炎の夜に

豆狸

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三日目 赤の記憶

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 昨夜は夢も見ないで熟睡しました。
 仮面に刻まれた治癒魔法の術式は着用者の魔力を吸収して発動するので、一日客間の寝台にいても体が疲労していくからでしょう。
 ビーヘル侯爵家の主治医と日課の筆談をして、彼を見送った後に侍女が淹れてくれたお茶を飲みながらぼんやりします。

 私は一体だれなのでしょう。
 彼に……第二王子ルドフィクス殿下に愛された彼女フルーフなのでしょうか。
 それとも彼に愛されなかった彼女ハリエットなのでしょうか。

「お嬢様、お茶のお代わりをお注ぎいたしましょうか」
「……ありがとう……」

 今日から声を出せるようになりました。
 まだ喉が全快していないため低くて掠れた声です。
 ハリエットの声ともフルーフの声とも違うと言われました。主治医との会話が筆談だったのは、長時間喋るのは辛いからです。だけど全然喋らないのも駄目だと言われたので、こうしてちょっとしたことは口にするようにしています。

「……フェムカ……?」

 優雅にお茶を淹れる侍女の指先を見ていたら、なぜかそんな名前が口からこぼれました。
 お茶を淹れてくれている侍女の目が丸くなります。
 彼女の名前はリアです。

「……赤い爪、だった……?」

 私の言葉にリアが頷きます。

「思い出されたのですか?」

 私は首を横に振りました。

「……名前と、爪だけ、浮かんだ……」
「そうですか。フェムカはあの女……フルーフお嬢様の侍女のひとりです。ハリエットお嬢様の専属侍女は私ひとりでしたが、フルーフお嬢様には三人の侍女がいました。そういえば、三人とも爪が赤かったですねえ」

 リアは不思議そうに首を傾げました。
 ハリエットの専属侍女であるリアでなく、フルーフの専属侍女の名前を思い出したのは、私がフルーフだからでしょうか。
 記憶を失ってから三日、リアは私が過ごしやすいよう気を配ってくれました。過去の記憶はありませんが、この三日間で情は湧きました。私がフルーフだったとしたら、大切な主人を喪ったリアはどれだけ悲しむことでしょう。

「私がお嬢様のお世話をしているのは、私がお嬢様をハリエットお嬢様だと確信していることだけが理由ではありません。フェムカは卒業パーティの翌日に買い物へ出たきり行方不明になっていて、ほかのふたりは火災の日に殺されていたからです」
「……そう……」

 ほかに言えることがなくて、私は相槌だけ打ってお茶のお代わりに口をつけました。
 第二王子ルドフィクス殿下に婚約を破棄されたハリエットは、直後に亡き侯爵から絶縁も宣言されました。
 手続きがあるので卒業パーティから三日経っても王都の侯爵邸で生活していましたが、いずれは追い出される運命でした。婚約者を奪った異母妹フルーフと自分と母親を愛することのなかったビーヘル侯爵を恨み、殺して館ごと灰にしてしまおうと考えてもおかしくはないのではないでしょうか。

 フェムカを含むフルーフ専属の侍女達は、フルーフを殺しやすくするため事前に始末されたのかもしれません。
 ……私はだれなのでしょう。
 思いながらリアを見つめます。彼女を始めとする今いる使用人達は正妻と長女ハリエット贔屓です。私がフルーフだったとしたら、きっと喜んではくれないでしょう。

 彼らが正妻と長女ハリエットを贔屓するのは当たり前のことです。
 館に寄り付かずに愛人を追いかけて、たまに戻っても正妻と長女ハリエットがまとめた書類を決裁するだけのお飾り当主やその庶子を好きになれるはずがありません。
 フルーフを愛していたのは亡くなった侯爵と第二王子殿下だけ──でももし私がフルーフだったとしても、今の私は第二王子ルドフィクス殿下のお顔を思い出すことも出来ないでいるのです。
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