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後日談
三百年後のお茶会にて
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レミリアがいなくなってから、およそ三百年後。
魔王が復活し、同時に地上には聖女が現れた。
聖女マリアンセイユ――魔獣達の放つ魔界由来の魔精力を凌駕する『天界由来の魔精力』を持つ少女。
浸食され黒く堕ちかけたレミリアと違い、『聖女』は魔界由来の魔精力に決して侵されない『聖女の素質』を持つ。
その聖女が『魔獣訪問』として風の魔獣ユーケルンの元を訪れることになったとき。
魔獣ユーケルンは、かつてレミリアと過ごした、あの小さな島の小さな家に彼女を招いた。
世界に数か所あるユーケルンの領域の中からなぜ大事な想い出のあるこの場所を選んだのか、ユーケルンは自分でもわからなかったが……『人間』の『聖女』と聞いて、どこか期待したのかもしれない。
聖女マリアンセイユは、レミリアとは似ても似つかぬ少女だった。
見目麗しく、知己に富み、豊富な魔精力を称え、魔獣とも対等に会話することのできる聖女。魔獣ユーケルンも多分に漏れず彼女に好感を持ったが、それはレミリアに抱いた感情とは全く別物だった。
――レミリアは、三百年経っても魔獣ユーケルンの〝唯一〟だった。
* * *
「それにしても、素敵なおうちね」
聖女マリアンセイユが、ほう、と溜息をつく。
二人分の紅茶を載せたテーブル、二人が腰かけているソファ、壁にかけられた絵、そして奥に置いてある白いグランドピアノ。
白い頬を紅潮させそれらを見回す聖女の姿に、ユーケルンの頬も緩んだ。
レミリアもお気に入りだったこの家を褒められることは、レミリア自身を褒められたようで嬉しかった。
「うふふ、そうでしょう。いくつかある中でもここは一番のお気に入りなのよー」
「楽器があるけど……演奏するの?」
白いグランドピアノを手で指し示しながら、聖女が不思議そうに首を傾げる。
いまは美しい人間の男性の姿になっているユーケルンだが、本来は魔獣だ。しかもピアノ演奏は、たとえ人間でも誰もができるものではない。それを魔獣が……?と、疑問に感じたのだろう。
「アタシは無理ね。レミリアが嗜んでいたの」
聖女には、かつてのレミリアとの話も聞かせていた。
ユーケルンにとって聖女は、たわいないお喋りをする友達のようになっていた。
魔獣たちにも一切知らせず、この小さな島で匿っていたレミリアの存在。
なぜわざわざ聖女に話して聞かせたのかと言えば……それはやはり、ユーケルンの心の奥底でいつまでもいつまでも燻っていたからだ。
彼女を愛したことに後悔はない。しかし結果として彼女を堕としてしまったこと、そして彼女の懇願を振り切って地上に帰してしまったこと――それらは果たして、良かったのか。
答えの出ないまま過ごしてきた三百年の澱を掻き出したかったのかもしれない。ユーケルンは、なぜかするりと聖女に話してしまった。
人間でありながら魔王に寄り添った彼女ならば、きっと自分にもレミリアにも共感し理解してくれるのではないか――そこにはそんな期待もあったのかもしれない。
ユーケルンはカップを置くと、すっと立ち上がった。ゆっくりと白いグランドピアノに近寄り、天使の羽根のような大きな蓋を立ち上げ、手前の蓋も開ける。
そしてぽーんと一つの鍵盤を叩くと、「あら」と声を上げ、眉を顰めた。
「やぁねぇ、音が狂ってるわ。……ま、ずっと放置していたから仕方が無いわね」
「弾けないのに、分かるの?」
少し驚いて目を見開く聖女に、ユーケルンは「ふふっ」と笑い眉を下げた。
「レミリアが教えてくれたのよ。自分が弾くのに合わせてここを叩けばいいわよ、と言って」
そう言いながら、ユーケルンが白い鍵盤を一定のリズムで叩く。ぽぉん、ぽぉんと伸びやかな音がこの美しい空間に広がっていく。
「あれは何て曲だったかしらねぇ……思い出せないけど。そうすれば二人で弾けるでしょ、って言って」
ああ、自分はやはり、レミリアを忘れられない。
心の奥底にしまい込んで、忘れたふりをしていた。だが、無理だった。
そんなユーケルンの心情を察したのか、聖女の眉が、痛ましげに下がる。
視界の端に捉えたその表情に、ユーケルンは少しだけ救われたような気がした。
レミリアはもういない。だが、魔獣ユーケルンと侯爵令嬢レミリアは愛し合っていたのだと。そういう物語が本当にあったのだと。
誰かに知ってほしかったのかもしれない。共感してほしかったのかもしれない。
だから自分は、聖女に喋ってしまったのかもしれない。
ふっと微笑み……しばらくして、ユーケルンは鍵盤から指を離した。
(ねぇ、レミリア。公爵令嬢なのにちっとも気取っていない、面白い聖女よ。きっとあなたもお喋りしてみたかったわよね)
そう、白いグランドピアノに向かって話しかける。
きっとレミリアなら「はい!」とあの綺麗な声で元気よく言い、嬉しそうに笑ってくれるに違いない。
「……あら、どうしたの聖女ちゃん?」
グランドピアノの蓋をし、テーブルに戻ってくると、なぜか聖女が項垂れている。
「……いえ、ちょっと」
「えー、なぁにぃ? なぁにぃ? 教えてよー」
「えっと……」
自分が落ち込むならともかく聖女が凹むようなことは何もなかった気がするが、とユーケルンが詰め寄ると、聖女はしばらく口をつぐんだあと、
「……魔王に言われたことを、思い出しまして」
と一言一句噛みしめるように言葉を繰り出した。
どうやら凹んでいたのではなく、何かを考え込んでいたようだ。
「あら、なぁに?」
「この世界の魂は、ずっと循環しているんだそうです」
すっと両手を宙へ掲げ、美しい花々が描かれた天井を見上げる。
その眼差しは力強く、その姿は『聖女』の名にふさわしく美しかった。
――この世界に生まれた生命は、すべて女神から生まれたもの。
肉体の死を迎えたあと、魂は天に上がり、浄化を受ける。そして過去を失いまっさらになったあと、再び地上に還ってくる。……新しい人生を歩むために。
だけれど、壊れたり歪んでしまった魂は還れない。そのまま消滅して霧散し、魔精力と化して宙に漂うのみ。
そうユーケルンに説明した聖女が、両手をすっと下ろし、自分の膝の上で重ねる。
そして再びユーケルンと見ると、わずかに微笑んだ。
「もしあなたがレミリアを手元に置いたままだったら、恐らく魂は消滅してしまっていたわ」
「……」
「でも、レミリアは人間としてその生を終えた。正気に戻ることは無かったそうだけど、とても幸せそうに微笑んでいたそうよ。……あなたが見せた夢の中で」
「……!」
ユーケルンは、息を呑んだ。
あの時、心が千切れそうになるのを感じながらレミリアの手を離した。
彼女の心の奥底からの願いを叶えることができなかった。
……しかし。
人間であるレミリアを愛したユーケルンには、彼女が魔の者に堕ちてしまうことに耐えられなかった。
それで本当に良かったのか、わからないまま三百年が過ぎた。
……けれど。
レミリアは、人間として世を全うしたから。
だから、魂は消滅せず、無事に浄化を迎え……やがて再び地上に生まれ出る。
聖女はそう、ユーケルンに教えてくれたのだ。
「……じゃあ……どこかにレミリアはいるの?」
喉がひきつれて、上手く声が出せない。
そんなユーケルンに聖女は頷き、慈愛に満ちた笑顔を向けた。
「そうね。あなたのおかげでね」
* * *
……レミリア。レミリア、レミリア。
この世界のどこかに、愛しい彼女がいる。
魂はまっさらになってしまい、もう何も覚えてはいないらしいが。
いまの時代に生まれているのか、それとももっと未来なのかもわからないが。
……それでも。
自分ならば。
不死である魔獣ならば、永遠に待つことができる。
* * *
【アルキィファス歴2024年、クレズン王国に対し、魔獣による粛正が行われる。
ひそかに魔物を集め、地下牢に魔導士を捕えてこれを制御し、世界への反逆を目論んでいた王室への断罪だった。
火の魔獣フェルワンドをはじめとする数体の魔獣により王宮は落とされ、クレズン王家の直系は断絶した。
魔獣侵攻の際、いち早く異変に気付き民を先導、ハルナ離宮に避難させた先々代国王の曾孫リシャドがカシィマ王国を建国する。
リシャド新国王の入城と同時に、王宮の地下牢に閉じ込められていた魔導士たちも解放された。
魔獣たちは元凶である王室の人間以外は用が無かったらしい。魔獣災害の際に一人の少女が行方不明になったが、他の者は皆無事だったという……】
-リンドブロム年代記・第13章『クレズン王国滅亡』より抜粋-
魔王が復活し、同時に地上には聖女が現れた。
聖女マリアンセイユ――魔獣達の放つ魔界由来の魔精力を凌駕する『天界由来の魔精力』を持つ少女。
浸食され黒く堕ちかけたレミリアと違い、『聖女』は魔界由来の魔精力に決して侵されない『聖女の素質』を持つ。
その聖女が『魔獣訪問』として風の魔獣ユーケルンの元を訪れることになったとき。
魔獣ユーケルンは、かつてレミリアと過ごした、あの小さな島の小さな家に彼女を招いた。
世界に数か所あるユーケルンの領域の中からなぜ大事な想い出のあるこの場所を選んだのか、ユーケルンは自分でもわからなかったが……『人間』の『聖女』と聞いて、どこか期待したのかもしれない。
聖女マリアンセイユは、レミリアとは似ても似つかぬ少女だった。
見目麗しく、知己に富み、豊富な魔精力を称え、魔獣とも対等に会話することのできる聖女。魔獣ユーケルンも多分に漏れず彼女に好感を持ったが、それはレミリアに抱いた感情とは全く別物だった。
――レミリアは、三百年経っても魔獣ユーケルンの〝唯一〟だった。
* * *
「それにしても、素敵なおうちね」
聖女マリアンセイユが、ほう、と溜息をつく。
二人分の紅茶を載せたテーブル、二人が腰かけているソファ、壁にかけられた絵、そして奥に置いてある白いグランドピアノ。
白い頬を紅潮させそれらを見回す聖女の姿に、ユーケルンの頬も緩んだ。
レミリアもお気に入りだったこの家を褒められることは、レミリア自身を褒められたようで嬉しかった。
「うふふ、そうでしょう。いくつかある中でもここは一番のお気に入りなのよー」
「楽器があるけど……演奏するの?」
白いグランドピアノを手で指し示しながら、聖女が不思議そうに首を傾げる。
いまは美しい人間の男性の姿になっているユーケルンだが、本来は魔獣だ。しかもピアノ演奏は、たとえ人間でも誰もができるものではない。それを魔獣が……?と、疑問に感じたのだろう。
「アタシは無理ね。レミリアが嗜んでいたの」
聖女には、かつてのレミリアとの話も聞かせていた。
ユーケルンにとって聖女は、たわいないお喋りをする友達のようになっていた。
魔獣たちにも一切知らせず、この小さな島で匿っていたレミリアの存在。
なぜわざわざ聖女に話して聞かせたのかと言えば……それはやはり、ユーケルンの心の奥底でいつまでもいつまでも燻っていたからだ。
彼女を愛したことに後悔はない。しかし結果として彼女を堕としてしまったこと、そして彼女の懇願を振り切って地上に帰してしまったこと――それらは果たして、良かったのか。
答えの出ないまま過ごしてきた三百年の澱を掻き出したかったのかもしれない。ユーケルンは、なぜかするりと聖女に話してしまった。
人間でありながら魔王に寄り添った彼女ならば、きっと自分にもレミリアにも共感し理解してくれるのではないか――そこにはそんな期待もあったのかもしれない。
ユーケルンはカップを置くと、すっと立ち上がった。ゆっくりと白いグランドピアノに近寄り、天使の羽根のような大きな蓋を立ち上げ、手前の蓋も開ける。
そしてぽーんと一つの鍵盤を叩くと、「あら」と声を上げ、眉を顰めた。
「やぁねぇ、音が狂ってるわ。……ま、ずっと放置していたから仕方が無いわね」
「弾けないのに、分かるの?」
少し驚いて目を見開く聖女に、ユーケルンは「ふふっ」と笑い眉を下げた。
「レミリアが教えてくれたのよ。自分が弾くのに合わせてここを叩けばいいわよ、と言って」
そう言いながら、ユーケルンが白い鍵盤を一定のリズムで叩く。ぽぉん、ぽぉんと伸びやかな音がこの美しい空間に広がっていく。
「あれは何て曲だったかしらねぇ……思い出せないけど。そうすれば二人で弾けるでしょ、って言って」
ああ、自分はやはり、レミリアを忘れられない。
心の奥底にしまい込んで、忘れたふりをしていた。だが、無理だった。
そんなユーケルンの心情を察したのか、聖女の眉が、痛ましげに下がる。
視界の端に捉えたその表情に、ユーケルンは少しだけ救われたような気がした。
レミリアはもういない。だが、魔獣ユーケルンと侯爵令嬢レミリアは愛し合っていたのだと。そういう物語が本当にあったのだと。
誰かに知ってほしかったのかもしれない。共感してほしかったのかもしれない。
だから自分は、聖女に喋ってしまったのかもしれない。
ふっと微笑み……しばらくして、ユーケルンは鍵盤から指を離した。
(ねぇ、レミリア。公爵令嬢なのにちっとも気取っていない、面白い聖女よ。きっとあなたもお喋りしてみたかったわよね)
そう、白いグランドピアノに向かって話しかける。
きっとレミリアなら「はい!」とあの綺麗な声で元気よく言い、嬉しそうに笑ってくれるに違いない。
「……あら、どうしたの聖女ちゃん?」
グランドピアノの蓋をし、テーブルに戻ってくると、なぜか聖女が項垂れている。
「……いえ、ちょっと」
「えー、なぁにぃ? なぁにぃ? 教えてよー」
「えっと……」
自分が落ち込むならともかく聖女が凹むようなことは何もなかった気がするが、とユーケルンが詰め寄ると、聖女はしばらく口をつぐんだあと、
「……魔王に言われたことを、思い出しまして」
と一言一句噛みしめるように言葉を繰り出した。
どうやら凹んでいたのではなく、何かを考え込んでいたようだ。
「あら、なぁに?」
「この世界の魂は、ずっと循環しているんだそうです」
すっと両手を宙へ掲げ、美しい花々が描かれた天井を見上げる。
その眼差しは力強く、その姿は『聖女』の名にふさわしく美しかった。
――この世界に生まれた生命は、すべて女神から生まれたもの。
肉体の死を迎えたあと、魂は天に上がり、浄化を受ける。そして過去を失いまっさらになったあと、再び地上に還ってくる。……新しい人生を歩むために。
だけれど、壊れたり歪んでしまった魂は還れない。そのまま消滅して霧散し、魔精力と化して宙に漂うのみ。
そうユーケルンに説明した聖女が、両手をすっと下ろし、自分の膝の上で重ねる。
そして再びユーケルンと見ると、わずかに微笑んだ。
「もしあなたがレミリアを手元に置いたままだったら、恐らく魂は消滅してしまっていたわ」
「……」
「でも、レミリアは人間としてその生を終えた。正気に戻ることは無かったそうだけど、とても幸せそうに微笑んでいたそうよ。……あなたが見せた夢の中で」
「……!」
ユーケルンは、息を呑んだ。
あの時、心が千切れそうになるのを感じながらレミリアの手を離した。
彼女の心の奥底からの願いを叶えることができなかった。
……しかし。
人間であるレミリアを愛したユーケルンには、彼女が魔の者に堕ちてしまうことに耐えられなかった。
それで本当に良かったのか、わからないまま三百年が過ぎた。
……けれど。
レミリアは、人間として世を全うしたから。
だから、魂は消滅せず、無事に浄化を迎え……やがて再び地上に生まれ出る。
聖女はそう、ユーケルンに教えてくれたのだ。
「……じゃあ……どこかにレミリアはいるの?」
喉がひきつれて、上手く声が出せない。
そんなユーケルンに聖女は頷き、慈愛に満ちた笑顔を向けた。
「そうね。あなたのおかげでね」
* * *
……レミリア。レミリア、レミリア。
この世界のどこかに、愛しい彼女がいる。
魂はまっさらになってしまい、もう何も覚えてはいないらしいが。
いまの時代に生まれているのか、それとももっと未来なのかもわからないが。
……それでも。
自分ならば。
不死である魔獣ならば、永遠に待つことができる。
* * *
【アルキィファス歴2024年、クレズン王国に対し、魔獣による粛正が行われる。
ひそかに魔物を集め、地下牢に魔導士を捕えてこれを制御し、世界への反逆を目論んでいた王室への断罪だった。
火の魔獣フェルワンドをはじめとする数体の魔獣により王宮は落とされ、クレズン王家の直系は断絶した。
魔獣侵攻の際、いち早く異変に気付き民を先導、ハルナ離宮に避難させた先々代国王の曾孫リシャドがカシィマ王国を建国する。
リシャド新国王の入城と同時に、王宮の地下牢に閉じ込められていた魔導士たちも解放された。
魔獣たちは元凶である王室の人間以外は用が無かったらしい。魔獣災害の際に一人の少女が行方不明になったが、他の者は皆無事だったという……】
-リンドブロム年代記・第13章『クレズン王国滅亡』より抜粋-
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