9 / 16
代官も決定(ロベール)
しおりを挟む
ダニエルが帰って少しすると、二人目の客が通されてきた。
「お久しぶりです、兄上」
「ああ、久しぶり……いや、お久しゅうございます、灘公殿下」
「……兄上もそれですか。お願いですから、普通でお願いします」
このやり取りがこの後の定番になりそうで、こっそりため息を吐くフレイである。灘公に選ばれてまだ丸一日も経っていないのだが、その間、何度目になるか考えるのも嫌になる。
が、それはさておき。
漠然とした予感が的中し、姿を現したのはやはり次兄であった。
名をロベール・ペシオ・ラゼルムという。
「人目がある場所ならまだしも、ここは兄上と私の二人だけです。ですので、どうか昔のように話してください」
「……お前がそれでいいというのなら、私にとってはありがたい話だが……」
「ええ、是非ともその調子でお願いします。ところで、昨日はちらりと見かけただけですのでそれは除くとして、かれこれ六年ぶりですね。お元気そうで何よりです」
「ああ、お前も元気そうでよかった。それと、遅ればせながら、灘公に選ばれたこと、おめでとうと言わせてもらう」
「ありがとうございます」
長兄とは十三、次兄と十、そして三兄とは八つの年の差があるフレイだが、その中で次兄とは仲が良かった。……他の二人、そして両親については語るに及ぶまい。
一人だけぽつんと年の離れた弟であるフレイを、ロベールだけが優しく接してくれていた。この兄の存在がなかったら、今のフレイはなかったと断言できる。
そしてフレイから見たロベールは、人格能力共に(長兄よりもよほど)優れており、且つ、苦労人というのがその印象だ。もし彼が一番最初に生まれていたら、さぞや立派な跡継ぎになっていただろうと思う。だが、現実としては二番手であり、そのおかげで三十になる今になっても妻も子もおらず、生家で飼い殺しのような状況に置かれていた――つい先日までは。
「昨日の選定の儀では、ろくに話をすることもできませんでしたが、一の兄上に子が生まれたそうですね。北の砦にも知らせが来ましたので、心ばかりの祝いを送っておきました」
「……家を出たお前にまで、祝儀の強制をしたようで申し訳なかったが、どうにも聞かなくてな。すまないとは思ったが、快く祝ってくれたこと感謝する」
「私にとっても甥にあたりますので当然です。それにしても六年、いや七年目でしたか? これで皆もほっとしたことでしょう」
長兄が妻を娶ったのは、フレイが成人する二年ほど前のことだ。それから今まで、子に恵まれなかったのだから、やきもきしていたのは間違いない。
「七年だ。皆というか、特に義姉上がな」
「無理もないことだと思います」
懐妊したのが判明する少し前あたりから、長兄には『そろそろ妾を……』と勧める話も出ていたそうだ。長兄の妻はラゼルム家よりも力の強い家の出であるので、離婚というのはあり得ないが、妊娠がわかったのが去年のこととして、六年もの間、子が生まれる気配がなかったのだからそういう話も出てきて当然だったろう。そんな状況での妊娠発覚、それに続いての嫡男の誕生であるから、喜びもひとしおだったはずだ。
だが。
それを素直に喜べない者もいたようだ。
家の慶事であるのに、ロベールの表情がさえない事にフレイは気が付いた。
「兄上。こんなことを言っては何ですが、お困りなのではないですか?」
「……やはりわかるか?」
「ええ。私の想像ですが、一の兄上に子ができたことで、何か無茶なことを言われたのでは?」
「鋭いな、その通りだよ」
次兄のため息は、フレイのものよりも重く深かった。
「詳しくうかがっても?」
「ああ。だが、そう込み入った話でもない。兄上のところに子ができて、予備としての私はお役御免となった。これまで領地で父上の補佐として働いていたんだが、これを機に兄上が指名したものと交代し、ついでに家も出ろ、と言われた」
「それは……抗議しなかったんですか?」
「一応はしたよ。だが……兄上が指名されたのが、義姉上の従兄弟なんだよ」
長兄が指名した、とはいうものの、実際には義姉の意向らしい。
義姉の里の勢力の方が強いのもあるが、輿入れの際に持参金の名目で多額の金銭を提供されたのだとロベールが明かす。それに因り、ラゼルム家の経済状況が好転したのだが、同時に義姉とその里に対して頭が上がらない状況になってしまった。
このあたりの事は、当時はまだ成人前だったフレイの耳には入ってきていなかったが、普通なら不妊であった期間が三年を過ぎたあたりで話が出てくるはずの妾云々が、六年たってようやく出始めたのも納得できる。
そして、無事に嫡子を産んだという実績もできた義姉が言い出したことであるなら、それに反対できるはずもない、ということだ。
「約束では、お役御免になった後も家には残れる事になっていたんだ。父上もそのつもりで、領地の管理を任せてくれていたはずなんだが……ここで私をかばったりしたら、義姉上の実家との関係が悪くなる。そんな危険をあの父上が犯すと思うか?」
嫁(と、その実家)にいい顔をしたい父と兄により、その話はなかったことになってしまった。さらには、運よく候補になることができた灘公選定の儀でも、選ばれたのは自分ではなく、弟の方だったというわけだ。
「元々、自分が選ばれるとは考えてもいなかったから、希望なんか持ってはいなかったんだ。だが、お前が選ばれたと知って欲が出てしまってな。こうやって、恥を忍んで訪ねてきた。門前払いを食わされるのも覚悟していたが、通してもらえてほっとしたよ」
自嘲を含んだつぶやきは、フレイにとっても文字通り他人事ではない。
「つまり兄上は、私に仕官の口利きをしてほしい、ということですか?」
「いや、できればお前のところで雇ってもらえればありがたい。どんな役目でも構わない」
これまでの会話で、半ば予想はできていたが、それでも本人の口から直接聞かされるのは少なからぬ衝撃だった。
「弟である私に仕えることになるのに、ですか? それに、私の下に就くということは、兄上は貴族ではいられなくなります。それでよろしいのですか?」
貴族としての地位を保ったままで仕えることができるのは、国の機関だけだ。もしフレイの部下となるのであれば、平民と同じ扱いになる。先のダニエルのように騎士の称号を持っていれば話はまた別なのだが……。
「父や兄に仕えていたのが、弟になるだけだ。それに、爵位は父上や兄上のもので、私は単なるその身内――つまり、私自身は今までもこの先も、ただの平民なんだよ。だから、別に今までと大して変わりはない、ということだ」
いや、それはかなり違うだろうと思う。けれど。
「三十年もあの家に縛り付けられていた私だ。何の役にも立たない自尊心なんか、とっくの昔に捨ててしまったよ。それに……正直、えり好みできる状況じゃないんだ。下手をしたら、すぐにでも追い出されそうな勢いでな」
「そこまで……すみません、私は何も知らなくて……」
「もう家を出たお前が気に病むことじゃない。こうやって、家の厄介ごと持ち込む私が恥知らずなだけだ」
ほろ苦く笑う兄を見て、フレイの腹も決まった。それに現状を考えれば、これは渡りに船といえるだろう。
「……兄上。どのような役目でもいい、とおっしゃいましたね?」
「ああ。ただし、私は剣の腕はからきしだ。護衛の役には立たないと思う」
「お願いしたいのは、私がいただく予定の領地の管理です。兄上の得意だと思うのですが、いかがでしょう?」
これまで父の補佐として、領地管理を任されていたロベールにはうってつけだ。
「それは……しかし、いいのか? そんな大役を?」
「ええ。ただし、場所はコンヴァルです。王都より北で、しかもほとんど手つかずの土地ですので、南にある伯爵家の領地とはかなり環境に差があると思います。それに、私は全くそちらの方面については知識がないので、兄上にすべてを任せることになってしまいます。苦労させてしまうかもしれません」
「そんな苦労なら望むところだ。本当に私に任せてくれるのなら、全力で取り組むと誓う」
真剣な顔でそう告げるロベールからは、つい先ほどまでの悲壮な気配は微塵も感じられない。余談ではあるが、フレイの子は大公位は継げないので、領地の名を取ってコンヴァル公を名乗ることになるはずだ。
「思い切って訪ねてきた甲斐があったよ。ありがとう、フレイ」
「私こそ、お礼を言わなければなりません。正直、どうしたものかと頭を抱えていたんです」
家宰はダニエルに任せられる事になったが、領地管理についてはまだ全く白紙の状態だったのだ。その話を聞いたのが昨夜のことだから当然だとしても、やはりダニエルと同等か、それ以上に信用できる相手でなければならない。
「しかしそうなると、やはり言葉遣いは改めなければならんと思うのだが……」
「人目があるところでは仕方がないですが、それ以外では今まで通りでお願いします。それと、まだ時期がはっきりしないのですが、一度、領地予定の場所を見に行かねばならないそうです。できれば、兄上にも一緒に行っていただきたいのですが、この後の予定は?」
「特にはないな。選定の儀が終わったので、領地に戻るべきなんだろうが……」
言葉を濁したのは、戻ったところで、既に自分の役目は、義姉の身内に引き継がれている予感がするからだろう。
「本当は、少し王都に滞在して、その間にどこか働き口を見つけるつもりだったんだ」
「ならば、多少は猶予があるということですね。兄上が泊まっているのは王都の屋敷ですか?」
「ああ。てっきりお前もそうだと思っていたが、行ってみていなかったから驚いたよ」
「……私は、もう家を出た人間ですから」
その発想は全くなかったフレイである。尚、ダニエルは「ちゃんと家に泊まれ」と言われていたらしいが、「遊びに行きにくい」という理由でフレイと同じ宿をとっていた。実際、選定の儀の前夜でさえ酒の匂いを漂わせて帰ってきたらしいので、ああ見えてなかなか肝が太い。
「私も、もうすぐここ(神殿)を出て、王家の所有する離宮とやらに移る手はずのようです。兄上もそういう理由なら屋敷にいても居心地が悪いでしょうし、そちらにおいでになりませんか?」
「……いいのだろうか?」
「特に制限をされた覚えはありませんし、家臣を連れて行くのは普通でしょう?」
「家臣……そうか、そうだな」
あえてその表現を使ったフレイだが、ロベールが気を悪くするのではないかという不安もあった。けれど、それは杞憂であったようだ。
「お前はああ言っていたが、今だけは見逃してくれ――本日この時より、私ことロベール・ペシオは、新灘公フレイ・ザナル・ユラ殿下に、生涯の忠誠と献身を誓う。もしこの誓いが破られるならば、大海よ、津波を放ち我を溺れさせよ。大地よ、地の底まで裂けて我を飲み込め」
表情と姿勢を改め、右の掌を左胸に当てて、深く一礼する。その姿勢のまま、片膝をつき、フレイの応えを待つ。
「……その誓い、確かに受け取った。以後、我が左腕として領地の運営に関する全権を託す。よく励んでくれることを期待する」
「謹んで承ります。一命にかけましても、ご期待に添う所存です」
それはフレイが初めて『自分自身の臣』をもった瞬間だった。そして、兄が『ラゼルムの名乗りを省いたことも、当然気が付いた。それは、今日、この瞬間から彼が『ラゼルム伯爵家』とは決別をし、ただの『ロベール・ペシオ』として生きていくという決意でもあった。ダニエルが誓いを立てなかったのは、彼がいまのところは軍に在籍しているからだ。
「……なんだか、面はゆいですね」
「今からそんなことを言っていてどうする。この先、いやというほど、同じことをやるはずだぞ」
「できれば勘弁してほしいところです」
「諦めるしかないだろう。覚悟を決めるんだな。ところで、さすがに一度は、領地に戻らねばならんだろうな。大した量ではないが、荷物もあるし……父上や母上、それに兄上達の反応を考えると、今から頭が痛い」
「……家には知らせが行っていると思った方がいいですかね?」
「当然だな」
今は社交シーズンではないために、領地を持つ貴族のほとんどはそちらに戻っている。(一応)父であるラゼルム伯も同じだ。王都からラゼルム家の領地までは、馬車で十日ほどの距離であるためにまだ使者がたどり着いていないにせよ、どのみち時間の問題であった。
「何か言ってくるかもしれん……というか、当然、出しゃばってくるだろうな」
「私も、選定の儀で、うっかりあれが父だと言ってしまいましたから」
「それは仕方がないだろう。あれの子、ということで候補になれたんだしな」
父親を『あれ』呼ばわりするなど、貴族社会でなくとも非難の対象になるのだが、この場には二人だけであるし、心情的にもすでに決別している相手であるためにそういう表現になってしまった。
「まぁ、既に家を出て、家名も名乗っていないことも言いましたので、それを盾にします」
「ああ。そうした方がいい。血のつながった親や兄について、こんな風に言わねばならんのは情けない限りだが」
「三の兄上も、同類ですしね……良いんです、私にはロー兄上がいますから」
「……何年ぶりだろうな、その呼び方をされるのは」
まだフレイがあまり口が回らない頃に、そうやって呼び掛けられていたのはロベールにとっても懐かしい思い出だ。
「さて、あまり長居をしては神殿も迷惑だろう――とりあえず、屋敷でお前の連絡を待つ、ということでいいか?」
「ええ。できるだけ早めに動けるようにしますので、もうしばらく辛抱してください」
こうして、わずか半日で家宰と代官という重要な役割が決まったのは、フレイにとって僥倖だった。これがもう少し遅れていたら、国からのごり押しに近い人事を押し付けられるところだったのは、この時のフレイが知る由もなかったのだが。
そして、フレイの部屋を辞したロベールとは入れ違うようにして、朝食を運んできてくれたのと同じ巫女が、コラールが眼覚めた旨を知らせに来てくれる。
朝食――というよりもそろそろ昼食といった方がいい時間帯だが――を取り、身支度を整えてから面会したいということだ。
昼を少し過ぎる時間になるので、少々待たせるが了承してほしい、とのオリエ高司祭からの伝言もついてきている。
「女性の身支度は時間がかかるものと心得ていますよ。特にコラ……いや灘妃様は陸の生活に不慣れでいらっしゃるでしょうし」
「殿下が灘妃様をそう呼ばれることは、神殿の者には通達済みですのでご安心ください」
「そうでしたか。ありがとうございます」
うっかりと名前呼びしかけてしまい、とがめられるかと思ったフレイだが、その心配は杞憂だったようだ。
「殿下も、少し早めですが、昼食をおとりになられますか?」
「ご面倒でなければお願いします。どうも軍にいたせいで、質より量の食事に慣れてしまったようです。ここの食事は美味ですが私には少し量が……恥ずかしながら、もう腹が減ってしまっていまして」
「まぁ、それは……申し訳ないことをいたしました。確かに、騎士様でいらっしゃるのですから、私どもと同じ量では足りませんわね」
「いえ。私の方こそ、申し訳ありません」
客(?)として滞在しているのに食事の量に注文を付けるなど図々しいといわれても仕方がないが、コラールの前で腹の虫が鳴くよりはましだろう。
ただ、少しして運ばれてきた昼食は、三人前近くはありそうだった。さすがにこれは多すぎるが、ここでさらに注文を付けるわけにもいかず、懸命に胃に収めたフレイだった。
「お久しぶりです、兄上」
「ああ、久しぶり……いや、お久しゅうございます、灘公殿下」
「……兄上もそれですか。お願いですから、普通でお願いします」
このやり取りがこの後の定番になりそうで、こっそりため息を吐くフレイである。灘公に選ばれてまだ丸一日も経っていないのだが、その間、何度目になるか考えるのも嫌になる。
が、それはさておき。
漠然とした予感が的中し、姿を現したのはやはり次兄であった。
名をロベール・ペシオ・ラゼルムという。
「人目がある場所ならまだしも、ここは兄上と私の二人だけです。ですので、どうか昔のように話してください」
「……お前がそれでいいというのなら、私にとってはありがたい話だが……」
「ええ、是非ともその調子でお願いします。ところで、昨日はちらりと見かけただけですのでそれは除くとして、かれこれ六年ぶりですね。お元気そうで何よりです」
「ああ、お前も元気そうでよかった。それと、遅ればせながら、灘公に選ばれたこと、おめでとうと言わせてもらう」
「ありがとうございます」
長兄とは十三、次兄と十、そして三兄とは八つの年の差があるフレイだが、その中で次兄とは仲が良かった。……他の二人、そして両親については語るに及ぶまい。
一人だけぽつんと年の離れた弟であるフレイを、ロベールだけが優しく接してくれていた。この兄の存在がなかったら、今のフレイはなかったと断言できる。
そしてフレイから見たロベールは、人格能力共に(長兄よりもよほど)優れており、且つ、苦労人というのがその印象だ。もし彼が一番最初に生まれていたら、さぞや立派な跡継ぎになっていただろうと思う。だが、現実としては二番手であり、そのおかげで三十になる今になっても妻も子もおらず、生家で飼い殺しのような状況に置かれていた――つい先日までは。
「昨日の選定の儀では、ろくに話をすることもできませんでしたが、一の兄上に子が生まれたそうですね。北の砦にも知らせが来ましたので、心ばかりの祝いを送っておきました」
「……家を出たお前にまで、祝儀の強制をしたようで申し訳なかったが、どうにも聞かなくてな。すまないとは思ったが、快く祝ってくれたこと感謝する」
「私にとっても甥にあたりますので当然です。それにしても六年、いや七年目でしたか? これで皆もほっとしたことでしょう」
長兄が妻を娶ったのは、フレイが成人する二年ほど前のことだ。それから今まで、子に恵まれなかったのだから、やきもきしていたのは間違いない。
「七年だ。皆というか、特に義姉上がな」
「無理もないことだと思います」
懐妊したのが判明する少し前あたりから、長兄には『そろそろ妾を……』と勧める話も出ていたそうだ。長兄の妻はラゼルム家よりも力の強い家の出であるので、離婚というのはあり得ないが、妊娠がわかったのが去年のこととして、六年もの間、子が生まれる気配がなかったのだからそういう話も出てきて当然だったろう。そんな状況での妊娠発覚、それに続いての嫡男の誕生であるから、喜びもひとしおだったはずだ。
だが。
それを素直に喜べない者もいたようだ。
家の慶事であるのに、ロベールの表情がさえない事にフレイは気が付いた。
「兄上。こんなことを言っては何ですが、お困りなのではないですか?」
「……やはりわかるか?」
「ええ。私の想像ですが、一の兄上に子ができたことで、何か無茶なことを言われたのでは?」
「鋭いな、その通りだよ」
次兄のため息は、フレイのものよりも重く深かった。
「詳しくうかがっても?」
「ああ。だが、そう込み入った話でもない。兄上のところに子ができて、予備としての私はお役御免となった。これまで領地で父上の補佐として働いていたんだが、これを機に兄上が指名したものと交代し、ついでに家も出ろ、と言われた」
「それは……抗議しなかったんですか?」
「一応はしたよ。だが……兄上が指名されたのが、義姉上の従兄弟なんだよ」
長兄が指名した、とはいうものの、実際には義姉の意向らしい。
義姉の里の勢力の方が強いのもあるが、輿入れの際に持参金の名目で多額の金銭を提供されたのだとロベールが明かす。それに因り、ラゼルム家の経済状況が好転したのだが、同時に義姉とその里に対して頭が上がらない状況になってしまった。
このあたりの事は、当時はまだ成人前だったフレイの耳には入ってきていなかったが、普通なら不妊であった期間が三年を過ぎたあたりで話が出てくるはずの妾云々が、六年たってようやく出始めたのも納得できる。
そして、無事に嫡子を産んだという実績もできた義姉が言い出したことであるなら、それに反対できるはずもない、ということだ。
「約束では、お役御免になった後も家には残れる事になっていたんだ。父上もそのつもりで、領地の管理を任せてくれていたはずなんだが……ここで私をかばったりしたら、義姉上の実家との関係が悪くなる。そんな危険をあの父上が犯すと思うか?」
嫁(と、その実家)にいい顔をしたい父と兄により、その話はなかったことになってしまった。さらには、運よく候補になることができた灘公選定の儀でも、選ばれたのは自分ではなく、弟の方だったというわけだ。
「元々、自分が選ばれるとは考えてもいなかったから、希望なんか持ってはいなかったんだ。だが、お前が選ばれたと知って欲が出てしまってな。こうやって、恥を忍んで訪ねてきた。門前払いを食わされるのも覚悟していたが、通してもらえてほっとしたよ」
自嘲を含んだつぶやきは、フレイにとっても文字通り他人事ではない。
「つまり兄上は、私に仕官の口利きをしてほしい、ということですか?」
「いや、できればお前のところで雇ってもらえればありがたい。どんな役目でも構わない」
これまでの会話で、半ば予想はできていたが、それでも本人の口から直接聞かされるのは少なからぬ衝撃だった。
「弟である私に仕えることになるのに、ですか? それに、私の下に就くということは、兄上は貴族ではいられなくなります。それでよろしいのですか?」
貴族としての地位を保ったままで仕えることができるのは、国の機関だけだ。もしフレイの部下となるのであれば、平民と同じ扱いになる。先のダニエルのように騎士の称号を持っていれば話はまた別なのだが……。
「父や兄に仕えていたのが、弟になるだけだ。それに、爵位は父上や兄上のもので、私は単なるその身内――つまり、私自身は今までもこの先も、ただの平民なんだよ。だから、別に今までと大して変わりはない、ということだ」
いや、それはかなり違うだろうと思う。けれど。
「三十年もあの家に縛り付けられていた私だ。何の役にも立たない自尊心なんか、とっくの昔に捨ててしまったよ。それに……正直、えり好みできる状況じゃないんだ。下手をしたら、すぐにでも追い出されそうな勢いでな」
「そこまで……すみません、私は何も知らなくて……」
「もう家を出たお前が気に病むことじゃない。こうやって、家の厄介ごと持ち込む私が恥知らずなだけだ」
ほろ苦く笑う兄を見て、フレイの腹も決まった。それに現状を考えれば、これは渡りに船といえるだろう。
「……兄上。どのような役目でもいい、とおっしゃいましたね?」
「ああ。ただし、私は剣の腕はからきしだ。護衛の役には立たないと思う」
「お願いしたいのは、私がいただく予定の領地の管理です。兄上の得意だと思うのですが、いかがでしょう?」
これまで父の補佐として、領地管理を任されていたロベールにはうってつけだ。
「それは……しかし、いいのか? そんな大役を?」
「ええ。ただし、場所はコンヴァルです。王都より北で、しかもほとんど手つかずの土地ですので、南にある伯爵家の領地とはかなり環境に差があると思います。それに、私は全くそちらの方面については知識がないので、兄上にすべてを任せることになってしまいます。苦労させてしまうかもしれません」
「そんな苦労なら望むところだ。本当に私に任せてくれるのなら、全力で取り組むと誓う」
真剣な顔でそう告げるロベールからは、つい先ほどまでの悲壮な気配は微塵も感じられない。余談ではあるが、フレイの子は大公位は継げないので、領地の名を取ってコンヴァル公を名乗ることになるはずだ。
「思い切って訪ねてきた甲斐があったよ。ありがとう、フレイ」
「私こそ、お礼を言わなければなりません。正直、どうしたものかと頭を抱えていたんです」
家宰はダニエルに任せられる事になったが、領地管理についてはまだ全く白紙の状態だったのだ。その話を聞いたのが昨夜のことだから当然だとしても、やはりダニエルと同等か、それ以上に信用できる相手でなければならない。
「しかしそうなると、やはり言葉遣いは改めなければならんと思うのだが……」
「人目があるところでは仕方がないですが、それ以外では今まで通りでお願いします。それと、まだ時期がはっきりしないのですが、一度、領地予定の場所を見に行かねばならないそうです。できれば、兄上にも一緒に行っていただきたいのですが、この後の予定は?」
「特にはないな。選定の儀が終わったので、領地に戻るべきなんだろうが……」
言葉を濁したのは、戻ったところで、既に自分の役目は、義姉の身内に引き継がれている予感がするからだろう。
「本当は、少し王都に滞在して、その間にどこか働き口を見つけるつもりだったんだ」
「ならば、多少は猶予があるということですね。兄上が泊まっているのは王都の屋敷ですか?」
「ああ。てっきりお前もそうだと思っていたが、行ってみていなかったから驚いたよ」
「……私は、もう家を出た人間ですから」
その発想は全くなかったフレイである。尚、ダニエルは「ちゃんと家に泊まれ」と言われていたらしいが、「遊びに行きにくい」という理由でフレイと同じ宿をとっていた。実際、選定の儀の前夜でさえ酒の匂いを漂わせて帰ってきたらしいので、ああ見えてなかなか肝が太い。
「私も、もうすぐここ(神殿)を出て、王家の所有する離宮とやらに移る手はずのようです。兄上もそういう理由なら屋敷にいても居心地が悪いでしょうし、そちらにおいでになりませんか?」
「……いいのだろうか?」
「特に制限をされた覚えはありませんし、家臣を連れて行くのは普通でしょう?」
「家臣……そうか、そうだな」
あえてその表現を使ったフレイだが、ロベールが気を悪くするのではないかという不安もあった。けれど、それは杞憂であったようだ。
「お前はああ言っていたが、今だけは見逃してくれ――本日この時より、私ことロベール・ペシオは、新灘公フレイ・ザナル・ユラ殿下に、生涯の忠誠と献身を誓う。もしこの誓いが破られるならば、大海よ、津波を放ち我を溺れさせよ。大地よ、地の底まで裂けて我を飲み込め」
表情と姿勢を改め、右の掌を左胸に当てて、深く一礼する。その姿勢のまま、片膝をつき、フレイの応えを待つ。
「……その誓い、確かに受け取った。以後、我が左腕として領地の運営に関する全権を託す。よく励んでくれることを期待する」
「謹んで承ります。一命にかけましても、ご期待に添う所存です」
それはフレイが初めて『自分自身の臣』をもった瞬間だった。そして、兄が『ラゼルムの名乗りを省いたことも、当然気が付いた。それは、今日、この瞬間から彼が『ラゼルム伯爵家』とは決別をし、ただの『ロベール・ペシオ』として生きていくという決意でもあった。ダニエルが誓いを立てなかったのは、彼がいまのところは軍に在籍しているからだ。
「……なんだか、面はゆいですね」
「今からそんなことを言っていてどうする。この先、いやというほど、同じことをやるはずだぞ」
「できれば勘弁してほしいところです」
「諦めるしかないだろう。覚悟を決めるんだな。ところで、さすがに一度は、領地に戻らねばならんだろうな。大した量ではないが、荷物もあるし……父上や母上、それに兄上達の反応を考えると、今から頭が痛い」
「……家には知らせが行っていると思った方がいいですかね?」
「当然だな」
今は社交シーズンではないために、領地を持つ貴族のほとんどはそちらに戻っている。(一応)父であるラゼルム伯も同じだ。王都からラゼルム家の領地までは、馬車で十日ほどの距離であるためにまだ使者がたどり着いていないにせよ、どのみち時間の問題であった。
「何か言ってくるかもしれん……というか、当然、出しゃばってくるだろうな」
「私も、選定の儀で、うっかりあれが父だと言ってしまいましたから」
「それは仕方がないだろう。あれの子、ということで候補になれたんだしな」
父親を『あれ』呼ばわりするなど、貴族社会でなくとも非難の対象になるのだが、この場には二人だけであるし、心情的にもすでに決別している相手であるためにそういう表現になってしまった。
「まぁ、既に家を出て、家名も名乗っていないことも言いましたので、それを盾にします」
「ああ。そうした方がいい。血のつながった親や兄について、こんな風に言わねばならんのは情けない限りだが」
「三の兄上も、同類ですしね……良いんです、私にはロー兄上がいますから」
「……何年ぶりだろうな、その呼び方をされるのは」
まだフレイがあまり口が回らない頃に、そうやって呼び掛けられていたのはロベールにとっても懐かしい思い出だ。
「さて、あまり長居をしては神殿も迷惑だろう――とりあえず、屋敷でお前の連絡を待つ、ということでいいか?」
「ええ。できるだけ早めに動けるようにしますので、もうしばらく辛抱してください」
こうして、わずか半日で家宰と代官という重要な役割が決まったのは、フレイにとって僥倖だった。これがもう少し遅れていたら、国からのごり押しに近い人事を押し付けられるところだったのは、この時のフレイが知る由もなかったのだが。
そして、フレイの部屋を辞したロベールとは入れ違うようにして、朝食を運んできてくれたのと同じ巫女が、コラールが眼覚めた旨を知らせに来てくれる。
朝食――というよりもそろそろ昼食といった方がいい時間帯だが――を取り、身支度を整えてから面会したいということだ。
昼を少し過ぎる時間になるので、少々待たせるが了承してほしい、とのオリエ高司祭からの伝言もついてきている。
「女性の身支度は時間がかかるものと心得ていますよ。特にコラ……いや灘妃様は陸の生活に不慣れでいらっしゃるでしょうし」
「殿下が灘妃様をそう呼ばれることは、神殿の者には通達済みですのでご安心ください」
「そうでしたか。ありがとうございます」
うっかりと名前呼びしかけてしまい、とがめられるかと思ったフレイだが、その心配は杞憂だったようだ。
「殿下も、少し早めですが、昼食をおとりになられますか?」
「ご面倒でなければお願いします。どうも軍にいたせいで、質より量の食事に慣れてしまったようです。ここの食事は美味ですが私には少し量が……恥ずかしながら、もう腹が減ってしまっていまして」
「まぁ、それは……申し訳ないことをいたしました。確かに、騎士様でいらっしゃるのですから、私どもと同じ量では足りませんわね」
「いえ。私の方こそ、申し訳ありません」
客(?)として滞在しているのに食事の量に注文を付けるなど図々しいといわれても仕方がないが、コラールの前で腹の虫が鳴くよりはましだろう。
ただ、少しして運ばれてきた昼食は、三人前近くはありそうだった。さすがにこれは多すぎるが、ここでさらに注文を付けるわけにもいかず、懸命に胃に収めたフレイだった。
1
あなたにおすすめの小説
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
婚約者の幼馴染?それが何か?
仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた
「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」
目の前にいる私の事はガン無視である
「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」
リカルドにそう言われたマリサは
「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」
ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・
「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」
「そんな!リカルド酷い!」
マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している
この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ
タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」
「まってくれタバサ!誤解なんだ」
リカルドを置いて、タバサは席を立った
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる