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5話 安産祈願

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「ゲホッ、ゲホッ。……はぁ、はぁ……」

「おい、大丈夫か?」

小春はトイレで吐いており、樹はそんな小春の背中を優しく摩る。


「大丈夫か?やっぱり病院に行くぞ!」


「……悪阻だから仕方がないの……。赤ちゃんの為だから我慢しないとね。ごめんね、家事出来なくて……。特にご飯の匂いだめで……」

そう言い小春は和室に引いてある布団に横になる。



現在、妊娠八週目であり悪阻が一番酷い時期だ。小春は、少し食べては吐いて寝るの生活を一週間以上繰り返している。


その為家事は樹がしているのだが、部屋は足の踏み場がなく、食器は洗えるが料理が全くせず、朝夜は卵かけご飯、昼は日の丸弁当を食べている状態だった。


「病人……、妊婦がそんな事気にするな!卵かけご飯で充分だ!」

「……もう少し栄養あるのも食べてよ……」


「それはお前だ!何なら食べれる?……ケーキ……、そうだケーキを買って来る!」

「待って……、食べれないから勿体無いよ……。やっぱりトマトが食べたい」


「またトマトか?分かった!」

樹はトマトを切り分けて持って来る。料理が出来ないと言っている割には綺麗に切り分けてある。

小春は何か言おうとして黙り、トマトを食べる。


「……うん、美味しい。」

小春は赤く熟した水々しいトマトを口に運ぶ。樹は小春が唯一食べられるのがトマトだと分かると、トマトを箱買いして持って帰って来たのだ。


「本当にトマトで良いのか?グレープフルーツとかじゃないのか?」

「うーん、何故かトマトなんだよね?」


美味しそうに食べる小春だが、すぐ嘔気を感じトイレに行く。樹に背中を摩ってもらいながらまた吐いてしまい、樹に支えられて布団に戻る。

ただ、小春が苦しむ姿を見ているだけの樹は思わず口にする。


「……俺は、俺は何をしたら良い?食いたい物は何でも買ってくるし、病院にも連れて行く!妊娠中は何でもする!何でも言ってくれ!」

妊娠、出産に関しては男は全く役に立たない。当然変わる事も出来ない。……だからこそ見ている方はただ歯痒いのだ。


「……ありがとう……、じゃああの子達のお世話してあげて……」

「ガーデンの水やりだろう?分かっている」


「ううん、それだけじゃないの……。あの子達は繊細だから植え替えに肥料やり、雑草も取らないといけないの……」

「は?……いや、俺はお袋がやっている姿しか知らないから……」


「お義母さんの本に書いてあるから……。お願い……」

樹は固まる。自分がやる想定をしていなかったからだ。肥料やりや雑草取りはともかく、植え替えなんて下手にしたら傷付けてしまう……。そんな繊細な事自分がしてはいけないと感じる。


「俺なんかに世話なんかさせたら可哀想だ!」

「大丈夫よ。お願い、植え替えしない成長に影響出てくるの。あの子達も私の可愛い子供なの……。だから……。」


小春の真っ直ぐな目に……。

「……分かった」

樹は同意する。


小春が布団で寝始めたのを見て、家庭菜園の本を本棚から取り出して読む。

しばらくし、樹は固まってしまう。


── これ本当に俺がやるのか?繊細過ぎるだろう!


……子供の世話は分かっていたが、まさか家庭菜園の世話までする事になるとは……。


そう思いながら、樹は花や野菜の世話をし始める。


しばらくし、樹が世話した野菜達は綺麗な花を咲かせ始めた。上手くいったのかと樹は安堵の溜息を吐く。

こうしている間に、最初は小さな丸だった我が子は魚のような形に成長し、次は人形のような二頭身の頭と体になり、そして、妊娠十二週を迎えた。その頃には人間らしい形へと成長を遂げていた。


『妊娠十二週まで……』、それは一番流産しやすい時期を表している。小春は悪阻に耐えながら、しかし祈る事しか出来ずに成長をただ信じていた。

お腹の子はその祈りが通じたのか、その心拍を絶やさずに継続して命の輝きを放っていた。

お腹の子は三頭身となり、より人間の乳児への見た目が変わっていった。


そして、妊娠十五週目 ──。

二ヶ月続いた小春の悪阻はようやく落ち着き、やっと食事が喉を通るようになる。


「美味しい!ご飯ってこんなに美味しかったのね!」

普通の食事が出来る。初めて、健康的に食事出来る体に感謝した。


小春は悪阻のせいで二ヶ月で体重が四キロ減少してしまった。元々痩せ型の為あまり良い傾向ではなく今後の妊娠生活に向けて体重と体力を戻さないといけなかった。

しかし、無事に食事や家事や家庭菜園が出来るようになった。今まで送ってきた普通と呼ばれる生活は普通ではなかったのだと思い知った。






「……じゃあ行くか……」

「うん」

二人は外出の準備を終わらせ玄関に向かうが、樹は靴箱の上に置いてあるストラップに目がいき、思わず手に取る。


「……これ、付けないのか?人が多いし付けておいた方が良いんじゃないか?」

「……うーん、念の為に用意はしてあるけど公共機関利用する訳じゃないし配慮はいらないかな?」


「そうか……?行こうか……」

そう言い樹はそれを元の場所に戻す。

それは鞄に付けるタイプのマタニティマークだった。


……小春はこのマークを町で時折見かけ幾度となく傷付いてきた……。勿論相手は傷付ける意図などあるわけなく、付けておく事により幾分か安堵する気持ちも妊婦になった事により分かるようになった。

しかし自分がこれを付けると、自分が知らない所で誰かが傷付くかもしれない……。そう思い、付けるのは止めた。


普段の樹なら、付けるように再三話し無理矢理鞄に付けていただろう。

しかし今までの小春を見てきたからこそ、樹は何も言わなかった……。


二人は家から十分程歩き、神社に着く。この神社は上部に存在する為、石橋で出来た階段をゆっくり登って行く構造となっていた。

季節は夏、生い茂る木々が夏の強い日差しを遮ってくれ、二人は木々のトンネルの中を歩いて行く。

こうして階段を登り切ると、大きな社殿が見えてくる。


二人は手早く参拝手順を踏み祭壇の前に辿り着く。


……子宝に恵まれますように……。いつも願っていたから参拝手順に戸惑う事は無かった。


総合病院から近い神社。小春は病院の後、いつもこの神社に寄り手を合わせて願っていた。……不妊治療をしていた時もだ……。

だから神様が最後にくれた子宝なのだと二人は感謝していた。

二人は我が子の成長の報告。そして健やかな成長と無事に生まれて来てくれる事をただ願う……。


二人は顔を見合わせ、祭壇に頭を下げ階段を降りて行く。そして社殿の周りを歩き周り、季節の移り変わりを肌で感じる。

力強く鳴いている蝉、生い茂る木々が風に揺られる度に放つ風と若葉の音、暑い日差しに負けじと咲かせている野花。全てが美しかった……。


「……ちょっと悪い……」

そう言い残し、樹は一人歩いて行く。


煙草を吸いに行ったのだと思った小春は一人、樹を待つ。


「おにいちゃんー、まってー!」

目の前を、小さな男の子と女の子が走って行く。

その後を追いかける父親と思われる若い男性に、ゆっくり追いかける乳児を抱えた母親と思われる若い女性、そして祖父母と思われる年配の男性と女性四人。

見た所、お宮参りに来た両親に子供三人、両祖父母だと思われた。


小春はただ思う。……いいな……っと。


両親と思われる二人はまだ若く、子供三人に恵まれた。祖父母も健在……。

自分とは真逆。自分は高年齢出産になる三十五歳……、十年頑張りやっと授かった第一子。もし十年前にすぐ授かっていたら……、その後も子宝に恵まれていたら……?自分達の両親が健在だったら……?


考えても仕方がない事が脳裏に浮かぶ。


「……帰るぞ……」

樹が帰って来た。

「うん」


二人は長い階段を降りようとする。そこに……。

「ん……」

樹が手を出す。……こんな事初めてだった。


「ありがとう」

「別に階段が危ないからで……!」

「はいはい」

小春はクスクス笑いながら樹の手を握る。


半分ぐらいの階段を降りた所で、樹は手を離し先に降りて行く。小春は慌てて追いかけようとして、樹に静止される。

戸惑う小春に、樹はカメラを向け写真を撮る。

生い茂る木々を背景に、白いマタニティ服を着た少しふっくらしたお腹を抱えた幸せそうな小春の姿が写真として収められた。


「……え?このカメラどうしたの?」

「……先輩からお子さんが大きくなったからってもらったんだ」


「え?そうなの?お礼返さないと……」

小春が慌てて階段を降りようとし、樹が迎えに行く。そして小春の手を掴み、二人はゆっくり階段を降る。

やっと階段を降り神社を後にするが、樹は小春の手を離す事なくそのまま歩いて行く。……十五分程で二人の思い出の場所に着く。


そこは、琵琶湖が一望出来る砂浜だった。

夏の琵琶湖もまた美しく、快晴の空と反射した太陽の光が眩しくキラキラと輝いていた。

「綺麗……」

「……ああ」

樹は琵琶湖を背景に小春の写真を撮る。小春も樹を撮ると言うが、樹は強く拒否をし撮らせてくれない。……樹は写真が嫌いなのだ。

二人はしばらく景色を見ている。今日も琵琶湖の波は穏やかで優しかった。


「……ん!」

「え?何?」

樹は小春に無理矢理物を渡す。


小春は中を開ける。……それは安産祈願のお守りだった……。

「え?これ……。あ、さっき……。……ありがとう……」

「……祈願してくれている神社の人に言え!」


「なんかあの時みたいね?覚えていてくれたの?」

「知るか!」

樹はそう言い一人歩いて行く。……しかし振り返り、小春の手を掴み歩く。

砂浜は不安定で歩きにくい、その為だった。



「……来年は三人で来たら良い……」

樹は一言呟く。


「……え?」


「別に、祖父母が居なくても親子で良いだろう?俺達がその分の役割をしっかりしたら……」

「うん……」

樹は何となく、あの時小春が考えていた事が分かったようだ……。



「……冬生まれだから、お宮参りは春だね。暖かくなる時期……、桜が咲く時期にゆっくり行きたいね。あの桜のトンネルを見て欲しいの。……それだけじゃない、この子には色々な事を知って欲しい、色々な物を見て欲しい……」

「……そうだな……。ただ、絶対落とすなよ」


「あなたが抱っこしてあげてね」

「俺!いや、赤ん坊の抱っこなんて……!」


「出来るわよ、お父さん……」


「……考えておく……」


二人は話をしながら、琵琶湖を見ながら歩く。

「この景色も見せてあげたいな……」

「そうだな、春なら桜もたんぽぽも菜の花も……。俺が抱っこするのか!」


「当然ですよ、お父さん」

小春はクスクス笑う。


「か、考えておく!」

二人は砂浜を抜けても手を繋ぎ家路に向かう。


この日撮った写真は、この先も大事に残される事となる……。









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