[完結] 偽装不倫

野々 さくら

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46話 偽装不倫の行方(5)

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圭介と佐和子はアパートに向かって歩く。自然と手を繋いで歩いていた。

「……圭介、ごめんね……、圭介。」

「謝らないといけないのは俺だよ……。今までごめん。……話を聞いてもらえないかな?」

「うん。」


「……俺、仕事で悩んでて、頭の中そればかりになってしまって、東京でも仲良く暮らそうと約束していた事を忘れていた……、自分の事ばかりだった……。でも信じて!俺は不倫なんてしていない!帰りが遅かったのは本当に仕事だった!」

「……どうして帰ってこれなかったの?前に12時過ぎた時に電話したら職場だって言った……。でもあれ違うよね!どうして……?」

佐和子ももう逃げない。不安に思っていた事からしっかり向き合うと決めたのだ。


「……帰りたくなかったから……。嘘吐いてごめん……。」

「どうして?悩んでいたの?」

佐和子の問いに圭介は黙り込む。


「代理の仕事が上手く出来なかったから……。」

圭介は声は裏返ってしまう。……職場の上司から嫌がらせに遭っている。銀行の信頼と、自身がそうゆう状況だと話せなかった。

「圭介……、嘘付いたら分かるよ。本当の事を話して……。」

「え?」


「圭介は噓吐く時……声が裏返るから……。いつも大丈夫か聞くと、声裏返っていた。大丈夫じゃないよね?仕事の事話せないのは分かるよ、だけど嘘はつかないで。」

佐和子の話に圭介は黙り込む。そして、ポツリポツリ話し始める。

「……俺が悪かったんだ……。見て見ぬフリをしていたから……。それなのに変に介入したから余計に……苦しめてしまって……。俺が……。」

圭介は泣き始める。佐和子に見せた初めての涙だった……。

庇った後輩や、傍観させられている人達を苦しめている現状、そして支店長により全てを否定されて来た二年間を過ごし、圭介の心は酷く傷付き精神が摩耗していた。


「……圭介、圭介はすごいよ。私はただ見ているだけだった……。」

佐和子はなんとなく悟る。中学生の時クラス内で起きていたいじめを思い出した。……自分は圭介みたいに庇わず傍観しているだけだった……。


「ねえ、仕事辞めない?私、地元に帰ってスーパーで働くよ。圭介のお給料には全然足りないけど生活は出来るから……。」

「え……?いいの?」


「うん、気付かなくてごめんなさい。こんなに苦しんでいた事全く気付いていなかった。」

圭介は黙り込む。こうしている間にアパートに着く。


佐和子は台所を見て気付く。水切りの中は、朝と食器の位置が変わっておらず、使用済みの食器もシンクにも食卓テーブルにもない。つまり……。


「また、ご飯食べなかったの?」

「あ、うん。なんとなく……。」

圭介は、自分が一日佐和子と大輔を後ろから追いかけていた事に佐和子が気付いていない事に気付く。

尾行下手だったのに……、本当に鈍いのだと笑う。


佐和子は冷凍庫に保存していた鶏肉を解凍し調理酒で臭み抜きをし、その間に玉ねぎを刻みそれらをバターで炒め始める。そこにケチャップを混ぜて、次は炊飯器に残っていたご飯を炒めてまたケチャップを混ぜる。最後に溶いた卵に牛乳と塩胡椒を入れてバターで焼き、先程炒めたチキンライスの上に乗せる。そう、オムライスだ。


── お店のみたいにふわふわにならない……。

佐和子は味見をして思う。

お店のは生クリームを使っている為、より濃厚なのだが佐和子はそれを知らない。


「食べて。」

「ありがとう。」


── 俺は佐和子が居ないと本当にだめだな……。

圭介は一口食べ、佐和子を見てふと思う。


「……佐和子、ありがとう……。でも俺まだ仕事辞めたくない。俺が辞めたら他の人が……。だからもう少し頑張りたい……。」

「このままじゃあ圭介が……。」

佐和子は心配になる。先程の話を聞き、東京の支店で働き始めて明らかに圭介は変わったと気付いたからだった。


「……それに仕事のやりがいがある……。辞めたくない……。」

佐和子は圭介を見る。それは外で働く男の顔だった……。

佐和子は思う、「きっと自分が知らない外の世界があるのだろう」と……。


「……分かった、でも絶対無理しないで!私の為に我慢するとかは絶対辞めて。私いつでも働くから!」

佐和子も真剣な表情をする。大卒の圭介よりは収入は少ないが、今までみたいに質素に暮らしていけば二人で充分生きていける。そう思った。


「でも、それだったら子供が……。」

「圭介がその為に無理に働くなら子供はいいの。二人で仲よく生きていこう。」

佐和子は笑う。……単に子供が欲しかった訳ではなかったから……。


圭介はオムライスを食べる。最近は気分により味覚を感じにくくなっていた圭介だったが、柔らかい卵、具材がたっぷり入ったチキンライス、全体に広がるバターの風味を感じ取れた。

「ありがとう……。」

「うん。」


圭介はここまで優しくされ、あの事を佐和子に黙っていてはいけないと思う。だから話し始めた。……軽蔑されるのを覚悟の上で……。


「……聞いてくれないかな?俺……、最低な事した……。」

「何?」


「……母さんを見捨てたんだ……。」

「……え?」

佐和子は驚く。圭介から、母親は上京してしばらくして亡くなったと聞いていたからだ。


「最低だろう?」

圭介の目からまた涙が流れている。長年、罪悪感に押し潰されそうになっていた事だった。


「事情があったんだよね?話して。」

佐和子は圭介の発言を否定せず、話して欲しいと頼む。

しかし相手を悪く言えない性格の圭介は黙り込んでしまう。


「私から聞いていい?高校生の時に好きなテレビや趣味を聞いた事あったよね?だけど圭介はバイトだと答えた。私がその後もしつこく聞いたら困った顔してた……。バレンタインも生クリームやその他の事も知らなかった。上京して一人暮らししても、食事はすごく質素だったし同じ服だしテレビもなかった……。圭介、細いし小柄だし食べられない食事もあるよね……。あの時は分からなかった……、でも今ならなんとなく分かるの……。だから……話して……。」


圭介は佐和子に隠していた事を話し始める。幼少期から自分では何も決めさせてもらえなった事。佐和子の言う通り食べさせてもらえなかったから体が小さく受け付けない食事が多い事、テレビや漫画全てを禁止され勉強ばかりだったから世間の常識に疎かった事を……。

しかし、身体的虐待に関しては話せなかった。


「……圭介、もう一つ聞いていい?」

「うん。」


「背中の痣は何……?」

圭介は佐和子から目を逸らす。しかし佐和子は圭介をただ見ている。


「気付いていたの?」

「……うん。」


以前、酔った佐和子に一緒にお風呂に入ろうと誘われて断っていたのは、佐和子がシラフの時に恥ずかしがるからだけではない、圭介自身も背中の痣を見られたくなかったからだった。


「……いつ気付いたの?気を付けていたのに……。」

「結婚して一緒に暮らし始めたじゃない?その時からなんか固いな……って思ってて、圭介の職場から電話かかってきた時に咄嗟にお風呂場開けたら、……背中をやたら隠そうとしたから……。それでその夜、圭介が寝ている時に見ちゃって……。ごめんなさい……。」


「……気味が悪いとか思わなかったの?」

「思うわけないじゃない!……でも心配だった……、圭介家族の事全然話してくれないし、……以前、掃除機を出すと怖がっていた事があったから……、もしかしたらお母さんに酷い事されていたんじゃないかって……!」

佐和子は泣き出す。


圭介の背中の痣を見て佐和子なりに考え、ネットで調べていたのだ。そこで身体的虐待を受けていたのではないかと気付き、調べていくうちに精神的虐待、教育虐待と呼ばれるものがあると知った。

また虐待とまでは言わないが偏った栄養しか摂らせなかったり、その子供が大人になると稼いだお金を搾取する、佐和子からしたら信じられない親が居ると知った。


そのような環境で育った子供は、幼少期からの栄養失調により大人になっても小柄で痩せていたり、脂っこいものが体を受け付けない。病弱ですぐ体調を崩す。勉強は出来るが、一般常識を知らない。物が割れたりすると異常に怖がる。また圭介自身は自覚がないようだが咄嗟に頭を庇う癖もあり、近所の催しに参加していた時に目の前で風船が割れ、頭を庇って震えていた。

佐和子に出来るのは、極力大きな音を出さない事。だから非日常を演じる時にクラッカーなどは使わなかった。そして圭介の前では掃除機を使わない、視界に入れない、それを徹底していた。


「ごめん不安にさせて。上手く隠せなかったから……。」

「どうしてこんな時まで謝るの?圭介は何も悪くないじゃない?どうして話してくれなかったの?」


「……佐和子にだけは知られたくなかった……、愛されなかった子供だったなんて知られたくなかったから……。」

「言ってよ!……私は何の為にいるの!」

佐和子はしっかりとした表情で圭介を見る。その表情は、いつものおっとりとしたものではなく真剣だった。


「……母さんにした事、軽蔑しないの……?」

「……お金……、高校生のアルバイト頃から結婚するまで渡していたんだよね?」


「分かるの?」

「うん。就職してからも質素に暮らしていたのに、結婚した時に貯金少ししかないって言ってたからおかしいと思っていたの。私のせい?私が結婚したいと言ったから……?」


「違うよ!……結婚を祝ってくれないばかりか、佐和子を罵る言葉まで言ったから!……あ、ごめん。……謝らないといけないのは俺の方だよ、貯金があればもっとゆとりがあったのに!……ごめん。親の悪口なんて最低だよな……。」


「私が圭介の立場ならもっと怒ってると思う……。怒って良いんだよ?親が嫌いでも良いんだよ?……酷い事してきたのは圭介のお母さんなんだから……。」

「……ありがとう……。」

圭介の心は救われる。もし佐和子に軽蔑されたら生きていけなかった……。


「圭介が思っている事、もっと言って……。お願い。」


圭介は佐和子を見るが、やはり言えない。幼少期からずっと我慢していたからだ。佐和子との結婚し、生活の中で自己主張出来るようになっていたが、職場で受けた激しい叱責にまた自己主張が出来なくなってしまっていた。

圭介は一言も言えず佐和子を見る。


しかし、佐和子は何も言わない。圭介が言いたがらない事は無理には聞いてはいけないと「ある人」から言われていたからだ。

佐和子は黙ってお風呂の用意をし、圭介に入ってくるように言う。その後、佐和子も入り二人で布団で横になる。


佐和子は、『偽装不倫』を仕掛ける為に色々と模索した事を面白おかしく話す。特にメッセージアプリで工作していた時に、圭介のスマホと佐和子のスマホの通知音がシンクロしたせいで気付かなかったのには悔しさで歯ぎしりしてしまったと笑って話す。

圭介も今までの事を一つずつ思い出し笑う。佐和子自作のキャンドルの歌がより印象的だった。


お風呂前までの張り詰めていた空気は和らぎ、お互いに笑う。

佐和子は圭介が言いたくない事を無理に聞いてはいけないと思い、空気が重くならないように努めて明るい話をしていたのだ。


その空気に圭介も自身の希望を呟く。

「俺……、本当はニュースじゃなくて仮面ヒーローが見たいんだ……。」

「え?」


「あ……、違う!うそだから……!」

圭介は慌てて発言を取り消そうとする。


「いいじゃない?私はお兄ちゃんと見てたよ。」

「子供の時だろう?……俺は大人になって見てる……。」


「別に大人になったら見たらいけないものじゃないし、いいじゃない?日曜朝だよね?明日見ようよ。実は話は大人向けなんだよねー!」

「そう!そうなんだよ!仮面ヒーローがカッコいいだけじゃなく、敵側にも悪になった理由があるんだよな!そして仮面ヒーローは敵に正義の必殺技を使った後、優しく諭し更生の手助けをする!あれが本物のヒーローなんだよ!」


圭介はその後も楽しそうに話す。その姿は幼い少年のように見えた。……幼少期から親の顔色を伺い、子供時代を子供として生きられなかった悲しい大人……、それが圭介だった。
















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