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完全無欠の恋敵
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隊長は、そこでナレイから離した手を高々と上げた。
ナレイはナレイで、その手にすがりつく。
「おいらはどうなってもええだ! 妹を! せめて妹だけでも!
どうやら、処刑の合図だと思ったらしい。
だが、ナレイとシャハロの身体は、兵士たちの手にした槍によって貫かれることはなかった。
街道を埋め尽くした兵士たちが、一斉に左と右へ寄る。
シャハロがナレイに命じた。
「馬の轡を取りなさい」
ナレイに口を取られた馬は、静かに歩きだす。
道を開けた兵士たちは、薄い胸を反らす馬上のシャハロを無言で見つめていた。
その美しさに初めて気づいたのか、それともジュダイヤの姫であるという妄想に取りつかれた娘を物珍しげに眺めているのか。
夜明けが近づいて次第に陰っていく月の光の中では、それも判然とはしなかった。
やがて、長い長い人の壁の間を通り抜けると、そこはもう国境である。
ジュダイヤの果てを示す標識の下で、ナレイは立ち止まって尋ねた。
「本当に……いいの? シャハロ。この先へ行って」
シャハロは高らかに笑った。
その声は、道を譲った他国の兵士たちには、正気を失った娘が奇声を上げたようにも聞こえただろう。
だが、それは国を捨てようとする姫君の、明らかな意志の表れであった。
「戦が始まれば、この街道は関所で塞がれる。長い長い土塁が伸びて、そのうち、高い壁が築かれるでしょうね」
ナレイは、恐る恐る尋ねた。
「その先は……どうなるの?」
シャハロは、きっぱりと答える。
「行ってみなくちゃ分からないじゃない、そんなこと」
だが、ナレイは動かない。
「そうじゃなくて、何が起こるの? これから」
苛立たしげな声が答えた。
「分かるわけないじゃない、私なんかに。でも……誰も追いかけてこられなくなるわ。少なくとも」
そう言いながらシャハロは顎をしゃくって、先へ行けと促す。
それでもやはり、ナレイは動かなかった。
ぽつりとつぶやく。
「やっぱり……いけません」
「何言ってるの!」
シャハロは文字通り、頭から怒鳴つける。
だが、ナレイは顔を上げると、その罵声を正面から受け止めた。
「今なら、まだ引き返せるよ。そしたら、僕はともかく……シャハロは許してもらえる」
「意気地なし!」
喚き散らすシャハロに、ナレイはたじろぐ。
だが、その足は動かなかった。
「意気地なしでいいよ。でも、何もしないほうがいいんだ、こういうときは……たぶん」
「もういい」
シャハロは、ひらりと馬から下りた。
片手を馬の轡に取られたナレイを置いて、国境を越えようとする。
「待ってよ! シャハロは今……」
その先は、言葉にならなかった。
いつの間にか、角笛の音がすぐ背後まで近づいていたからである。
剣の撃ち合う音が響き渡り、断末魔の悲鳴が当たりに響き渡った。
シャハロより先に振り向いたナレイは、馬を抑えながら叫んだ。
「見るな! シャハロ!」
その声もまた、恐怖に震えている。
シャハロを抱きすくめて、その目を覆ったナレイの前には、累々たる屍の山があった。
それを器用に飛び越えてきたのは、夜明けの光にぼんやりと輝く白馬であった。
乗りこなしているのは、目の覚めるような偉丈夫である。
鳳凰を象った兜を脱ぐと、銀色の長髪が風になびく。
満面からの笑顔で尋ねた
「馬上から失礼……姫様でいらっしゃいますね?」
シャハロは間延びした声で答えた。
「うんにゃ……あたいはこの兄ちゃんの行商についたきた百姓娘だあ、姫様だなんて、とんでもねえ」
さっきのナレイとそっくりの口調で、自らの身分を偽ってみせる。
だが、この若者をごまかすことはできなかった。
「王様に言いつけますよ? シャハミーロ様が婚約者ヨフアハンの助けを拒んだと」
そこでシャハロは観念したらしく、ナレイの手をふりほどいて立ち上がった。
「見逃してはくれないのね?」
「当然です、王様から部下をお預かりして、こうしてお迎えに伺った以上は」
振り向く先では、親衛隊と思しき若者たちが、進入した他国の兵士の掃討と捕縛にかかっている。
国王の親衛隊にして第6王女シャハミーロの婚約者であるヨフアハンは、兵士たちの正体を滔々と述べ立てた。
「この人数からして、街道を塞ぐことが任務だったんでしょう。行き来自由だったジュダイヤの領内に踏み込んで、兵馬の輸送に足止めを食わせるのが目的です。その隙に、自分たちは街道を使って、兵士たちを次々送り込む手筈だったと思われます」
そう言うなり、シャハロの腕を掴んで馬上に引き上げた。
「何をするか!」
「無論、一緒に帰っていただきます……ああ、君、頼みたいことが」
そう言って見下ろすのは、ナレイである。
呆然としていたところで、いきなり名前を呼ばれて、慌ててひざまずく。
「は、はい……何でしょうか」
シャハロの悲しげな眼差しを避けるように、うつむいて答える。
そんなことは気にも留めない様子で、ヨファは告げた。
「すまないが、その馬を城まで牽いてきてはくれないだろうか」
使用人への言葉としては、バカ丁寧なほうだった。
シャハロを後ろに載せて、ヨファは白馬にひと鞭当てて駆け去る。
それを見送るナレイに、ハマの準備した馬はもう、首を下ろそうともしない。
地平線の向こうから昇る朝の太陽を横から浴びて、街道をとぼとぼと歩くしかなかった。
ナレイはナレイで、その手にすがりつく。
「おいらはどうなってもええだ! 妹を! せめて妹だけでも!
どうやら、処刑の合図だと思ったらしい。
だが、ナレイとシャハロの身体は、兵士たちの手にした槍によって貫かれることはなかった。
街道を埋め尽くした兵士たちが、一斉に左と右へ寄る。
シャハロがナレイに命じた。
「馬の轡を取りなさい」
ナレイに口を取られた馬は、静かに歩きだす。
道を開けた兵士たちは、薄い胸を反らす馬上のシャハロを無言で見つめていた。
その美しさに初めて気づいたのか、それともジュダイヤの姫であるという妄想に取りつかれた娘を物珍しげに眺めているのか。
夜明けが近づいて次第に陰っていく月の光の中では、それも判然とはしなかった。
やがて、長い長い人の壁の間を通り抜けると、そこはもう国境である。
ジュダイヤの果てを示す標識の下で、ナレイは立ち止まって尋ねた。
「本当に……いいの? シャハロ。この先へ行って」
シャハロは高らかに笑った。
その声は、道を譲った他国の兵士たちには、正気を失った娘が奇声を上げたようにも聞こえただろう。
だが、それは国を捨てようとする姫君の、明らかな意志の表れであった。
「戦が始まれば、この街道は関所で塞がれる。長い長い土塁が伸びて、そのうち、高い壁が築かれるでしょうね」
ナレイは、恐る恐る尋ねた。
「その先は……どうなるの?」
シャハロは、きっぱりと答える。
「行ってみなくちゃ分からないじゃない、そんなこと」
だが、ナレイは動かない。
「そうじゃなくて、何が起こるの? これから」
苛立たしげな声が答えた。
「分かるわけないじゃない、私なんかに。でも……誰も追いかけてこられなくなるわ。少なくとも」
そう言いながらシャハロは顎をしゃくって、先へ行けと促す。
それでもやはり、ナレイは動かなかった。
ぽつりとつぶやく。
「やっぱり……いけません」
「何言ってるの!」
シャハロは文字通り、頭から怒鳴つける。
だが、ナレイは顔を上げると、その罵声を正面から受け止めた。
「今なら、まだ引き返せるよ。そしたら、僕はともかく……シャハロは許してもらえる」
「意気地なし!」
喚き散らすシャハロに、ナレイはたじろぐ。
だが、その足は動かなかった。
「意気地なしでいいよ。でも、何もしないほうがいいんだ、こういうときは……たぶん」
「もういい」
シャハロは、ひらりと馬から下りた。
片手を馬の轡に取られたナレイを置いて、国境を越えようとする。
「待ってよ! シャハロは今……」
その先は、言葉にならなかった。
いつの間にか、角笛の音がすぐ背後まで近づいていたからである。
剣の撃ち合う音が響き渡り、断末魔の悲鳴が当たりに響き渡った。
シャハロより先に振り向いたナレイは、馬を抑えながら叫んだ。
「見るな! シャハロ!」
その声もまた、恐怖に震えている。
シャハロを抱きすくめて、その目を覆ったナレイの前には、累々たる屍の山があった。
それを器用に飛び越えてきたのは、夜明けの光にぼんやりと輝く白馬であった。
乗りこなしているのは、目の覚めるような偉丈夫である。
鳳凰を象った兜を脱ぐと、銀色の長髪が風になびく。
満面からの笑顔で尋ねた
「馬上から失礼……姫様でいらっしゃいますね?」
シャハロは間延びした声で答えた。
「うんにゃ……あたいはこの兄ちゃんの行商についたきた百姓娘だあ、姫様だなんて、とんでもねえ」
さっきのナレイとそっくりの口調で、自らの身分を偽ってみせる。
だが、この若者をごまかすことはできなかった。
「王様に言いつけますよ? シャハミーロ様が婚約者ヨフアハンの助けを拒んだと」
そこでシャハロは観念したらしく、ナレイの手をふりほどいて立ち上がった。
「見逃してはくれないのね?」
「当然です、王様から部下をお預かりして、こうしてお迎えに伺った以上は」
振り向く先では、親衛隊と思しき若者たちが、進入した他国の兵士の掃討と捕縛にかかっている。
国王の親衛隊にして第6王女シャハミーロの婚約者であるヨフアハンは、兵士たちの正体を滔々と述べ立てた。
「この人数からして、街道を塞ぐことが任務だったんでしょう。行き来自由だったジュダイヤの領内に踏み込んで、兵馬の輸送に足止めを食わせるのが目的です。その隙に、自分たちは街道を使って、兵士たちを次々送り込む手筈だったと思われます」
そう言うなり、シャハロの腕を掴んで馬上に引き上げた。
「何をするか!」
「無論、一緒に帰っていただきます……ああ、君、頼みたいことが」
そう言って見下ろすのは、ナレイである。
呆然としていたところで、いきなり名前を呼ばれて、慌ててひざまずく。
「は、はい……何でしょうか」
シャハロの悲しげな眼差しを避けるように、うつむいて答える。
そんなことは気にも留めない様子で、ヨファは告げた。
「すまないが、その馬を城まで牽いてきてはくれないだろうか」
使用人への言葉としては、バカ丁寧なほうだった。
シャハロを後ろに載せて、ヨファは白馬にひと鞭当てて駆け去る。
それを見送るナレイに、ハマの準備した馬はもう、首を下ろそうともしない。
地平線の向こうから昇る朝の太陽を横から浴びて、街道をとぼとぼと歩くしかなかった。
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