変わらず無表情。何を想っているのか読み取ることはできない。そんな彼女を見て、椿の中に一つの想いが芽生えた。
「キキョウ――もしよかったらでいい。僕の家に来ないか?」
断られるのは承知の上。出会ったばかりの男にこんなことを言われて不審がらない訳がない。自分でも馬鹿なことをしているという自覚はあったが、それでも言わずにはいられなかった。
「どういう意味?」
キキョウが疑問で返す。今度ははっきりと自分の想いが伝わる様に言い直そう。
「僕と一緒に暮らさないか?」
0
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。
紺
ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」
実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて……
「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」
信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。
微ざまぁあり。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
戦場の英雄、上官の陰謀により死亡扱いにされ、故郷に帰ると許嫁は結婚していた。絶望の中、偶然助けた許嫁の娘に何故か求婚されることに
千石
ファンタジー
「絶対生きて帰ってくる。その時は結婚しよう」
「はい。あなたの帰りをいつまでも待ってます」
許嫁と涙ながらに約束をした20年後、英雄と呼ばれるまでになったルークだったが生還してみると死亡扱いにされていた。
許嫁は既に結婚しており、ルークは絶望の只中に。
上官の陰謀だと知ったルークは激怒し、殴ってしまう。
言い訳をする気もなかったため、全ての功績を抹消され、貰えるはずだった年金もパー。
絶望の中、偶然助けた子が許嫁の娘で、
「ルーク、あなたに惚れたわ。今すぐあたしと結婚しなさい!」
何故か求婚されることに。
困りながらも巻き込まれる騒動を通じて
ルークは失っていた日常を段々と取り戻していく。
こちらは他のウェブ小説にも投稿しております。
〈完結〉妹に婚約者を獲られた私は実家に居ても何なので、帝都でドレスを作ります。
江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」テンダー・ウッドマンズ伯爵令嬢は両親から婚約者を妹に渡せ、と言われる。
了承した彼女は帝都でドレスメーカーの独立工房をやっている叔母のもとに行くことにする。
テンダーがあっさりと了承し、家を離れるのには理由があった。
それは三つ下の妹が生まれて以来の両親の扱いの差だった。
やがてテンダーは叔母のもとで服飾を学び、ついには?
100話まではヒロインのテンダー視点、幕間と101話以降は俯瞰視点となります。
200話で完結しました。
今回はあとがきは無しです。
神様に与えられたのは≪ゴミ≫スキル。家の恥だと勘当されたけど、ゴミなら何でも再生出来て自由に使えて……ゴミ扱いされてた古代兵器に懐かれました
向原 行人
ファンタジー
僕、カーティスは由緒正しき賢者の家系に生まれたんだけど、十六歳のスキル授与の儀で授かったスキルは、まさかのゴミスキルだった。
実の父から家の恥だと言われて勘当され、行く当ても無く、着いた先はゴミだらけの古代遺跡。
そこで打ち捨てられていたゴミが話し掛けてきて、自分は古代兵器で、助けて欲しいと言ってきた。
なるほど。僕が得たのはゴミと意思疎通が出来るスキルなんだ……って、嬉しくないっ!
そんな事を思いながらも、話し込んでしまったし、連れて行ってあげる事に。
だけど、僕はただゴミに協力しているだけなのに、どこかの国の騎士に襲われたり、変な魔法使いに絡まれたり、僕を家から追い出した父や弟が現れたり。
どうして皆、ゴミが欲しいの!? ……って、あれ? いつの間にかゴミスキルが成長して、ゴミの修理が出来る様になっていた。
一先ず、いつも一緒に居るゴミを修理してあげたら、見知らぬ銀髪美少女が居て……って、どういう事!? え、こっちが本当の姿なの!? ……とりあえず服を着てっ!
僕を命の恩人だって言うのはさておき、ご奉仕するっていうのはどういう事……え!? ちょっと待って! それくらい自分で出来るからっ!
それから、銀髪美少女の元仲間だという古代兵器と呼ばれる美少女たちに狙われ、返り討ちにして、可哀想だから修理してあげたら……僕についてくるって!?
待って! 僕に奉仕する順番でケンカするとか、訳が分かんないよっ!
※第○話:主人公視点
挿話○:タイトルに書かれたキャラの視点
となります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる