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第三章 ルーセット編
『雨の森』
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「妙に人が多いな……この辺りは、それほど往来は激しくねぇんだがなぁ?」
「前に通った時もこんな風だったの?」
「あんまりよくは覚えてねぇが、普通だったと思うぜ」
「雨のせいではないのか?」
「それもあるだろうが、それだけでもなさそうだ」
たどり着いた宿場は、結構な賑わいを見せていた。今まで泊まって来たところと比べて三割――いや、五割増しくらいの人数かもしれない。雨と言う事で通りをうろついている人は少ないが、その分、宿にぎっしり詰め込まれているって感じだ。
私たちが選ぶランクなら若干余裕はあったが、手ごろな値段の宿はほぼ満員状態らしい。今も、私達よりも後に到着した人たちが、そちらであぶれてしまったようで、ここの宿のカウンターで値段交渉をしてる。
「頼む、もう一声!」
「そう言われましても……他のお客様はこのお値段で納得していただいてるんですよ。他のもう少し手軽なところを探した方がいいんじゃないですか?」
「そっちがいっぱいだからここに来てるんだよ! なぁ、頼むよ。飯抜きの素泊まり、部屋はどんなのでもいい。ここを断られたら、後は最低のとこしかもうないんだ。そんなところに女房は寝かせられるかよ」
おや、夫婦で旅をしてるのか。チラリとそちらに目をやると、若い男性が店の人と交渉していて、それから少し離れたところにやはり若い――というか、幼い感じの女性がいる。旅慣れていないのか、かなり疲れている様子だ。それもあって旦那さんも必死なんだろう。
「しかたがありませんね。物置代わりに使っているのがあります。そこで良ければ……」
「そこでいい!」
「ですが狭いですよ? 寝台も一個しかありませんし?」
「構わん、恩に着る!」
あ、カウンターの人が白旗を上げた。熱意に押された、というか、あまり長々と騒いでは他の宿泊客の迷惑になると考えたのかな。意気揚々と部屋の鍵を受け取る旦那さんに、奥さんが申し訳なさそうに話しかける。
「ごめんなさい、貴方。私が歩くのが遅いばかりに……」
「何を言っている。どのみち、あの『雨の森』の近くは遅くなってから通るようなところじゃない。それに、今日は雨まで降ってるじゃないか。そんな危険なことは、俺一人だってごめんだ。お前のせいじゃない」
「でも、お金が……」
「そんなものは無事に戻ってから、その分もがんばればいいことだ。ただ……今夜と明日の飯は、少々寂しいものになりそうだが……」
「わ、私なら、別に一回や二回、食べなくても……」
「まだ明日も歩くんだぞ。しっかり食わないと体がもたん――俺こそ、久しぶりのお前の里だと言うのに、ろくな土産も持たせてやれない上に……」
あー、貧しいけど愛し合ってる二人かー。なんか、ほのぼのしちゃうね。でも、とりあえずお部屋に行ってから、また話したほうが良いよ。なんかすごーく注目集めてるから。
恐らく、二人もそのことに気が付いたんだろう。顔を赤くしながら、手と手を取り合って客室の方に消える。それをぼーっと見送っていたら、ガルドさんがツンツンと肘で合図してきた。
「何?」
「あの二人、ちと晩飯に誘いてぇんだが、かまわねぇか?」
「いいけど……どうして?」
「あいつらが言ってた『雨の森』ってのに興味があんだよ」
「ガルドさんは聞いたことがないの?」
「ねぇな。少なくとも、俺が前にここを通った時にゃ、聞かなかった」
なるほど。念のためにロウとターザさんにも確認したけど、二人共、異論はないようだった。
カウンター前で待っていると、程なく、部屋を確認したらしい様子で二人が戻って来る。さて、ここは――ガルドさんの出番だな。言い出しっぺだしね。
「よぉ! そこのお二人さん、ちょっといいか?」
うーむ、久々に聞くガルドさんの大声だ。にこにこしながら二人に近づいていく。こうやって見ると、体格が大きいのが迫力はあるものの、人の良さが前面に押し出されるって感じだ。こうやって、相手の警戒心を解いて、いろんな話を聞きだすんだな。
「――でな。さっきの話を聞いててよ。俺んとこの連れが、だったら一緒に飯でもくわねぇかって。他に女連れもみあたらねぇし、話し相手が欲しいっつーんだよ。いきなりな話ですまねぇが、ちと付き合っちゃくれねぇか?」
笑顔で怒涛の説得作戦は、どうやら成功したようだ。こっちを見ながらぺこりと頭を下げる二人の、奥さんの方へにっこりと笑いかける。ここで間違っても、ちらりとでも旦那さんを見ちゃいけない。あくまでも、奥さんとお話がしたいの(はぁと)な、こちらの気持ちをアピールするのが肝心だ。
「図々しくご厚意に甘えます。俺はカーウェン、こっちは妻のナルシアです」
「気にしないでください。こちらこそ、いきなりの誘いを受けてもらって嬉しいです。私はレイガといいます。それと、連れのロウ、ガルド、ターザです」
カウンターでの値切り攻勢に、ちょっと不安を感じていたのだけど、カーウェンさんは普通に礼儀正しい人だった。恐らくは、奥さんを気遣っての事だったんだろう。
とりあえずは腹ごしらえ、ということになり、雨が降ってる上に雷までなっている外に出るのも億劫だったので宿の食堂へと場所を移す。
「何でも好きなものを頼んでくださいね。ナルシアさん、でしたよね。お酒は飲めます? 苦手なら、遠慮しないでいってくださいね」
「あ、ありがとうございます。お酒……は、あまり飲んだことがないので……」
「だったら、飲み物はこっちにしましょうか。私も同じのを――」
「こっちにはまずはエールだ、四つな! あと、料理は適当に持ってきてくれ」
「俺、こんな豪勢なところで飯を食うのは初めてで……」
「腹に入れてしまえば、どこで食おうと同じだ。遠慮するな」
「お、俺もレイ殿達とおな……い、いや、いい。エールをいただく……」
てんでにワイワイガヤガヤと会話しつつ、運ばれてきた料理を口に運ぶ。そうしているうちに、最初は緊張気味だったカーウェンさん達の気分もほぐれてきたようで、口数も多くなってくる。その頃合いを見計らって、ガルドさんが話を切り出した。
「そんでよ、カーウェン。さっき、お前さん、妙なことを言ってなかったか?」
「妙な……俺が何か言ったか?」
「ほれ、『雨の森』がどうとかってよ。俺も前にこの辺りを通ったことがあるんだが、そん時ゃ、そう言う話を聞いたことがなかったんだが……?」
「ああ、そう言う事か。ガルド、が前に通ったのは何時ごろだ?」
「そうだな……三年、よりもちょいと前、か」
「なら、聞いたことがないのも当然だろう。あの森が変わりだしたのは、ここ一年ほどの事だからな」
カーウェンさんの話では、『雨の森』というのは、この宿場から徒歩で半日ほど行ったところにあるそこそこ大きな森だそうな。中央を大街道が通っていて、森を抜けるまでは、歩いて大体一刻(二時間)くらい。どこにでもある普通の森だったそうだ。
「それが一年――もしかすると、もう少し前からなのかもしれないが、妙なことが起きるようになったんだ」
「妙なコト、つーと?」
「他は晴れているのに、森に入ると急に雨が降り出すとか。雨が降り出すと、どこからか雷鳴と一緒に獣の声が聞こえてくる、とか。後は、それとほぼ同じころから、森の周辺に得体のしれない獣がうろつき始めたらしい」
「獣? 魔物ってことか?」
「そう……だとは思うが、よく分からん。実際に、そいつを見たという奴の話だと、でかくて真っ黒だそうだ。ただ、そいつに襲われはしても、怪我をしたという話は聞かないんだ」
「そいつはまた、おかしな話だな。襲ってくるくせに、怪我はさせねぇってか。どういう魔物だよ、そりゃ」
「俺に言われてもなぁ――さっきも言ったが、俺はこの次の宿で鍛冶屋をやっている。旅の商人や、あんた達みたいな冒険者も来るんだが、そいつらから聞いた話ってだけで、実際に見たわけじゃない」
「いや、それでも助かったぜ。変なことが起きてる場所に、何も知らずに突っ込むところだったからな」
「おい……まさか、あんた達、あの森を通り抜ける気か?」
ガルドさんの台詞に、カーウェンさんがぎょっとした顔をする。
「あ? だって、街道はその森ん中を通ってんだろ?」
「ああ。だが、今はそれを使う奴はほとんどいない。遠回りになるが、迂回する道があるんで、俺達もそっちを使うつもりだ。一日がかりになるが、危険な目に合うよりもマシだからな」
「なるほどな。んじゃ、俺らもそっちを使ったほうが無難だな」
そう言いながらも、ガルドさんが私にこっそり目配せしてくる。わかってますよ、口じゃそう言いながらも、森の中を突っ切るつもりですね。ロウとターザさんを見ると、こっちも同じ顔してる。ターザさんなんか、ワクワクした目の光を隠せないでいるようだ。
その後もしばらく話をして――私もちゃんとライナさんと『女同士の話』をしたよ。ナルシアさんは隣の宿場の出身で、五年ほど前にカーウェンさんと結婚したんだって。で、久しぶりに里帰りしていたのだけど、その帰り道が心配で、わざわざカーウェンさんが迎えに来てくれたんだそうだ(ちなみに、行きもちゃんと送ってくれたらしい)。まぁ、その『雨の森』の事がなかったとしても、女性が隣町までとは言え一人で歩いていたら危ないからね。他には、ちょっと生活は大変だけどカーウェンさんと一緒になれてよかったとか、普段はぶっきらぼうだけどちゃんと優しいところもあるとか、まだ子供が授からないけどできたら早めにほしいとか……うん、所謂ノロケですわな。最初は口数が少なかったけど、男性陣が頼んだお酒をほんのちょっともらった後は、むっちゃおしゃべりになったナルシアさんだ。可愛いなー、と思いつつ、私はほとんど聞き役に回ってました。
夜も更けてきて、明日の事もあるからとカーウェンさん達と別れて、寝て。
翌朝の空はきれいに晴れあがっていた。ちょうどカーウェンさん達も同じくらいに置きだしてきたようで、ついでなので朝ごはんも一緒に摂る。勿論、払いは私達だ。
「夕べと言い、今朝と言い、世話になりっぱなしで申し訳ない。礼をしたいが、知っての通り、手持ちが……だから、もし機会があれば俺の店によってくれ。あんた達なら目いっぱい値引きでやってやるぜ」
無料じゃないんかい、と、内心突っ込む。が、まぁ、商売人なら当然か。こっちも『無料』って言葉に飛びつくほどがっついてはいないし、安くしてくれるにしてもちゃんと対価を払う方が気兼ねなく寄れるわな。
徒歩で出発するカーウェンさん達とは、宿の前でお別れした。厩に行くと、シロたちは今日も元気な様子だった。夜半に結構大きな雷鳴が響いていて、私はちょっと寝不足気味なんだけどね。
そんなシロたちにまたがって、宿場の街並みを抜けた辺りから速歩で駆けさせる。やがて、遠くに黒々とした森が見えてきた辺りで道が二股に分かれていた。片方は真っ直ぐで、もう片方は北へと延びている。これがカーウェンさんの言っていた『う回路』なんだろう。勿論、私たちはまっすぐ進むよ。そしてさらに進んでいけば、そこが噂の『雨の森』だ。
森に入ってすぐに、太陽の光が木々に遮られ、薄暗くなってくる。道はだいたいは真っ直ぐなんだけど、時たま曲がりくねった部分もある――が、森の中ならどこでも大抵こんなもんだ。
「……別に変ったところはないようだが?」
「だなぁ。あんまり詳しく覚えちゃいねぇが、前もこんな感じだったと思うぜ」
「精霊の気配はやや濃いが、森なら普通な程度だな」
「うん、私もそう思う。探索(サーチ)も異常は無いし……」
三人の中では、ターザさんが一番、そう言うのに敏感だ。その反対はロウなんだけど、その分『野生の勘』とでも言うものが鋭い。その二人がそう言うのに加えて、私も一応、探索(サーチ)を働かせてみたのだが、やはり気にするほどの大きな反応は見当たらない。
更に進んでも一向に変化はなく、どうやら噂は噂にしか過ぎなかったようだ。そう思って、わずかに気を抜いた瞬間。
いきなり、耳が痛くなるほどの雷鳴が辺りに響き渡った。
「うわわっ?!」
「うおっ!」
「なんだぁっ?」
「レイ殿っ!」
突然の事にぎょっとする。驚いて棹立ちになったシロの鬣に、咄嗟にしがみついて――いきなり何なのよっ。シロはパニックになっていて、激しく跳ねまわるシロの背中から振り落とされないようにしているのがやっとだ。私の乗馬スキルはさほど高くないから、こうなってしまうともうお手上げだ。
「シロっ、落ち着いてっ――落ち着きなさい、シロっ、シロガネっ!」
必死で呼びかけるが、シロの耳には届いていないようだ。しかし、手綱はとうに手放しているから、他にできることがない。このまま振り落とされでもしたら、下手をすると狂乱状態のシロの蹄に踏まれてしまうかもしれない。ああ、けどヤバい。そろそろ手が限界かも……。
「レイっ!」
ずるり、と手が滑り、あきらめかけた時、近くでロウの声がした。同時に、いきなりシロが大人しくなる。伏せていた顔を上げると、ロウがそばに立っていて、シロの轡をとってくれている。どうやら、先に自分の馬のパニックを鎮めてこっちへ来てくれたようだ。
「レイちゃんっ」
「レイ殿!」
そのロウにわずかに遅れて、ガルドさんとターザさんも馬から降りてこっちへ来る。
「大丈夫か?」
「う、うん。かなり、ぎりぎりだったけど……ありがとう、ロウ」
ようやく鞍の上で体勢を整えることが出来、ほっとしながらお礼を言う。ロウに宥められて落ち着いたらしいシロが、申し訳なさそうに首を曲げてこっちを見てるが――仕方ないよ、突然の雷で驚いたのは私も同じだからね。
「しかし、何だ、今のはよ?」
「いきなりだったな。雷が鳴るような気配はなかったのだが……」
「ターザも気が付かなかった、ということか? だが……ん?」
「え? ……雨?」
口々に今の現象について言い合っていると、ぽつり、と頬に水滴が当たる。
「嘘っ? だって、さっきまで晴れてたよ……」
木々に覆われて伺いにくいが、それでも合間から見える空は真っ青だったはずだ。それが、今見上げれば、一面が濃いグレーの雨雲に覆われている。さっきの雷から、まだ五分も経っていないはずなのに、だ。
「訳がわからねぇが……ヤバそうだな」
「ガルドに同感だ」
「――急いでここを抜ける。馬に戻れ」
ロウの指示で、各々の馬の元へ駆け戻る。私は元々、シロから降りてなかったのでその場で待機だ。シロのパニックが伝染して折角落ち着かせた自分たちの馬がまたも暴れはじめるのを警戒して、少し離れたところで待たせてあったせいで、私の周りから皆が離れたわずかな時間。その一瞬の隙をついて――真っ黒い影が私へと襲い掛かった。
「ひぇっ?! う、ひゃぁぁぁっ!」
うひゃぁ、ってなんだよっ。もっと女らしく『きゃぁっ』と何故言えない。
なんて悠長に反省している暇もなく。
何処からともなく現れた黒い影が、シロの傍らに一度着地。その後、勢いをつけてシロを飛び越えるついで(?)に私の襟首をひっつかんで、そのままものすごい勢いで森の奥へと走り去ってしまった。
「前に通った時もこんな風だったの?」
「あんまりよくは覚えてねぇが、普通だったと思うぜ」
「雨のせいではないのか?」
「それもあるだろうが、それだけでもなさそうだ」
たどり着いた宿場は、結構な賑わいを見せていた。今まで泊まって来たところと比べて三割――いや、五割増しくらいの人数かもしれない。雨と言う事で通りをうろついている人は少ないが、その分、宿にぎっしり詰め込まれているって感じだ。
私たちが選ぶランクなら若干余裕はあったが、手ごろな値段の宿はほぼ満員状態らしい。今も、私達よりも後に到着した人たちが、そちらであぶれてしまったようで、ここの宿のカウンターで値段交渉をしてる。
「頼む、もう一声!」
「そう言われましても……他のお客様はこのお値段で納得していただいてるんですよ。他のもう少し手軽なところを探した方がいいんじゃないですか?」
「そっちがいっぱいだからここに来てるんだよ! なぁ、頼むよ。飯抜きの素泊まり、部屋はどんなのでもいい。ここを断られたら、後は最低のとこしかもうないんだ。そんなところに女房は寝かせられるかよ」
おや、夫婦で旅をしてるのか。チラリとそちらに目をやると、若い男性が店の人と交渉していて、それから少し離れたところにやはり若い――というか、幼い感じの女性がいる。旅慣れていないのか、かなり疲れている様子だ。それもあって旦那さんも必死なんだろう。
「しかたがありませんね。物置代わりに使っているのがあります。そこで良ければ……」
「そこでいい!」
「ですが狭いですよ? 寝台も一個しかありませんし?」
「構わん、恩に着る!」
あ、カウンターの人が白旗を上げた。熱意に押された、というか、あまり長々と騒いでは他の宿泊客の迷惑になると考えたのかな。意気揚々と部屋の鍵を受け取る旦那さんに、奥さんが申し訳なさそうに話しかける。
「ごめんなさい、貴方。私が歩くのが遅いばかりに……」
「何を言っている。どのみち、あの『雨の森』の近くは遅くなってから通るようなところじゃない。それに、今日は雨まで降ってるじゃないか。そんな危険なことは、俺一人だってごめんだ。お前のせいじゃない」
「でも、お金が……」
「そんなものは無事に戻ってから、その分もがんばればいいことだ。ただ……今夜と明日の飯は、少々寂しいものになりそうだが……」
「わ、私なら、別に一回や二回、食べなくても……」
「まだ明日も歩くんだぞ。しっかり食わないと体がもたん――俺こそ、久しぶりのお前の里だと言うのに、ろくな土産も持たせてやれない上に……」
あー、貧しいけど愛し合ってる二人かー。なんか、ほのぼのしちゃうね。でも、とりあえずお部屋に行ってから、また話したほうが良いよ。なんかすごーく注目集めてるから。
恐らく、二人もそのことに気が付いたんだろう。顔を赤くしながら、手と手を取り合って客室の方に消える。それをぼーっと見送っていたら、ガルドさんがツンツンと肘で合図してきた。
「何?」
「あの二人、ちと晩飯に誘いてぇんだが、かまわねぇか?」
「いいけど……どうして?」
「あいつらが言ってた『雨の森』ってのに興味があんだよ」
「ガルドさんは聞いたことがないの?」
「ねぇな。少なくとも、俺が前にここを通った時にゃ、聞かなかった」
なるほど。念のためにロウとターザさんにも確認したけど、二人共、異論はないようだった。
カウンター前で待っていると、程なく、部屋を確認したらしい様子で二人が戻って来る。さて、ここは――ガルドさんの出番だな。言い出しっぺだしね。
「よぉ! そこのお二人さん、ちょっといいか?」
うーむ、久々に聞くガルドさんの大声だ。にこにこしながら二人に近づいていく。こうやって見ると、体格が大きいのが迫力はあるものの、人の良さが前面に押し出されるって感じだ。こうやって、相手の警戒心を解いて、いろんな話を聞きだすんだな。
「――でな。さっきの話を聞いててよ。俺んとこの連れが、だったら一緒に飯でもくわねぇかって。他に女連れもみあたらねぇし、話し相手が欲しいっつーんだよ。いきなりな話ですまねぇが、ちと付き合っちゃくれねぇか?」
笑顔で怒涛の説得作戦は、どうやら成功したようだ。こっちを見ながらぺこりと頭を下げる二人の、奥さんの方へにっこりと笑いかける。ここで間違っても、ちらりとでも旦那さんを見ちゃいけない。あくまでも、奥さんとお話がしたいの(はぁと)な、こちらの気持ちをアピールするのが肝心だ。
「図々しくご厚意に甘えます。俺はカーウェン、こっちは妻のナルシアです」
「気にしないでください。こちらこそ、いきなりの誘いを受けてもらって嬉しいです。私はレイガといいます。それと、連れのロウ、ガルド、ターザです」
カウンターでの値切り攻勢に、ちょっと不安を感じていたのだけど、カーウェンさんは普通に礼儀正しい人だった。恐らくは、奥さんを気遣っての事だったんだろう。
とりあえずは腹ごしらえ、ということになり、雨が降ってる上に雷までなっている外に出るのも億劫だったので宿の食堂へと場所を移す。
「何でも好きなものを頼んでくださいね。ナルシアさん、でしたよね。お酒は飲めます? 苦手なら、遠慮しないでいってくださいね」
「あ、ありがとうございます。お酒……は、あまり飲んだことがないので……」
「だったら、飲み物はこっちにしましょうか。私も同じのを――」
「こっちにはまずはエールだ、四つな! あと、料理は適当に持ってきてくれ」
「俺、こんな豪勢なところで飯を食うのは初めてで……」
「腹に入れてしまえば、どこで食おうと同じだ。遠慮するな」
「お、俺もレイ殿達とおな……い、いや、いい。エールをいただく……」
てんでにワイワイガヤガヤと会話しつつ、運ばれてきた料理を口に運ぶ。そうしているうちに、最初は緊張気味だったカーウェンさん達の気分もほぐれてきたようで、口数も多くなってくる。その頃合いを見計らって、ガルドさんが話を切り出した。
「そんでよ、カーウェン。さっき、お前さん、妙なことを言ってなかったか?」
「妙な……俺が何か言ったか?」
「ほれ、『雨の森』がどうとかってよ。俺も前にこの辺りを通ったことがあるんだが、そん時ゃ、そう言う話を聞いたことがなかったんだが……?」
「ああ、そう言う事か。ガルド、が前に通ったのは何時ごろだ?」
「そうだな……三年、よりもちょいと前、か」
「なら、聞いたことがないのも当然だろう。あの森が変わりだしたのは、ここ一年ほどの事だからな」
カーウェンさんの話では、『雨の森』というのは、この宿場から徒歩で半日ほど行ったところにあるそこそこ大きな森だそうな。中央を大街道が通っていて、森を抜けるまでは、歩いて大体一刻(二時間)くらい。どこにでもある普通の森だったそうだ。
「それが一年――もしかすると、もう少し前からなのかもしれないが、妙なことが起きるようになったんだ」
「妙なコト、つーと?」
「他は晴れているのに、森に入ると急に雨が降り出すとか。雨が降り出すと、どこからか雷鳴と一緒に獣の声が聞こえてくる、とか。後は、それとほぼ同じころから、森の周辺に得体のしれない獣がうろつき始めたらしい」
「獣? 魔物ってことか?」
「そう……だとは思うが、よく分からん。実際に、そいつを見たという奴の話だと、でかくて真っ黒だそうだ。ただ、そいつに襲われはしても、怪我をしたという話は聞かないんだ」
「そいつはまた、おかしな話だな。襲ってくるくせに、怪我はさせねぇってか。どういう魔物だよ、そりゃ」
「俺に言われてもなぁ――さっきも言ったが、俺はこの次の宿で鍛冶屋をやっている。旅の商人や、あんた達みたいな冒険者も来るんだが、そいつらから聞いた話ってだけで、実際に見たわけじゃない」
「いや、それでも助かったぜ。変なことが起きてる場所に、何も知らずに突っ込むところだったからな」
「おい……まさか、あんた達、あの森を通り抜ける気か?」
ガルドさんの台詞に、カーウェンさんがぎょっとした顔をする。
「あ? だって、街道はその森ん中を通ってんだろ?」
「ああ。だが、今はそれを使う奴はほとんどいない。遠回りになるが、迂回する道があるんで、俺達もそっちを使うつもりだ。一日がかりになるが、危険な目に合うよりもマシだからな」
「なるほどな。んじゃ、俺らもそっちを使ったほうが無難だな」
そう言いながらも、ガルドさんが私にこっそり目配せしてくる。わかってますよ、口じゃそう言いながらも、森の中を突っ切るつもりですね。ロウとターザさんを見ると、こっちも同じ顔してる。ターザさんなんか、ワクワクした目の光を隠せないでいるようだ。
その後もしばらく話をして――私もちゃんとライナさんと『女同士の話』をしたよ。ナルシアさんは隣の宿場の出身で、五年ほど前にカーウェンさんと結婚したんだって。で、久しぶりに里帰りしていたのだけど、その帰り道が心配で、わざわざカーウェンさんが迎えに来てくれたんだそうだ(ちなみに、行きもちゃんと送ってくれたらしい)。まぁ、その『雨の森』の事がなかったとしても、女性が隣町までとは言え一人で歩いていたら危ないからね。他には、ちょっと生活は大変だけどカーウェンさんと一緒になれてよかったとか、普段はぶっきらぼうだけどちゃんと優しいところもあるとか、まだ子供が授からないけどできたら早めにほしいとか……うん、所謂ノロケですわな。最初は口数が少なかったけど、男性陣が頼んだお酒をほんのちょっともらった後は、むっちゃおしゃべりになったナルシアさんだ。可愛いなー、と思いつつ、私はほとんど聞き役に回ってました。
夜も更けてきて、明日の事もあるからとカーウェンさん達と別れて、寝て。
翌朝の空はきれいに晴れあがっていた。ちょうどカーウェンさん達も同じくらいに置きだしてきたようで、ついでなので朝ごはんも一緒に摂る。勿論、払いは私達だ。
「夕べと言い、今朝と言い、世話になりっぱなしで申し訳ない。礼をしたいが、知っての通り、手持ちが……だから、もし機会があれば俺の店によってくれ。あんた達なら目いっぱい値引きでやってやるぜ」
無料じゃないんかい、と、内心突っ込む。が、まぁ、商売人なら当然か。こっちも『無料』って言葉に飛びつくほどがっついてはいないし、安くしてくれるにしてもちゃんと対価を払う方が気兼ねなく寄れるわな。
徒歩で出発するカーウェンさん達とは、宿の前でお別れした。厩に行くと、シロたちは今日も元気な様子だった。夜半に結構大きな雷鳴が響いていて、私はちょっと寝不足気味なんだけどね。
そんなシロたちにまたがって、宿場の街並みを抜けた辺りから速歩で駆けさせる。やがて、遠くに黒々とした森が見えてきた辺りで道が二股に分かれていた。片方は真っ直ぐで、もう片方は北へと延びている。これがカーウェンさんの言っていた『う回路』なんだろう。勿論、私たちはまっすぐ進むよ。そしてさらに進んでいけば、そこが噂の『雨の森』だ。
森に入ってすぐに、太陽の光が木々に遮られ、薄暗くなってくる。道はだいたいは真っ直ぐなんだけど、時たま曲がりくねった部分もある――が、森の中ならどこでも大抵こんなもんだ。
「……別に変ったところはないようだが?」
「だなぁ。あんまり詳しく覚えちゃいねぇが、前もこんな感じだったと思うぜ」
「精霊の気配はやや濃いが、森なら普通な程度だな」
「うん、私もそう思う。探索(サーチ)も異常は無いし……」
三人の中では、ターザさんが一番、そう言うのに敏感だ。その反対はロウなんだけど、その分『野生の勘』とでも言うものが鋭い。その二人がそう言うのに加えて、私も一応、探索(サーチ)を働かせてみたのだが、やはり気にするほどの大きな反応は見当たらない。
更に進んでも一向に変化はなく、どうやら噂は噂にしか過ぎなかったようだ。そう思って、わずかに気を抜いた瞬間。
いきなり、耳が痛くなるほどの雷鳴が辺りに響き渡った。
「うわわっ?!」
「うおっ!」
「なんだぁっ?」
「レイ殿っ!」
突然の事にぎょっとする。驚いて棹立ちになったシロの鬣に、咄嗟にしがみついて――いきなり何なのよっ。シロはパニックになっていて、激しく跳ねまわるシロの背中から振り落とされないようにしているのがやっとだ。私の乗馬スキルはさほど高くないから、こうなってしまうともうお手上げだ。
「シロっ、落ち着いてっ――落ち着きなさい、シロっ、シロガネっ!」
必死で呼びかけるが、シロの耳には届いていないようだ。しかし、手綱はとうに手放しているから、他にできることがない。このまま振り落とされでもしたら、下手をすると狂乱状態のシロの蹄に踏まれてしまうかもしれない。ああ、けどヤバい。そろそろ手が限界かも……。
「レイっ!」
ずるり、と手が滑り、あきらめかけた時、近くでロウの声がした。同時に、いきなりシロが大人しくなる。伏せていた顔を上げると、ロウがそばに立っていて、シロの轡をとってくれている。どうやら、先に自分の馬のパニックを鎮めてこっちへ来てくれたようだ。
「レイちゃんっ」
「レイ殿!」
そのロウにわずかに遅れて、ガルドさんとターザさんも馬から降りてこっちへ来る。
「大丈夫か?」
「う、うん。かなり、ぎりぎりだったけど……ありがとう、ロウ」
ようやく鞍の上で体勢を整えることが出来、ほっとしながらお礼を言う。ロウに宥められて落ち着いたらしいシロが、申し訳なさそうに首を曲げてこっちを見てるが――仕方ないよ、突然の雷で驚いたのは私も同じだからね。
「しかし、何だ、今のはよ?」
「いきなりだったな。雷が鳴るような気配はなかったのだが……」
「ターザも気が付かなかった、ということか? だが……ん?」
「え? ……雨?」
口々に今の現象について言い合っていると、ぽつり、と頬に水滴が当たる。
「嘘っ? だって、さっきまで晴れてたよ……」
木々に覆われて伺いにくいが、それでも合間から見える空は真っ青だったはずだ。それが、今見上げれば、一面が濃いグレーの雨雲に覆われている。さっきの雷から、まだ五分も経っていないはずなのに、だ。
「訳がわからねぇが……ヤバそうだな」
「ガルドに同感だ」
「――急いでここを抜ける。馬に戻れ」
ロウの指示で、各々の馬の元へ駆け戻る。私は元々、シロから降りてなかったのでその場で待機だ。シロのパニックが伝染して折角落ち着かせた自分たちの馬がまたも暴れはじめるのを警戒して、少し離れたところで待たせてあったせいで、私の周りから皆が離れたわずかな時間。その一瞬の隙をついて――真っ黒い影が私へと襲い掛かった。
「ひぇっ?! う、ひゃぁぁぁっ!」
うひゃぁ、ってなんだよっ。もっと女らしく『きゃぁっ』と何故言えない。
なんて悠長に反省している暇もなく。
何処からともなく現れた黒い影が、シロの傍らに一度着地。その後、勢いをつけてシロを飛び越えるついで(?)に私の襟首をひっつかんで、そのままものすごい勢いで森の奥へと走り去ってしまった。
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