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私の名前はオードリー。バルビエ王国の公爵令嬢です。
私には記憶がありません。
礼儀作法や世界の仕組みなどの知識はあるのですが、これまでに出会った人達の顔と名前、過ごした思い出が消えてしまったのです。
こうなったのは半年前からです。ある朝目覚めると、生まれてからずっと一緒にいた家族のことさえ覚えていませんでした。
半年経った今も、なにひとつ思い出せていません。
不安に押し潰されそうになることもありますが、優しい家族と友人、そして、あの方に支えていただいて頑張っています。
あの方……お兄様の友人だとおっしゃるあの方と初めて会ったとき、なんだかとても懐かしく感じたことを覚えています。
私の手を包んでくださった手は大きくて、一瞬なにかが頭を過ぎりました。
どこかのパーティの光景だったように思いますが、すぐに消えてしまいました。
周りの人達に話すとみんな顔色を変えて、今はまだ考えないほうがいいと言うのです。
私はその言葉に甘えることにしました。
あの光景が浮かんだ瞬間、心臓が潰れそうなほど胸が締め付けられるのを感じたからです。そのまま死んでしまうかと思いました。
そういえば思い出の伴わない知識によると、私は去年貴族の子女が通う魔術学園を卒業しています。
もしかして、あのとき浮かんだ光景は魔術学園の卒業パーティのものだったのでしょうか。
……卒業パーティ。その言葉を思い浮かべるだけで、なんだか胸がざわめきます。自分の心臓の動悸が痛いほど耳朶を打ち、息が苦しくなってきました。
「お嬢様!」
同じ部屋にいたメイドが、真っ青になって駆け寄って来ます。
「どうなさったのですか? 急にお顔の色が悪くなられましたよ?」
「なんでもないわ。王都は公爵領よりも北にあるから、窓からの風が冷たかっただけよ」
私は彼女に微笑みました。
過去の人間関係の記憶を失った私は社交を重んじる貴族社会では生活していけなかったので、一ヶ月ほど前まで王国の南部にある公爵領に引き籠っていたのです。
公爵領はもう春だったのですが、王都はまだ冬の終わりという雰囲気です。朝晩の寒さが辛いです。家族や友人には、もっと公爵領で引き籠っていたほうが良いのではないかと言われていたのですけれど──
「でしたら窓から離れてくださいませ」
「……もう大丈夫よ」
私はメイドから視線を逸らしました。
今日はどうしても窓辺から離れたくない理由があるのです。
メイドは溜息をついて、部屋の奥からショールを持ってきてくれました。お礼を言って肩にかけます。
「せめて窓をお閉めになられてはいかがです? 私どもが毎朝磨いておりますから、閉じていても硝子越しに外が見えますよ」
「……」
彼女は子どものころから私に仕えてくれていると言います。
その思い出は少しも甦っていませんが、この半年で彼女のことは大好きになりました。過去のことを思い出せなくても、新しい思い出を作っていければ良いとも言ってくれています。
あまり我儘を言って困らせてはいけませんね。
「……わかったわ」
「それでは窓をお閉めしますね」
「いいわ。自分で閉めるわよ」
メイドは大きく溜息を漏らしました。
「どれだけ窓から離れたくないんですか」
「そ、そういうわけじゃ……あ」
窓の外にあの方が見えました。玄関へ向かっていらっしゃいます。
春風に揺れる髪が、陽光を反射して黄金の輝きを放っています。
先日いただいたお手紙の通り、今日いらっしゃいました。もう少し遅い時間かと思っていましたが、早過ぎて悪いことなどなにもありません。
無意識に頬を緩めていたのでしょう。
メイドがまた溜息を漏らしました。
「……あの方のお仕事先が王都でなければよろしかったのですがねえ」
私は聞こえなかった振りをして、お茶とお菓子の用意を頼みました。
早く玄関へ向かいましょう。
この国では魔術学園を卒業したら一人前だとされています。結婚してもおかしくない年齢です。
そんな私が玄関に駆けて行って真っ先にお客様を迎えるなんて恥ずかしいことですけれど、あの方なら笑って許してくださいます。
そもそもあの方はいつも、私の記憶を戻すためと言って子どものころのお話ばかりなさるのですから。
私には記憶がありません。
礼儀作法や世界の仕組みなどの知識はあるのですが、これまでに出会った人達の顔と名前、過ごした思い出が消えてしまったのです。
こうなったのは半年前からです。ある朝目覚めると、生まれてからずっと一緒にいた家族のことさえ覚えていませんでした。
半年経った今も、なにひとつ思い出せていません。
不安に押し潰されそうになることもありますが、優しい家族と友人、そして、あの方に支えていただいて頑張っています。
あの方……お兄様の友人だとおっしゃるあの方と初めて会ったとき、なんだかとても懐かしく感じたことを覚えています。
私の手を包んでくださった手は大きくて、一瞬なにかが頭を過ぎりました。
どこかのパーティの光景だったように思いますが、すぐに消えてしまいました。
周りの人達に話すとみんな顔色を変えて、今はまだ考えないほうがいいと言うのです。
私はその言葉に甘えることにしました。
あの光景が浮かんだ瞬間、心臓が潰れそうなほど胸が締め付けられるのを感じたからです。そのまま死んでしまうかと思いました。
そういえば思い出の伴わない知識によると、私は去年貴族の子女が通う魔術学園を卒業しています。
もしかして、あのとき浮かんだ光景は魔術学園の卒業パーティのものだったのでしょうか。
……卒業パーティ。その言葉を思い浮かべるだけで、なんだか胸がざわめきます。自分の心臓の動悸が痛いほど耳朶を打ち、息が苦しくなってきました。
「お嬢様!」
同じ部屋にいたメイドが、真っ青になって駆け寄って来ます。
「どうなさったのですか? 急にお顔の色が悪くなられましたよ?」
「なんでもないわ。王都は公爵領よりも北にあるから、窓からの風が冷たかっただけよ」
私は彼女に微笑みました。
過去の人間関係の記憶を失った私は社交を重んじる貴族社会では生活していけなかったので、一ヶ月ほど前まで王国の南部にある公爵領に引き籠っていたのです。
公爵領はもう春だったのですが、王都はまだ冬の終わりという雰囲気です。朝晩の寒さが辛いです。家族や友人には、もっと公爵領で引き籠っていたほうが良いのではないかと言われていたのですけれど──
「でしたら窓から離れてくださいませ」
「……もう大丈夫よ」
私はメイドから視線を逸らしました。
今日はどうしても窓辺から離れたくない理由があるのです。
メイドは溜息をついて、部屋の奥からショールを持ってきてくれました。お礼を言って肩にかけます。
「せめて窓をお閉めになられてはいかがです? 私どもが毎朝磨いておりますから、閉じていても硝子越しに外が見えますよ」
「……」
彼女は子どものころから私に仕えてくれていると言います。
その思い出は少しも甦っていませんが、この半年で彼女のことは大好きになりました。過去のことを思い出せなくても、新しい思い出を作っていければ良いとも言ってくれています。
あまり我儘を言って困らせてはいけませんね。
「……わかったわ」
「それでは窓をお閉めしますね」
「いいわ。自分で閉めるわよ」
メイドは大きく溜息を漏らしました。
「どれだけ窓から離れたくないんですか」
「そ、そういうわけじゃ……あ」
窓の外にあの方が見えました。玄関へ向かっていらっしゃいます。
春風に揺れる髪が、陽光を反射して黄金の輝きを放っています。
先日いただいたお手紙の通り、今日いらっしゃいました。もう少し遅い時間かと思っていましたが、早過ぎて悪いことなどなにもありません。
無意識に頬を緩めていたのでしょう。
メイドがまた溜息を漏らしました。
「……あの方のお仕事先が王都でなければよろしかったのですがねえ」
私は聞こえなかった振りをして、お茶とお菓子の用意を頼みました。
早く玄関へ向かいましょう。
この国では魔術学園を卒業したら一人前だとされています。結婚してもおかしくない年齢です。
そんな私が玄関に駆けて行って真っ先にお客様を迎えるなんて恥ずかしいことですけれど、あの方なら笑って許してくださいます。
そもそもあの方はいつも、私の記憶を戻すためと言って子どものころのお話ばかりなさるのですから。
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