元OLの異世界逆ハーライフ

砂城

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番外編

とある神官の手記3

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 それは、わたくしがまだ見習いであった時分の事でございます。見習いの仕事の一つに、位階の高い方々の執務室の掃除をお手伝いする、と言うものがございます。清掃も修行の一つでありまして、本来であればご自身ですべてを行うのが本来でございますが、いくつもの重要なお仕事をこなされ、さらに私室と執務にお使いになるお部屋両方というのは負担が大きすぎます。なので、そう言った方々の手助けをするのも見習いの修業の一つでございました。
 あれは、まだ夏の最中、暑い盛りの事でございます。ちょうどその時、わたくしは次席神官様の執務室の担当でございました。お仕事の邪魔にならぬよう静かに清掃を致しておりましたところ、部屋の隅にある飾り棚の上に、妙にわたくしの気を引くものがあるのに気が付きました。気を引く――いえ、そのような生易しいものではありません。気が付かずにいた時ならばまだしも、一旦気付いてしまった後は、引き寄せられるようにしてわたくしはそれをまじまじと見つめたのでございます。
 それは、わたくしの手のひらに乗るほどの小さな鳥の飾り物でございました。
 高位の方々は、時に信者の方から贈り物をいただくことがあるそうで、あまりに高価なものは神殿自体への寄付として扱われますが、それ程でもなく、また個人的に気に入ったものは私室や執務室に飾られることもございます。それもそうした品の一つであろうと思われましたが、次席神官様と言えば清貧を貫く神殿におきましても、一、二を争うほどに私欲のないお方です。頂いた品はほとんどすべてを神殿の蔵へと納められ、身の回りに置かれるのはほんの少しの私物だけ。なので、お部屋に飾られるものと言えば、神殿で育てられた花が精々で、それ以外は殺風景なほどに質素なものでございます。その次席神官様がお手元に残された品でございますので、見た目は実に質素――どうやら紙を複雑に折りたたんで作ったもののようで、その技術は素晴らしいものであるにしても所詮は紙切れ――でありました。しかし、もとはといえばただの紙だというのに、その『鳥』からは得も言われぬ神々しい気が発せられていたのです。
 それに近づけば近づくほどにその『気』は強くなり、それはまるで大聖堂で、神々のお姿を写し取ったと言われる像の前に額づいている時のようでございました。

「……おや? 貴方は気が付いたのですね。まだ見習いのようですが、なかなかに鋭い感覚を持っているようですね」

 手を触れてみたい、けれどそれはあまりにも畏れ多い。そのような葛藤に苛まれ、己の務めも忘れてそれの前に立ち尽くしておりましたわたくしに、次席神官様が声をかけられたのです。慌ててお詫び申し上げたわたくしを、次席神官様は咎めることもせずに教えてくださいました。

「それは、わたくしがとても大事に思っている方から頂いたのですよ。『つる』という鳥を模したもので、わたくしの健康と長生きを祈って作ってくださった大切な品なのです」

 つる、という鳥の名に聞き覚えはございませんでしたが、そう言われてみれば確かに、神々しい気の中にも次席神官様の御身を案じる優しい波長が混じっているように思われました。しかし、どうしてそんなただの紙を弄ったものが、これほどに尊い気を発するのか、わたくしには想像もつきません。恐る恐る次席神官様にお尋ねしたのですが、『それは内緒でございます』というお言葉しかいただけませんでした。


 その後は滞りなく掃除を済ませ、昼の間の見習いたちのたまり場に戻りましたわたくしは、それとなく同輩たちにそのことを尋ねてみたのです。『内緒です』とのお言葉でございましたので、『つる』には直接言及せず、次席神官様のお部屋で何か気付いたことがなかったか? との問いかけに、同輩たちは口々に申しました。
 曰く、何時でもきれいに整理されていて掃除が楽。
 曰く、あまりにも物が少ないので、掃除が楽。
 曰く、お優しいお人柄なので失敗しても叱られることも少なく、気が楽。
『楽』という言葉ばかりであることに内心苦笑しつつ、それらを聞いておりましたが、中で一人、「そう言えば……」と言った者がおりました。

「前もそうだったけど、最近は前にもまして空気がきれいだよな、あそこ。大聖堂の神像の近くにいるみたいな……すごい清浄な感じで、身が引き締まるっていうか。まぁ、おかげで余計に緊張もするんだけど。やっぱりあれって、次席神官様の徳の高さだろうなぁ」

 そう言えば俺も、私も――と。その場にいた幾人かはそれに賛同し、それ以外の者は不要領な顔をしておりました。とはいえ、一人もあの『つる』に言及した者はいなかったのでございます。
 その後も、わたくしが次席神官様のお部屋の担当になることが幾度かあり、その度にほんのわずかな時間ではございますが、『つる』の側でその清浄で優し気な気に接するのは、わたくしのひそかな楽しみでございました。その後、晴れて正式に神官に任命されたのは大変光栄であり、また嬉しい事でございましたが、もうあの様に『つる』に接することが出来なくなるのが唯一、残念でありました。

 そして、更にその後しばらくしてから。わたくしは大神官様に召ばれ、此度のオルフェン巡行への同道と共に、一つの任務を与えられたのでございます。



「お前は……少し目を離すと何をしでかすかわからんな。神気を帯びた鳥だと?」
「いや、だって――アレフ様にはほんとにいろいろとお世話になったし、お礼を言うだけじゃ足りない気がして……でも、お金だとそっけない気がして、それじゃ何か記念になる物を、って思っただけで――まさか、単なる折鶴がそんなことになってるなんて、普通想像しないでしょ?」
「だから、お前は『普通』じゃない、と何度言ったら……」
「まぁまぁ――ロウ。レイちゃんを問い詰めるのは後にしようぜ。それで、マテウスさんよ。大神官様はレイちゃんに、その『つる』を作らせろ、ってか?」
「は、はい! 大神官様は、次席神官様がお持ちのそれを大変にうら……いえ、その、ええと、お気に召されまして……ですが、次席神官様は、大神官様よりどのような願いがあろうと、決してお手元から離そうとなさらないとのことで。大神官様も思い余られたのではないかと…・」
「……アレフ様、大切にしてくださってるんですね。それが聞けただけでもうれしいです。マテウスさん、ありがとう」
「い、いえ、そのようなっ――わたくしなどに礼をおっしゃっていただくなど、身に余る光栄でございますっ」

 にっこりとほほ笑まれる様子は、マジ女神でございます! またもどこかへ飛んでいきそうになる魂を必死で引きとどめ、言葉を返します。

「それで、その……『つる』はおつくり頂けるのでしょうか? 大神官様よりそのための金子を預かってきております」

 レイガ様は放浪者であられますので、当然ながら『依頼』には対価が発生いたします。その為、わたくしは大神官様よりそれをお預かりしておりました。金貨三枚(三万ゴル=約三百万円)、銀貨(一枚百ゴル=一万円相当)も百枚ほどでございます。わたくしにとっては目も眩むほどの大金でございますが、あの『つる』を存じております故、決して過分な金額とは思いません。
 盗難予防のために魔倉(これも大神官様より貸していただきました)に入れておりましたそれを、傍らにありましたテーブルの上に置きます。

「え? こ、こんなに……ですか?」
「うお、すげぇな」
「神殿というのは、もうかる商売のようだな」
「いえ、これらは大神官様が、ご自分の俸給をこつこつとためられていたものと伺っております」

 これで不足であるならば、すぐにまた追加を用意すると大神官様はおっしゃられましたが、レイガ様達のご様子を窺うに、何とか足りたようでございます。その事にほっと安心のため息を漏らしましたところ、思いがけないお言葉をいただきました。

「鶴を折るのは全然構わないんですが、いくらなんでもこれは多すぎですよ。ただの紙を折っただけの物だし……あ、そうだ、紙。今、私は適当なのをもってないんですけど」
「そちらも勿論、用意いたしておりますっ。尚、対価につきましてはレイガ様の御心次第で、と申し仕っております。足りぬようでしたら、遠慮なくおっしゃってくださいませ!」
「いや、だから多すぎるんですってば――ああ、もう、いいや。とにかく折りますから、その紙を……あれ、なんだかすごく手触りがいいけど、ほんとにこれ使っていいんですか?」
「勿論でございます!」

 わたくしが差し出しましたのは、ハイディンで手に入る限りで最も高価な紙に、大神官様が幾重にも祝福を与えられた特別なものでございます。聞き及びますに、次席神官様のお持ちの品はごく普通の便箋を折られたものであるとか。ならばそれを使えば、彼の品よりもさらに見事は神気を発するにちがいない、と大神官様はおっしゃっておられました。
 そこまでしてお父上と張り合わずとも良いような――ハイディン神殿ではお二方が親子であられるのは周知の事実でありましたので、わたくしも存じていたわけですが――と、こっそり心の中で思いましたのは、わたくし一人の秘密でございます。

「じゃ、遠慮なく使わせてもらいますよね……って、厚みがありすぎて折りにくそうだな、これ」
「え? な、何か不都合がございましたか?」
「いえ、紙が分厚いんでアレフ様に作ったのより、ちょっと大きめじゃないと折りにくいかなー、と」
「それでしたら全く構いません!(というか、その方が絶対にお喜びになられます) あ、それと……次席神官様の折りは何やら中に書きつけていただいたそうでございますね。できれば、それもお願いしたいのでございますが……」
「中に? ああ、あれか。……すみません、大神官様のお名前ってなんでしたっけ?」
「ロイスムント様、でございます」
「あら、アレフ様と後半が同じなんですね」
「はい、父君とご子息であられますので」
「えっ! 大神官様ってアレフ様の息子さんなんですか? 知らなかった――それじゃ余計に気合を入れて作らないといけませんね」

 ペンも用意してございましたので、それを使って書いていただきます。それはわたくしが初めて見る文字? 模様? でございました。角ばったもの、丸みを帯びたもの、複雑にいくつもの直線を組み合わせたものと様々で、それら自体からもあの柔らかく優しい『気』が発せられているように思われました。そして、それを書き終わられましたレイガ様は、まず紙の形を真四角に整えられ、その後、何度も折り、開くのを繰り返し――淡い紅色の爪をそなえた細く白い指先が器用に動く様に、思わずうっとりと見惚れてしまいます。

「……出来ましたけど、大丈夫ですか?」
「はっ?!」

 レイガ様に声をかけていただき、我にかえります。完全に『今更』ではございますが、それでも懸命に取り繕いつつ、テーブルの上に視線を落としますれば、そこにはまさにあの次席神官様のお部屋で見たものとうり二つの『つる』が出来上がっておりました。しかも、その他に、丸みを帯びた形の物がもう一つ――レイガ様の作業については、つぶさにしっかりとその様子を見ていたはずですのに、何時の間にこのようなものまで? いや、そう言えば具体的に何をどうされていたかという記憶が、わたくしの脳裏からぽっかりと抜け落ちてしまっていることに気が付きました――レイガ様の真剣な表情と、その指の動きに見とれすぎていたのですね、わたくしは……。

「え? こ、これは……?」
「切り落とした紙で、ついでに作りました。良い紙って高いんでしょ? 無駄にするのももったいないから――これは『鶴』と対になる『亀』といいます。どっちもおめでたい生き物なんですよ。大神官さまやアレフ様と同じ鶴の方がいいのかもしれないけど、それはちょっと難しかったんで、簡単なのを作ってみました。あまり物でもうしわけないんですけど、よかったらこれは貴方がもらってくれませんか?」

 な、なんと……なんともったいないっ! ただ御用を承っただけのわたくしにまでそのような……はっ? しかし、こうなりますと対価があれで足りるかどうかが……わたくしの分で余計な出費になってしまいましたら、大神官様に申し訳が立ちません。もしその分を請求されましたら、やっと仕送りができるようになりましたのに、またそれを諦めねばならぬかも……。
 思わず世知辛い事を考えてしまいました。が、しかし。

「それで、代金なんですけど――材料はそちらがもってきてくださったし、私は字を書いて折っただけだし――とりあえず、これだけもらっておきますけどいいですか?」

 そうおっしゃられてレイガ様が取り上げられたのは、なんと銀貨一枚のみでございました。

「おい、レイ」
「今日はこいつに会うためにギルドまで来たんだぜ、もうちっともらってもいいんじゃねぇのか?」
「えー、だって。わざわざハイディンから訪ねてきてくれて、アレフ様の事も教えてくれたんだよ。それに折り紙位でそんな大金もらったら申し訳ないよ」
「その『オリガミ』にあっちが進んで大金を出そうって言ってるんだぞ?」
「それはわかってるけど、だからと言ってそのままもらっちゃったら私の良心が咎めます。ついてきてくれた二人は、ただ働きみたいになって申し訳ないけど……」
「いや、そりゃ俺らが好きでついてきたんだから構わねぇが――あんまり安く請け負うと、他の連中が迷惑するぜ?」
「他の人も折り紙って作れるの?」
「あ、いや、そりゃ……」

 恐らく――いえ、確実に作れないと思われます。仮に形だけはなぞることが出来ましても、レイガ様の様に神気を帯びさせることは絶対に不可能です。本当に……このお方はどういった存在なのでございましょう。こうして連れのお二人と言葉を交わされている様は、その見目の格別なる麗しさを別にすれば、不適切な表現かもしれませんが、その辺りにいる年若い女性らと何ら変わりがないように思われます。されど、そのお体からは非常に神聖な気配が漂っておられるのです。ご自身も、更には連れのお二方もさして気に留めていない様子ですが、わたくしがそれに気が付いたのは若輩ながら神殿に仕える者であることが関係しているのでしょうか?

「んー……じゃあ、申し訳ないけど、もうちょっとだけ頂くことにします。かまいません?」

 連れの方に説得されたのか、レイガ様がさらに幾枚かの銀貨を取り上げわたくしに問われました。とはいえそれも、先ほどの一枚に加えてたったの二枚。わたくしがギルドにお支払いした手数料よりも少ない金額でございます。

「大神官様より、レイガ様の御心のままにと仰せつかっておりますれば、わたくしがどうこう申し上げる筋ではございません……ですが、本当にそれだけで宜しいのですか?」
「これでも貰いすぎな気がしてるんですよ。マテウスさんがいいなら、これで決めさせてもらいます」

 何という欲のなさでしょう――本当に、本当にっ! 何故にこの方が市井におられるのでございましょう。もし神殿においでになられたのならば、あっという間に聖女として人々の尊敬を集め、またその心を安んずる存在になられることでございましょう。惜しい、と思うのはわたくしの驕りではございましょうが、レイガ様のなさいますことには決して異を唱えぬように、との大神官様のきついお申し付けがございましたので、わたくし、固く口をつぐんでおりました。

「――それじゃ、用事も済んだことですし、私たちは帰りますね」
「はいっ、御足労をお掛けし、申し訳ありませんでした」
「とんでもない。アレフ様の近況が聞けたし、面白かったし、来てよかったです」

 はて、何か面白い話など致しましたでしょうか? が、詳しくお尋ねせぬ方がよい気がしましたので、そのまま会話を続けます。

「マテウスさんは直ぐにハイディンに帰るんですか?」
「いえ、後二十日程はオルフェン神殿に御厄介になる予定です。その後、また一月ほどをかけましてハイディンへもどります」
「一月も? 長旅なんですね、体に気を付けてくださいね――あ、そうだ。良かったらアレフ様に伝言をお願いできますか?」
「はい、勿論でございます」
「ありがとう。それじゃ、えっと――前に手紙にも書きましたけど、アレフ様のおかげでオルフェンで元気に暮らせています、って伝えてください。それと、私が作った鶴を大切にしてくださっていてうれしいです、って」
「はい、必ずや――改めまして、お礼申し上げます。レイガ様、本当にありがとうございました」
「こちらこそ。大神官様にもよろしくお伝えくださいね」
「はい」

 そうして、わたくしはレイガ様ご一行と別れ、オルフェン神殿へと戻ったのでございます。
 余談ではございますが、短い時間ながらもレイガ様のおそば近くに侍っておりました所為か、そのかぐわしい香りの一部が私の衣に移っていたようでございます。そしてそれを鼻のよい先輩に指摘され、真実を申し上げることもできずに言葉を濁しておりましたところ、あらぬ噂を立てられてしまいました。大変に不本意なことではございますが、これも神の与えたもうた試練と考え――レイガ様にお目にかかれました幸運を考えれば、このくらいの試練は屁でもございませんが――『ついで』であることは重々承知を致しておりますが、わたくしにもお与えくださった『かめ』を心の支えに耐え忍びましてございます。





 そうしてさらに一月半あまりの後に、わたくし共一行は、無事にハイディンへと帰参しました。
 まずは大聖堂の神像に、無事に戻れた報告と、道中およびオルフェンにて恙なくすごせましたことへの感謝の祈りを捧げます。その後に、全員で大神官様にお目通りをし、旅の報告を致しました。何分にも三月もの間留守にしておりましたので、主だった報告だけでもかなりの量に上がります。で、ございますので、わたくしが大神官様と二人きりでお目にかかれましたのは、その日の夜も更けきってからの事でございました。

「初めての巡行、御苦労であったな。何ぞ困ったことはなかったか?」
「いえ、天候にも恵まれ、神々のご加護があったものと思われます」

 大神官様の私室へと通され、まずは労いのお言葉を頂戴いたしました。

「それで、その……首尾はどうであった?」
「はい。オルフェンにてレイガ様にお目にかかることが出来ました」
「う、うむ。それで、レイガ殿は私の頼みを聞いてくださったのか?」
「はい。その御品はこの中に――レイガ様がお受け取りになられた残りの金子も入れてございます。どうかご確認くださいませ」

 お預かりしておりました魔倉を、そのまま差し出します。それを受け取られ、すぐさま中身を取り出しされた大神官様は、お目当ての品――白く美しく輝く『つる』を手に取られ、会心の笑みを浮かべられました。

「おお、なんと見事な……おや、これは?」

 その他に入っていたのは、お預かりした残りの金子――金貨三枚に銀貨九十二枚でございます。

「これはどうしたことだ。まさか、レイガ殿は対価を受け取ってはくださらなかったのか?」
「いえ、そのようなことはございません。実は――」

 あの時の事をお話いたしますと、大神官様は笑い、よろこび、感心なさり、最後の最後に渋いお顔になられました。

「……次席殿へ伝言か。ううむ、そうなると此度の事も話さねばならぬが……」

 折角内緒にしていたのに、と、困ったご様子で考え込まれてしまわれるのは、やはり大神官様のお年になられても父親というのは怖いのだと言う事でございましょうか。わたくしもおもわず、故郷に残してまいりました父の事を思い出しました。普段は温厚で優しい人柄でしたが、わたくしや兄弟たちが悪戯をしでかした時は大変に怖い存在でもございました。
 そんなことを思いつつ、最後にわたくしは一つお尋ねしたのでございます。

「大神官様、それで、その……わたくしがたまわった品でございますが、いかがいたせばよろしゅうございましょうか?」
「ん? ああ、其方もレイガ殿から『かめ』を頂いたのであったな。無論、それは其方の物だ。それがレイガ殿のご希望であるのだし――くれぐれも大切にするのだぞ?」
「は、はい。ありがとうございます!」
「では、もう下がって構わんぞ。疲れているところをすまなかったな。明日は他の者たちと共に、ゆっくりと休むように」
「はい、それでは失礼いたします」

 そうおっしゃってから、またも悩み始めてしまわれた大神官様に向かい、深く頭を下げた後、わたくしはお部屋を辞させていただきました。
 体は疲れ切っておりましたが、大役を無事に果たせました安堵と満足感が胸いっぱいに広がります。いえ、それだけではございません。衣の胸の隠しには、レイガ様より頂いた『かめ』が優しく温かく、清浄な気を放ちながら収められているのでございます。それはまるで『お疲れさま。これからも頑張ろうね』と、あのレイガ様の鈴を転がすような声で話しかけられているかのような錯覚を起こします。市井に有りながらもあの清浄さ、見目形だけではない心根のお美しさは、性別の垣根を超え、わたくしがこの先目指すべきものを教えてくださっているような気がいたします。
 思いがけなくも参加することになりました今回の巡行では、たくさんの出来事がありましたが、そのどれもがわたくしにとりましてかけがえのない経験となったのでございます。
 わたくしを推挙してくださった次席神官様と、この任にお選びくださった大神官様に感謝いたします。そして何よりも、レイガ様に心よりの感謝をささげるとともに、神々の祝福があらんことをお祈りいたしまして、此度のわたくしの話を終えさせていただきたいと存じます。

 そして、最後に。わたくしの長々とした話にお付き合いくださいました貴方にも、神々のご加護とご恩寵がありますように……。











 あとがきに変えて――ガリスハール王立大学歴史学教授 シリウス・ヴォイルーシュ

 ガリスハール王国に住まうものであれば、誰しもがマテウス・ヴォイルーシュの名は知っていよう。
 今から二百年ほど前のハイディン神殿大神官にして、その霊力並ぶもの無しと言われた彼は、いくつもの劇や物語の主人公として、今も民衆に絶大な人気を誇っている。その中でもとくに有名なのは『王国漫遊録』であろう。彼の青年期から壮年期にかけての実際の行動を題材にした物語である。
 ハイディン神殿に仕える神官であるにもかかわらず、彼の行動範囲は驚くほど広かったと伝えられている。一説には当時、彼が仕えていた大神官からの密命により、地方における神官が堕落していないか監視する役目を帯びていたからだ、とも言われているが、筆者はこれを否定したい。なぜならば今に伝わる彼の姿は、多くの才能を持ちながらもそれに驕る事を良しとしないまじめで勤勉な努力家であり、また様々な悩みや困難、あるいは病魔に苦しむ衆生の救世者であるからだ。神殿に籠り、そこを訪れる人々の相手をするだけではなく、そうできないもっと多くの人々を救いたい、その幸福のための手助けがしたいという純粋な動機によるものであると考えるほうがよほどしっくりくると言うものである。

 さて、今回の物語であるが、これはマテウス・ヴォイルーシュ神官が、まだ若いころに書き記したものの一部である。後年、とみに有名になった彼であるが、この当時はまだそこまでの名声を獲得してはおらず――というよりも、ほぼ無名で、数多いる神官の中の一人としてしか認識されていなかった。それ故、この手記も長らく日の目を見ることがなかったのであるが、彼の親族である私は、幸運にもこれを入手することができた。そして、この内容に瞠目したのは当然であったろう。何しろ、晩年の彼のエピソードは数限りなく残されてはいても、それ以前となると滅多なことでは新事実に巡り合えることはない。それどころか、この手記の内容には、、未だ埋もれたままの一片の真実が隠されているのではないかと思ったからである。

 私がその根拠とする一つには、マテウス神官に関する逸話の多くに、彼が『かめ』と呼ぶ紙でできた小さな品を、その生涯を通して何よりも大切に扱っていたことが記されているからである。そしてもう一つ、この話に出てくる『つる』についてだが、ハイディン神殿の大聖堂にある巨大な神像をご存じであろうか? 王国内でも特に有名な巨大彫刻であるのだが、その中の一体――光の女神を模した像の手のひらに小さな箱が置かれているのはあまり人に知られていないはずだ。人の手が容易に届かぬ高さに置かれたその箱の中身が、実はその『つる』である。これはハイディン神殿に仕えるとある神官より、私が直接聞いたのであるから間違いはない。その箱は百年以上も前からそこに置かれており、常に厳重に警備されているのだが、年に一度、中身の虫干しの為にそこから降ろされる。その神官は、たまたまその作業を担当することを命じられたために、中に収められている物を確認する僥倖に恵まれたのであるが、それはまさしくこの物語に描かれた『得も言われぬ清浄な気を放つ、紙でできた鳥』であったと証言してくれた。

 無論、私としてもそれだけを取ってここに書かれたことが、すべて真実であると強弁するつもりはない。特に、数百年の年月を経ても尚、触れることをためらわせるほどに神々しい気(神官談)を放つ品を、一介の放浪者が作ったなどとあるのは、荒唐無稽もいいところだ。
 実はこの放浪者が、伝説の『月姫』であるなどと言うものすらいるが、流石の私もこれについては多分に眉唾であろうと考える。『レイガ』というのは、確かに月姫の本名であったとされているのだが、同じ名前の女性などいくらでもいる。たまたま同じ時代に生きた、今や共に伝説として語られる二人の人物を関連付けさせたいという気持ちはわからぬでもないが――ただ、もし本当に、この二人の人生が一時期と言えども交差していたのならばそれは確かに奇跡であり、吟遊詩人が好む浪漫であろう。
 私個人としては、その浪漫は大いに歓迎すべきことであるが、歴史学者としての私はそうもいかないのが悩みだ。

 マテウス神官はその偉大な業績にもかかわらず、不思議と晩年以外は正史にその名を残すことが少ない謎の多い人物である。その生涯すべてを解き明かすには、私の一生をかけても足りぬやも知れぬが、それもまた一興である。

 尚、何故に私が数多い歴史上の人物の中から、特に彼に注目するのかは――私の姓をご覧いただければもうお分かりであろう。彼の実家であるヴォイルーシュ子爵家は、私の家でもある。彼の長兄が、私の直系の先祖なのだ。当時から貧乏貴族であったことには苦笑いしか出ないが、幸いにして私は王立大学に職を得ることが出来た。更には偉大なる先祖の業績を研究するという幸運にも恵まれたのだから、これで文句を言っては罰が当たるだろう。

 最後にもう一度だけ繰り返すが、『つる』と『かめ』。この二つの符丁は、この物語と共に、今後、マテウス神官の生涯を解き明かす重要なカギとなるに違いない。
 願わくば、この物語を読んだ誰かが、私が見落としていた真実の欠片を発見することを切に祈り、ペンを置くことにする。


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