竜宮城からお嫁に来ました

砂城

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色々手続き

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「灘公殿下には、大変お待たせをいたしました。離宮の用意が整いましたので、いつでもお移りいただけます」

 宮内省(宮内庁ではない、念のため。王宮や離宮、直轄領等を管理をする部署である)の役人がその知らせを持ってきたのは、選定の儀から数えて五日目のことであった。

「ありがとう。急がせてしまってすまなかったな」
「とんでもございません。本来ならば、選定の儀の翌日にはお移りいただくはずが、このように遅くなりましたこと、お詫び申し上げます。実は、離宮自体はすぐにも使える状態でしたが、その……そこでお仕えする者を選びますのに少々時間がかかりまして……」

 ある程度以上の貴族(王族含む)の子弟の場合、幼い頃から側仕えという形で自分自身の部下を持つものである。成人して後は、彼らが第一の側近となる。また、独立して家を構える場合も、実家に仕えていた者の親類縁者などが、所謂『のれん分け』のような状態で各々の職務を果たすために遣わされる。無論、それだけでは人数が足りないで補充する必要があるが、基本的なことは自前で賄えるようになっている。
 しかし、フレイにはそれがない。
 入れ物を用意して、あとは本人だけ放り込む――わけにはいかないので、当座の生活が不自由なく送れるだけの人を揃える必要があったのだ。
 
「いずれも身元のしっかりした者にございます。名簿をご用意いたしましたので、後ほどお目を通していただければ幸いです」
「何から何まで任せきりで、苦労を掛けた。あまり神殿に長逗留するのも迷惑になるだろうから、早めに移りたいと思う。今日はさすがに無理だが、明日でかまわないか?」
「承りました。そのように手配させていただきます」

 自分の父よりも明らかに年も地位も高そうな相手に、尊大な口調で対応するのは、実はかなり疲れる。しかし、あまりに丁寧な――言い換えれば下手に出る態度で接するのは、灘公という地位に就く身としては如何なものか。そうフレイに進言したのは新たに執事(押しかけ)となったヨハンである。
 そして、それについて難色を示したフレイに、こう言った。

 殿下は軍にいらっしゃったのですから、軍の部下に接する様に話せばよろしいのではないでしょうか、と。

 貴族と軍人の話し方は、実はかなり違う。が、そこは軍出身ということでどうにでもなるし、敬語を使って侮られるよりもよほどましだ。そう言い聞かせて、何とかこのような口調に落ち着いたというわけである。

「……ふぅ」
「お疲れ様でございました、殿下。お茶でもお淹れいたしましょう」

 役人が出て行ったあと、ため息を吐くフレイに、あれ以来、影のように付き従うヨハンが労いの言葉をかける。

「ああ、頼む。今日はもう、これで終わりだろうか?」
「神殿の者からは、そう聞いております」

 初日に宰相が訪ねてきて以来、連日のようにフレイの元には王宮よりの使者が訪れていた。
 典礼省、式部省、法務省等々……その要件は様々だが、共通するのはどれも急ぐ必要がある、という点である。
 最初に来たのは、たしか典礼省だったか……。



「来たるご婚儀の際に、殿下のご着用になられるお衣装を作りたく存じます」

 数人のお供を引き連れてやってきた役人は、自己紹介をした後にそう切り出した。それにフレイが頷くと、待ってましたとばかりに全身の寸法を測り始めたところを見ると、どうやらそのお供は服飾職人であったようだ。
 着ていた服を脱がされ下着姿にされた後、頭回りから、首の長さ、太さ、肩の厚み……全身模型でも作るつもりかといいたくなるほどに、細かく採寸していく。というか、実際にこの数値で起こした人型(トルソー)を作成し、それで調整しながら作るのだそうだ。

「今回は、第一級礼装、第二級礼装、第三級礼装、および祝賀会用のものを三着、予定しております」

 腕をあげてください、今度は下げてください、大きく息を吸って、吐いて、足を少し広げてお立ちください、と。
 その度に微妙に変化する数値を、細かく書き留めている職人たちの横で、役人がそう説明をする。
 第一級礼装は、婚儀とパレード、及び王への謁見の際に着用する。二級はその後の貴族たちから挨拶を受ける時用。三級は今回は予定はないが、ついでだから一緒に作るそうだ。祝賀会用は説明するまでもないだろう。
 そして、なぜわざわざ王宮から役人(と職人)が派遣されてきたのかといえば、現時点でそれを作るのができるのが彼らだけだから、である。

 普段に着用するものはともかく、儀礼式典の際の礼装には、それを身に着ける者の身分で厳密な規則が定められている。色は勿論、襟やカフスの形、装飾の数や位置までが事細かに分別されているのだ。
 代々続く家系であればそれらを熟知しているために、自力調達は可能だが、何しろフレイは『灘公』である。そんな知識があるはずがない。加えて、もう一つ、とても重要な理由があった。

「灘公殿下ご夫妻にのみ許された色がございます。これにつきましては染料の製造法、及び染色の技術は王家の秘中の秘として、門外不出とされております」

 灘青と呼ばれるその色は、晴れた日の深い海の色を模しているという。礼装は必ずその色を使った生地で作られ、普段着――というか、通常の公の場にでる場合も、差し色としてそれを用いる。反対に言えば、たとえ一部分だとしても他の貴族がその色をまとうことは許されない、ということだ。
 王家でしか製造できない布を使うのだから、王宮から使者が来たのは当たり前の話である。コラールの元にも、同じように採寸するものが遣わされる予定だという。尚、生地の提供は可能なので、後々は大公家で作ることもできるようにはなる。

「いろいろと決まりごとがあるのだな……」

 面倒なことだ、とは口にはしないが、執拗といいたくなるほどの採寸に疲労気味のフレイだった。
 次に来たのは式部省だ。

「紋章をお決めいただきたく存じます」

 つまり家紋である。紋章官だと名乗った役人が差し示した紙には、円を基本として、その下半分の外周には波が、内側には意匠化された魚が踊る紋描かれていた。

「こちらが基本となる意匠でございます。当代殿下には、この上を埋めるものをご指定いただきたく存じ上げます」

 灘公は長いアンジールの歴史の中には数人存在するが、同じ血統ではないので区別が必要なのだそうだ。なので、波と魚は同じでも、その上の意匠で判断するということである。

「……指定しろ、と突然言われてもな」

 一応、フレイにも自分の紋章はある。これは鎧や剣に刻むもので、乱戦となった戦場で斃れた時など、その紋章で見分けるのだ。だが、それをそのまま流用するというのも芸がない。それに、『灘公家』の紋であるのだから、コラールの意見も聞いたほうがいい。

「即決する必要があるのか?」
「いえ、そこまでは……ただ、いろいろと作業がございますので、できれば数日中にお決めいただければ幸いです」
「わかった。灘妃様と話し合って、できるだけ早めに返答する」
 
 そして、次は法務省だ。財務省の役人とそろってやってきた。
 生真面目な顔に、やはり生真面目な表情を浮かべた役人らが、分厚い書類を差し出してくる。

「まず、こちらは離宮の使用申請書と、それに伴う人員の派遣要請書です。次は、殿下のご領地となるコンヴァルの譲渡と登記についての書類。並びに、コンヴァルの前期の収支報告書と納税報告書。他に今年分の歳費の確認書、衣装代の見積書、更に……」
「……あとで目を通す。そこに置いておいてくれ。署名が必要なものも、あとで渡す」
「かしこまりました」

 一切の無駄口をきかず、ピクリとも表情筋を動かさないまま彼らが退出した後で、フレイがこぼしたため息は、ここ数日で一番大きく深かった。

「僭越ながら、私もお手伝い申し上げます」
「助かる……」

 そういうことを丸投げする予定のダニエルは、おそらくまだ王都にいるか、北へ旅立ったばかりだろう。戻ってくるのは、早くて一月後だ。ヨハンがいてくれてよかった、と心底思うフレイであった。



 あれこれの訪問客のことを思い出し、つい遠い目になりそうになる己を叱咤しつつ、口を開く。

「――とりあえず、明日は引っ越しだな」
「泉の離宮でございますが、殿下はご存じでいらっしゃいますか?」
「いや、前を通ったことくらいしかない」

 王都アルセアには、神殿の聖なる泉をはじめとして、いくつもの泉がわいている。そのうちでも特に大きなものを取り囲むようにして、『泉の離宮』は建てられている――らしい。

「さすがに見取り図はないか」
「警備の都合上でございましょう」

 ヨハンの言う通り、王宮を筆頭に貴人の館の構造は、どこも秘密とされている。代々の当主のみに明かされる秘密の部屋や通路など、万が一のための設備があるのだから当然の用心である。離宮といえば、王家のものや、諸外国の重鎮などが宿泊することもあるのだから、特に厳重に管理されているだろうことは簡単に予想できる。

「とりあえず、行ってみないことには始まらないか」
「当面のお住まいでございますので、入念にお調べなさるのがよろしいかと」
「まぁ、その時間はたっぷりとありそうだが……荷物が増えているし、少々面倒かな」

 神殿に来た当初であれば、旅行鞄一つで済んだのだが、ガーランド家から提供された衣装が増えている。借りたという形ではあるが、すでにフレイの寸法に直されていてこのまま返却するわけにもいかないので、これはもう『譲ってもらった』という方が正しい。諸々がひとまず落ち着いた後で、失礼にならない形で対価を支払う必要があるだろう。

「荷造りと運搬に関しましては、私が手配いたします。殿下は、まずは灘妃様にご報告なさいませ」
「そうだな」

 引っ越すとなれば、今までのように毎日顔を合わせるというわけにもいかなくなる。
 件の離宮は、王都の少し外れに位置しており、中心にある神殿からはいささか距離がある場所だ。移動は馬か馬車になる。ただの騎士ならば一人で馬を駆ればすむことだが、灘公(暫定・お披露目前のため)という地位に就いた以上は、そうはいかない。護衛だの、先ぶれだのも必要となってくるだろう。

「……それは、これまでのように、度々背の君にお会いすることは叶わぬ、ということでございましょうか?」
「いえ。そうはならないように努力するつもりです。私もコラールに会えなくなるのは寂しいですので、さすがに毎日は無理としても、二日に一度は顔を出させていただきたいと思っております」

 住まいを神殿から離宮へと移すことをコラールに告げると、まず最初に、自分に会えなくなるのを心配された。これはフレイにとって、非常にうれしいことである。
 出会ってから、今日で五日目。
 コラールの言葉遣いにやや問題はあっても、意思の疎通自体には影響がないし、たがいに一目惚れした者同士であるので会話もちゃんと弾む。しかし、実際の距離が縮まないのが、ひそかなフレイの悩みであった。
 今も、窓を背にした寝椅子の端にちょこんと腰かけたコラールと、その向かいの椅子に座るフレイの距離は、初日と全く変わっていない。間に低いテーブルがあるのだから当然といえば当然なのであるが、明日からはこれまでのように、(比較的)気軽に顔を合わせることができなくなる。
 ここはひとつ、思い切った行動を起こすべきかもしれない。
 そう思い、常にコラールの側に付き従うオリエ高司祭に、ちらりと視線を走らせる。
 フレイの視線に気が付いたオリエは、そこに含まれている意味を正しく理解したようだ。
 少しの間考え込む様子を見せたが、やがて小さくうなづいた。

「コラール。突然ですが、もう少し、近くに行って構いませんか?」
「近く、とは……あ、はい。お心のままに」

 目出度くオリエとコラール両方から許可を得て、椅子から立ち上がると、テーブルを回り込み、コラールの傍らに膝をつく。

「背の君……?」

 てっきり、自分の隣に座るものと思っていたコラールが、戸惑いの表情を浮かべる。目の端に映るオリエも、似たような表情を浮かべている。
 フレイ自身も、最初はそのつもりだったのだが、直前で考えを変えたのだ。

 未婚の高貴な女性の隣に座るのが許される異性は、その家族か婚約者だけだ。フレイはコラールの夫と定められているので、当然、その権利がある。
 しかし、それはフレイが望み、行動した結果ではない。
 ここで間違えてはならないのは、フレイがその状況を拒んでいるわけではない、ということだ。選定の儀への出席こそ、強制されたものではあったが、そこで一目見たコラールに心を根こそぎ奪われた。コラールも、己を選んでくれた。
 万々歳で、何も問題はないように思えるのだが……ただ、一つ。
 もともとの性格が真面目で、それが数年の軍の生活でさらに強化された彼にとって、全てをおぜん立てされ、それに乗るだけだった己に、本当にコラールの隣に座る権利があるか、という疑問がわいたのだ――このあたりのことは、もう理屈ではなく感覚的なものだ。
 しかし、だからと言ってどうすればいいのか?
 自分を取り巻く環境の急激すぎる変化に対応するのが精いっぱいで、ぼんやりとした疑念でしかなかったものが、ここにきて一気に明確な『疑問』として認識をしたわけだが、そうなると、それに対する答えが必要になってくる。
 そして、フレイがだしたその『回答』なのだが……。
 
「コラール・パレレ・ユラ殿」

 片膝をつき、そっと右手を差し出す。奇しくも選定の儀の折と同じ姿勢となったが、あの時はフレイは終始無言だった。

「今更と思われるかもしれないが、改めて申し込ませていただきたい――どうか、わが妻となって、この先を私の隣で、私と共に歩んでいただけませんか?」

 突然に求婚されて、コラールが驚いている。オリエも目を見張っているが、その表情には少しばかり『男って、こういうところがあるわよね』的な思いが混じっているように思われたのは、フレイの思い過ごしでもあるまい。できればコラールと二人きりでやりたかったと思いはするが、オリエも空気を読んで無言に徹してくれているのでそこは妥協する。

「背の君? わたくしたちは、既に妹背となると……」
「わかっています。ですが、私自身の言葉で貴女を請うたことはありませんでした。細かいことにこだわる男と思われるかもしれませんが、私が、私の言葉で、貴女を我が妻に望んでいると、一度はっきりと申し上げるべきだと思うのです」

 そこで一旦言葉を切ると、少しばかり照れた様子で先を続ける。

「遠い灘から来られた貴女の、その黄金色の瞳を見た瞬間から、私は貴女の僕(しもべ)です。この先の一生を、貴女を守り、貴女に尽くし、貴女を愛し続けると誓います。ですので、どうかこの手を取ってはいただけないでしょうか?」

 フレイにとっては、人生初の甘いセリフである。この年になるまで、恋の一つもしたことがなかった彼にとっては、コラールは一目惚れの相手であると同時に初恋でもあった。
 友人や同僚などから恋人の話を聞く時など、よくもそんな歯の浮くようなことが言えるものだと思っていたが、実際に自分がその立場になると意外とすんなりと出てきたことに、フレイ自身も驚いていた。尚、これが彼の言語能力の限界であるので、これ以上を求められても困るところだ。 
 そして、幸いなことに、コラールはこれで十分だと思ってくれたようである。

「背の君――いいえ、フレイ様。そのお心、うれしゅうございます。わたくしからも、お願い申し上げます。不束者ではございますが、神の御許に上りますまで、末永く宜しくお導きくださいませ」

 そして、もう一度その手に自分のそれを重ねる。
 五日目にしての、二度目の直接の接触であった。

「灘と陸の両神に誓って、必ず」

 ほんの少しひんやりとした感触のその手の甲に、フレイがそっと唇を触れさせる。ぴくりと、かすかにそれが動いた気がしたが、慌てて引き抜かれるようなことはなかった。

「――隣に腰を下ろしても?」
「は、はい。フレイ様……」

 許可をもらい、拳一つ半ほどの距離を開けて座る。ただ、まだ手は離さない。

「なんというか……やっと、本当に貴女に触れる権利を得た、という気がしています」
「まぁ……」

 コラールのすべてがそうだが、フレイの手の中にある小さな手もまた、限りなく美しく整っている。少しでも力を籠めれば砕け散ってしまいそうで、繊細な玻璃細工を扱うような手つきで、それをゆっくりと両手で包み込む。

「愛しています。しばしお側を離れますが、私の心は常にあなたの傍らにいます」
「わ、わたしくしも、お慕い申し上げております……ですので、どうぞ、早く迎えに来てくださいませ」

 離れるといっても、馬で四半刻(三十分)もあれば事足りる距離であるし、二日に一度は面会に来ると、先ほど言ったはずだが……恋する若人とは、大体この様なものである。
 ほとんど壁と一体化していたオリエが、頃合いを見て咳ばらいをし、自分の存在を思い出させるまで、二人は手を取り合りあい、見つめあって過ごしたのだった。


 

 


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