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第十一話 お嬢様は戦います!
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イードルはレオンチェフ公爵令嬢ヴェロニカが苦手だった。
自分の血を引く子ども達の中でただひとり、実体を失ったイードルを見ることが出来たイリュージアとともに行った魔術学園の入学式で顔を見た瞬間、なんだかとても嫌な予感がしたのを覚えている。
血縁者でも聖職者でもない彼女に自分が見えているはずがないのに、その緑色の瞳に射止められたような気がした。
光によって色合いが変わる緑色の瞳だった。
草原の青葉にも深い水底で揺れる水草のようにも見える緑色だった。
どんなに色合いが変わってもその緑色が美しく、イードルのありもしない心臓を締め付けることだけは変わらなかった。
……ああ、知っている。
イードルはその瞳を知っていた。
色は違っていたけれど、その瞳を持つ者を何人も知っている。
麻薬を飲まされ穢されても、真っすぐに見つめてきてイードルの罪を責め、けして言いなりにはならなかった女達の瞳だ。困ったことにイードルは、自分からすり寄って来たイリュージアの母親のような扱いやすい女よりも、そんな反抗的な女に惹かれるのだった。
だから、イードルはその少女を壊そうと思った。
イリュージアによるパーヴェル王太子とその側近達の誘惑は、レオンチェフ公爵や今の聖王への復讐の一歩というだけでなく、婚約者を愛するヴェロニカへの攻撃としても有効なはずだ。
今のヴェロニカに近づくと自分の力が弱まるような気がして娘と彼らだけのとき以外は離れていたが、一度欲望を煽られて堕ちた男達はイードルがすぐ近くにいなくても、イリュージアに操られるまま彼女を傷つけてくれた。
愛する王太子に裏切られて、婚約を破棄され冤罪を着せられて、冷たい牢獄で慰み者にされて──イードルはヴェロニカが穢れて堕ちていくことを期待していた。
自分のところまで堕ちてきたら、やっと本当に欲しいものが手に入るかもしれない。
簡単に言いなりになる女達とは違う、自分を真っすぐに見つめる美しい瞳の壊れた少女。傷つけられた彼女は世界のすべてを忌み嫌い、イードルの思いのままになるに違いない。イードルを見ることが出来るのはイリュージアだけだが、ほかの人間にも声だけなら届けられるのは五年前、復讐相手のひとりである王配を殺させたときに確認していた。
なのに、彼女はイードルとイリュージアが仕掛けた罠に落ちる前にいなくなってしまった。ヴェロニカは自分から王太子に別れを告げることを決意し、事故死してしまったのだ。
イードルが卒業パーティの十日前の夜からイリュージアと離れていたのは、ヴェロニカを探していたからだった。
まだ年若い彼女のことだ。婚約者だった王太子のことを吹っ切ったとしても、この世に未練はあるはずだ。イードルのような存在になっているかもしれない。
自分の復讐のことも娘のことも頭から消えていた。
娘以外の目には映らないのを良いことにレオンチェフ公爵家に忍び込もうとしたのだが、屋敷を包む黄金色の光に邪魔されて叶わなかった。
その光にヴェロニカの存在を感じても近寄ることは出来なかった。
光が放つ力はイードルのように邪なる存在を害するものだったのだ。卒業パーティの日にはヴェロニカの気配が公爵家を離れるのを感じたのだけれど、自分の息子らしき男に拒まれて近づけなかった。見えてもいないのに、息子は全身でイードルの存在を拒んでいた。
十日と半月、一ヶ月近くヴェロニカを探した挙句、やっと諦めて復讐の続きをするために娘のところへ戻って来たイードルだったが──
「なんだか悪いものの気配がします。私がこんな姿で留まり続けてきたのは、あなたを滅するためだったのですね」
王宮の塔、窓辺に佇みイリュージアと話していたイードルのもとへ彼女が来た。
やはりイードルと同じような存在になっていた。
実体はなく、髪の毛と同じ黄金色の光を纏っている。
「……ヴェロニカ……」
『どうしたの、お父様? 公爵令嬢がここにいるの? やっぱり悪霊になっていたのね、あの女』
イリュージアには彼女の姿は見えていないようだ。
血縁者でも聖職者でもないから当然のことだ。もちろん仲間の霊でもないし。
五年前の王配殺人犯はイードルを愛し彼の死後も心酔していたけれど、イリュージアはヴェロニカに好意を抱いたことなどないのだから声が聞こえるはずもない。
「お父様? あなたはイリュージア様のお父様なのですか? 男爵がお亡くなりになったという話は聞いていないのですが」
ヴェロニカはイリュージアの発言を聞いて首を傾げた。
実体を失ったヴェロニカは、イードルが好きだった緑色の瞳を失っていた。
それでも彼女の透けた瞳は真っすぐにイードルを射る。イードルのありもしない心臓が締め付けられていく。
「私はイードル。男爵ではないけれど、イリュージアの父親だ。たぶん君の家の従者ザハールの父親でもある」
「ザハールの?」
ヴェロニカは不思議そうにイードルを見つめる。
彼女の視線を独占していることが、イードルは嬉しくてならなかった。
苦手だったのではない。イードルは気づいた。自分はヴェロニカに恋をしていたのだ。
『どういうことなの? なんの話をしているの、お父様?』
自分の声だけを聞いて、怪訝そうに叫ぶ娘の存在は邪魔だとしか思えなかった。
じっとイードルを見つめた後、ヴェロニカは首を横に振って両手を合わせた。
「イリュージア様の髪と同じピンクの靄にしか見えません。とにかく浄化魔術を使わせていただきます。あなたが邪なる存在でなければ消え去ることはありません。あなたが邪なる存在だったとしたらイリュージア様も……パーヴェル殿下も解放されることでしょう」
「待ってくれヴェロニカ、私の話を聞いてくれ。私達は生死の軛から解き放たれた選ばれた者同士だ。ふたりで力を合わせれば、きっとなんでも出来る」
『なにを言っているの、お父様!』
イードルは女を口説いたことがない。
生前、見た目の良さだけで寄ってこない女には麻薬を使っていた。貶めれば自分のものになると思いつつも、本当はそうではないことに気づかない振りをしていた。
彼の一世一代の告白のようなものは、ヴェロニカの心には届かなかった。
『お父様? どうしたの、お父様っ!』
娘の声に応えることなく、イードルはヴェロニカの浄化魔術で消滅した。
イリュージアがイードルを失うと、パーヴェルの欲望を煽って虜にすることが出来なくなるわけだが──彼は娘の惨めな末路など一瞬も案じることなく、目の前のヴェロニカに見惚れて消えたのだった。
自分の血を引く子ども達の中でただひとり、実体を失ったイードルを見ることが出来たイリュージアとともに行った魔術学園の入学式で顔を見た瞬間、なんだかとても嫌な予感がしたのを覚えている。
血縁者でも聖職者でもない彼女に自分が見えているはずがないのに、その緑色の瞳に射止められたような気がした。
光によって色合いが変わる緑色の瞳だった。
草原の青葉にも深い水底で揺れる水草のようにも見える緑色だった。
どんなに色合いが変わってもその緑色が美しく、イードルのありもしない心臓を締め付けることだけは変わらなかった。
……ああ、知っている。
イードルはその瞳を知っていた。
色は違っていたけれど、その瞳を持つ者を何人も知っている。
麻薬を飲まされ穢されても、真っすぐに見つめてきてイードルの罪を責め、けして言いなりにはならなかった女達の瞳だ。困ったことにイードルは、自分からすり寄って来たイリュージアの母親のような扱いやすい女よりも、そんな反抗的な女に惹かれるのだった。
だから、イードルはその少女を壊そうと思った。
イリュージアによるパーヴェル王太子とその側近達の誘惑は、レオンチェフ公爵や今の聖王への復讐の一歩というだけでなく、婚約者を愛するヴェロニカへの攻撃としても有効なはずだ。
今のヴェロニカに近づくと自分の力が弱まるような気がして娘と彼らだけのとき以外は離れていたが、一度欲望を煽られて堕ちた男達はイードルがすぐ近くにいなくても、イリュージアに操られるまま彼女を傷つけてくれた。
愛する王太子に裏切られて、婚約を破棄され冤罪を着せられて、冷たい牢獄で慰み者にされて──イードルはヴェロニカが穢れて堕ちていくことを期待していた。
自分のところまで堕ちてきたら、やっと本当に欲しいものが手に入るかもしれない。
簡単に言いなりになる女達とは違う、自分を真っすぐに見つめる美しい瞳の壊れた少女。傷つけられた彼女は世界のすべてを忌み嫌い、イードルの思いのままになるに違いない。イードルを見ることが出来るのはイリュージアだけだが、ほかの人間にも声だけなら届けられるのは五年前、復讐相手のひとりである王配を殺させたときに確認していた。
なのに、彼女はイードルとイリュージアが仕掛けた罠に落ちる前にいなくなってしまった。ヴェロニカは自分から王太子に別れを告げることを決意し、事故死してしまったのだ。
イードルが卒業パーティの十日前の夜からイリュージアと離れていたのは、ヴェロニカを探していたからだった。
まだ年若い彼女のことだ。婚約者だった王太子のことを吹っ切ったとしても、この世に未練はあるはずだ。イードルのような存在になっているかもしれない。
自分の復讐のことも娘のことも頭から消えていた。
娘以外の目には映らないのを良いことにレオンチェフ公爵家に忍び込もうとしたのだが、屋敷を包む黄金色の光に邪魔されて叶わなかった。
その光にヴェロニカの存在を感じても近寄ることは出来なかった。
光が放つ力はイードルのように邪なる存在を害するものだったのだ。卒業パーティの日にはヴェロニカの気配が公爵家を離れるのを感じたのだけれど、自分の息子らしき男に拒まれて近づけなかった。見えてもいないのに、息子は全身でイードルの存在を拒んでいた。
十日と半月、一ヶ月近くヴェロニカを探した挙句、やっと諦めて復讐の続きをするために娘のところへ戻って来たイードルだったが──
「なんだか悪いものの気配がします。私がこんな姿で留まり続けてきたのは、あなたを滅するためだったのですね」
王宮の塔、窓辺に佇みイリュージアと話していたイードルのもとへ彼女が来た。
やはりイードルと同じような存在になっていた。
実体はなく、髪の毛と同じ黄金色の光を纏っている。
「……ヴェロニカ……」
『どうしたの、お父様? 公爵令嬢がここにいるの? やっぱり悪霊になっていたのね、あの女』
イリュージアには彼女の姿は見えていないようだ。
血縁者でも聖職者でもないから当然のことだ。もちろん仲間の霊でもないし。
五年前の王配殺人犯はイードルを愛し彼の死後も心酔していたけれど、イリュージアはヴェロニカに好意を抱いたことなどないのだから声が聞こえるはずもない。
「お父様? あなたはイリュージア様のお父様なのですか? 男爵がお亡くなりになったという話は聞いていないのですが」
ヴェロニカはイリュージアの発言を聞いて首を傾げた。
実体を失ったヴェロニカは、イードルが好きだった緑色の瞳を失っていた。
それでも彼女の透けた瞳は真っすぐにイードルを射る。イードルのありもしない心臓が締め付けられていく。
「私はイードル。男爵ではないけれど、イリュージアの父親だ。たぶん君の家の従者ザハールの父親でもある」
「ザハールの?」
ヴェロニカは不思議そうにイードルを見つめる。
彼女の視線を独占していることが、イードルは嬉しくてならなかった。
苦手だったのではない。イードルは気づいた。自分はヴェロニカに恋をしていたのだ。
『どういうことなの? なんの話をしているの、お父様?』
自分の声だけを聞いて、怪訝そうに叫ぶ娘の存在は邪魔だとしか思えなかった。
じっとイードルを見つめた後、ヴェロニカは首を横に振って両手を合わせた。
「イリュージア様の髪と同じピンクの靄にしか見えません。とにかく浄化魔術を使わせていただきます。あなたが邪なる存在でなければ消え去ることはありません。あなたが邪なる存在だったとしたらイリュージア様も……パーヴェル殿下も解放されることでしょう」
「待ってくれヴェロニカ、私の話を聞いてくれ。私達は生死の軛から解き放たれた選ばれた者同士だ。ふたりで力を合わせれば、きっとなんでも出来る」
『なにを言っているの、お父様!』
イードルは女を口説いたことがない。
生前、見た目の良さだけで寄ってこない女には麻薬を使っていた。貶めれば自分のものになると思いつつも、本当はそうではないことに気づかない振りをしていた。
彼の一世一代の告白のようなものは、ヴェロニカの心には届かなかった。
『お父様? どうしたの、お父様っ!』
娘の声に応えることなく、イードルはヴェロニカの浄化魔術で消滅した。
イリュージアがイードルを失うと、パーヴェルの欲望を煽って虜にすることが出来なくなるわけだが──彼は娘の惨めな末路など一瞬も案じることなく、目の前のヴェロニカに見惚れて消えたのだった。
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