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11話 高校二年生 聖なる夜 街彩られる頃

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「え? 藤城くん? ……あ、違うの。私は!」
 そう言葉を発したこいつは立ちあがろうとするが、体はついていかないのか膝をつくように倒れそうになる。
 咄嗟に抱き抱えるようにこいつを支えるが、その体は以前よりも明らかに軽くなっていた。
 こいつは俯いてしまい、両手の平で目元を抑え、肩を震わせた。

「とりあえず横になった方が良い。看護師さんを呼んで……」
「だ、大丈夫! 歩けるもん」
 言葉とは反対に、はぁ、はぁ、と息を切らせ、俺から一向に離れようとしない。
 その姿に悟る。もう体は限界なのだと。

「未来!」
 その声と共に、駆け寄ってくる女性。
 挨拶などしなくても分かる。こいつの母親だ。
 それから看護師さんを呼んでもらい、あいつは車椅子で部屋に戻って行った。

 俺は彼女の母親に、自分が驚かせたからだと頭を下げる。
 どれほど罵声を浴びせられても仕方がないと身構えたが、返ってきた言葉は意外なものだった。

「もしかして、藤城くんですか?」
「……え? はい」
 あいつの母親が俺を知っていたことに戸惑いつつ、こちらを見つめてくるその目から涙が溢れていて。そして俺は、全てを知った。


 コンコンコン。
 数時間後、俺は病室をノックする。
 「はい」という返事にドアを開けると、そこには毛糸の帽子ではなく、肩までの髪にピンクのカーデガンを羽織り。ベッドのギャッジを上げてもらい、そこに保たれるこいつの姿があった。
 先程までの真っ青な頬や唇には赤みがあり、キラキラ輝いていることから化粧をしたのだと分かる。
 そんな姿にドクンと高鳴る心臓は、この気持ちに嘘を吐けないのだと知らせてくる。

 こいつもやたら もじもじとし、俺を見つめてくる。
 そんな中、俺は話を切り出す。
 どうしてもこれが伝えたくて、探していたのだから。

「俺にはかつて、親友と呼べる奴が一人いた」
「字が書ける頃から物語を自由帳に書きていてな。楽しくて仕方がなかった。だけど、それを知った同級生に笑われた」
「だけどあいつ。達也だけは、笑わないと言ってくれた。僕も書いてるって」
 俺は感情のまま、話を続けた。
 論点もなく、ただ思ったままに。
 だがこいつは、頷いて聞いてくれていた。

「それから俺達は、いつも一緒に小説を書き、読み合いアドバイスをし合った。中学になりスマホを買い与えられたら、投稿サイトに載せるようになり。そして小中学生対象の公募にも出すようになった。落選ばかりだったけど、それでも今度こそと励まし合っていたんだ」
「だけど中学二年の夏。繊細だった達也は筆を折り、全てを俺に託してきた。その姿に少し休むべきだと思い、分かったと返事していた。それ以降も達也は変わらずに、俺の作品を読みアドバイスをしてくれた。しかし段々と、ズレたアドバイスばかりしてくるようになり、それは違うんじゃねーかと達也の考えを否定した。そしたら……」
 俺は封印していたあの日のことを、自ら話し始めた。

「中学二年の冬。……あいつ、俺の執筆ノートをクラス中に見せたんだ。当然、クラス中で痛い奴だと散々言われ笑われた。しかも投稿サイトまで。ありえねーよな? だからアカウントごと削除したんだよ。どうしてあんなことしたのか聞いたら、完全な開き直り。だから。もう友達なんかいらないと思った。……あの日、『もう書くな』『目障り』なんて言って悪かった。あれは完全な八つ当たりだったんだ。俺のせいで病状が悪化したんだよな? 本当に悪かった」
 俺はこいつに頭を下げる。
 謝って済まされる話ではない。
 だけど、俺にはこれしか出来ない。

「違うよ。夏休みは元々治療する約束だから入院していたの。藤城くんは関係ないよ」
 こいつは首を横に振り、否定してくれる。
 しかし、精神が落ちた時に病気は進行しやすい。やはり、俺のせいだった。

「去年の夏休みもか?」
「うん。手術と治療を受けていたの」
「二学期から、急に学校に来なくなったのも」
「ずっと避けてもらっていたんだけど、抗がん剤治療を受ける局面まできてしまって。だから……ね。時間が過ぎたら学校に戻れるようにと、留学だと先生は話すと言ってくれていて」
 こいつは言わないが、髪の毛を気にして学校に通えなかったのだと悟る。
 何らかのアクシデントで、医療用ウィッグが取れてしまったらと。
 ソワソワと髪ばかり触っている姿から、何となく感じ取れた。

 治療を受け、髪さえ伸びれば復学と思っていたようだが、病魔はそんなこいつを容赦なく蝕んでいた。

「その人。達也さん。実力はどうだったの?」
 病気の自分の話より、俺の話に向けてきたことに驚きつつ。その問いにアイツの作品の良さについて口早に熱弁した。
 こいつはそんな俺の姿にクスクスと笑い、一度読んでみたかったと呟き。受賞歴、読者数、フォロワー数はどちらが多かったのかを聞いてきた。

「まあ。それは」
 途端に、口数が減る俺。
 その様子に、全てを察した表情でこいつは口を開いた。
「勿論、作品の質はそれだけでは評価出来ないよ。だけどね、そうゆう目に見えるものは分かりやすいよね? 私が達也さんの立場だったら筆折るかも……」
「え?」
「だって身近に、こんなすごい人がいるんだよ? 執筆は実力世界だからそれが振るわないこともある。努力では埋められない差もあるからね」
 苦笑いを浮かべるこいつの姿に、俺はやっと気付いた。
「俺が、達也の筆を折らせた……」
「ごめんなさい。そう言いたいのではなくて。上には上がいると分かったから、次はあなたの支えになりたいと作品を読んでアドバイスしていた。だけどね、人間は弱いから。読むうちに、あなたの才能に嫉妬していったのだと思う。だから意地悪したくて、無茶苦茶なアドバイスして妨害しようとした。でもあなたは、それに引っ掛からなかった。結果 意固地になって、あなたの筆も折ろうとしてきたんじゃないかな? 勿論、酷いことだけど、理屈だけじゃ生きていけないから」
 そう思ったからこいつは、俺達の物語を書いたのか。あの研ぎ澄まされた感情を露わにする難しい物語を。


「あのね。私、最後にもう一度だけ公募に挑戦したいの。だから、また見てくれないかな?」
「……お前、本当は二次まで通ってるよな? 俺が教える立場じゃないだろう?」
「え? あれ?」
「西条寺 華の名前で検索したら、純文学賞に複数の名前を見つけた。どうして一次通過したことないと嘘吐いた?」
 その話を聞き明らかに眉を顰める姿に、意識的に隠していたのだと確信する。

「ごめんなさい」
「そんなこと言ったら、『お前の落選は、教えていた自分のせいだと俺が苦しむ』とか考えていただろう? バカだな」
 こいつの気遣いに気付かなかった俺が。
「そんなことは……。でもね、実力は藤城くんの方が圧倒的に高いよ。だから、もう一度教えて欲しいの。私はやり切ったと思いながら、最期を迎えたいの」
 こいつの言葉にビクッとなる。
 そのことに関しては避けて話していたのに、どうしてこいつは。
「あ、ごめんなさい。お母さんから、藤城くんに全てを話したと聞いていて。だから知ってて会いに来てくれたのだと思って」
 俺を気遣い、オロオロとするこいつ。
 ちげーよ、そんなこと口にすんなよ。そんな運命受け入れんなよ。
 そう叫びたかったがグッと堪えて、こいつの問いに答える。

「精神保てるか?」
「え?」
「落選は精神にくる。生きることを放棄したくなるほど削られることもある。大体の人間は立ち直るか筆を折るかで割り切るが、今のお前はそれが命取りになる。お前は覚悟出来ているか? 命削って書いたものが認められない覚悟は?」 
 俺の言葉にこいつは一瞬俯くが、顔を上げ真っ直ぐな目でこちらを見てきた。
「あるよ。だってあの投稿小説、殆ど読まれなかったけど私ピンピンしてるもん!」
 ピースサインを作り、ニコッと笑いかけるこいつ。
「それはweb上で初めての作品だからだよ。投稿サイト舐めんなよ!」
 そう言い放ち、俺はまた悪態をつく。

「慰めてくれるの? やっぱり優しいね」
「経験者だから。俺なんて最初の作品閲覧者は達也だけだったんだぞ!」
「嘘!」
「本当だよ。お前だけじゃねーから!」
「うん。ありがとう」
 目尻を下げ笑ってくる姿に、俺はこいつの手を強く握りしめていた。 

 母さんの死に顔は、どこか悲痛な表情を浮かべていた。
 今なら分かる。父さんと幼い俺を残して逝くことに、悔いがあったからだろう。
 俺達を引き合わせくれたのは小説であり、そして亡くなった母さんが俺をこいつの元に導いてくれたような気がした。
 たとえ成せなくてもいい。だから最後までやり切ろう。余命僅かな彼女の夢を。
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