愛してもいないのに

豆狸

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第四話 ディミトゥラの記憶

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「さほど深い傷ではなかったものの、飾り針に塗られていた錆止めが悪かった。うっすらと痕が残るようだよ」
「申し訳ありません、お父様。貴族令嬢が顔に傷だなんて」
「そんなにカラマンリス子爵家との縁談が嫌だったのか?」
「……」

 我が家に仕える薬師に顔の手当てをしてもらった後で、私は父とふたりで話をすることになりました。
 ええ、私も他人がさっきの私のような行動をとったなら驚いて心配します。
 自分でも気づいていませんでした。そんなに時間が戻る前のことを苦痛に思っていただなんて。

 でも考えてみれば当たり前のことです。
 ケラトのことがとどめでしたが、それまでのことも苦痛に感じていたからこそ私は死を選んでしまったのです。
 北方の平和を望んで自分が選んだ政略結婚だったとはいえ、愛してもいない男に嫁いだ上に、相手には愛人がいて冷遇されていたのですもの。

「あんなことをするまえに口で言って欲しかったぞ。この父がお前の気持ちを無視して結婚を強行するような人間に見えたのか?」
「……お父様は、ずっとアサナソプロス辺境伯家とカラマンリス子爵家の不和を案じていらしたから」
「確かに辺境伯家と子爵家が和睦したら嬉しいが、だからって愛娘を犠牲にしてまでとは思わないよ。当代のカラマンリス子爵は領地のために尽力しているし、流行品を買い集める先見の明もある。しかし、我が家に縁談を持ち掛けてきたのに自分の女性関係を清算していないところですべて台無しだ。話があったことだけ伝えて最初から断る気だったのだぞ」
「……」

 時間が戻る前とは違います。
 今回のメンダークスは、トゥレラを重臣に嫁がせもせずに私との結婚を申し込んできたようです。
 それで受け入れられると思ったのでしょうか。

 どうして前と違うのでしょう。
 この記憶は本当のことではないのかもしれません。
 ……本当のことでなかったなら良いのに。

 考え込んだ私を見つめて、父が微笑みました。
 顔に傷を作ってしまった娘の気分を明るくしようとしてくれているのでしょう。
 わざとらしく軽い口調でからかうように話しかけてきます。

「わざわざ傷物令嬢にならなくても、優秀な家臣にならお前を嫁がせても良いと思っているんだぞ? ん?」
「え、あの……」
「そこまで思い詰めているのなら、まず本人と話をしたらどうだ? 向こうはお前に避けられてると悩んでいたぞ? 好き過ぎて側にいられない気持ちは私も経験したことがあるが、後で時間を無駄にしたと悔やむことになるぞ?」

 父は私がエラフィスを好きなあまりに、カラマンリス子爵家との縁談を力技で拒んだのだと思っているようです。
 違います。ですが、時間が戻ったなんて話は出来ません。
 それにこの一年、好き過ぎてエラフィスと離れていたわけではないのです。

 時間が戻る前の記憶……メンダークスの妻だった記憶を持つ自分が穢れているように感じて、エラフィスに近づけなかったのです。
 カラマンリス子爵家との縁談がなくなっても私の記憶は残っています。
 エラフィスとは、政略結婚の相手ではない、私が本当に慕っている大好きなエラフィスとは結婚出来ません。

 自分では気づかない仕草や反応で男性を知っていると思われて、エラフィスにふしだらな娘だと軽蔑されたりしたら生きていけません。
 ああ、どうしてこんな記憶があるのでしょう。
 私は本当に時間を戻ってきたのでしょうか。

 メンダークスとの政略結婚がなくなったことはケラトへの裏切りになるのでしょうか。
 時間が戻ったのは、大切な我が子を守れなかった愚かな母親への罰だったのかもしれません。
 こんな私が幸せになってはいけないから、エラフィスと結ばれることが出来ないように時間が戻る前の記憶があったのかもしれません。
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