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言葉にしなかった理由
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静かな廊下だった。
授業の合間、人の気配はあるのに、
音だけが遠い。
まるで、水の底を歩いているみたいに。
ベルンハルトは、足を止めなかった。
隣を歩くカレンの存在を、確かに感じながら。
(……言うべきか)
その問いは、何度も浮かんでは消えた。
怒りでは、ない。
失望でも、ない。
――怖かった。
あの瞬間。
ガボゼで、彼女がエルンストの腕の中に収まった時。
理性は、すぐに理解した。
事故だ。
不可抗力だ。
誰も悪くない。
なのに。
胸の奥で、
“何か”が、確かに音を立てた。
(……触れた)
彼女が、
自分の知らない腕の中に入った。
ほんの一瞬。
守るための動き。
それだけの出来事。
それでも。
(……嫌だ)
感情が、はっきり言葉になった瞬間、
ベルンハルトは、息を詰めた。
(……俺は)
思い返す。
朝から、何も起きなかった日々。
偶然を避け、導線を整え、
彼女を“安全な中心”に置いた。
成功していた。
問題は、起きなかった。
だから――
今日も、そうなるはずだった。
(……なのに)
彼女が、選んだ。
中庭。
ガボゼ。
自分で決めた行き先。
それ自体は、拒む理由がなかった。
拒めば、疑われる。
だから、受け入れた。
結果。
世界は、
牙を剥いた。
(……俺の、判断ミス)
そう結論づけるのは、簡単だった。
もし、言葉にしていたら。
もし、感情をそのまま吐き出していたら。
「嫌だった」
「怖かった」
「奪われると思った」
そう言ってしまえば、
彼女を縛る。
(……それは、できない)
カレンは、
自分を信じている。
守られていると、思っている。
選ばれていると、感じている。
その信頼を、
自分の感情で汚すわけにはいかない。
(……だから、黙る)
沈黙は、
彼女を傷つけない選択。
同時に、
自分を制御する選択。
(……制御、だ)
ベルンハルトは、指先を握りしめる。
心臓の鼓動が、
まだ、少し早い。
(……大丈夫だ)
事故は、起きた。
だが、致命的ではない。
ならば。
次は、
“起きない配置”を、もっと厳密にする。
導線を、絞る。
接触の余地を、減らす。
彼女が選ぶ前に、選択肢を整える。
(……守るだけだ)
それは、独占じゃない。
嫉妬でもない。
“管理”。
理性的な判断。
当然の対応。
(……そうだろ)
自分に、言い聞かせる。
沈黙は、
感情を殺すためじゃない。
――凍らせるためだ。
溶け出さないように。
暴れ出さないように。
彼女の前で、
“完璧な恋人”でいるために。
ベルンハルトは、
何事もなかった顔で、歩き続ける。
隣にいるカレンは、
まだ、何も知らない。
言葉にされなかった理由。
沈黙の正体。
それは――
彼自身が、気づき始めている“危うさ”だった。
(……俺は)
(……どこまで、抑えられる?)
その問いに、
まだ答えは出ていない。
ただ、確かなのは。
沈黙の内側で、
感情は、確実に形を変え始めていた。
ベルンハルト視点
授業の合間、人の気配はあるのに、
音だけが遠い。
まるで、水の底を歩いているみたいに。
ベルンハルトは、足を止めなかった。
隣を歩くカレンの存在を、確かに感じながら。
(……言うべきか)
その問いは、何度も浮かんでは消えた。
怒りでは、ない。
失望でも、ない。
――怖かった。
あの瞬間。
ガボゼで、彼女がエルンストの腕の中に収まった時。
理性は、すぐに理解した。
事故だ。
不可抗力だ。
誰も悪くない。
なのに。
胸の奥で、
“何か”が、確かに音を立てた。
(……触れた)
彼女が、
自分の知らない腕の中に入った。
ほんの一瞬。
守るための動き。
それだけの出来事。
それでも。
(……嫌だ)
感情が、はっきり言葉になった瞬間、
ベルンハルトは、息を詰めた。
(……俺は)
思い返す。
朝から、何も起きなかった日々。
偶然を避け、導線を整え、
彼女を“安全な中心”に置いた。
成功していた。
問題は、起きなかった。
だから――
今日も、そうなるはずだった。
(……なのに)
彼女が、選んだ。
中庭。
ガボゼ。
自分で決めた行き先。
それ自体は、拒む理由がなかった。
拒めば、疑われる。
だから、受け入れた。
結果。
世界は、
牙を剥いた。
(……俺の、判断ミス)
そう結論づけるのは、簡単だった。
もし、言葉にしていたら。
もし、感情をそのまま吐き出していたら。
「嫌だった」
「怖かった」
「奪われると思った」
そう言ってしまえば、
彼女を縛る。
(……それは、できない)
カレンは、
自分を信じている。
守られていると、思っている。
選ばれていると、感じている。
その信頼を、
自分の感情で汚すわけにはいかない。
(……だから、黙る)
沈黙は、
彼女を傷つけない選択。
同時に、
自分を制御する選択。
(……制御、だ)
ベルンハルトは、指先を握りしめる。
心臓の鼓動が、
まだ、少し早い。
(……大丈夫だ)
事故は、起きた。
だが、致命的ではない。
ならば。
次は、
“起きない配置”を、もっと厳密にする。
導線を、絞る。
接触の余地を、減らす。
彼女が選ぶ前に、選択肢を整える。
(……守るだけだ)
それは、独占じゃない。
嫉妬でもない。
“管理”。
理性的な判断。
当然の対応。
(……そうだろ)
自分に、言い聞かせる。
沈黙は、
感情を殺すためじゃない。
――凍らせるためだ。
溶け出さないように。
暴れ出さないように。
彼女の前で、
“完璧な恋人”でいるために。
ベルンハルトは、
何事もなかった顔で、歩き続ける。
隣にいるカレンは、
まだ、何も知らない。
言葉にされなかった理由。
沈黙の正体。
それは――
彼自身が、気づき始めている“危うさ”だった。
(……俺は)
(……どこまで、抑えられる?)
その問いに、
まだ答えは出ていない。
ただ、確かなのは。
沈黙の内側で、
感情は、確実に形を変え始めていた。
ベルンハルト視点
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