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第二十五章 終わりの、終わり
08 笑っている。リヒト所長、白銀の魔法使い至垂徳柳が。
しおりを挟む笑っている。
リヒト所長、白銀の魔法使い至垂徳柳が。
両肩から先が吹き飛んでおり二本の腕が存在しないが、そんなことをまるで感じさせないほどに、どっしりと立って、大声で笑っている。
周囲に、うごめいている。
負の、黒いエネルギーが。
周囲に、うずまいている。
どろりどろりとした、思念、精神が。
アサキの、怨念が。
破壊衝動が。
粘度のある、濃密な、黒い風が。
闇が。
通念上は、死んだ、ということになるのであろう。
赤毛の魔法使い、アサキは。
肉体がすべて滅び、消滅したのだから。
だが、
至垂の、笑み。
むしろ、肉体を失ったからこその、
アサキが、恨みを抱き、死んだからこその、
だからこそうずまいている、
膨大な、
天文学的規模の、
絶対的質量の、
エネルギーの中心に立って、至垂は、
「この絶対的破壊衝動こそが、超ヴァイスタだ!」
真理に笑顔を引つらせて、叫んだのである。
歪む、笑顔。
計画の集大成、待ちに待ったことが起きている、だというのに、恐怖に震えている。
恐怖に、笑顔が歪んでいる。
矛盾ではない。
本能で抗えない原初的な恐怖、それを引き起こす闇こそが、彼女、至垂の望んでいたものであるためだ。
だが、
違和感を、覚えたのだろうか。
歪んだ笑み、その質が、少し変わっていた。
不穏、ともいうべき感情が混じっていた。
だからこそ、であろうか。
おのれの感情をごまかすように、また、さらに声を大にして叫んだのは。
「さあ、導け! 世の絶望を! この、万の怨念たちを!」
と。
室内は、しんと静まり返っている。
ごんごんと、どうどうと、無音であるにも関わらず、耳を聾せんばかりであった白い激流が、いつの間にか、見える勢いと裏腹にしんと静かになっていた。
昭刃和美、明木治奈、彼女たちの魔力をも糧にした、霊的昇華を遂げたヴァイスタ集合体による、白い激流、濁流。それが、古いフィルムを見るかのごとく静まり返った、音の闇とでもいうべき中、至垂は、聞いたのである。
死んだはずの、アサキの声を。
違和感の、正体を。
導く?
なにを、いっている。
誰に、いっている。
わたしは、滅ぼす者。
このような、存在に値しない世界を。
それが、闇に取り込まれて肉体の消滅した、アサキの、精神、魂、その声であった。
「主張をするな! 単なる闇が、単なるエネルギーの塊が、何故まだ意思を持つ! おとなしく役割のみを果たせ!」
震える声で叫ぶ至垂に、言語思念によるにべない言葉が返る。
冗談にもならない。
すべてを失ったわたしには、もう、すべてがどうでもいいことなのだから。
やりたければ、自分でやれ。
こんな世界があるから、こんなことが起こる。
そんな世界など、わたしにはもう必要ない。
「その思いだ! その、思いこそが絶望だ!」
絶望?
いや、むしろ希望だよ。
この、わたしの中を、満たすものは。
素敵な希望だよ。
「まだ自我が」
至垂は、舌打ちしつつ、ふと空を見上げた。
扉から放出されていた白い光に穿たれて、天井に空いた大穴、そこからの空を。
目が、まん丸に見開かれていた。
驚愕に、至垂の目が。
「これは……」
血の気が引いて、蒼白な顔で見上げている。
先ほどまでと変わらず、青空が割れて、砕け、裏返り、
先ほどまでと変わらず、裏返ったグレーのパネルへと空の構成パーツが置き換わっていく。
数式がびっしりと書き込まれた、作り物の空へと。
量子ビットの文字列へと。
この現象は、先ほどまでと同一であるはずなのに。
「絶対世界」への期待感に、胸を踊らせていた時と、なんら変わらないものであるはずなのに。
なにが、違う……
空を、数式を、凝視する至垂の、顔がさらに青ざめていく。
「『絶対』ではない『新しい世界』、だと? ……まさ、か……そんな、そんなバカな!」
ヴァイスタが、扉に触れた時、なにが起こるか。
世界が滅ぶ。
宇宙どころか次元規模でのシステムリセットがかかり、すべてが消滅する。
そこに、導き手である超ヴァイスタがいなかった場合には。
そういわれている。
現在まさにその、次元の崩壊が起きていたのである。
世界観のリセットが、始まっていたのである。
至垂は、グレーの空に描かれた量子ビットの文字列に、それを認識し、畏怖驚倒していたのである。
「超ヴァイスタのはずなのに。令堂和咲は、間違いなく絶望に、超ヴァイスタに、なっているはずなのにっ!」
狼狽、精神錯綜。
両腕なくとも偉丈夫然は、今は昔。
恐怖に硬直した顔から、汗をどっと吹き出しながら、目を白黒させ、ただ空を見上げるしかなかった。
予想とは違う方向へと、狂い始めている空を。
アサキの嘲笑。
もう物理的に存在しておらず、声などどこにも聞こえていないというのに、それでも高笑いにも似た嘲笑が、空を、宇宙を、次元を、闇を、震わせていた。
都度、ザーヴェラーの魔閃塊のように、黒い怨念が、ぶつっぶっと弾けて飛び、弾けて散った。
アサキの、
超ヴァイスタの、
絶望の、いや希望の、
闇の、闇の、闇の、
黒い意識、
欠片が。
それは流星群のように、至垂へと降り注ぐ。
狼狽する至垂の精神へと、降り注ぐ。
「導けるのに。導けるのだろう? ふ、ふざけるんじゃない! なぜ義務を放棄するのだ! 名誉を放棄するのだ!」
笑わせる。
なにが、名誉だ。
ここまでのことをしておいて、勝手ばかりをいうな。
静かな、怒りの声。
同時に、一気に広がっていた。
闇が、至垂の目の前に。
投げ付けられた投網のように、静かに燃えたぎる深い闇が。
その身体を吸いこもう、魂を飲み込もうと。
「うわあ!」
ことごとくを覆されて、至垂に残るはただ原初的な恐怖。
赤子よりも無力。踵を返し、闇に背を向け、逃げ出すしかなかった。
魂の、世界の中を、
結界の、床の上を、
至垂は、振るう腕もなく、ただ必死に、走り出した。
生存本能、闇への恐怖に。
だが、
逃がさない。
全身を、包み込まれていた。
白銀の魔法使い至垂は、暗闇の中に包み込まれていた。
腕があれば、ガムシャラにもがいていただろう。それで訪れる結末が変わるものではないとはいえ。
「ひっ」
息を飲んだが、口に入るは濃密な闇ばかり。
アサキの声が響く。
永遠の、暗黒の中へ、一緒に……
至垂、
永久に、消え去れ。
魂、わたしと共に、未来永劫に。
滅せ。
「わああああああああああああああああああああ!」
ただ意識があるだけの、漆黒の中。
魂の消滅に恐怖した至垂が、これ以上はないほどに口を開き、震え、絶叫した。
抵抗は、出来なかった。
崩れていく。
至垂の身体が、魂が、ぐずぐずと、崩れていく。
アサキの、精神と共に。
永劫の、闇の中へ……
その時であった。
ちゃうやろ。
令堂……
声が、聞こえたのは。
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