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第5幕 収監令嬢は大切なものを護りたい

第1話 初めての召喚よ

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 庭に広がっていた大量の草の絨毯が、徐々に麻袋の中へと消えてゆく。
 大方の草は刈り終えて、今はとにかく袋詰め作業。私が握っているのは、T字型の八本爪がついた柄の長さが1メートルぐらいの熊手。これでせっせと草をかき集め、ヘレンが細かい草に塗れて緑と茶色に染まりながら必死に袋に入れている。

『なー、おやつマダー?』

 積み上げられた袋の上で寝そべるスコルが不満そうに声を上げる。尻尾がパタパタと左右に揺れた。
 いい気なもんだ。

「もう少しね。なんなら手伝ってよ」
『燃やす手伝いならできるゾ』

 グワッと開けた口からボボボッと炎を出すスコル。
 さすが魔獣……じゃなくて聖獣、何の呪文も無く魔法を使うのね。

 魔導士が魔法を使うには、呪文詠唱をするなり、魔法陣を描くなりして自分の魔精力を練る必要がある。望む形に成型して、魔法として発動するために。
 なのにノータイムだなんて、恐怖だわ。剣じゃ魔法は防げないのに防ぐ時間がないんだもの。あらかじめ予測するしかない。

 そうか、だからオルヴィア様は魔物事典を作ってたのね。魔物も強いものになるとノータイムで魔法を使うという。どういう魔法を使うか分かっていれば、ちゃんと防ぐことができるもん。ゲームの攻略本みたいなものかしらね。

 さて、そんなスコルの左耳の銀の輪っかは、ハティと同じく2つになっていた。残りの一つは私の右手の小指にはまっている。ハティの物とくっついて、二連リングになった。
 つまり、スコルも私の聖獣になったのだ。

 今から一時間ほど前に、スコルはひどく不満げな顔で庭に現れた。むふぅ、と鼻から息を漏らし
『アイツが言うならしゃーねーなー』
とブツブツ呟いている。

「あいつって、ハティ?」
『そー。じゃあ、ちゃっちゃと』
「え?」

 そして私がぽかんとしている間に、契約の儀式が行われた。
 右の聖獣≪スク=リュー=ド=リングス≫、というのがスコルの本名らしい。

「ちょっと、契約ってそんなイヤイヤやっても成立するものなの?」
『オレ達の場合は、特別。セットだし、アイツ――ハティの意思で決まるから』

 何で?と聞こうとしたところで、麻袋を玄関まで運んでいたヘレンが戻ってきたので、それ以上は聞けなかった。
 ハティの話だけだと分からないところも多かったし、スコルからもう少し話を聞きたいところだわ。
 セルフィスはあまり首を突っ込むな、というようなことを言っていたけど、聖獣のあるじなら多少は大丈夫でしょ。魔獣全般じゃなくて、彼らに関することならいいわよね。契約する以上、二人のことは知っておきたいし。

「ヘレン、じゃあお茶の準備をしてくれる? 休憩にしましょ」

 一度、熊手を動かす手を止めてヘレンの方に振り返る。それを聞いたスコルが『ヤッタ!』と声を上げ、ピョーンと麻袋の山から飛び降りた。

「かしこまりました」

 そんなスコルを見てちょっと微笑んだヘレンはパンパンと自分の身体についた草と泥を落とし、バルコニーから中へと入っていった。

 昨日の今日ですっかり慣れたわね、ヘレンも。魔導士じゃないから魔精力を感じないので恐怖も感じない、ということなのかもしれないけど、それにしても順応性が高いわ。
 でも、記憶が無いマリアンセイユ……つまりおよそ貴族令嬢とはかけ離れた私を最初に受け入れてくれたのも、ヘレンだったし。
 それがきっと、ヘレンの良いところ。

「ねぇ、スコル。スコル達が扱えるのは、炎だけなの?」

 ヘレンもいなくなったことだし、と少し突っ込んだことを聞いてみる。

『うんにゃ、毒の息も吐けるぞ。吐いてみせようか?』
「やめて!」

 人も植物も大打撃じゃない。それにせっかく集めた雑草だって堆肥に使えなくなっちゃうわよ。

『ざんねーん。あんまり使いどころねーんだよなー』
「そりゃそうでしょ」

 属性魔法と違って、毒は生活圏において害にしかならない。
 聖女の獣なら、人を駆逐するための魔法を使う機会はなかったはずだもんね。

『ハティならもう少し高度な魔法が使える。魔物に効く痺れ毒とか、身を守る防御魔法とか』
「へぇー、そうなんだ」

 契約したことで、私が新たに二人につけた名『ハティ』『スコル』が通り名として正式に刻まれたらしい。スコルも『アイツ』ではなく『ハティ』と呼ぶようになった。
 それに、真の名『ハト=ウァー=ド=リングス』『スク=リュー=ド=リングス』はみだりに呼ぶものではないらしい。

「王獣は地名にすらなってるじゃない」
と言うと、
『それも全部通り名。魔王がつけた名前とは別』
と呆れたように返された。
 なお、八大魔獣の『フェルワンド』『サーペンダー』も通り名だそうな。

「ハティの方が、魔法が上手なの?」
『まーな』
「そうなんだ、分からなかった。ハティからは全然魔精力を感じないから」
『――マユ、すっげー勘違いをしてるぞ』

 急にピリッとした空気になる。ギョッとしてスコルを見ると、真面目な顔で私をじっと見上げていた。

「な、何?」
『高レベルな魔の者ほど、魔精力オーラを隠せる』
「そうなの?」
『そ。魔物や魔獣だとは気づかせないほど、自然に。人間たちの傍まで、限りなく近づく』

 そう言うスコルの身体からは、つねにわずかながら魔精力が漏れている。
 言葉も流暢だし、私はてっきりスコルの方が魔獣……いや聖獣だっけね、とにかく魔の者として能力が上だと思ってたんだけど。

『まー、おいおいな。さーて、お菓子お菓子~~』

 ヘレンがトレイを持ってバルコニーに戻ってきた。白いテーブルの上にポッドやカップ、皿を並べ始める。
 それを目ざとく見つけたスコルがタタタッと走り出した。

「ちょっと待って、今ハティも呼ぶから!」
『おう、そうだったな』

 天に月がない限り地上には降りられないハティ。だけど『召喚』すれば、主である私の元、限られた時間ではあるものの行動できるらしい。
 さて、初めての召喚。緊張するわね。

「……って、召喚の呪文を聞いてないわよ? それとも魔法陣?」
『そんなもんねぇよ。ただ……――ンッ!』

 答えかけたスコルの両耳が、ピーンと真っすぐ立った。くるりと振り返り、
『マユ! 早く召喚!』
と怒鳴る。

「だからどうやって……」
『ただ呼べばいい! 契約の環に祈れ!』

 契約の環って、この小指の指輪のことよね。
 ど、どうやって祈ればいいのかしら。いつも呪文を唱えながら、あるいは魔法陣を描きながら集中力を高めるから勝手がわからないわ。

「えーと……ハティ、カモーン!」

 銀の環を額に付け、ハティの姿を思い浮かべて叫んでみる。
 すると、急に目の前にパッとハティの姿が現れた。空間の裂け目から現れた、とかでもなくて、透明人間あらわるあらわる~みたいな感じで、急にポンッと。

 何てことだ。召喚魔法なのに、何のエフェクトもないなんて!
 何かこう、指輪からパーっと光が、とか、煙幕がモクモク~っとかないの? 火の聖獣らしく炎がボーン!とかさ。こう、カッコイイやつ!

『マユ、大変!』

 現れたハティはハッと我に返ると、急にワタワタと慌て出した。ハフハフハフッと私のサロペットの裾に飛び掛かる。

「大変って、何が?」
『ひっつめ、おばちゃん』
「アイーダ女史?」
『ウン、ウン』

 ハティは何度も首を縦に振った。一方スコルは、ヘレンが並べているお菓子には見向きもせず、こちらにダダダッと走ってきた。急に現れたハティと急に回れ右をしたスコルに驚いたらしいヘレンが、ぽかんと大きな口を開けている。

『ハティ、見せろ』
『ウン、ウン』

 ハティとスコルはお互いの額をくっつけると、目を閉じた。
 そういえば魔獣は思念でも意思を伝えられる。言葉に難のあるハティの代わりに、スコルが説明してくれるんだろうか。
 しばらく見守っていると、スコルが『げえっ!?』という声を上げ、碧色の瞳をカッと大きく見開いた。

『マジでヤベェじゃん! ハティ、アレ出せ!』
『ウン!』
『マユ、ひっつめババアを助けに行くぞ!』
「えっ!?」

 ハティが「ワオンッ!」と一声鳴くと、目の前に馬の鞍が現れた。よく見ると、私がハティにあげた鞍だ。噛み傷だらけで形も何だか変わってて、すごいことになってるけど。
 スポッとスコルの背中に填まり、ひとりでにベルトが締められていく。どうやらスコルの身体に合わせて直したらしい。これも、ハティの魔法なのかな。

「ちょっと、」
『いいから乗れ!』
「乗れって……きゃあ!」

 ドンッとハティに背中を押され、私は右手に熊手を持ったままスコルの背中に乗せられた。反射的に左手でスコルの身体に腕を回すと、すぐさまスコルがとんでもないスピードで駆け始める。その隣では、ハティも必死の形相で並走していた。

 ちょ、こわ、コレ新幹線ぐらいのスピードがあるんだけど! 生身の身体でこれは、正気の沙汰じゃないんだけど!
 二人の魔精力が取り巻いていて守られてる感はあるんだけど、景色の流れるスピードが半端じゃないのよ!

「ちょ、ちょっとぉ!」
『ババアのピンチだ、マユの力がいる!』
「ええっ!?」
『急ぐぞ!』
「へ、ヘレンー! とにかく、アイーダ女史を助けに行って来るから!」

 どうにか後ろを振り返り叫んでみたけど、とっくに深い森の中に入ってしまっていて、旧フォンティーヌ邸の庭はどこにも見えなくなっていた。

 ちょっと第5章の始まり、急展開すぎやしないかしら!?
 今までのお気楽な感じはドコにいっちゃったの!?
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