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第三話
今まで率いたことがある兵の数は、最大でも五千程度であり、敵もまた国内で起きた小さな賊の反乱程度。兵の質、数、武具や馬、どれをとっても格下の相手ばかりだった。
敵の歩兵を騎馬で割り、陣形が崩れたところを見て、歩兵をもって揉んで絞めて潰す。敵が騎馬を中心にした陣形であったときは、歩兵を五人から十人単位で固めて敵の馬の機動力を奪い、後にこちらの騎馬で敵陣を割っていく。
降兵は徒党を組めないように、小隊に一人ずつ分けて配置して監視することで、再び反乱が起きないように努めた。いつも、反乱の鎮圧を終えて帰還したときは、兵の総数が増えていたほどである。
天才だと、口々に誰もが呟いた。
しかし、馬謖は、自分の事を微塵もそう感じたことはない。ただ、懸命に孔明の後に付いていただけなのだ。
諸葛亮孔明、まさに一代の英傑。虹を追いかけている感覚に近かった。近づいたと感じることなど、ただの一度も無かった。
『君だけが、将来、私の後継者となり得る素質を持っている』
光栄極まる言葉、しかし、喜ぶ事などは出来なかった。近くに居るからこそ分かる、あまりにも、格が違いすぎると。
孔明は、明らかに痩せた。狩りの前の猟犬には、闘争心や本能を極限まで高める為、餌を一切与えない様にする。今の孔明はまさにそれだ。貪欲に獲物を狩る猟犬そのものである。
重圧と、焦り。早く、虹に辿りつかなければならない。虹はいつか消えてしまうもの。消えてしまえばもう、追えなくなる。
「馬謖将軍、間もなく街亭でございます。丞相からは、この山道に陣を構えよとの命でございます」
隣で馬に揺られているのは、副将である王平将軍だ。
肌は浅黒く、比較的目の彫りも深い。異民族の出身で、文字が読めず、話す言葉も闊達ではない。印象としては、徹底された「軍人」であり、決して命令違反をすることはないような人物だ。
現に、将軍としての地位は王平のほうが高いはずなのに、今回の作戦で副将に据えられても、不満を抱くどころか忠実に馬謖に対してきちんとした礼をとっている。
何故、この王平将軍を副将に付けたのか。きっと、自分を試しているのだろうと、馬謖は思った。
忠実な軍人としての資質を。後継者に足る器かどうかを。言うことを聞けと、親が子に諭すのと同じ様に。
「なるほど……良い地だ。ここに陣を構えれば、十日は何とか耐えることが出来るだろう」
左右には岩肌の露出した山がそびえ、その中央に申し訳程度に整備された細い山道が通る。街亭へ通じる道はこの一本のみで、ここを封鎖してしまえば、一挙に大群が押し寄せてくることが出来ないこの地形で長く守りを固めることが出来る。
しかし、十日だ。引き分けを、十日続けることが出来るだけである。この地に陣を構えれば、北伐が成功するのはまだまだ先になるだろう。まさかそのことに諸葛亮が気づいていないということは無いはずだ。だとしたら、何を見据えているのだろうか。
「馬謖将軍、何をそのように考えておいでですか?」
「丞相は、何を見ておられるのだろうと。常に考えている」
「……失礼ながら申し上げますが、今はその事を考えるべき時ではありません。武将は、授かった命を忠実に果たすべき、それだけにございます」
いつもは、気にもならないその言葉。しかし、馬謖の心は妙にささくれ立った。
自分でも少し驚いた。それほどまでに、いつの間にか心に余裕を持てなくなっているのだと。
「私は、先生に天下を取ってほしいのだ──」
馬謖は街道のそばの山を指す。
「──王平将軍、私はあの山の上に陣を敷くぞ。山道に、兵は置かぬ」
覚悟はとうに出来ていた。街亭を捨てる。この命と共に。
全ては、あの人に天下を握って欲しいが為に。
到底理解できる行動では無かった。どう考えても山頂の布陣は理に適ったものではない。
散々止めた。それでも馬謖は聞く耳を持たなかった。
馬謖の体は震えていた。震えながら、王平に対して「兵法を知らぬ異民族の癖に」と何度も暴言を吐くのだ。その暴言には不思議と腹が立つことは無く、むしろ哀れに思えてくるほどであった。自らを奮い立たせる為にわざと暴言を吐いているとしか思えなかった。普段の馬謖ならば、絶対にそのようなことは言わないからだ。
「急ぎ丞相にこの布陣の地図を届けるのだ。昼夜を通して駆けよ、事は一刻を争う」
「御意」
旗下の兵士に地図を持たせて放つ。
王平は馬謖の命令よりも諸葛亮の命令を順守する為に、僅か五千の直属の旗下の兵士達を率いて山道に陣を構えた。
敵は迫り、半刻ほどすればここは戦場に変わる。敵の数は十万強、それでも、自分には譲れない「芯」がある。五千で、十日持ち堪えて見せるのだ。死の際まで粘る、その後の事はその時に考えればいい。
日が傾きかけた頃に、「張」の旗を掲げる魏軍の兵士が押し寄せた。元々魏軍にいた王平は、思わず歯噛みする。よりによって非常に厄介な将軍と当たってしまったと感じたからである。魏軍の先鋒の将軍は「張コウ」、魏を築いた曹操の時代から戦場に立ってきた名将の一人である。
その攻め方はまさに王道。誇り高い性格の張コウらしい、大軍でもって敵を揉み潰すことを得意とした小細工無しの戦法だ。攻め手に微塵も隙がなく、美しく感じてしまう程に統率も取れていた。
王平は狭き山道に陣を敷き、杭を打ち、道の途中に大小様々な岩を置くなどあらゆる手段を使い、敵兵の足を止めて押し返す。そして最も徹底させたのは、とにかく声を出させることだった。怪我をして後方に下がってもなお、兵士には声を上げさせ続けた。
声がよく出る兵士は、自然と士気が高く見える。五千の兵士で声を上げ続ければ、敵はその意気に飲まれて、伏兵や奇策を警戒してしまうのだ。戦場に立ってきた人間なら誰でも知っている事であり、万策に通じる戦術だ。戦うよりも声を出す、王平はこれをとにかく徹底させた。
諸葛亮の奇策に散々悩まされ続けてきた魏軍の兵に、この戦法は予想以上の成果を上げた。日が沈む頃には、明らかに攻めの圧力は弱くなっていた。
山の方は、「司馬」の旗が掲げられた魏軍によって囲まれている。そのまま締め上げるように攻めるが、馬謖は岩を落とし、弓を射かけ全く敵兵を寄せ付けなかった。魏軍が火矢で木々を燃やしても、馬謖は予め細工をしていたのか、燃えた木々はあっけなく倒れ、燃えたまま魏軍を圧し潰しながら転がった。
元々、戦は高い方に位置している軍の方が強い。その上、守り方も上手く出来ている。司馬懿の軍が攻めあぐねている様子が、王平の位置からでもよく見えた。
だからこそどうしても理解が出来ない。あそこまで上手く戦えるのに、どうして山頂に陣を構えたのだろうかと。
二日目から、両軍の動きは無くなった。
司馬懿軍は山を取り囲んだままで、張コウ軍も王平軍の陣の前で対峙する。王平は、これを最も恐れていた。
あの山の頂には水源がなく、地盤も固い為、地下の水脈も期待できない。水を得るためには山を下るしか方法がなく、このまま包囲を続けられれば、あっというまに馬謖の二万五千の兵は干上がってしまうのだ。
馬謖は戦が始まる前に十分すぎるほどの水を蓄えていたが、二万五千が毎日水を使用するとなると、その蓄えはあまりにも心細いものである。
さらに、張コウが攻めてこないのは、王平軍が山の包囲網に戦の最中で穴を生み出すことを恐れているためだろう。一兵も通さなければ山頂の馬謖軍は勝手に干上がる。その時に全軍で攻め込まれれば、いくら細道といえど、王平軍は耐えきれずあっという間に揉み潰されてしまう。
しかし、動くことは出来ない。動くには、あまりにも王平の軍は少なすぎた。
六日目。
この日に、馬謖軍が水不足で耐えきれなくなると王平は踏んでいた。事情を聞きつけた高翔将軍は既に、烈柳城にて一万の兵を臨戦態勢に置いたらしい。
しかしそれでも、馬謖軍は出陣しなかった。意外によく耐えているが、斥候の情報では、馬謖軍は数百の決死隊で山を下らせて水を汲みに行かせたらしい。そして、その全てが司馬懿軍に討たれるか、降伏してしまったとか。
持ってあと二日。恐らく明日は多くの兵が陣を抜けて、魏軍に下る。
そして明後日、これ以上兵を損なわない為に、馬謖は全軍でもって司馬懿の包囲網を突き抜けようとするだろう。
その時に自分はどうするだろうか。自業自得だとして守りをさらに固めるか、それとも勝ち目の少ない戦場へ飛び込むか。それは、その時に考えよう。王平は首を回す、小気味の良い音が鳴り、鈍い痛みが頭に広がった。
「将軍、昨夜の脱走兵は三千を優に超えています。今夜は、その倍以上になる恐れがございます」
「分かった……戦支度を整えよ」
「御意」
もう少し、耐えることは出来なかったのか。無性に腹が立った。
兵士には馬謖が抱える個人的な事情なんて知ったことではない。分かっているが、それでも苛立ちが募る。最初からこうなることは分かっていただろう、何度もそう自分を叱咤した。
槍を持ち、具足を強く縛る。後は、派手に死ぬだけだ。出来るだけ長く、司馬懿の目をこちらに向けさせておく。それが馬謖が一人で編んだ戦略だった。
確かに、諸葛亮の言う通りに山道に陣を構えれば、絶対に十日持ち堪えることが出来るだろう。後方には高翔将軍の一万の兵もいる、心配はいらなかった。
しかし相手は、あの司馬懿であるということも加味しなければならない。こちらの軍が山道に陣を構えた上で、魏軍がどのように動いてしまったら不利になってしまうのか、恐らく司馬懿はその最も嫌なことを躊躇なくやるだろう。最も嫌な行動、それは、戦わずにそのまま魏軍が街亭を諦めて引き返してしまうことだった。
魏軍が引き返したとき、次に陣を構えるのは恐らく陳倉だろう。そうなれば、諸葛亮率いる本隊は陳倉でぶつかるか、祁山にとどまるかの二択。
もし司馬懿がそのまま街亭へ攻め込み山道で戦ったとしても、予め諸葛亮が話していた本隊がビ城まで攻め込む作戦だが、兵の総数を考えればそんな余力はどこにもない事は分かる。曹真軍と司馬懿軍の背後を突くので精いっぱいだろう。そうなると、急ぎ退却した曹真と司馬懿がビ城付近で合流し、そこで蜀軍は総力戦を行うことになる。魏延将軍の奇襲などは、孤立して意味のないものになる。
恐らく、諸葛亮が描いていたのはこの総力戦までの戦略なのではないだろうか。この一戦で決めるつもりは毛頭無く、総力戦に持ち込むことを想定しての戦略。
しかし、曹叡は長安から遠ざかるかもしれない。さらに戦は長期化すればするほど、国力の差が明確に出てくる。
そこで馬謖が考えたのが一つの賭けであった。山頂に布陣することで、司馬懿は優位を目前に必ず麓を囲み水を断つ。そして出来るだけ時間を稼いだ後に混戦に持ち込めば、戦況が優位な司馬懿軍は心境的に撤退が遅れる。勝ち戦の真っただ中での退却は、必ず心に躊躇いを生むからだ。
そうすれば諸葛亮率いる本隊は魏延将軍と合流しながら、真っすぐに長安へ攻め込めるだろう。この命を引き換えに、諸葛亮は天下を掴めるはずだ。そう考えると、いつの間にか体の震えも止まった。
「出るのは夜明けだ。日が顔を出しきった瞬間に出陣する」
見る限り兵の士気は低い。これでどれほど耐えられるだろうか。
それでも、戦うしかなかった。無理やりでも士気を振るう為、馬謖は馬に乗り、兵の先頭に立つ。日は、昇りきった。
「目指すは王平将軍の陣だ、そこには水も十分にある!死力を尽くせ!!」
もし王平の陣に入れたならば、時間を稼げるどころか、街亭を守り抜けるかもしれない。つまり、あの陣に入ることが出来ればこちらの勝ちだ。それも、完勝と言っても良い。
しかし、敵もそんなに甘くはない。今日、この日に、こちらが全軍を打って出る事なんてとっくに分かり切っているはずなのだ。
「私に続けっ!第一陣、突撃!!」
馬謖を先頭にした、およそ千程の騎馬隊。乗っている馬は普通の平野の馬とは違い、脚が短くどこか不格好な馬ばかり。しかしこの種類の馬は素早く走れない代わりに、斜面や荒れた地面を難なく力強く踏ん張ることが出来る馬であった。
申し訳程度にしか整備されていない下り道を全力で駆けているのに、隊列は乱れず安定している。重く力強い馬蹄。敵が見えた。小さく固まった隊が詰め寄り、魚の鱗の様な陣形だ。騎馬相手に行う歩兵軍の陣形で、中央が厚く攻防に優れていた。馬謖もよく知っている。勿論、破り方も分かっている。
馬謖を先頭にした騎馬がまず魚鱗の中に突っ込む。勢いはすぐに止まる。ここで深く切り込んでいくのではなく、ある程度敵陣に入り込んだこの切り口を、今度は横に横に力押しで広げていく。鱗はそれで剥がれ、重なり、防衛の前線でのみ陣形が力押しで崩れていく。
「一陣は引き返せっ、第二陣突撃!!」
一斉に馬の鼻を引き返し、騎馬隊は鮮やかに坂道を駆け上がる。下りも上りも平地と同じく駆け回る、馬謖はこの不格好な馬が比較的好きだった。
その駆け上がる騎馬隊と入れ替わるように坂を下ってくるのは、歩兵の第二陣。それぞれの隊が先を尖らせた丸太を抱えて突進する。前衛の防御が乱されている最中に打ち込まれていく巨木、魏軍の隊列は大きく乱れた。
高いところから低い位置の兵を蹴散らすのは、それほど難しいことではない。逆落としと呼ばれ、山に慣れた蜀軍の歩兵が最も真価を発揮する戦法でもある。
「蹴散らせ!足を止めるな!!」
歩兵を追い抜き、再び騎馬隊が前へ躍り出た。陣は、崩れた瞬間に叩くだけ叩く、再び隊列を組まれる前に、乱すだけ乱すのが鉄則だ。
群がる敵の歩兵に対し、槍を叩きつけ、穂先で並んだ頭を横に凪ぐ。崩れた魚鱗では、この馬は止まらない。騎馬が切り開いた後を、歩兵が駆けていく。このまま包囲を突破できるかと、馬謖の心にか細い希望が芽生えた時であった。
先を走っていた騎馬隊の勢いが急に止まり、馬上から兵士が次々と引きずり下されていく。馬謖は慌てて右手を挙げ、騎馬隊の動きを止めて歩兵を先行させた。
いつの間にか、魏の兵が掲げる旗が「司馬」から「張」に変わりつつあることに気付く。張コウの旗下である精鋭の「重装兵」の軍であった。本来は城攻めにおいてその真価を発揮する兵であり、逆落としの勢いを止めることも、このように難なくやってしまう。馬謖は思わず歯噛みした。
重装兵は動きが鈍く、険しい街亭の地まで移動させるには倍の時間がかかるはずだった。どこか張コウを甘く見ていたのかもしれない。彼の率いる重装兵は、間違いなく中華一だろう。実際目にしてみてよく分かった、街亭まで進むのなんて訳も無いことなのだ。
「馬謖将軍!別動隊の司馬懿軍が後方より出現!!」
「な……上手く誘い込まれたのか」
今度は、こちらが逆落としを喰らう番になる。それも、強固な壁を眼前に構えたままだ。
一度勢いを失った自軍は明らかに士気を落としていた。水を飲んでおらず、疲労も蓄積している。この兵士を抱えての前面突破は不可能に等しい。
「前面は、全騎馬隊でもって突撃、ただひたすら王平将軍の陣へ走るぞ」
「御意!」
ここで死ぬのだろう。確信にも似た予感。ただ不思議と、馬謖の心は熱く滾る。これが戦なのか。馬謖は大きく吠えた。
まるで槍を模したような陣形。ただ一点突破を試みるのみ、馬謖はその先頭で再び駆けだした。突き刺し、薙ぎ倒し、道をこじ開ける。それでも前に進んでいる感覚がしない。岩山を石つぶてで掘り進んでいる、そんな感覚だ。
すでに槍を持つ手に力を籠めるのが困難になっている。槍を突き出す、しかし、それは弾かれ地に落ちた。太ももに槍が突き立つ。馬謖は腰の剣を抜き、敵の腕を斬って槍を抜く。まだ戦いたい、今だけは全てを忘れて戦っていたい。
「あれは!敵軍の後方より、王平軍、高翔軍が駆けつけてきました!!」
旗下の誰かが叫んだ。確かに、遠くで「王」「高」の旗が揺れていた。旗下の騎馬隊が馬謖を囲む。一気に張りつめていたものが切れた気がした、馬謖は大きく息を切らし何度も嗚咽を漏らす。しかし水の入っていない胃からは何も逆流してこない、ただ苦しい呻き声だけが体に響く。
背後から急襲された重装兵は道を開けるように割れ、被害を最小限に僅かに退く。
「無事でしたか馬謖将軍」
「……王平、殿」
「無理に口を開かなくて結構でございます。馬謖殿は中軍にて指揮を。前線を高翔将軍、私が後方の司馬懿軍を食い止めます」
「いや……行かなくて、良い」
何を。王平はそう口走りながら、馬謖の指す方に目を向けた。
揺れる旗は「魏」の文字。あれほど低かった蜀軍の士気が一気に盛り上がる。万を超える兵士の怒号の中、はっきりとその声は聞こえてきた。
「──高翔!王平!馬謖!!この魏延が来たからには、必ずお前らを生きて帰す!!」
蜀軍一の精鋭部隊。その勢いはすさまじく、包囲網を一瞬で破り救援へ駆けつけてきた。
その先頭で薙刀を振るのは魏延将軍。防御を全く考えない圧倒的な武力、例え相手が重装兵であろうとその勢いは変わらず、むしろ増すばかりだ。その刃は前に前に加速し、塞がる全てを断ち切っていく。
全身に血を浴び、敵兵を斬りながら、魏延は大きく笑った。
「初陣が大敗か!馬謖、お前はきっと良い将軍に育つぞ!!」
魏延は再び来た道を駆け戻り、包囲網の中で道を作った。僅か一瞬でだ。嵐のような峻烈さ、あとはこの道をなぞるだけで楽に退却が出来そうだ。
「王平殿……これは、撤退ですか?」
「はい。諸葛丞相からの命でございます。全軍陽平関へ撤退、その後蜀へと戻るとのこと。先日、その伝令が届きました」
「そう、ですか。先生の……」
再び大きく嗚咽を漏らし、馬謖の視界は一瞬で闇に呑まれた。
敵の歩兵を騎馬で割り、陣形が崩れたところを見て、歩兵をもって揉んで絞めて潰す。敵が騎馬を中心にした陣形であったときは、歩兵を五人から十人単位で固めて敵の馬の機動力を奪い、後にこちらの騎馬で敵陣を割っていく。
降兵は徒党を組めないように、小隊に一人ずつ分けて配置して監視することで、再び反乱が起きないように努めた。いつも、反乱の鎮圧を終えて帰還したときは、兵の総数が増えていたほどである。
天才だと、口々に誰もが呟いた。
しかし、馬謖は、自分の事を微塵もそう感じたことはない。ただ、懸命に孔明の後に付いていただけなのだ。
諸葛亮孔明、まさに一代の英傑。虹を追いかけている感覚に近かった。近づいたと感じることなど、ただの一度も無かった。
『君だけが、将来、私の後継者となり得る素質を持っている』
光栄極まる言葉、しかし、喜ぶ事などは出来なかった。近くに居るからこそ分かる、あまりにも、格が違いすぎると。
孔明は、明らかに痩せた。狩りの前の猟犬には、闘争心や本能を極限まで高める為、餌を一切与えない様にする。今の孔明はまさにそれだ。貪欲に獲物を狩る猟犬そのものである。
重圧と、焦り。早く、虹に辿りつかなければならない。虹はいつか消えてしまうもの。消えてしまえばもう、追えなくなる。
「馬謖将軍、間もなく街亭でございます。丞相からは、この山道に陣を構えよとの命でございます」
隣で馬に揺られているのは、副将である王平将軍だ。
肌は浅黒く、比較的目の彫りも深い。異民族の出身で、文字が読めず、話す言葉も闊達ではない。印象としては、徹底された「軍人」であり、決して命令違反をすることはないような人物だ。
現に、将軍としての地位は王平のほうが高いはずなのに、今回の作戦で副将に据えられても、不満を抱くどころか忠実に馬謖に対してきちんとした礼をとっている。
何故、この王平将軍を副将に付けたのか。きっと、自分を試しているのだろうと、馬謖は思った。
忠実な軍人としての資質を。後継者に足る器かどうかを。言うことを聞けと、親が子に諭すのと同じ様に。
「なるほど……良い地だ。ここに陣を構えれば、十日は何とか耐えることが出来るだろう」
左右には岩肌の露出した山がそびえ、その中央に申し訳程度に整備された細い山道が通る。街亭へ通じる道はこの一本のみで、ここを封鎖してしまえば、一挙に大群が押し寄せてくることが出来ないこの地形で長く守りを固めることが出来る。
しかし、十日だ。引き分けを、十日続けることが出来るだけである。この地に陣を構えれば、北伐が成功するのはまだまだ先になるだろう。まさかそのことに諸葛亮が気づいていないということは無いはずだ。だとしたら、何を見据えているのだろうか。
「馬謖将軍、何をそのように考えておいでですか?」
「丞相は、何を見ておられるのだろうと。常に考えている」
「……失礼ながら申し上げますが、今はその事を考えるべき時ではありません。武将は、授かった命を忠実に果たすべき、それだけにございます」
いつもは、気にもならないその言葉。しかし、馬謖の心は妙にささくれ立った。
自分でも少し驚いた。それほどまでに、いつの間にか心に余裕を持てなくなっているのだと。
「私は、先生に天下を取ってほしいのだ──」
馬謖は街道のそばの山を指す。
「──王平将軍、私はあの山の上に陣を敷くぞ。山道に、兵は置かぬ」
覚悟はとうに出来ていた。街亭を捨てる。この命と共に。
全ては、あの人に天下を握って欲しいが為に。
到底理解できる行動では無かった。どう考えても山頂の布陣は理に適ったものではない。
散々止めた。それでも馬謖は聞く耳を持たなかった。
馬謖の体は震えていた。震えながら、王平に対して「兵法を知らぬ異民族の癖に」と何度も暴言を吐くのだ。その暴言には不思議と腹が立つことは無く、むしろ哀れに思えてくるほどであった。自らを奮い立たせる為にわざと暴言を吐いているとしか思えなかった。普段の馬謖ならば、絶対にそのようなことは言わないからだ。
「急ぎ丞相にこの布陣の地図を届けるのだ。昼夜を通して駆けよ、事は一刻を争う」
「御意」
旗下の兵士に地図を持たせて放つ。
王平は馬謖の命令よりも諸葛亮の命令を順守する為に、僅か五千の直属の旗下の兵士達を率いて山道に陣を構えた。
敵は迫り、半刻ほどすればここは戦場に変わる。敵の数は十万強、それでも、自分には譲れない「芯」がある。五千で、十日持ち堪えて見せるのだ。死の際まで粘る、その後の事はその時に考えればいい。
日が傾きかけた頃に、「張」の旗を掲げる魏軍の兵士が押し寄せた。元々魏軍にいた王平は、思わず歯噛みする。よりによって非常に厄介な将軍と当たってしまったと感じたからである。魏軍の先鋒の将軍は「張コウ」、魏を築いた曹操の時代から戦場に立ってきた名将の一人である。
その攻め方はまさに王道。誇り高い性格の張コウらしい、大軍でもって敵を揉み潰すことを得意とした小細工無しの戦法だ。攻め手に微塵も隙がなく、美しく感じてしまう程に統率も取れていた。
王平は狭き山道に陣を敷き、杭を打ち、道の途中に大小様々な岩を置くなどあらゆる手段を使い、敵兵の足を止めて押し返す。そして最も徹底させたのは、とにかく声を出させることだった。怪我をして後方に下がってもなお、兵士には声を上げさせ続けた。
声がよく出る兵士は、自然と士気が高く見える。五千の兵士で声を上げ続ければ、敵はその意気に飲まれて、伏兵や奇策を警戒してしまうのだ。戦場に立ってきた人間なら誰でも知っている事であり、万策に通じる戦術だ。戦うよりも声を出す、王平はこれをとにかく徹底させた。
諸葛亮の奇策に散々悩まされ続けてきた魏軍の兵に、この戦法は予想以上の成果を上げた。日が沈む頃には、明らかに攻めの圧力は弱くなっていた。
山の方は、「司馬」の旗が掲げられた魏軍によって囲まれている。そのまま締め上げるように攻めるが、馬謖は岩を落とし、弓を射かけ全く敵兵を寄せ付けなかった。魏軍が火矢で木々を燃やしても、馬謖は予め細工をしていたのか、燃えた木々はあっけなく倒れ、燃えたまま魏軍を圧し潰しながら転がった。
元々、戦は高い方に位置している軍の方が強い。その上、守り方も上手く出来ている。司馬懿の軍が攻めあぐねている様子が、王平の位置からでもよく見えた。
だからこそどうしても理解が出来ない。あそこまで上手く戦えるのに、どうして山頂に陣を構えたのだろうかと。
二日目から、両軍の動きは無くなった。
司馬懿軍は山を取り囲んだままで、張コウ軍も王平軍の陣の前で対峙する。王平は、これを最も恐れていた。
あの山の頂には水源がなく、地盤も固い為、地下の水脈も期待できない。水を得るためには山を下るしか方法がなく、このまま包囲を続けられれば、あっというまに馬謖の二万五千の兵は干上がってしまうのだ。
馬謖は戦が始まる前に十分すぎるほどの水を蓄えていたが、二万五千が毎日水を使用するとなると、その蓄えはあまりにも心細いものである。
さらに、張コウが攻めてこないのは、王平軍が山の包囲網に戦の最中で穴を生み出すことを恐れているためだろう。一兵も通さなければ山頂の馬謖軍は勝手に干上がる。その時に全軍で攻め込まれれば、いくら細道といえど、王平軍は耐えきれずあっという間に揉み潰されてしまう。
しかし、動くことは出来ない。動くには、あまりにも王平の軍は少なすぎた。
六日目。
この日に、馬謖軍が水不足で耐えきれなくなると王平は踏んでいた。事情を聞きつけた高翔将軍は既に、烈柳城にて一万の兵を臨戦態勢に置いたらしい。
しかしそれでも、馬謖軍は出陣しなかった。意外によく耐えているが、斥候の情報では、馬謖軍は数百の決死隊で山を下らせて水を汲みに行かせたらしい。そして、その全てが司馬懿軍に討たれるか、降伏してしまったとか。
持ってあと二日。恐らく明日は多くの兵が陣を抜けて、魏軍に下る。
そして明後日、これ以上兵を損なわない為に、馬謖は全軍でもって司馬懿の包囲網を突き抜けようとするだろう。
その時に自分はどうするだろうか。自業自得だとして守りをさらに固めるか、それとも勝ち目の少ない戦場へ飛び込むか。それは、その時に考えよう。王平は首を回す、小気味の良い音が鳴り、鈍い痛みが頭に広がった。
「将軍、昨夜の脱走兵は三千を優に超えています。今夜は、その倍以上になる恐れがございます」
「分かった……戦支度を整えよ」
「御意」
もう少し、耐えることは出来なかったのか。無性に腹が立った。
兵士には馬謖が抱える個人的な事情なんて知ったことではない。分かっているが、それでも苛立ちが募る。最初からこうなることは分かっていただろう、何度もそう自分を叱咤した。
槍を持ち、具足を強く縛る。後は、派手に死ぬだけだ。出来るだけ長く、司馬懿の目をこちらに向けさせておく。それが馬謖が一人で編んだ戦略だった。
確かに、諸葛亮の言う通りに山道に陣を構えれば、絶対に十日持ち堪えることが出来るだろう。後方には高翔将軍の一万の兵もいる、心配はいらなかった。
しかし相手は、あの司馬懿であるということも加味しなければならない。こちらの軍が山道に陣を構えた上で、魏軍がどのように動いてしまったら不利になってしまうのか、恐らく司馬懿はその最も嫌なことを躊躇なくやるだろう。最も嫌な行動、それは、戦わずにそのまま魏軍が街亭を諦めて引き返してしまうことだった。
魏軍が引き返したとき、次に陣を構えるのは恐らく陳倉だろう。そうなれば、諸葛亮率いる本隊は陳倉でぶつかるか、祁山にとどまるかの二択。
もし司馬懿がそのまま街亭へ攻め込み山道で戦ったとしても、予め諸葛亮が話していた本隊がビ城まで攻め込む作戦だが、兵の総数を考えればそんな余力はどこにもない事は分かる。曹真軍と司馬懿軍の背後を突くので精いっぱいだろう。そうなると、急ぎ退却した曹真と司馬懿がビ城付近で合流し、そこで蜀軍は総力戦を行うことになる。魏延将軍の奇襲などは、孤立して意味のないものになる。
恐らく、諸葛亮が描いていたのはこの総力戦までの戦略なのではないだろうか。この一戦で決めるつもりは毛頭無く、総力戦に持ち込むことを想定しての戦略。
しかし、曹叡は長安から遠ざかるかもしれない。さらに戦は長期化すればするほど、国力の差が明確に出てくる。
そこで馬謖が考えたのが一つの賭けであった。山頂に布陣することで、司馬懿は優位を目前に必ず麓を囲み水を断つ。そして出来るだけ時間を稼いだ後に混戦に持ち込めば、戦況が優位な司馬懿軍は心境的に撤退が遅れる。勝ち戦の真っただ中での退却は、必ず心に躊躇いを生むからだ。
そうすれば諸葛亮率いる本隊は魏延将軍と合流しながら、真っすぐに長安へ攻め込めるだろう。この命を引き換えに、諸葛亮は天下を掴めるはずだ。そう考えると、いつの間にか体の震えも止まった。
「出るのは夜明けだ。日が顔を出しきった瞬間に出陣する」
見る限り兵の士気は低い。これでどれほど耐えられるだろうか。
それでも、戦うしかなかった。無理やりでも士気を振るう為、馬謖は馬に乗り、兵の先頭に立つ。日は、昇りきった。
「目指すは王平将軍の陣だ、そこには水も十分にある!死力を尽くせ!!」
もし王平の陣に入れたならば、時間を稼げるどころか、街亭を守り抜けるかもしれない。つまり、あの陣に入ることが出来ればこちらの勝ちだ。それも、完勝と言っても良い。
しかし、敵もそんなに甘くはない。今日、この日に、こちらが全軍を打って出る事なんてとっくに分かり切っているはずなのだ。
「私に続けっ!第一陣、突撃!!」
馬謖を先頭にした、およそ千程の騎馬隊。乗っている馬は普通の平野の馬とは違い、脚が短くどこか不格好な馬ばかり。しかしこの種類の馬は素早く走れない代わりに、斜面や荒れた地面を難なく力強く踏ん張ることが出来る馬であった。
申し訳程度にしか整備されていない下り道を全力で駆けているのに、隊列は乱れず安定している。重く力強い馬蹄。敵が見えた。小さく固まった隊が詰め寄り、魚の鱗の様な陣形だ。騎馬相手に行う歩兵軍の陣形で、中央が厚く攻防に優れていた。馬謖もよく知っている。勿論、破り方も分かっている。
馬謖を先頭にした騎馬がまず魚鱗の中に突っ込む。勢いはすぐに止まる。ここで深く切り込んでいくのではなく、ある程度敵陣に入り込んだこの切り口を、今度は横に横に力押しで広げていく。鱗はそれで剥がれ、重なり、防衛の前線でのみ陣形が力押しで崩れていく。
「一陣は引き返せっ、第二陣突撃!!」
一斉に馬の鼻を引き返し、騎馬隊は鮮やかに坂道を駆け上がる。下りも上りも平地と同じく駆け回る、馬謖はこの不格好な馬が比較的好きだった。
その駆け上がる騎馬隊と入れ替わるように坂を下ってくるのは、歩兵の第二陣。それぞれの隊が先を尖らせた丸太を抱えて突進する。前衛の防御が乱されている最中に打ち込まれていく巨木、魏軍の隊列は大きく乱れた。
高いところから低い位置の兵を蹴散らすのは、それほど難しいことではない。逆落としと呼ばれ、山に慣れた蜀軍の歩兵が最も真価を発揮する戦法でもある。
「蹴散らせ!足を止めるな!!」
歩兵を追い抜き、再び騎馬隊が前へ躍り出た。陣は、崩れた瞬間に叩くだけ叩く、再び隊列を組まれる前に、乱すだけ乱すのが鉄則だ。
群がる敵の歩兵に対し、槍を叩きつけ、穂先で並んだ頭を横に凪ぐ。崩れた魚鱗では、この馬は止まらない。騎馬が切り開いた後を、歩兵が駆けていく。このまま包囲を突破できるかと、馬謖の心にか細い希望が芽生えた時であった。
先を走っていた騎馬隊の勢いが急に止まり、馬上から兵士が次々と引きずり下されていく。馬謖は慌てて右手を挙げ、騎馬隊の動きを止めて歩兵を先行させた。
いつの間にか、魏の兵が掲げる旗が「司馬」から「張」に変わりつつあることに気付く。張コウの旗下である精鋭の「重装兵」の軍であった。本来は城攻めにおいてその真価を発揮する兵であり、逆落としの勢いを止めることも、このように難なくやってしまう。馬謖は思わず歯噛みした。
重装兵は動きが鈍く、険しい街亭の地まで移動させるには倍の時間がかかるはずだった。どこか張コウを甘く見ていたのかもしれない。彼の率いる重装兵は、間違いなく中華一だろう。実際目にしてみてよく分かった、街亭まで進むのなんて訳も無いことなのだ。
「馬謖将軍!別動隊の司馬懿軍が後方より出現!!」
「な……上手く誘い込まれたのか」
今度は、こちらが逆落としを喰らう番になる。それも、強固な壁を眼前に構えたままだ。
一度勢いを失った自軍は明らかに士気を落としていた。水を飲んでおらず、疲労も蓄積している。この兵士を抱えての前面突破は不可能に等しい。
「前面は、全騎馬隊でもって突撃、ただひたすら王平将軍の陣へ走るぞ」
「御意!」
ここで死ぬのだろう。確信にも似た予感。ただ不思議と、馬謖の心は熱く滾る。これが戦なのか。馬謖は大きく吠えた。
まるで槍を模したような陣形。ただ一点突破を試みるのみ、馬謖はその先頭で再び駆けだした。突き刺し、薙ぎ倒し、道をこじ開ける。それでも前に進んでいる感覚がしない。岩山を石つぶてで掘り進んでいる、そんな感覚だ。
すでに槍を持つ手に力を籠めるのが困難になっている。槍を突き出す、しかし、それは弾かれ地に落ちた。太ももに槍が突き立つ。馬謖は腰の剣を抜き、敵の腕を斬って槍を抜く。まだ戦いたい、今だけは全てを忘れて戦っていたい。
「あれは!敵軍の後方より、王平軍、高翔軍が駆けつけてきました!!」
旗下の誰かが叫んだ。確かに、遠くで「王」「高」の旗が揺れていた。旗下の騎馬隊が馬謖を囲む。一気に張りつめていたものが切れた気がした、馬謖は大きく息を切らし何度も嗚咽を漏らす。しかし水の入っていない胃からは何も逆流してこない、ただ苦しい呻き声だけが体に響く。
背後から急襲された重装兵は道を開けるように割れ、被害を最小限に僅かに退く。
「無事でしたか馬謖将軍」
「……王平、殿」
「無理に口を開かなくて結構でございます。馬謖殿は中軍にて指揮を。前線を高翔将軍、私が後方の司馬懿軍を食い止めます」
「いや……行かなくて、良い」
何を。王平はそう口走りながら、馬謖の指す方に目を向けた。
揺れる旗は「魏」の文字。あれほど低かった蜀軍の士気が一気に盛り上がる。万を超える兵士の怒号の中、はっきりとその声は聞こえてきた。
「──高翔!王平!馬謖!!この魏延が来たからには、必ずお前らを生きて帰す!!」
蜀軍一の精鋭部隊。その勢いはすさまじく、包囲網を一瞬で破り救援へ駆けつけてきた。
その先頭で薙刀を振るのは魏延将軍。防御を全く考えない圧倒的な武力、例え相手が重装兵であろうとその勢いは変わらず、むしろ増すばかりだ。その刃は前に前に加速し、塞がる全てを断ち切っていく。
全身に血を浴び、敵兵を斬りながら、魏延は大きく笑った。
「初陣が大敗か!馬謖、お前はきっと良い将軍に育つぞ!!」
魏延は再び来た道を駆け戻り、包囲網の中で道を作った。僅か一瞬でだ。嵐のような峻烈さ、あとはこの道をなぞるだけで楽に退却が出来そうだ。
「王平殿……これは、撤退ですか?」
「はい。諸葛丞相からの命でございます。全軍陽平関へ撤退、その後蜀へと戻るとのこと。先日、その伝令が届きました」
「そう、ですか。先生の……」
再び大きく嗚咽を漏らし、馬謖の視界は一瞬で闇に呑まれた。
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