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六日目 襲撃未遂の夜
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「ビーヘル侯爵令嬢ハリエット! 私、第二王子ルドフィクスは、貴様との婚約を破棄する!」
昨日の昼間に聞いたことのある声が耳朶を打ちます。
「異母妹のフルーフのほうが愛されていることに嫉妬して、彼女を虐めるような下劣な人間と結婚することなど出来ない! ビーヘル侯爵もお怒りだ。貴様を絶縁すると言っている!」
これは卒業パーティの記憶でしょうか。
開催場所はビーヘル侯爵家の姉妹と第二王子殿下が通っていた学園の講堂だったと聞いています。
けれど世界は淡い靄のようなものに包まれていて、ここがどこなのかわかりません。
第二王子殿下の前にいて罵声を受けているのなら私はハリエットです。
でも彼の隣で肩か腰を抱かれているのなら、私はフルーフです。
どちらなのでしょう。
淡い靄が隠しているのは場所だけでなく、そこにいる人々もです。
多くの人がいることはわかります。ざわめきも聞こえてきます。
だけど第二王子殿下が私に対してどこにいるか、声がどちらから聞こえてきたのかはわからないのです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
真夜中に目が覚めました。
しばらく熟睡する日が続いていたので、久しぶりに見る夢です。
明日が終われば仮面を外すことが出来ます。仮面が吸い取る着用者の魔力の量が少なくなり、夢を見ながら眠れるほどの余裕が生まれたのかもしれません。
「……っ!」
どこかでだれかの声が聞こえました。
静かな夜です。
淡い靄に覆われていた夢の中とは違って、声が聞こえて来た方向はすぐにわかりました。窓の外です。私はこっそりと寝台を抜け出しました。
「……お嬢様」
「リ、リア?」
窓を開ける前に、いつの間に控えの間を出たのか、背後に立つリアに呼びかけられて私は飛び上がりました。
寝間着姿の彼女が薄手の上着を私にかけてくれます。
私がハリエットだったとしたら、よく火災の夜に彼女を出し抜いて父の執務室まで行けたものです。やはり事前に侍女を殺されていたフルーフなのでしょうか。
「不心得者が忍び込んだのかもしれません。結界は悪しき魔法には有効ですが、忍び込むのに長けた悪党には効果がありませんからね。あるいは改修工事のために雇った泊まり込みの人間が手引きをしたのかも」
窓の外からは複数の人間が争っている気配がします。
忍び込んだ悪党を警備の人間がここまで追いかけて来たのでしょうか。
私は窓を開けて外の様子を確かめたかったのですけれど、リアに視線で止められています。客間は二階にあるので、窓から見下ろすだけなら危険はないと思うのですが。
やがて争いの気配が止みました。
窓を開けようとした私に先んじて、リアが窓辺に近づきます。
彼女は窓を開け、中庭を確認してからだれかに呼びかけました。
「なにがあったのです?」
「侵入者だ。爺と一緒に捕縛したから安心してくれ」
大声を上げなくてもよく響く、その低い声を私は知っていました。
「お嬢様?」
「ごめんなさい!」
私はリアを撥ね退けるようにして窓に飛びつきました。
夜の暗い中庭ですが、花畑を照らす魔道具の光が視認を助けてくれます。
客間の窓の下には老庭師と縛られた男──男の顔を見て、なぜかリアが息を飲みました──そして、ひとりの青年がいました。館を離れていた老庭師の孫息子でしょう。
青年を見た途端、私の心臓が跳ね上がりました。
雨の夢を見たときのように弾んだ気持になります。
自分の名前も思い出せないのに、私は嬉しくて幸せで、窓の下の彼が愛おしくてたまりませんでした。
「……アルド?」
無意識に唇から漏れた名前に、彼の顔色が変わるのがわかりました。
「記憶が戻ったのか、お嬢!」
問いかけられて、首を横に振ります。
記憶は戻っていません。自分のことも彼のこともわかりません。
わかっているのはただひとつ、私が彼を愛していることだけでした。おそらくアルドという名前の彼を。
昨日の昼間に聞いたことのある声が耳朶を打ちます。
「異母妹のフルーフのほうが愛されていることに嫉妬して、彼女を虐めるような下劣な人間と結婚することなど出来ない! ビーヘル侯爵もお怒りだ。貴様を絶縁すると言っている!」
これは卒業パーティの記憶でしょうか。
開催場所はビーヘル侯爵家の姉妹と第二王子殿下が通っていた学園の講堂だったと聞いています。
けれど世界は淡い靄のようなものに包まれていて、ここがどこなのかわかりません。
第二王子殿下の前にいて罵声を受けているのなら私はハリエットです。
でも彼の隣で肩か腰を抱かれているのなら、私はフルーフです。
どちらなのでしょう。
淡い靄が隠しているのは場所だけでなく、そこにいる人々もです。
多くの人がいることはわかります。ざわめきも聞こえてきます。
だけど第二王子殿下が私に対してどこにいるか、声がどちらから聞こえてきたのかはわからないのです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
真夜中に目が覚めました。
しばらく熟睡する日が続いていたので、久しぶりに見る夢です。
明日が終われば仮面を外すことが出来ます。仮面が吸い取る着用者の魔力の量が少なくなり、夢を見ながら眠れるほどの余裕が生まれたのかもしれません。
「……っ!」
どこかでだれかの声が聞こえました。
静かな夜です。
淡い靄に覆われていた夢の中とは違って、声が聞こえて来た方向はすぐにわかりました。窓の外です。私はこっそりと寝台を抜け出しました。
「……お嬢様」
「リ、リア?」
窓を開ける前に、いつの間に控えの間を出たのか、背後に立つリアに呼びかけられて私は飛び上がりました。
寝間着姿の彼女が薄手の上着を私にかけてくれます。
私がハリエットだったとしたら、よく火災の夜に彼女を出し抜いて父の執務室まで行けたものです。やはり事前に侍女を殺されていたフルーフなのでしょうか。
「不心得者が忍び込んだのかもしれません。結界は悪しき魔法には有効ですが、忍び込むのに長けた悪党には効果がありませんからね。あるいは改修工事のために雇った泊まり込みの人間が手引きをしたのかも」
窓の外からは複数の人間が争っている気配がします。
忍び込んだ悪党を警備の人間がここまで追いかけて来たのでしょうか。
私は窓を開けて外の様子を確かめたかったのですけれど、リアに視線で止められています。客間は二階にあるので、窓から見下ろすだけなら危険はないと思うのですが。
やがて争いの気配が止みました。
窓を開けようとした私に先んじて、リアが窓辺に近づきます。
彼女は窓を開け、中庭を確認してからだれかに呼びかけました。
「なにがあったのです?」
「侵入者だ。爺と一緒に捕縛したから安心してくれ」
大声を上げなくてもよく響く、その低い声を私は知っていました。
「お嬢様?」
「ごめんなさい!」
私はリアを撥ね退けるようにして窓に飛びつきました。
夜の暗い中庭ですが、花畑を照らす魔道具の光が視認を助けてくれます。
客間の窓の下には老庭師と縛られた男──男の顔を見て、なぜかリアが息を飲みました──そして、ひとりの青年がいました。館を離れていた老庭師の孫息子でしょう。
青年を見た途端、私の心臓が跳ね上がりました。
雨の夢を見たときのように弾んだ気持になります。
自分の名前も思い出せないのに、私は嬉しくて幸せで、窓の下の彼が愛おしくてたまりませんでした。
「……アルド?」
無意識に唇から漏れた名前に、彼の顔色が変わるのがわかりました。
「記憶が戻ったのか、お嬢!」
問いかけられて、首を横に振ります。
記憶は戻っていません。自分のことも彼のこともわかりません。
わかっているのはただひとつ、私が彼を愛していることだけでした。おそらくアルドという名前の彼を。
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