天使がくれた259日の時間

野々さくら

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4話 命の輝き

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「……今日病院だよな?」
 五月、大型連休前の早朝。樹は仕事に行く為に玄関で靴を履きながら、小春に軽く問う。

「うん。ちゃんと育ってくれていたら、六週目ぐらいだろうから……」
 懐妊が判明し、二週間。今日は不妊治療クリニックへの診察日だった。

「車で行くな」
「分かってるよ」
「……電話しろよ」
「帰って来てからで良いから……」
「電話しろ! 昼休憩中なら良いだろう!」
 そう言ったかと思えば小春からリュックを奪い取り、樹はこちらに目をやることもなく引き戸を開け出て行く。
 その姿に、小春は小さく溜息を吐く。

 ……命が宿っても、一度も心臓を動かすこともなく消えてゆく命もある。それは自然の摂理であり、淘汰されていく運命とされている。
 認識されていないだけで実はよくあることであり、月のものが少し遅れていただけだとその存在も知らずに終わっている。
 しかし治療をしていると知らなくて良い事実まで知ってしまい、命が消えた現実を目の当たりにしなければならないこともある。
 それが不妊治療だった……。

 最後だと思っていた電車に乗る為に、駅に向かおうと外に出る。
 すると上空には風を切るように飛ぶ、二匹の鳥らしき黒い存在が見えた。顔を上げると屋根下には燕の巣が変わらずあり、そこには先程の二匹が居た。
 この燕達は毎年この場所に来ており、今年も帰ってきてくれたのだと小春は頬を緩まし家を後にする。
 空を見上げれば、雲は多いが太陽の光は時折差し明るい。並木道を歩けば、散った桜から若葉が茂っており初夏の始まりが近いのだと知らせてくれる。下を見下ろせば、野原に咲くたんぽぽは白くふわふわな綿毛になっており、風が吹くとふわっと飛んで行く。
 新たな命の種が空を飛んで行き、また別の場所で命を宿らせる。
 なんて美しいのだろう……。
 そんな思いを馳せながら駅まで歩き、電車に揺られること一時間。目的地の最寄駅まで来た小春は、見慣れた道を一歩一歩踏み締め不妊治療クリニックに辿り着いた。


「こんにちわ」
 訪れたクリニック内は、いつもと同じく何とも言えない張り詰めた空気が漂っている。
 ここに来ている者全てが不妊に悩み、年単位で治療を受けているのも珍しくない。
 努力しても報われない現実に、皆疲弊仕切っているのだ。
 その気持ちが痛いほど伝わってくる小春は端の席に座り、違う心持ちでその時を待つ。


 ──樹は、いつも子供はいらないと言っていた。
 しかし、小春は知っている。本当は、彼が子供を好きなことを……。
 父親を早くに亡くした樹は、自分の家族を望んでいたことを……。
 妊娠を知った時の反応を見たら分かる。小春を抱きしめたのは、プロポーズをしてくれた時と今回だけ。よほど嬉しかったのだろう。
 だから、もし残念な結果だったら樹はどうなるのだろう?
 おそらく、二人で生きていこうと言うだけ……。
 分かっている。自分の気持ちを、何も言わない人だから……。

 そんな想いが、頭の中を目まぐるしく取り巻く。今までの不妊治療の時とは違う、また別の苦しみだった。

「遠藤小春さん」
「はい!」
 待っていたはずの声に心臓が跳ね上がるが、呼吸を整えて診察室へ足を進める。

「こんにちわ。では、診察しましょうか?」
「お願いします」
 医師の表情にいつもの笑顔はなく、そこまでの局面まできたのだと小春も悟る。

「……では力抜いて下さいね」
「はい」
 何度座っても慣れない内診台に乗った小春は目を閉じ両手を握り締め、亡くなった両親と樹の両親に祈る。
 ──孫を守って下さい……と。

「遠藤さん、見て下さい」
 その言葉に目を開けると端のカーテンが開けられ、そこにはモニターが映し出されていた。
 そこには黒いたまごのような丸に、もう一つある小さな丸。それはチカチカと動いている。
 ……小さな心臓が動いている証だった。

「おめでとうございます、ご懐妊です」
 小春はモニターに映るその姿と、医師の震える声にようやく実感し思わず涙が溢れてくる。
 待望の我が子は十年の時を経て、やっと、やっと来てくれた。
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