愛してもいないのに

豆狸

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第十二話 エラフィス

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 生け贄を捧げたといっても呪木はまだ若木だ。
 薬効のある葉や樹皮は採れない。
 エラフィスはメンダークスを飲み込んだ若木に背を向けて、魔導金属の鉱山へ向けて歩き出した。

 メンダークスの母親は呪木の愛し子の血筋だった。
 呪木の加護を受けて周囲を魅了し、愛されてすべてを手に入れる。
 その代わり呪木に寿命が来たときは生け贄としてその身を捧げる義務がある。

(考えてみれば理不尽な話だな)

 雑草や落ち葉に覆われた森の中を歩きながら、エラフィスは思う。
 メンダークスは哀れな男だった。
 愛し子の血筋としての美味しいところはすべて母親が味わって、彼には生け贄の役目だけが押し付けられたのだから。

 呪木が生け贄を必要とすることは信者以外には秘密にされている。
 生け贄というだけで悪い印象があるし、詳細を知らない人間は呪木の信者でない人間を攫って生け贄に捧げていると誤解するかもしれない。
 エラフィスがディミトゥラに呪木のことを話したときも、生け贄のことまでは伝えなかった。

 本当は平和的にメンダークスが寿命を迎えるのを待って生け贄にするという手段もあった。
 実際多くの愛し子はその方法で生け贄となっていた。
 呪木は寿命の長い樹木なのだ。若木であっても人間の短い寿命くらい待てる。

 にもかかわらず今回の若木が時間まで戻したのは、自分から遠く離れた場所で生け贄に死なれると、必要な魔力が霧散してしまうからだ。
 ほかの生け贄の血筋もいるはずだが、この辺りに来るかどうか、神官のエラフィスに見つけ出せるかどうかは、呪木にもわからない。どんなに寿命が長くても、呪木にだって限界がある。
 それに……とエラフィスは考える。

あの男メンダークスはディミトゥラ様を傷つけた。それだけで万死に値する)

 エラフィスはディミトゥラとメンダークスの政略結婚については受け入れていた。
 もちろん心では嫉妬が荒れ狂っていた。最初から主従以外の関係がなかったのならともかく、時間が戻る前のディミトゥラはエラフィスの妻だったのだ。
 しかしヤノプロス侯爵令嬢として生まれ育ったディミトゥラが、家のため地域のためにと政略結婚を受け入れたことを否定するのは違う。

 だれよりもディミトゥラを愛しているからこそ、エラフィスは彼女の決断を受け入れたのだ。
 カラマンリス子爵家に妙な疑いを持たれないよう自分から距離を置き、結婚の持参金として廃鉱が子爵家の所有になった後は呪木へ通うのもやめていた。
 今思えば、時間が戻った時点で呪木の声を聞いていれば良かったのかもしれない。

(いや……無理だな)

 若木に呑まれたメンダークスに言った通り、エラフィスの神官としての力が高まったのは時間の逆行を繰り返し体験したからだ。
 最初の逆行に疑問を抱いて呪木に通ったとしても、若木の声は聞こえなかっただろう。
 二度目のエラフィスは一度目の記憶はディミトゥラを愛する自分が作り出した妄想だと結論付けた。そうまでして諦めたのに、彼女の幸せだけを祈っていたのに、ディミトゥラは不幸な末路を迎えてしまった。彼女だけでなく、一度目のときはエラフィスの息子として生まれたケラトまで。

あの女トゥレラ……)

 今回、メンダークスの身柄と引き換えにエラフィスはトゥレラが女領主となることを陰ながら支援した。
 新生カラマンリス子爵家はアサナソプロス辺境伯家との仲も良好だ。
 侯爵家が間に入って和睦したし、そもそも辺境伯が憎悪していたのは母親代わりに育ててくれた年齢の離れた姉オルガの人生を狂わせたメンダークスの両親だったからだ。

 トゥレラは従弟メンダークスの愛人となる前に付き合っていた男を婿に取った。
 男にはもう妻子がいたのだけれど、別れさせたのだ。
 婿は一年ほど密かにトゥレラに避妊薬を飲ませた後で、エラフィスが匿っている妻子と出奔する予定だ。トゥレラがメンダークスの愛人だったころから飲み続けていた避妊薬は、長期に渡って服用すれば本当に子を生せなくなる劇薬だった。

(あの女の産んだ子どもを殺すよりは、このほうが良いだろう。子どもに罪はないからな)

 これがエラフィスの復讐だった。
 どんな理由があろうとも、たとえ自分の子どもでなかろうとも、ディミトゥラの産んだ子どもを殺した人間を許すことは出来ない。
 殺人者を庇い見て見ぬ振りをしたカラマンリス子爵家に仕える人間も許すことは出来ない。子爵家など消えてなくなれば良いのだ。

 トゥレラの父親が新領主になることはない。
 彼は先々代の庶子でメンダークスの父の異母弟なのだ。
 この王国で貴族家の当主となれるのは、きちんと神殿で契約の神に祝福された結婚をしている夫婦から生まれた子どもだけだった。

 愛した人間の子どもを跡取りにしたいのなら、愛した人間を不貞相手に貶めなければ良いだけのことである。
 愛人やその子どもを不幸にするのは正当な配偶者ではない。
 正当な配偶者がいながら不貞をおこなう人間だ。

 時間が逆行したのだということはディミトゥラには教えていない。
 すべて予知夢だろうと言っている。
 エラフィスは真実を知りながら嘘をついたのだ。

 三度目のときに二度目の記憶が残っていただけで、彼女はあんなに苦しんでいた。
 エラフィスにとっての一度目で自分と結婚していたのに、二度目でメンダークスに嫁いだのだと知ったら、ディミトゥラはどんなに苦しむことだろう。
 消えた世界は最初からなかったということで良いのだ。喪ったケラト達には、これからもエラフィスが祈りを捧げて弔っていく。

 エラフィスはディミトゥラとケラトの待つ家への帰路に就いた。
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