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第1章 遥か高き果ての森

三十二話 それぞれの想い

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「……え?」

   びっくりして目を見開くと、シリルラは指を突き合わせながら唇を尖らせ、いかにも不機嫌ですという風にボソボソと呟く。

「貴方と一緒の時を過ごすうちにどんどん貴方に惹かれていって、ずっとこの世界にいたいと……いいえ、貴方と一緒にいたいと、そう思うようになったんです。それは記憶を共有している私も同じなんですよね。言ったでしょう?  ずっと好きだったと」
「あ……」

   ……そう、だった。気絶する前、俺はこいつに告白されたんだったっけ。  

   いきなりキスされた衝撃と、言いようのない歓喜が入り混じって頭がパンクして忘れていた。それにさっき、勘違いしないでくださいねって言われてたじゃないか。

   もう一度、シリルラを見る。シリルラはかなり恥ずかしそうな赤い顔でこちらを睨んでいた。冗談だと思われたのが余程嫌だったようだ。

   ちらりとシリルラの顔色を伺うと、こちらをジトーッとした目で睨むシリルラと目線が合う。かなりご立腹の様子だ。

   こういう時は素直に謝るのが一番良いと思ったので、頭を下げて謝った。シリルラはそんな俺をまだじとっとした目で見ていたが、ため息を吐くともういいです、と言って強制的に話を再開した。

「それで、どんどんセンパイを好きになっていったわけですが……私のそもそもの目的である、人を恐れる理由を知りたいと常々思っていました」
「……それは」
「ええ、貴方はあの日、この場所で自分から話してくれた……貴方の人を傷つけることへの恐怖、それを抱えるようになってしまった理由を」

   そこで一旦言葉を切ったシリルラは、自分の右手を胸に当てて嬉しそうな、それでいてしっかりとした声音で言葉を続けた。

「それを聞いて、私は心に誓ったんです……ずっとセンパイのそばにいると」
「……!」
「貴方が傷つけることを恐れ、人から離れるのなら、私がそばにいますね。貴方が死ぬまでで……いいえ、死んだ後も、ずっと貴方の魂とともに…そう決めました」
「シリルラ……」

 …まさかあの時、あの話を聞いてそんなふうに考えてくれていたなんて。決して心地の良いものではなかったはずだ。むしろ、普通なら嫌悪を抱く。

   ふと脳裏に、瑠璃にこの話をした時のことが思い浮かぶ。あの時も彼女は、俺を軽蔑などしないと、私はずっと味方だと言ってくれていた。

   他の人間と同じように薄気味悪がって、近寄らないはずなのに……それなのに、受け入れてくれたんだ。本人から詳しい話を聞いて、よりそれを実感できる。

   思わず涙がこぼれそうになるが、ぐっと我慢してシリルラに向き直る。そしてお礼を言おうととして……口をつぐんだ。

   何故かって?  だって……さっきまで聖母のごとき優しい笑みを浮かべていたのに、なんだかとっても怖い目をして笑ってらっしゃるんですけど。

「シ、シリルラ?」
「ふふふ……それなのに…あのクソポンコツ創造神は……!」

おいなんか今すごい言葉が聞こえたぞ!?

「えっと……」
「…ああ、すみませんねセンパイ。ちょっとあのポンコツな創造神に殺意が湧いただけですね」
「ぽ、ポンコツって……ていうか創造神って、もしかしてイザナギ様のことか?」
「はい……さてセンパイ。ここからが本番です。今までの話は前置きだと思ってください」

   なんだかまだ不気味な感じのする微笑をニッコリと浮かべたシリルラにぶるりと寒気がした俺は姿勢を正し、こくこくと縦に首を振った。

   そんな俺にシリルラは怖ーい笑顔を見慣れた困ったような笑いに変えて、そんなに緊張しなくてもいいですよと言ってくる。いや、さっきの顔見せられたら誰でも固まるわ。

   とりあえず、肩から力を抜いて姿勢を元に戻し……まあ元々背筋を正してはいたが……話の続きを聞く体制に入る。 

「そうして貴方と永遠にともにいる覚悟をしたわけですが……それから間も無く、貴方は死にました。あのポンコツなクソ創造神のくしゃみによって」
「……あ、ああ」

   俺の数える限りでは既に何回か繰り返されているポンコツとクソという言葉に少し引っかかりを覚えるが、とりあえず頷く。

   ……思い返してみれば、くしゃみで殺された俺って何十億人もいる人間の中でも一番情けなくてしょぼい死に方じゃないか?

   しかもその後、常人だったら即座に死ぬような場所に間違えて転移させられるとか……まあ、そのおかげでエクセイザーや他のみんなに出会えたけど。

   それを加味しても……うん、やっぱりイザナギ様はシリルラの言う通りポンコツかもしれん。転移して直後のメールでも自分で言ってたし。

   ちょっとイザナギ様にイラっとしていると、それをリンクで筒抜けなので感じ取れるシリルラがうんうんと同意していた。

「で、私は貴方がヒュリスに送られた直後、イザナギ様を締め上げましたね」
「締め上げちゃったの!?」

   ぐっと拳を握っていい笑顔で言い放つシリルラに思わず突っ込む。日本神話の中で最高に近い場所に位置する相手になんて恐れ知らずなことを。

   俺の知る日本の神々の位置付けは高天原の三大神である天御中主神、高皇産霊神、神産巣日神を最高とし、その下に伊邪那岐神、伊邪那美神、さらにその下に無数の神々という具合だ。

   シリルラに尋ねてみると、どうやらそれは間違いないようで、三大神を最高神としてその下にイザナギ様、その下に上級神、中級神、下級神、四聖獣、大精霊、精霊という感じなのだそうだ。

   その上級神の中でもシリルラは上の上に位置するかなり強い力を持った上級神ならしく、二分した今も下級神とは言うものの、上級神の下位程度の力は持っているのだとか。

「まあ、だからこそ準最高神であるあのポンコツ神を締め上げに行けたんですけどね。その時だけは数千年に渡る退屈な龍脈の管理を真面目にしていて良かったと思いました」

   そ、それは良いのか悪いのか……いや、結果的に良かったのか?  ていうかもはやちゃんと名前を呼んでねぇ……。

「んんっ、話を本軸に戻しましょう……私はポンコツ神を締め上げて、ポンコツ神が転移ミスのフォローとして送ろうとしていた下級神として貴方の下へいけるようにしました…地上にいた片割れに、龍脈を管理する力を押し付けて」
「……そういうことだったのか」

   これでようやく合点がいった。先ほど気絶する前に言った、「片割れに後を押し付けて」という言葉の意味。あれはこういうことだったのか。

「今思えば、片割れには悪いことをしました……私がやるべき責務を押し付け、実際に共にいたわけでもない、ただ記憶を持っているだけの私が……」

   そう言ってそれまでの調子は何処へやら、暗い顔をするシリルラ。 それに何か言おうとするが、すぐに口を噤んでしまう。
 
   なぜなら、その通りだから。確かに俺がずっと一緒にいたのはシリルラじゃなくて、瑠璃の方だ。シリルラはただ記憶を共有していただけで、実際に地球で俺といたわけじゃない。

   それに、瑠璃に押し付けた龍脈の管理というのも気にかかる。本来の半分の力しか持たない彼女は今、大丈夫なのだろうか。

   考えれば考えるほど、悩みは出てくる。けど俺は、シリルラの言ったことで彼女を責めるつもりは毛頭なかった。

「……確かにそうかもな。お前は瑠璃じゃない。シリルラだ」
「っ……そう、ですよね。やっぱり私なんかが…」
「ああそうだ……でも考えてもみろよ。ヒュリスに行ってから、俺と一緒にいてくれたのは誰だ?」
「え?  あっ……!」

   シリルラは俺の言葉に一瞬わけがわからないと惚けた顔するが、すぐに理解したのか驚いて瞠目する。

「あっちに行ってからそばにいたのは、瑠璃じゃない……お前だ。確かに一緒にいた時間は8ヶ月弱って短いけどさ、それでもそこにいたのはお前なんだよ」
「でも、それは瑠璃の記憶を持っていたからであって……」

   まだ暗い顔で呟くシリルラに俺は苦笑いして、その頭に手を置く。

「…じゃあ聞くけど。お前はこの8ヶ月間、俺と一緒にいてどうだった?  ちなみに俺は楽しかった。それはお前が瑠璃の片割れだからじゃない。考えもみろよ、そもそも俺はお前が瑠璃の記憶を持ってるなんて、さっき知ったばかりだぞ」
「あ……」
「だから何が言いたいかっていうとだな、俺はヒュリスでお前と…シリルラと一緒に過ごして楽しかった。それは、瑠璃じゃなくて、お前と培った記憶だ。それに対してーー」



ーーお前は、どうなんだ?

   

   俺の投げかけた問いに、目を見開いたシリルラは顔を俯かせる。その姿からは葛藤や迷いといったものが感じられた。

   しばし、沈黙の時が流れる。シリルラはそれまでのことを思い返しているのだろうか、ずっと俯いたままだ。俺はそんな彼女から目を離すことなく、じっと待ち続ける。

   ……悩んで当然だろう。俺は最初からシリルラが瑠璃だと知らなかったら、シリルラの部分だけを見てすぐに言葉に出すことができた。自分でも驚くほど、するすると言葉が出てきた。

   でも、シリルラは違う。最初から俺のことを瑠璃として知っていて、そこから元から持っていた瑠璃としての感情を抜いた、シリルラとしての思いを見つけなくてはいけない。

   少し偉そうな言い方になってしまったけど……要するに、すぐに結論は出ないと思う。だからいつまでだって俺は待ち続ける。

「……私は」
「ん?」

   のんびりと湖を見て和んでいると、ポツリとシリルラの方から声が聞こえてきた。答えが出たのかとそちらを振り向く。

   そしてシリルラの顔を見て……思わず息を呑んだ。なぜなら彼女は今にも泣きそうな…いや、目尻に涙をためた、そんな表情で俺を見ていたのだから。

   その顔が不謹慎にも、可愛いと思ってしまった。それは瑠璃としてではなく、シリルラとしてだったのだろうか。この時の俺にはすぐに判断できなかった。

「私はっ…私も、楽しかったです!  本当はいけないって…私じゃダメだって…わかってるのにっ……でも、一緒にいればいるほど…龍人様と一緒にいたいって、そう思って……!」
「っ……そっか。どっちとも一緒にいて楽しいなら、それでいいんじゃないか」
「龍人、様……」

   未だ流れるシリルラの涙をはにかみながら、体を傾けてなぜかズボンの後ろポケットにあったハンカチを取り出して拭う。我ながらこの行動は気障っぽくて俺の柄ではないな…。

   あらかたぬぐい終えると、こちらの恥ずかしさが限界になったのでシリルラの方に傾けていた体を元に戻そうとする。が、腕を両腕でガッチリとホールドされてれて動けなくなった。

   一体何を、と言おうとするが、シリルラが「少しだけ……」、と呟いたので、仕方がなくそのままにした。シリルラから良い香りがしてドキドキするのは内緒だ。できないけど。

   体感時間で数分たった頃。ようやくシリルラが腕から体を離した。思わず内心ホッとする。ドキドキしっぱなしだったからな。

   心を落ち着かせるとシリルラを見た。すると彼女はこれまでで一番恥ずかしそうな赤い顔を見られないよう髪で隠していた。

「……すみません、いきなり」
「…あ、ああいや、別に気にすんなよ」

   ……まあぶっちゃけ嬉しかったし。好きな子に抱きつかれて嬉しくない奴などいるのだろうか。いや、いない。

「……聞こえてますよ」
「あっ、ごめん」
「……いえ。それよりも、少し湿っぽくなりましたが、これで説明は終わりです。私という存在をわかっていただけましたか?」
「ああ、しっかりと」
「そうですか…それは良かったです」

   そう言ってにこりと笑うシリルラにどきん、と心臓が高鳴る。無性に恥ずかしくなって顔をそらすとすっかり調子を取り戻したシリルラがくすり、と笑うのが聞こえた。

   ……まあ、それはさておき。色々と人間の俺からしたら凄まじいことを聞いたわけだが、俺はシリルラの…ひいては瑠璃のことを深く知ることができた。

   話を聞き終えて、俺が最初に思ったことは……嬉しさだった。胸の内をいっぱいにするような特大の嬉しさが全身を駆け巡る。

   地球でひとりぼっちだった俺を見つけてくれた。一緒にいて心を満たしてくれた。過ちを犯した俺を受け入れてくれた。それがどれだけ救いになったことか。
  
   そしてなによりも……死んだ俺を異世界まで追いかけてきてくれた。そんな彼女に、俺は言いようのない歓喜を覚えている。

   でも、嬉しさ以上に……これまでもずっと胸の中にあった好意の感情……すなわち愛着が溢れ出るほどに沸き起こってきた。

   ……彼女は、俺のことを好きだと言ってくれた。それなのに俺は、一度も好きと彼女に言っただろうか。少なくとも言葉にした覚えはない。

   確かに心がリンクしているから、俺の好意は嫌という程伝わっているはずだ。だが、口に出して言わなければいけないことはどんなに恥ずかしくても言うものなのだ。

   特にこういう気持ちに関することならばなおさらである。ただ側にいて満足しているだけではこれまでと何も変わらない。俺は、その先に進みたい。

   だから今から俺は、この気持ちを彼女へ伝えようと思う。しっかりと言葉にして、全力で自分の思いをぶつける。

   そうと決まれば、早速実行に移すためにシリルラの方を向いた。するとすでにスタンバイ状態で待っている。まあ考えてること筒抜けだしな。

「んんっ……シリルラ」
「はい、なんですかセンパイ?」

 あえてセンパイ呼び…それに、楽しそうな表情してやがる。やっぱりこいつ意地が悪い。まあそれはともかく。

「……好きだ、お前のことが」
「……!」
「自覚したのは死んでからで、遅いにもほどがあるけど……地球にいた頃から、ずっと好きだった。こんな俺と一緒にいてくれて、受け入れてくれて……すごく嬉しかったんだ」
「ふふ……そう言ってくれて、私も嬉しいです」
「お前のいたずら好きなところとか、でも優しいところとか、可愛い笑顔とか、ちょっとした仕草とか……言い切れないくらい理由はある。でも一番の理由は…やっぱりお前だからだ」

   そんなずっと一緒だった〝白井瑠璃〟のことを、もっと見ていたい。まだやっていない色々なことをお前と一緒にやりたいんだ。

だから、俺は……。

「お前が好きだ」
「……そうですか。さっきも言いましたけど、私もーー」
「でも、それだけじゃない」
「えっ?」

   それだけじゃないんですか?といった顔をするシリルラに俺は微笑み、言葉を続ける。

「俺は、シリルラとしてもお前が好きなんだ。俺が落ち込んだ時に励ましてくれたことや、俺の話し相手になってくれたこと、迷った時に導いてくれたこと……一緒にいるうちに惹かれてた。まあ、自覚したのは話を聞いたからだけどさ」
「龍人、様……」

   なんだか恥ずかしくなってきて、照れ隠しにはにかんだような笑みを浮かべながらぽりぽりと後頭部をかいた。

   シリルラはまさか俺がこんな告白の仕方をするとは思っていなかったようで、珍しくあわあわとした様子で顔を赤くしていた。

   それが何だか面白くてくすりと笑うと、こちらをちょっと恨めしそうな顔で睨んでくる。その仕草さえ可愛いと思えた。

   一通りシリルラの反応を見終えると、一度咳払いをして気分をリセットする。そして真剣な表情をしてシリルラを見た。

「だから、要するに何が言いたいのかというと……これからもずっと、一緒にいてくれるか?」
「っ………はいっ!」

   シリルラは返答とともに、まるで感極まったようにこちらに抱きついてきた。思わずビクッとするが、悪い気はしないので思わずあげた手を下ろす。

   しばらくそのままだったが、シリルラが顔を上げてこちらを見る。一体何かといえば、なにやら不満げにジローっとこちらを見ていた。

   首を傾げていると、体に回された両腕に力が込められる。するとギリギリとものすごい力だった。ちょ、痛い痛い!さすが上級神ってとこか!?

   また気を失ってはたまらないので、もしかしたらと思い俺もシリルラの背中に両手を回す。すると満足そうに笑い、力を抜いてくれる。内心ホッとした。

   ……ちょっと調子に乗って、片手だけ背中から離して頭を撫でてみる。するとシリルラは一瞬驚いたが、すぐに上機嫌そうに胸に頬をこすりつけてきた。

「ふふふ……」



   幸せそうな声を漏らすシリルラの温もりを、俺はしばし感じ続けた。

 
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