ニャル様のいうとおり

時雨オオカミ

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漆の怪【ひとはしらのかみさま】

そして、告白紛いの決意表明を

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「あれ、華野ちゃんは?」
「お清めがあるから帰れって言われちゃってさ。手伝うよって言ったんだけど、頑なで……さすがに食い下がるのもどうかと思って」

 透さんが苦笑しながら言う。
 あの華野ちゃんのことだ。よほどキツイ言い方をされたんだろうと理解できた。

「ねえ、透お兄さん。遺体の保管はどこに?」
「えっとね、昨日俺が行った祠から真っ直ぐ森の奥に進むと、少し開けた場所になっていて、崖があったんだ」
「崖!?」

 まさかそこから落としたとか……いや、保管って言ってるだろ。どんな発想だ。落ち着け、俺。

「崖から向こう側へ吊り橋がかかってて、そこに大きな神社があってさ。その手前に置いてきたんだよね。本当にここでいいのか? って聞いたんだけど、神前のほうが見守ってくれるからって華野ちゃんが」

 そこで区切り、透さんは「そういえば」と顎に手を当てながら思い出すように呟く。

「霧の出ているときは、絶対に吊り橋を渡っちゃいけないって言ってたかな」
「霧、ですか」

 アリシアが素早く反応する。

「朝は雨のあとで霧っぽくなってましたけど、今は晴れてますもんね」
「そうだな。天気が関係あるのか」
「天気に関係する怪異っていうと、しんとかかな? ほら、蜃気楼って言葉の元になった怪異なんだけど」

 さすが透さん。すぐさま候補が出てくるあたり完全にオカルトマニアだ。
 俺にはさっぱりと分からない名前なのだが。

「〝蜃〟が〝気〟を吐いて〝楼閣ろうかく〟が立つ……だよ。だから蜃気楼。幻を見せる怪異だよ。確か、ハマグリが本体だっていう説と、龍の一種だって説があるんだよね」
「透さんは本当に詳しいな」
「合ってるかは分からないけれどね。ほら、違う可能性のほうがあるし。紅子さんはなにか分かった?」

 やはり俺も怪異について勉強しよう。
 その決意が更に固まった。

「アタシが分かったのは、村中に注連縄があるってことかな」

 紅子さんの話によると、村の家屋には必ず注連縄がかけられていて、高い高い崖となっている村の周りの壁にも高い位置にぐるっと注連縄が巻かれているらしい。それから、紅子さんが村の人に執拗に名前を聞かれたっていうことも。

「華野ちゃんが言ってたのはこのことだな」
「そうみたいですね。あたし達が見つけた文献にも、名前についてが載ってました。でも、この文献だとあたし達の名前を取ろうとする意味は分からないんですよね」

 俺とアリシアちゃんで見つけた『神社の神による予知について』だな。
 あれには赤子の名前を人形に入れて納めるって記述があった。それは神様からの神罰を人形に肩代わりさせるためだという話だったが、それならば俺達の名前を盗ろうとする理由にはならない。

「ねえ、これ続きがあるんじゃないかな」
「あ、そういえば途中だったな」

 紅子さんに指摘されて本を開く。
 確か、予知について書かれた本には続きがあったはずだ。


「心とは何処いずこにあるのでしょうか」

 その言葉を聞いた者は第二の予知を伝える役目を課される。
 そのお役目を果たすための期間もおしら神からのお告げとしてその者に告げられる。
 そして、その者は第二の予知を果たす、果たさないに関係なく期日となると、己が「心」だと答えた部位を神に捧げることとなるのだ。
 これをおしら神の第二の予知とする。
 また、「心とは何処いずこにあるのでしょうか」の問答に応えなかった者は、期日にまるで「心」を探されたようにその身を解体されてしまう。
 己の身が惜しくば、己の最期が美しいものとなるために選ばれた者は速やかに問答に答えるべし。
 それ即ち、「心臓」と。



「なっ」

 そこに書かれていた内容は、救いなどなかった。
 予知を聞いてしまった人間は、自分が心だと思う場所を神様に対して答えなければならない。しかし、答えたら答えたで殺されてしまう。
 応えなくても同じく、結末は悲惨なものだ。

「……お兄さん」

 紅子さんが俺の服の裾を引っ張った。

「どうした?」
「…………なんでも、ないよ。酷いね」
「あ、ああ、そうだけど……」

 ひどく顔色を悪くした彼女に、俺の不安がうず高く積まれていく。
 まさか。

「……なあ、紅子さん。相談したいことがあるんだけど、いいかな?」
「いいよ。どうしたの? そんなの昨日でもできたでしょうに」
「できれば二人っきりがいいな。祠の幽霊も気になるし……なあ、二人で散歩しようよ」
「え、二人を置いていくつもりなのかな? それはちょっと」
「紅子お姉さん」

 渋る彼女にアリシアが声をかける。
 透さんも、なにか気がついたように微笑んでいた。

「『心とは何処いずこにあるのでしょうか』」

 アリシアが声の色を消して問いかければ、俺の服を掴んでいた紅子さんの手が大きな反応を示した。
 顔色は、昨日と同様に青い。
 幽霊の彼女は元から白い肌をしているが、もしかしたら昨日よりも体調が悪そうな見た目だ。これを放っておくわけにはいかないだろ。

 その表情は――怯え。
 明らかに、第二の予知の言葉に怯えていた。
 これは、もしかしたらもしかするのかもしれない。
 気のせいだとか、そんな風に誤魔化すわけにはいかなかった。

 彼女は予知されているのではないか。
 そんな不安が鎌首をもたげて俺の心にのしかかってくる。
 そして、彼女がそのことで隠し事をしているのを理解しているのは俺だけではなかった。

「紅子お姉さん。隠し事はメッ、ですよ?」
「隠し事、なんて」

 唇を噛んで苦々しそうに紅子さんが言う。
 らしくない。
 ああ、こんなの〝彼女らしくない〟よな。

 でも――あのとき。

 俺の誕生日、夢で見せられた彼女の姿を思い出す。



「……ああ、そうだね。アタシはこんなにか弱くなんてない。弱音をキミなんかに話してやらない。アタシは生きてなんかいない。怪異だ。これは、お兄さんが見ていた〝 理想の赤座紅子 〟の幻想にすぎないんだよ」



 あの日見た普通の大学生として生きていた紅子さん。
 あれは、虚像なんかじゃない。
 ただの理想なんかでもない。
 等身大の、普通の女の子として生きていたはずの紅子さんだった。
 たとえ俺の妄想でも、理想でも。

「なあ、紅子さん。俺ってさ、そんなに頼りないかな」

 見て見ぬ振りをしていた。でも、分かっていたはずじゃないか。

「……」

 紅子さんは答えない。

「俺、ずっと紅子さんの背中を見てきた。隣にいるようで、全然そんなことはなかったんだな。ずっと君に甘えてたんだ」

 彼女は強いから。情けない俺を支えてくれていた。
 いつも、分かりにくいけれど、それでもずっと俺を見捨てずにいてくれた。そんな姿ばかり見ていた俺は、忘れていたんだ。

 そうだ、紅子さんはまだ20歳なんだぞ。
 実年齢でさえ俺よりも歳下なんだ。
 そんな子が、そんな人間が、ここまで気丈に振る舞えること自体が。ここまでなんでもないように振る舞うしかないこと自体が。

 ……おかしいんだ。

 20歳なんて俺はまだウジウジしてたろうが。
 絶望して、諦めていただろうが。

 自分を押し殺して、自分の理想を演じたってなんらおかしくない。
 20歳っていうのはそういう年頃だろ。
 紅子さんは特に意固地で、負けず嫌いで、奪われるのが嫌いで、嘘が嫌いで……そして。

 ――きっと、弱い自分自身を一番に嫌っている。

「あのさ、紅子さんは辛辣で、皮肉屋で、格好良くて、俺を救ってくれたすごい人だよ」

 だから、そんな彼女を俺は好きになったんだ。

「でも、それがいつもそうじゃなくていいんだ」

 いつもいつも気丈に振る舞って、無理していたらいつか壊れてしまいそうだから。

「いつも強くなくちゃいけないなんて、思わなくてもいいんだよ」

 強い君しか見せてくれなかった。だから気づけなかった。
 ……彼女だって、一人の女の子なんだって。

「弱音だって吐いてくれなくちゃ分からない。俺なんかいつも紅子さんに弱音ばっかり言ってるんだぞ。少しは弱音を見せてくれよ。俺ばっかりが君に頼るなんて、フェアじゃない。そうだろ?」

 だって、俺はいつも紅子さんのことを見ているから。

「もう目を逸らさない」

 等身大の彼女を、紅子さんの真実を見るんだ。
 呆然と俺の言葉を聞く彼女の両腕を取って、告げる。

「どんな紅子さんも、紅子さんだよ。弱音を吐いたって、泣いたって、怯えたって、いいんだ。お願いだから、一人で全部解決しようとしないでくれ……俺は頼りないかもしれないけれど。それでもさ、一人分の頭より、二人のほうが解決策も思い浮かぶかもしれないだろ?」

 俯いた彼女は、喋らない。

「……」

 喋らない。

「……」

 喋らない。

「……っ」

 喋らない。

「……それって、さ……告白、なのかな?」
「……違う。まだ、違う。俺は、紅子さんの隣に立てるほど、強くはないから。まだ、これは違う。これは……俺が紅子さんに貰った分の恩返しだ」
「そう」

 彼女は、告白には答えてくれない。応えてはくれない。そんなの分かりきっている。だから、まだこれは、告白なんて高尚なものじゃない。
 そう、恩返し。借りた分を返すだけの、フェアな関係。それだけだ。

「はーっ、令一さん。あなたって本当に意気地なしですね! でもあなたの言うことには賛成しますよ。令一さんと紅子お姉さんだけじゃありません。あたし達二人もいるんですから、忘れないでくださいね? 四人分の頭脳があればなんとかなるかもしれないじゃないですか」
「そうそう、みんなで考えればなんとかなるよ」

 ここまで来て、少し恥ずかしくなってきた。
 普通なら完全に告白だもんな、あれ。

「ふふ」

 紅子さんが俯いたまま笑いだす。
 それはやがて、大きな大きな笑い声となってその場に響いた。

「あははは! まさかお兄さんに励まされる日が来るなんて! もしかして明日は霧じゃなくて槍でも降るのかな?」
「なっ、勇気を振り絞ったんだぞ! そんな失礼な! 少しくらい照れてくれたって……」

 ポタリ。
 雫が落ちる。

「あははは……本当に、本当に、お人好しばっかり。そういう優しいところ大っ嫌いだって何度も言ってるのに……どうして、キミはいつもそうなの?」

 泣いていた。

「そんなに言われたら、突き放せなくなっちゃうのに。ズルイよね、お兄さんは」

 あの、紅子さんが。

「優しいだけじゃ、どうにもならないことだってあるのにさ」

 泣いたところなんて、想像もつかなかった彼女が。

「そんなこと分かってるのに、それでも縋りたくなっちゃうでしょう……」

 その紅い瞳を潤ませて、まっすぐと俺を見据える。

「まったく、嫌いでいさせてくれないなんて、本当にひどい人だよ。ひどい、ひどい人……」

 目に涙を溜めて、頬に雫を伝わせながら。

「でも、そうだね。これで貸し借りなしだよ」
「ああ、それで頼む」

 きっと、ここで告白をしていたら彼女は俺の前からいなくなっていただろう。
 彼女はそういう人だ。だから、俺はズルをした。
 告白紛いのことをしておきながら、まだ側にいられるための方便を用意したんだ。

「しょうがないなあ、これなら話すしかなくなっちゃったね。ねえ、令一さん……キミの想うアタシじゃなくても、キミはアタシを助けてくれるんでしょう?」
「ああ、もちろん」

 頷く。
 それは決定事項だったからだ。

「それじゃあ、お願いしようかな」
「うん」

 向かい合ったまま、しっかりと視線を合わせて頷く。



「――アタシを助けて、令一さん」



 その言葉を、待っていた。ずっと。

「うん、助けるよ。絶対に助けてみせる」

 俺ばかりが守られているわけにはいかない。
 好きな子一人守れないなんて、男じゃないよな。

「だからさ、俺に守らせてください」
「うん……うん、仕方ないから、大人しく守られてあげようかな」
「素直じゃないな」
「さっきまで素直だったでしょう。贅沢言わないでよ」
「俺としてはもっと贅沢したいよ」

 俺の言葉に彼女は目を伏せ、その涙を拭った。
「ふふ」と、いつものように。いや、いつもよりも嬉しそうに。

 泣いて、笑っていた。

「……それじゃあ、話すね」

 泣いていたからか、声が少し震えている。
 そんな彼女の手を引いて、抱きとめた。

 ……抵抗はなかった。

 昨夜のように、ただただ猫が甘えるように、紅子さんはその額を俺の胸に埋めているだけで。グリグリと顔を上げずに、まるで泣き顔を見せないように、けれど縋るように、俺を受け入れてくれていた。

 ほんの少しだけ髪の隙間から覗いた耳が朱に染まっていて、俺の中に言い知れない気持ちが湧き上がってくる。きっとこれが愛しいってことなんだろうと思いつつも、俺はそれに気がつかないふりをしたまま、ただ彼女の背に手を添えていた。

 そう、今は踏み込むべきじゃないから。

「あのね、アタシ……この村に近づいたときから、声が聞こえていたんだよ。さっきの文献に載ってた、あの問答。あのときは気にしてなかった。でも、心を魂って答える形になってからね、あと四日って言われたんだよ」

 その言葉に俺は息を詰まらせた。


 ――「あ、でもこのキャッチコピーだけは真剣そのものじゃないですか? ほら、この〝心の在り処を知れる場所〟って文句です」
 ――「景色には自信があるようだし、心が洗われるような場所なんだろうねぇ。まあ、アタシの場合は魂が洗われる……っていうのかな」


 まさか。


 ――「あと、四日ね」
 ――「あれ、そんなに泊まるっけ?」


 まさか。まさか。まさか。


 ――「ああ、うん。怪異調査なんだから、長引けばそのくらいいる必要があるかもね」
 ――「温泉もあるみたいですし、ちょっとくらいは長居したいです。でも一週間とかになると大変ですから、あたしは三日くらいがベストですね」


 行きのバスの、あのやりとりの最中に? 
 そんなときから、紅子さんは狙われていたというのか? 


 ――「うん、それにアタシ達は黙ってやられるほど弱くもないよ……そうだ、アタシもお兄さんにちょっと相談したいことが……わっ!?」


 昨夜のやりとりを想起する。
 あのとき、もしかして紅子さんは俺にこのことを相談しようとしていた? 

 それじゃあ、俺は不安に揺れる彼女に気づかず一晩明かしたっていうのか? 
 なにが守りたいだよ。なにが強くなりたいだよ。

 ……気づけないんじゃ、意味がないじゃないか! 

「分かった。ありがとう、紅子さん。話してくれて」
「多分、あと三日だね。魂って答えちゃってるから、結構まずいんだよねぇ。名前なんて教えてないのに、変だよね。だから、アタシはその文献とは違う例外なのかも」
「ああ。それを含めて、どうするのか会議しよう」

 一歩だけ、彼女に近づけた日。
 彼女の真実に触れた日。

 けれど、それは放っておけばあと三日で終わる関係なのだという。
 そんなのは許せない。そんなの俺は認めない。

 絶対に諦めない。諦めたくない。
 紅子さんを失ってたまるもんか。

 ボウ、と心のどこかでなにかが燃え上がる音が響いた。

「きゅう」

 リンが応えるように鳴く。
 神に対する無謀な挑戦を、後押しするように。

 紅子さんが狙われる期日まで――あと三日。
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