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10・侍女を亡霊にはさせません!⑤
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わたしがこぼした言葉で、お茶会の席に緊張が走った。
背後の専属護衛たちからも張りつめた気配が漂ってくる。
無理もない。
『ドライアドの灰』とは、エルフの森にしか生えていない植物型モンスターの種族、ドライアドを焼いた灰のこと。
人間に強い魔力と引き換えに大きな副作用をもたらす禁断の薬で、このヴェルデ王国の国王陛下である伯父さまを寝たきりにした薬だ。
ドライアドは人間や動物、ほかのモンスターを幻惑の魔術で捕らえ、生きながら肥料にするために自分の樹液を与える。
樹液にはドライアドの魔力が含まれていて、筋肉を麻痺させて動く力を奪う代わりに獲物の魔力を増幅させる。我に返った獲物が逃げないよう、一度味わったら離れられなくなるほど常習性が強い。
その樹液の効力が、そのまま灰に残っているのだ。
薬として服用することは禁じられているが、清められた聖水に溶かして街道の結界石碑に魔術呪文や魔法陣を描くのに利用されている。
聖水に溶かしたドライアドの灰は浄化されているので、人間が飲んでも魔力が増幅するのは一瞬で、すぐに排泄されてしまう。
人間の排泄ほど早くはないものの、結界石碑に描かれた魔術呪文も雨に打たれたり石の表面が削れたりすることで劣化していく。
ドライアドの幹には樹液を蓄えたコブがいくつもあって、遠目には人間のように見える。
コブがちょうど平均身長の女性の頭や胸、臀部の位置にあるのだ。
そのせいか、ドライアドとエルフの女性を同一視して、偶然助かった人間が話す幻影の魔術で見た妙な妄想をエルフの女性との間に起こった現実だと思い込んでいる愚かな男性もいるらしい。
「やっぱり、そう思いますよね」
リートのにこやかな声が場の緊張を打ち破った。
え?……やっぱり、って?
まさかリートも転生者で、リモーネのイベントを思い出していたってこと?
もちろん、そんなわけはなかった。
リートは、苦しげな表情を浮かべたルビーノを見つめて言葉を続ける。
「ルビーノ。ラヴァンダが言った通り、僕が飲まされているのはドライアドの灰ですよ。お父君の国王陛下とは違うと言ってくれましたが、この落ちくぼんだ眼窩に飛び出した眼球、痩せこけた体、白を通り越して土気色に衰えていく肌はだれが見たってドライアドの灰の副作用です。食欲がないのも、そう……。本当は、もっとパンケーキが食べたいのですが」
「ど、どういうことですか、リート」
わたしは首を横に振った。
「さっきの言葉はあなたにかけたものではなかったの。あなたのことをそんな風に思ったことはなくてよ」
ああ、でも……。
人間なんて単純なもので、言われるとそう見えてきてしまう。
吸い込まれそうな大きな緑色の瞳は、眼窩が落ちくぼんでいるせい。
年よりも小柄に見えるのは痩せこけているから。
白い肌は透き通るというよりも色褪せていて、うっすらと朽ちていくよう。
「そうだったんですか。これは僕が先走り過ぎてしまいましたね」
リートが目を見開くと、眼球が飛び出しているとしか思えなくなった。
「ルビーノは、僕の衰弱の原因が毒物だということ自体は理解して、治療や犯人捜しをするように勧めてくれました。でもどうしても、使われているのがドライアドの灰で、犯人が身内だということだけは信じてくれなかったんです。だから僕は、ラヴァンダ、あなたが気づいてくれたのかと思って嬉しかったんです」
「私は信じてますよ、クリゾリートさま」
口を開いたのは、リートの専属護衛だった。
名前は確か……テーディオ。
背が高く体はほっそりとしていて、黒い前髪で鼻先まで隠している。
だから瞳の色はわからない。
長い前髪に反して、後頭部は刈り上げていた。
「侍女が持って来たヤバ気な薬をクリゾリートさまと歓談している振りをしながら始末するのも、すっかり上手くなりました。首になるのが怖いから、あの方にご意見まではできかねますがね」
「うん、十分です。ありがとう、テーディオ」
ルビーノの専属護衛、王宮へ遊びに行ったときにも会ったことのある元近衛騎士のカピターノが、俯いて唇を噛んでいるルビーノに尋ねた。
「どういうことなのですか、殿下。クリゾリートさまは、本当にドライアドの灰を飲まされていらっしゃるのでしょうか。もしそうなら、早急に捜査を進めなければなりません。ドライアドの灰は、禁断の薬なのですよ?」
「カピターノさん、ルビーノを責めないで上げてください。僕は肯定してもらいたかっただけで、捜査してもらいたいわけじゃありません。まだ影響は残っていますが、テーディオのおかげで薬はもう飲んでいませんし、そもそも犯人もわかっています」
「だれなのです! クリゾリートさま、これはあなたおひとりの問題で済ませられるようなことではないのですよ?」
カピターノが声を荒げるのなんて、初めて聞いた。
金の髪に緑色の瞳、継ぐ家と爵位がなかった三男坊なので王家に仕える騎士になったものの、彼はれっきとした貴族の嫡子だ。
第二王子の専属護衛は未来のヴェルデ王家の重臣になる。
将来は約束されていて、端正な顔は甘く凛々しい。
乙女ゲームにも出演していて、十年から十二年後の熟した彼は、オジサマ好みのプレイヤーにファンディスクでの攻略対象化を切望されていた。
ううん、オジサマって年でもないかな。
今は二十歳くらいだったはず。
「ごめんなさい、カピターノさん。僕にドライアドの灰を飲ませたのは母上、我が伯爵家の奥方です」
「伯爵夫人が? それは……」
「ほら、うちの家が街道の結界石碑修繕を請け合ったことがあったでしょう? あのときにエルフの森から結界魔術用に支給されたドライアドの灰を着服したんだと思います。下請けを責めないでやってくださいね。母のワガママに逆らったりしたら、なにをされるかわかりませんから」
わたしは息を呑んだ。
ルビーノは顔を上げなかった。
誕生と同時に母君を喪ったルビーノは、母親という存在に対する思い入れが深い。
母さまとの間に壁があったころのわたしには、その思い入れがありがたかったものだ。
子どもを愛さない母親はいない、というルビーノの言葉が、わたしに母さまの愛を信じさせてくれた。
「満足な魔力を持たずに生まれた僕が悪いのでしょう。まあ父上の愛人は、僕が産まれる前からいたのですけどね」
ああ、そうだった。
リートにはひとつ、どころか数ヶ月しか違わない異母弟がいて、その子も乙女ゲームでは攻略対象(魅力パラメータに応じて出現)で、しかもかなりのヤンデレ系だったものだから、リートにもヤンデレルートがあるに違いないと噂されていたっけ。……なかったけど。
リートは、どこまで行っても感情表現の薄い無気力な攻略対象だった。
もしかしたらドライアドの灰の後遺症なのかしら。
王宮薬師だったルビーノの母君が治療を始めるまでは、国王陛下もあまり感情が表に出ない無気力な男性だったと聞いたことがあるわ。
寝たきりなせいもあるのでしょうけど。
「先ほども言ったように、僕はもう薬を飲んでいません。飲んだ振りはこれからも続けますけれど……そうしないと薬を飲ませろと命令されている侍女が、母上に責められてしまいますからね。たったひとりの被害者である僕が訴えないと言っているのですから、この件はなかったことにしてください。親友のルビーノが肯定してくれなかったことをラヴァンダが指摘してくれたのが嬉しくて、ついしゃべり過ぎました」
「……たったひとりではありません」
「え?」
「以前属していた近衛騎士団の人間が話してくれたんです。最近、王都ではドライアドの灰とおぼしき麻薬が蔓延していると。結界石碑修繕に使われるはずだったドライアドの灰を着服したもの……なのでしょうね。聖水に溶かされているため魔力の増幅は一瞬で、副作用だけが濃く残るといいます。常習性もとても強い」
ルビーノが、顔を上げる。
リートは声を発しない。
緊迫した雰囲気の中、わたしの専属護衛ウルラートはひよこのきゅーちゃんをモフモフしていた。
ズルい、わたしもモフモフしたいわ。
カピターノが言葉を続ける。
「そもそも、ドライアドの灰は王国の許可なしでは所持も許されていません」
第二王子の護衛が言う通り、リートがどう考えていようとも、伯爵夫人は有罪だ。
──が、ヴェルデ王国における伯爵夫人の立ち位置を考えれば、かなり対応が難しい問題であった。
背後の専属護衛たちからも張りつめた気配が漂ってくる。
無理もない。
『ドライアドの灰』とは、エルフの森にしか生えていない植物型モンスターの種族、ドライアドを焼いた灰のこと。
人間に強い魔力と引き換えに大きな副作用をもたらす禁断の薬で、このヴェルデ王国の国王陛下である伯父さまを寝たきりにした薬だ。
ドライアドは人間や動物、ほかのモンスターを幻惑の魔術で捕らえ、生きながら肥料にするために自分の樹液を与える。
樹液にはドライアドの魔力が含まれていて、筋肉を麻痺させて動く力を奪う代わりに獲物の魔力を増幅させる。我に返った獲物が逃げないよう、一度味わったら離れられなくなるほど常習性が強い。
その樹液の効力が、そのまま灰に残っているのだ。
薬として服用することは禁じられているが、清められた聖水に溶かして街道の結界石碑に魔術呪文や魔法陣を描くのに利用されている。
聖水に溶かしたドライアドの灰は浄化されているので、人間が飲んでも魔力が増幅するのは一瞬で、すぐに排泄されてしまう。
人間の排泄ほど早くはないものの、結界石碑に描かれた魔術呪文も雨に打たれたり石の表面が削れたりすることで劣化していく。
ドライアドの幹には樹液を蓄えたコブがいくつもあって、遠目には人間のように見える。
コブがちょうど平均身長の女性の頭や胸、臀部の位置にあるのだ。
そのせいか、ドライアドとエルフの女性を同一視して、偶然助かった人間が話す幻影の魔術で見た妙な妄想をエルフの女性との間に起こった現実だと思い込んでいる愚かな男性もいるらしい。
「やっぱり、そう思いますよね」
リートのにこやかな声が場の緊張を打ち破った。
え?……やっぱり、って?
まさかリートも転生者で、リモーネのイベントを思い出していたってこと?
もちろん、そんなわけはなかった。
リートは、苦しげな表情を浮かべたルビーノを見つめて言葉を続ける。
「ルビーノ。ラヴァンダが言った通り、僕が飲まされているのはドライアドの灰ですよ。お父君の国王陛下とは違うと言ってくれましたが、この落ちくぼんだ眼窩に飛び出した眼球、痩せこけた体、白を通り越して土気色に衰えていく肌はだれが見たってドライアドの灰の副作用です。食欲がないのも、そう……。本当は、もっとパンケーキが食べたいのですが」
「ど、どういうことですか、リート」
わたしは首を横に振った。
「さっきの言葉はあなたにかけたものではなかったの。あなたのことをそんな風に思ったことはなくてよ」
ああ、でも……。
人間なんて単純なもので、言われるとそう見えてきてしまう。
吸い込まれそうな大きな緑色の瞳は、眼窩が落ちくぼんでいるせい。
年よりも小柄に見えるのは痩せこけているから。
白い肌は透き通るというよりも色褪せていて、うっすらと朽ちていくよう。
「そうだったんですか。これは僕が先走り過ぎてしまいましたね」
リートが目を見開くと、眼球が飛び出しているとしか思えなくなった。
「ルビーノは、僕の衰弱の原因が毒物だということ自体は理解して、治療や犯人捜しをするように勧めてくれました。でもどうしても、使われているのがドライアドの灰で、犯人が身内だということだけは信じてくれなかったんです。だから僕は、ラヴァンダ、あなたが気づいてくれたのかと思って嬉しかったんです」
「私は信じてますよ、クリゾリートさま」
口を開いたのは、リートの専属護衛だった。
名前は確か……テーディオ。
背が高く体はほっそりとしていて、黒い前髪で鼻先まで隠している。
だから瞳の色はわからない。
長い前髪に反して、後頭部は刈り上げていた。
「侍女が持って来たヤバ気な薬をクリゾリートさまと歓談している振りをしながら始末するのも、すっかり上手くなりました。首になるのが怖いから、あの方にご意見まではできかねますがね」
「うん、十分です。ありがとう、テーディオ」
ルビーノの専属護衛、王宮へ遊びに行ったときにも会ったことのある元近衛騎士のカピターノが、俯いて唇を噛んでいるルビーノに尋ねた。
「どういうことなのですか、殿下。クリゾリートさまは、本当にドライアドの灰を飲まされていらっしゃるのでしょうか。もしそうなら、早急に捜査を進めなければなりません。ドライアドの灰は、禁断の薬なのですよ?」
「カピターノさん、ルビーノを責めないで上げてください。僕は肯定してもらいたかっただけで、捜査してもらいたいわけじゃありません。まだ影響は残っていますが、テーディオのおかげで薬はもう飲んでいませんし、そもそも犯人もわかっています」
「だれなのです! クリゾリートさま、これはあなたおひとりの問題で済ませられるようなことではないのですよ?」
カピターノが声を荒げるのなんて、初めて聞いた。
金の髪に緑色の瞳、継ぐ家と爵位がなかった三男坊なので王家に仕える騎士になったものの、彼はれっきとした貴族の嫡子だ。
第二王子の専属護衛は未来のヴェルデ王家の重臣になる。
将来は約束されていて、端正な顔は甘く凛々しい。
乙女ゲームにも出演していて、十年から十二年後の熟した彼は、オジサマ好みのプレイヤーにファンディスクでの攻略対象化を切望されていた。
ううん、オジサマって年でもないかな。
今は二十歳くらいだったはず。
「ごめんなさい、カピターノさん。僕にドライアドの灰を飲ませたのは母上、我が伯爵家の奥方です」
「伯爵夫人が? それは……」
「ほら、うちの家が街道の結界石碑修繕を請け合ったことがあったでしょう? あのときにエルフの森から結界魔術用に支給されたドライアドの灰を着服したんだと思います。下請けを責めないでやってくださいね。母のワガママに逆らったりしたら、なにをされるかわかりませんから」
わたしは息を呑んだ。
ルビーノは顔を上げなかった。
誕生と同時に母君を喪ったルビーノは、母親という存在に対する思い入れが深い。
母さまとの間に壁があったころのわたしには、その思い入れがありがたかったものだ。
子どもを愛さない母親はいない、というルビーノの言葉が、わたしに母さまの愛を信じさせてくれた。
「満足な魔力を持たずに生まれた僕が悪いのでしょう。まあ父上の愛人は、僕が産まれる前からいたのですけどね」
ああ、そうだった。
リートにはひとつ、どころか数ヶ月しか違わない異母弟がいて、その子も乙女ゲームでは攻略対象(魅力パラメータに応じて出現)で、しかもかなりのヤンデレ系だったものだから、リートにもヤンデレルートがあるに違いないと噂されていたっけ。……なかったけど。
リートは、どこまで行っても感情表現の薄い無気力な攻略対象だった。
もしかしたらドライアドの灰の後遺症なのかしら。
王宮薬師だったルビーノの母君が治療を始めるまでは、国王陛下もあまり感情が表に出ない無気力な男性だったと聞いたことがあるわ。
寝たきりなせいもあるのでしょうけど。
「先ほども言ったように、僕はもう薬を飲んでいません。飲んだ振りはこれからも続けますけれど……そうしないと薬を飲ませろと命令されている侍女が、母上に責められてしまいますからね。たったひとりの被害者である僕が訴えないと言っているのですから、この件はなかったことにしてください。親友のルビーノが肯定してくれなかったことをラヴァンダが指摘してくれたのが嬉しくて、ついしゃべり過ぎました」
「……たったひとりではありません」
「え?」
「以前属していた近衛騎士団の人間が話してくれたんです。最近、王都ではドライアドの灰とおぼしき麻薬が蔓延していると。結界石碑修繕に使われるはずだったドライアドの灰を着服したもの……なのでしょうね。聖水に溶かされているため魔力の増幅は一瞬で、副作用だけが濃く残るといいます。常習性もとても強い」
ルビーノが、顔を上げる。
リートは声を発しない。
緊迫した雰囲気の中、わたしの専属護衛ウルラートはひよこのきゅーちゃんをモフモフしていた。
ズルい、わたしもモフモフしたいわ。
カピターノが言葉を続ける。
「そもそも、ドライアドの灰は王国の許可なしでは所持も許されていません」
第二王子の護衛が言う通り、リートがどう考えていようとも、伯爵夫人は有罪だ。
──が、ヴェルデ王国における伯爵夫人の立ち位置を考えれば、かなり対応が難しい問題であった。
応援ありがとうございます!
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