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第九話 正体
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「ジュリアナ様」
「……はい」
王宮の休憩室で、新しいドレスが用意されるまでの間は付き添ってくださるとおっしゃったバジリオ様が、ソファで私の隣に座って呼びかけてきました。
隣はどうかと思うのですけれど、それを言う気力はありませんでした。
黒にも見える濃い琥珀の瞳が私を映します。
「お泣きになられても良いのですよ?」
「……泣く?」
「ええ。たとえブラガ侯爵子息を愛してらっしゃらなかったとしても、貴女がこの十年頑張って来られたことは、僕もナタリア様も知っています。その努力を踏み躙られて悲しくないわけがありません。……ずっと無理をなさっていたのではないですか?」
「前にお話した通り、ロナウド様と婚約していた間は無理をしていましたが、今は……」
「ジュリアナ様。僕はただの金蔓です。金蔓の前で涙を流しても、恥ずかしいことはないのですよ」
いえ、金蔓の件はお断りいたしました。
とはいうものの、バジリオ様のお言葉を聞いていると、なんだか心の中が温かくなるような気がしました。大切なドレスを汚された衝撃で、少し頭が混乱していたようです。ゆっくりと感情が戻っていくのを感じます。
しばらく彼の肩に頭を預けて考えて、私は気づきました。
「バジリオ様、やっぱり私、悲しくはないです」
「そうなんですか?」
「はい。私は悲しいのではなく腹が立っていたようです。だって!」
思わず声を荒げてしまった私に、バジリオ様が驚いた顔をなさいます。
「このドレスは我が東部が誇る職人達の技巧の極み、叡智の結晶なのですよ? それを汚してしまうだなんて!……でも、葡萄の果実水の色は綺麗ですよね。果実水や葡萄酒を作った残りの皮で布を染めるのはどうでしょうか。確か赤葡萄酒の色は皮を潰して出しているのですよね?」
「ジュリアナ様」
バジリオ様のお顔がほころびました。
いつもの優し気な笑みとは違いますが、見ているとこちらまで嬉しくなってくるような楽し気な笑みです。
「貴方は絶対にダラダラのんびり暮らすことは出来ません。また新しい事業を思いついてるじゃないですか。ああ、でもそうです。僕は貴女のその顔が好きなんです。お会いする前は、東部山脈の氷雪で感情が凍りついた人形令嬢という噂を信じていました」
私、そんな噂を立てられていたのですね。
「なのにお茶会で、僕を一介の商人と信じて新商品の宣伝をする貴女の瞳はキラキラと輝いていて、とても魅力的で……あのとき僕はひと目で貴女に恋してしまったんです」
バジリオ様はソファから降りて、私の前で騎士の姿勢を取りました。
ちなみに、休憩室にはちゃんとメイド達がいます。
「もう一度求婚させてください。ジュリアナ様、僕の妻になってください」
「ごめんなさい、お断りいたします」
「それは無理だと思います。本当の僕は大きな商会の跡取り息子でも、一介の商人でもありませんから」
「……知っています。以前お父様に教えていただきました」
「さすがアルメイダ侯爵ですね。情報が力だと知ってらっしゃる」
バジリオ様の琥珀の瞳が煌めきました。
「聡明なジュリアナ様ならおわかりになりますよね? 帝国の皇帝の求婚を断ることなど出来ないと」
そうです、彼は帝国の皇帝なのです。
異母弟妹や即位前からの忠臣に帝国を任せ、病弱という体で姿を隠し、一介の商人の振りをして国の内外を飛び回って情報を集めていらっしゃるのです。
不敬は承知の上で、私は彼に言いました。
「皇帝陛下の妃というのは私には荷が重いのです。本当の本当に、私はダラダラのんびり暮らしていきたいのです。バジリオ様が本当に一介の商人で新しい商品を作るときの金蔓になってくださるのなら、最初の求婚をお受けしていました」
「……貴女のダラダラのんびり暮らしには新商品の開発が組み込み済みなんですね」
「試作の繰り返しや販売網の設立までする気はありませんが、考えたものを形にするのは楽しいですから」
バジリオ様は私の身勝手な言葉を聞いて、わかりました、と頷きました。
「貴女の金蔓になりますよ」
「いえ、ですから私は……」
反論は彼の唇で塞がれてしまいました。メイド達に止めようとする素振りはありません。
バジリオ様は帝国の皇帝陛下ですものね。王太子殿下方がそれをご存じないはずがありません。
それに……本当は私も彼が嫌いではないのです。だって彼はいつも、私の話を真面目に聞いてくださるのです。初めて会ったあのときもそうでした。
今は途中で遮られてしまいましたけどね。
「……はい」
王宮の休憩室で、新しいドレスが用意されるまでの間は付き添ってくださるとおっしゃったバジリオ様が、ソファで私の隣に座って呼びかけてきました。
隣はどうかと思うのですけれど、それを言う気力はありませんでした。
黒にも見える濃い琥珀の瞳が私を映します。
「お泣きになられても良いのですよ?」
「……泣く?」
「ええ。たとえブラガ侯爵子息を愛してらっしゃらなかったとしても、貴女がこの十年頑張って来られたことは、僕もナタリア様も知っています。その努力を踏み躙られて悲しくないわけがありません。……ずっと無理をなさっていたのではないですか?」
「前にお話した通り、ロナウド様と婚約していた間は無理をしていましたが、今は……」
「ジュリアナ様。僕はただの金蔓です。金蔓の前で涙を流しても、恥ずかしいことはないのですよ」
いえ、金蔓の件はお断りいたしました。
とはいうものの、バジリオ様のお言葉を聞いていると、なんだか心の中が温かくなるような気がしました。大切なドレスを汚された衝撃で、少し頭が混乱していたようです。ゆっくりと感情が戻っていくのを感じます。
しばらく彼の肩に頭を預けて考えて、私は気づきました。
「バジリオ様、やっぱり私、悲しくはないです」
「そうなんですか?」
「はい。私は悲しいのではなく腹が立っていたようです。だって!」
思わず声を荒げてしまった私に、バジリオ様が驚いた顔をなさいます。
「このドレスは我が東部が誇る職人達の技巧の極み、叡智の結晶なのですよ? それを汚してしまうだなんて!……でも、葡萄の果実水の色は綺麗ですよね。果実水や葡萄酒を作った残りの皮で布を染めるのはどうでしょうか。確か赤葡萄酒の色は皮を潰して出しているのですよね?」
「ジュリアナ様」
バジリオ様のお顔がほころびました。
いつもの優し気な笑みとは違いますが、見ているとこちらまで嬉しくなってくるような楽し気な笑みです。
「貴方は絶対にダラダラのんびり暮らすことは出来ません。また新しい事業を思いついてるじゃないですか。ああ、でもそうです。僕は貴女のその顔が好きなんです。お会いする前は、東部山脈の氷雪で感情が凍りついた人形令嬢という噂を信じていました」
私、そんな噂を立てられていたのですね。
「なのにお茶会で、僕を一介の商人と信じて新商品の宣伝をする貴女の瞳はキラキラと輝いていて、とても魅力的で……あのとき僕はひと目で貴女に恋してしまったんです」
バジリオ様はソファから降りて、私の前で騎士の姿勢を取りました。
ちなみに、休憩室にはちゃんとメイド達がいます。
「もう一度求婚させてください。ジュリアナ様、僕の妻になってください」
「ごめんなさい、お断りいたします」
「それは無理だと思います。本当の僕は大きな商会の跡取り息子でも、一介の商人でもありませんから」
「……知っています。以前お父様に教えていただきました」
「さすがアルメイダ侯爵ですね。情報が力だと知ってらっしゃる」
バジリオ様の琥珀の瞳が煌めきました。
「聡明なジュリアナ様ならおわかりになりますよね? 帝国の皇帝の求婚を断ることなど出来ないと」
そうです、彼は帝国の皇帝なのです。
異母弟妹や即位前からの忠臣に帝国を任せ、病弱という体で姿を隠し、一介の商人の振りをして国の内外を飛び回って情報を集めていらっしゃるのです。
不敬は承知の上で、私は彼に言いました。
「皇帝陛下の妃というのは私には荷が重いのです。本当の本当に、私はダラダラのんびり暮らしていきたいのです。バジリオ様が本当に一介の商人で新しい商品を作るときの金蔓になってくださるのなら、最初の求婚をお受けしていました」
「……貴女のダラダラのんびり暮らしには新商品の開発が組み込み済みなんですね」
「試作の繰り返しや販売網の設立までする気はありませんが、考えたものを形にするのは楽しいですから」
バジリオ様は私の身勝手な言葉を聞いて、わかりました、と頷きました。
「貴女の金蔓になりますよ」
「いえ、ですから私は……」
反論は彼の唇で塞がれてしまいました。メイド達に止めようとする素振りはありません。
バジリオ様は帝国の皇帝陛下ですものね。王太子殿下方がそれをご存じないはずがありません。
それに……本当は私も彼が嫌いではないのです。だって彼はいつも、私の話を真面目に聞いてくださるのです。初めて会ったあのときもそうでした。
今は途中で遮られてしまいましたけどね。
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