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35・悪役令嬢は魔神復活を応援しません!②
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必要な手続きが終わって、とうとうそのときが来た。
引っ掻き回すことには同意したものの婚約式自体を無茶苦茶にはできないから、キリがいいときを待っていたのよね。
「きゅーちゃん!」
「きゅ!」
「ラヴァンダ、なにをする気だ?」
ルビーノの青い瞳が丸くなり、キラキラと輝く。
怯えている様子はない。
「あ、あれはなんだ?」
「きっとエルフの使い魔ですわ、なんて恐ろしい!」
「一体なにをするつもりなんだ!」
──婚約式に出席中の貴族たちは滅茶苦茶怯えているけれど。
喧騒の中、なんだなんだと首を振り回す父さまと、微笑む母さま。
お腹の弟妹に悪影響があってはいけないから、母さまには計画を伝えてある。
まあ、大したことをするわけではない。
貴族女性に取り囲まれていた先生と伯爵の隣で不機嫌そうな顔をしていたリートが、わたしを見て首肯する。
なにも伝えていないのに、近衛騎士に支えられた伯父さまとその横のザッフィロさまは面白そうな顔をしてわたしを見ていた。
さすが国王陛下と王太子殿下、器が大きい。
わたしは呼び寄せたきゅーちゃんから、瓶と茎を受け取った。
シャボン玉だ。
瓶の蓋を開け、茎をつけて思いっきり吹く。
ぷうぅぅーっ。
虹色のシャボン玉が王宮の前庭、婚約式の会場に広がっていく。
喧騒がやんだ。
貴族たちは怯えるのも忘れて、シャボン玉を見つめている。
たぶん似たようなものはもうあるけれど、ここまで綺麗で長持ちするシャボン玉は作れなかったのだ。前世のわたし、製法を覚えていてくれてありがとう。
先生とリートが風の魔術で、シャボン玉を空へと吹き上げる。
気持ちの良い秋晴れの澄みきった青空。
先生は小指一本で、リートは先生に協力してもらって作った魔力を増幅する道具を使って魔術を使う。
リートのそれは伯爵家の財力を最大限に利用して購入した大粒の宝石を埋め込んだ腕輪だ。
乙女ゲームのときはさまざまな色の宝石を銀の腕輪に飾っていたが、今はリートの魔力に合わせた色の宝石に絞り、土台も先生が用意してくれた特別な銀だった。ミスリル銀、だったかしら。
シャボン玉を追って空を見上げた貴族たちは、先生とリートがシャボン玉を壊したことで視線を戻す。
さっきまで見つめていた婚約式の主役、わたしとルビーノに。
だけど、そこにわたしはいない。
わたしはシャボン玉が空へ上がって壊されるまでの間に、前庭の低木の陰に隠れているのだ。
最後の挨拶をする予定の父さまの困る顔を見たら、戻ってあげる。
──その、予定だった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「……はあ、はあ」
わたしは走っていた。
王宮にはよく遊びに来ていたけれど、この辺りはよく知らない。
崩御なさる前の勇者王クレミージが暮らしていたといわれる、建国初期の建物を保管してある地域だ。ここを中心に、ヴェルデ王国の王宮はどんどん敷地を広げていった。
「ラヴァンダ」
わたしの手を引いている少年が、満面の笑顔で振り向いた。
「君はあまり体を動かすのが得意でないのに、急に走り出して悪かったな」
「い、いいえ。し、しばらく母さまたちと過ごしていたので、ちょっと丈夫になりました」
「それにしては息が切れているぞ。……はは、イジワルを言ってすまない。さっきの魔術はすごかった。俺にはとても真似できないな」
「ルビーノ、さっきのは魔術ではないの。空へ昇ったのといきなり消えたのは魔術だけど、あれは先生とリートがやってくれたわ。シャボン玉は液があればできるから、今度ルビーノも一緒に飛ばしましょう?」
「そうか、それは楽しみだ」
ルビーノはなにも悪くない。
許婚の件は父さまが決めたことだし、乙女ゲームの悪役令嬢ラヴァンダの末路だってシナリオライターのせいだ。
それに……そもそも人の心は、周囲が勝手に決められるものではない。
婚約していたって、ほかのだれかを好きになることもあるだろう。
少なくともルビーノは、悪役令嬢ラヴァンダに対して誠実に振る舞おうとしてくれた。
あのとき涙を流さなかったのは、すべてを受け入れるという覚悟の表れだ。
「なにか起こして人目を引くとリートに聞いていたが、あんなに楽しいことだとは思わなかった。もう少しで目的を忘れるところだった」
……リートは悪い。裏切りものだわ。
よりによってルビーノに秘密を明かすなんて。
「……目的?」
わたしが首を傾げると、ルビーノは襟元から紐に結んだ鍵を取り出した。
「この前六歳になったから、父上にこの館の合い鍵をいただいたんだ。大公殿も持ってないんだぞ」
「そうなんですか?」
「ああ。大公殿は狩人の修行をしていたし、戻ってから話をしても、なくすと怖いからいらないとおっしゃったそうだ」
……父さま。
ルビーノは、その鍵で館の扉を開けた。
カビとホコリの匂いが鼻をくすぐる。
貴族の館を思わせる建物は外側だけだった。中には古い石造りの建造物が隠されていた。
この世界の神はもういないけれど、それでも昔この様式の建物が『神殿』と呼ばれていたことは知っている。前世のわたしの世界でも見た記憶があった。
入り口の階段を上がって内部に入る。
石の壁に囲まれた空間は、少し肌寒い。
一階建てだが、壁に遮られていない室内は思うより広かった。
距離があるので、奥のほうは薄暗くなっていて見えにくい。
千年のときを経ても建物が残っているのは、なにか魔術が施されているからだろう。
白い石壁には、ところ狭しと肖像画が飾られている。
わたしは入り口に一番近い肖像画に近寄った。
見知った顔があったのだ。
「伯父さまと……伯母さま?」
ルビーノが頷く。
「そうだ。この一番新しいのが父上と母上だ。父上を支える近衛騎士はショーリャクされている」
「赤ちゃんのころ抱っこしていただいたと聞いているけれど、こうして伯母さまのお顔を拝見するのは初めてだわ」
「……俺も、この前初めて見た。美人じゃないが、素敵な女性だと思う」
「ええ、とても」
「お爺さまとお婆さまの肖像画は逆側にある」
走り出したルビーノを追いかけて、逆側の壁の前に立つ。
お爺さまの肖像画は、父さまの母君と結婚したときと伯父さまの母君と結婚したときの二枚あった。
ルビーノは指を左右に振って解説してくれる。
「この順番で飾られていくんだ。だから兄上と兄上のお嫁さまの肖像画は、お爺さまの肖像画の隣になる。俺は婿入りして大公家の人間になるから、俺とラヴァンダの肖像画はここには飾られないが……」
「……」
言いながら、ルビーノは神殿の奥へと走り出した。
ヴェルデ王国千年の歴史を一気に遡る。
前世のわたしにとっては、電源を切れば消えてしまう乙女ゲームの世界だった。
でも今のわたしにとっては、確かに実体を持って息づいている真実の世界だ。
綺麗なものと同じくらい汚いものもある。
ルビーノは突き当たりの壁の前で止まった。
追いかけてきたわたしも足を止める。
突き当たりの壁に飾られたたった一枚の肖像画は、布で隠されていた。
賢者王の肖像画はもう見たから、これは勇者王のものだ。
ルビーノが紐を引くと、スルスルと布が上がって勇者王の姿が明らかになった。
入り口から見ると薄暗かったけれど、近くによるとちゃんと明り取りの窓がある。
窓から降り注ぐ光が勇者王の肖像画を照らし出す。
彼は、ひとりではなかった。
ルビーノの未来の姿を彷彿させるような逞しい赤毛の青年の隣には、儚げな黒髪の女性がいる。彼女の瞳は黒く、少し目つきが悪かった。
「勇者王は結婚していなかったと思われているが、実は奥方がいらっしゃったんだ。おふたりとも魔神との戦いで受けた傷が元で、お子を授かる前にお亡くなりになってしまっただけで。……なあラヴァンダ。俺たちにそっくりだと思わないか。特にこの女性、瞳の色以外は君に……」
「……桜庭紫緒……」
わたしが漏らした呟きに、ルビーノが驚きを露わにする。
「そうだ、サクラバシオだ。よく知っていたな。鍵をお持ちでないだけで、大公殿もここに入ったことがあるのか?」
父さまのことはわからない。
わたしがこの黒い瞳の女性のことを知っているのは、彼女がわたしの前世だからだ。
なんてことだろう。
事故に遭った桜庭紫緒は亡くなったのではなく、この世界へ転移していたのだ。
千年も前だったから、乙女ゲームの世界だとは気づかなかったのかしら。
いや、気づいたからこそ、わたしに記憶を継承してくれたに違いない。
愛した人と命がけで守った世界を、悪役令嬢ラヴァンダが壊さないように、と。
「綺麗な響きだが不思議な名前だよな、サクラバシオ」
「うん。……この男の人は、ルビーノにそっくりね」
前世のわたし、桜庭紫緒は乙女ゲームの中でルビーノがお気に入りだった。
赤い髪に青い瞳、伯父の大公に憧れて、王子なのに少し荒々しく振る舞う少年。
もちろん身代わりなどではないだろうけれど、好みは簡単には変わらないものだ。
「逆だ、ラヴァンダ。直系ではないがご先祖だからな。俺が勇者王に似ているんだぞ」
「うふふ、そうね」
「……ラヴァンダ」
「なぁに?」
「……これまで、明るく元気にしろなどと押しつけてきて悪かった。今のラヴァンダがいけないわけではないのだ。ただ、子どもが明るく元気でないとその家族を責める人間がいる。ラヴァンダは大公殿と奥方が大好きだから、自分のせいで責められたら辛い思いをすると思ったんだ」
「ありがとう、ルビーノ」
彼は、わたしと両親の間に壁があったときから、わたしがふたりを好きだということに気づいてくれていた。
「でも、もう気にすることはない。ラヴァンダはラヴァンダだ。俺も無理して明るく元気にするのはやめる。俺が明るく元気にしていたらしていたで、俺を育てられなかった母上が可哀相などと言うヤツがいるのだ。結局、なにをしようと周りは言いたいことを言うのだろう」
溜息をついて、ルビーノはわたしにハンカチを差し出してきた。
「ルビーノ?……あ」
「泣いている。……俺との婚約はイヤだったか? 隣国からの求婚を断るために、大公殿が強引に決めたものだと聞いている。もちろん父上や兄上のお考えもあるのだろうが」
いつの間にか頬を伝っていた涙を、わたしは彼のハンカチでぬぐった。
同い年の従弟は、いつもだれより早くわたしの涙に気づいてくれる。
「違うわ。……違うの。勇者王と奥方を見て、感動していたの」
「俺も初めて見たときは感動した。えっと、泣きたいときは泣いてもいいからな。無理して笑うことはない。イヤなことがあったときは、ちゃんと俺に言え」
「……うん」
「そういえばラヴァンダ」
ルビーノは声を潜めた。
「……銀の賢者を家庭教師に招いているんだってな……」
父さまはきっと、伯父さまに隠しごとができないんだろうなあ。
まあ銀の賢者がエルフの森を出ているっていうのは、結構重要なことだしね。
頷くと、ルビーノは楽しげに提案してきた。
「今度勇者王のことを聞いてみよう。魔神の核を封印している印象が強くて語られることは少ないが、勇者王とともに魔神と戦ったエルフというのは彼のことだというぞ。サクラバシオのことも知っているかもな」
「そうだったの」
確かに千年以上生きているのだから、その可能性はある。
戦ったエルフ本人でなかったとしても、勇者王や桜庭紫緒と会っているかもしれない。
桜庭紫緒はこの世界の人間と比べると小柄だが、胸は結構大きく感じた。
ルビーノがイタズラな笑みを漏らす。
その唇に人差し指を当てて言う。
「ここに来たのはふたりの秘密だからな。リートにも内緒だぞ」
「きゅー!」
わたしの頭上に浮かんでいたきゅーちゃんが、布の翼を上げて返事をする。
きゅーちゃんは昨日と同じ銀の鎧で、わたしの騎士を気取っている。
ふたりで会場を飛び出したときからずっと、ついてきていたのだ。
ルビーノが頬を膨らませた。
たぶんこれまで、きゅーちゃんの存在に気づいていなかったのだろう。
「きゅーちゃんも秘密を守れよ?」
「きゅきゅー!」
「……じゃあ、みんなのところへ帰るぞ。きっと大騒ぎになっているな」
わたしは、ルビーノが差し出してきた手を取った。
──未来はわからない。
ルビーノはやっぱり、いつか出会うヒロインに恋をするかもしれない。
だけど、それで失恋して婚約を破棄されたとしても泣くだけ泣いたら頑張ろうと思う。
前世を思い出す前から、わたしは従弟で幼なじみの優しいルビーノが好きだったのだもの。
だからこそ、思い出した前世の乙女ゲームの記憶の中で、彼が悪役令嬢ラヴァンダの最期に涙を流してくれなかったことが悲しかったのだ。
魔神復活なんて、絶対に応援しない。
前世のわたしも今のわたしも、この世界が好きだから。
ゲーム画面で見ていたときのような綺麗なだけの世界でなくても、ね。
引っ掻き回すことには同意したものの婚約式自体を無茶苦茶にはできないから、キリがいいときを待っていたのよね。
「きゅーちゃん!」
「きゅ!」
「ラヴァンダ、なにをする気だ?」
ルビーノの青い瞳が丸くなり、キラキラと輝く。
怯えている様子はない。
「あ、あれはなんだ?」
「きっとエルフの使い魔ですわ、なんて恐ろしい!」
「一体なにをするつもりなんだ!」
──婚約式に出席中の貴族たちは滅茶苦茶怯えているけれど。
喧騒の中、なんだなんだと首を振り回す父さまと、微笑む母さま。
お腹の弟妹に悪影響があってはいけないから、母さまには計画を伝えてある。
まあ、大したことをするわけではない。
貴族女性に取り囲まれていた先生と伯爵の隣で不機嫌そうな顔をしていたリートが、わたしを見て首肯する。
なにも伝えていないのに、近衛騎士に支えられた伯父さまとその横のザッフィロさまは面白そうな顔をしてわたしを見ていた。
さすが国王陛下と王太子殿下、器が大きい。
わたしは呼び寄せたきゅーちゃんから、瓶と茎を受け取った。
シャボン玉だ。
瓶の蓋を開け、茎をつけて思いっきり吹く。
ぷうぅぅーっ。
虹色のシャボン玉が王宮の前庭、婚約式の会場に広がっていく。
喧騒がやんだ。
貴族たちは怯えるのも忘れて、シャボン玉を見つめている。
たぶん似たようなものはもうあるけれど、ここまで綺麗で長持ちするシャボン玉は作れなかったのだ。前世のわたし、製法を覚えていてくれてありがとう。
先生とリートが風の魔術で、シャボン玉を空へと吹き上げる。
気持ちの良い秋晴れの澄みきった青空。
先生は小指一本で、リートは先生に協力してもらって作った魔力を増幅する道具を使って魔術を使う。
リートのそれは伯爵家の財力を最大限に利用して購入した大粒の宝石を埋め込んだ腕輪だ。
乙女ゲームのときはさまざまな色の宝石を銀の腕輪に飾っていたが、今はリートの魔力に合わせた色の宝石に絞り、土台も先生が用意してくれた特別な銀だった。ミスリル銀、だったかしら。
シャボン玉を追って空を見上げた貴族たちは、先生とリートがシャボン玉を壊したことで視線を戻す。
さっきまで見つめていた婚約式の主役、わたしとルビーノに。
だけど、そこにわたしはいない。
わたしはシャボン玉が空へ上がって壊されるまでの間に、前庭の低木の陰に隠れているのだ。
最後の挨拶をする予定の父さまの困る顔を見たら、戻ってあげる。
──その、予定だった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「……はあ、はあ」
わたしは走っていた。
王宮にはよく遊びに来ていたけれど、この辺りはよく知らない。
崩御なさる前の勇者王クレミージが暮らしていたといわれる、建国初期の建物を保管してある地域だ。ここを中心に、ヴェルデ王国の王宮はどんどん敷地を広げていった。
「ラヴァンダ」
わたしの手を引いている少年が、満面の笑顔で振り向いた。
「君はあまり体を動かすのが得意でないのに、急に走り出して悪かったな」
「い、いいえ。し、しばらく母さまたちと過ごしていたので、ちょっと丈夫になりました」
「それにしては息が切れているぞ。……はは、イジワルを言ってすまない。さっきの魔術はすごかった。俺にはとても真似できないな」
「ルビーノ、さっきのは魔術ではないの。空へ昇ったのといきなり消えたのは魔術だけど、あれは先生とリートがやってくれたわ。シャボン玉は液があればできるから、今度ルビーノも一緒に飛ばしましょう?」
「そうか、それは楽しみだ」
ルビーノはなにも悪くない。
許婚の件は父さまが決めたことだし、乙女ゲームの悪役令嬢ラヴァンダの末路だってシナリオライターのせいだ。
それに……そもそも人の心は、周囲が勝手に決められるものではない。
婚約していたって、ほかのだれかを好きになることもあるだろう。
少なくともルビーノは、悪役令嬢ラヴァンダに対して誠実に振る舞おうとしてくれた。
あのとき涙を流さなかったのは、すべてを受け入れるという覚悟の表れだ。
「なにか起こして人目を引くとリートに聞いていたが、あんなに楽しいことだとは思わなかった。もう少しで目的を忘れるところだった」
……リートは悪い。裏切りものだわ。
よりによってルビーノに秘密を明かすなんて。
「……目的?」
わたしが首を傾げると、ルビーノは襟元から紐に結んだ鍵を取り出した。
「この前六歳になったから、父上にこの館の合い鍵をいただいたんだ。大公殿も持ってないんだぞ」
「そうなんですか?」
「ああ。大公殿は狩人の修行をしていたし、戻ってから話をしても、なくすと怖いからいらないとおっしゃったそうだ」
……父さま。
ルビーノは、その鍵で館の扉を開けた。
カビとホコリの匂いが鼻をくすぐる。
貴族の館を思わせる建物は外側だけだった。中には古い石造りの建造物が隠されていた。
この世界の神はもういないけれど、それでも昔この様式の建物が『神殿』と呼ばれていたことは知っている。前世のわたしの世界でも見た記憶があった。
入り口の階段を上がって内部に入る。
石の壁に囲まれた空間は、少し肌寒い。
一階建てだが、壁に遮られていない室内は思うより広かった。
距離があるので、奥のほうは薄暗くなっていて見えにくい。
千年のときを経ても建物が残っているのは、なにか魔術が施されているからだろう。
白い石壁には、ところ狭しと肖像画が飾られている。
わたしは入り口に一番近い肖像画に近寄った。
見知った顔があったのだ。
「伯父さまと……伯母さま?」
ルビーノが頷く。
「そうだ。この一番新しいのが父上と母上だ。父上を支える近衛騎士はショーリャクされている」
「赤ちゃんのころ抱っこしていただいたと聞いているけれど、こうして伯母さまのお顔を拝見するのは初めてだわ」
「……俺も、この前初めて見た。美人じゃないが、素敵な女性だと思う」
「ええ、とても」
「お爺さまとお婆さまの肖像画は逆側にある」
走り出したルビーノを追いかけて、逆側の壁の前に立つ。
お爺さまの肖像画は、父さまの母君と結婚したときと伯父さまの母君と結婚したときの二枚あった。
ルビーノは指を左右に振って解説してくれる。
「この順番で飾られていくんだ。だから兄上と兄上のお嫁さまの肖像画は、お爺さまの肖像画の隣になる。俺は婿入りして大公家の人間になるから、俺とラヴァンダの肖像画はここには飾られないが……」
「……」
言いながら、ルビーノは神殿の奥へと走り出した。
ヴェルデ王国千年の歴史を一気に遡る。
前世のわたしにとっては、電源を切れば消えてしまう乙女ゲームの世界だった。
でも今のわたしにとっては、確かに実体を持って息づいている真実の世界だ。
綺麗なものと同じくらい汚いものもある。
ルビーノは突き当たりの壁の前で止まった。
追いかけてきたわたしも足を止める。
突き当たりの壁に飾られたたった一枚の肖像画は、布で隠されていた。
賢者王の肖像画はもう見たから、これは勇者王のものだ。
ルビーノが紐を引くと、スルスルと布が上がって勇者王の姿が明らかになった。
入り口から見ると薄暗かったけれど、近くによるとちゃんと明り取りの窓がある。
窓から降り注ぐ光が勇者王の肖像画を照らし出す。
彼は、ひとりではなかった。
ルビーノの未来の姿を彷彿させるような逞しい赤毛の青年の隣には、儚げな黒髪の女性がいる。彼女の瞳は黒く、少し目つきが悪かった。
「勇者王は結婚していなかったと思われているが、実は奥方がいらっしゃったんだ。おふたりとも魔神との戦いで受けた傷が元で、お子を授かる前にお亡くなりになってしまっただけで。……なあラヴァンダ。俺たちにそっくりだと思わないか。特にこの女性、瞳の色以外は君に……」
「……桜庭紫緒……」
わたしが漏らした呟きに、ルビーノが驚きを露わにする。
「そうだ、サクラバシオだ。よく知っていたな。鍵をお持ちでないだけで、大公殿もここに入ったことがあるのか?」
父さまのことはわからない。
わたしがこの黒い瞳の女性のことを知っているのは、彼女がわたしの前世だからだ。
なんてことだろう。
事故に遭った桜庭紫緒は亡くなったのではなく、この世界へ転移していたのだ。
千年も前だったから、乙女ゲームの世界だとは気づかなかったのかしら。
いや、気づいたからこそ、わたしに記憶を継承してくれたに違いない。
愛した人と命がけで守った世界を、悪役令嬢ラヴァンダが壊さないように、と。
「綺麗な響きだが不思議な名前だよな、サクラバシオ」
「うん。……この男の人は、ルビーノにそっくりね」
前世のわたし、桜庭紫緒は乙女ゲームの中でルビーノがお気に入りだった。
赤い髪に青い瞳、伯父の大公に憧れて、王子なのに少し荒々しく振る舞う少年。
もちろん身代わりなどではないだろうけれど、好みは簡単には変わらないものだ。
「逆だ、ラヴァンダ。直系ではないがご先祖だからな。俺が勇者王に似ているんだぞ」
「うふふ、そうね」
「……ラヴァンダ」
「なぁに?」
「……これまで、明るく元気にしろなどと押しつけてきて悪かった。今のラヴァンダがいけないわけではないのだ。ただ、子どもが明るく元気でないとその家族を責める人間がいる。ラヴァンダは大公殿と奥方が大好きだから、自分のせいで責められたら辛い思いをすると思ったんだ」
「ありがとう、ルビーノ」
彼は、わたしと両親の間に壁があったときから、わたしがふたりを好きだということに気づいてくれていた。
「でも、もう気にすることはない。ラヴァンダはラヴァンダだ。俺も無理して明るく元気にするのはやめる。俺が明るく元気にしていたらしていたで、俺を育てられなかった母上が可哀相などと言うヤツがいるのだ。結局、なにをしようと周りは言いたいことを言うのだろう」
溜息をついて、ルビーノはわたしにハンカチを差し出してきた。
「ルビーノ?……あ」
「泣いている。……俺との婚約はイヤだったか? 隣国からの求婚を断るために、大公殿が強引に決めたものだと聞いている。もちろん父上や兄上のお考えもあるのだろうが」
いつの間にか頬を伝っていた涙を、わたしは彼のハンカチでぬぐった。
同い年の従弟は、いつもだれより早くわたしの涙に気づいてくれる。
「違うわ。……違うの。勇者王と奥方を見て、感動していたの」
「俺も初めて見たときは感動した。えっと、泣きたいときは泣いてもいいからな。無理して笑うことはない。イヤなことがあったときは、ちゃんと俺に言え」
「……うん」
「そういえばラヴァンダ」
ルビーノは声を潜めた。
「……銀の賢者を家庭教師に招いているんだってな……」
父さまはきっと、伯父さまに隠しごとができないんだろうなあ。
まあ銀の賢者がエルフの森を出ているっていうのは、結構重要なことだしね。
頷くと、ルビーノは楽しげに提案してきた。
「今度勇者王のことを聞いてみよう。魔神の核を封印している印象が強くて語られることは少ないが、勇者王とともに魔神と戦ったエルフというのは彼のことだというぞ。サクラバシオのことも知っているかもな」
「そうだったの」
確かに千年以上生きているのだから、その可能性はある。
戦ったエルフ本人でなかったとしても、勇者王や桜庭紫緒と会っているかもしれない。
桜庭紫緒はこの世界の人間と比べると小柄だが、胸は結構大きく感じた。
ルビーノがイタズラな笑みを漏らす。
その唇に人差し指を当てて言う。
「ここに来たのはふたりの秘密だからな。リートにも内緒だぞ」
「きゅー!」
わたしの頭上に浮かんでいたきゅーちゃんが、布の翼を上げて返事をする。
きゅーちゃんは昨日と同じ銀の鎧で、わたしの騎士を気取っている。
ふたりで会場を飛び出したときからずっと、ついてきていたのだ。
ルビーノが頬を膨らませた。
たぶんこれまで、きゅーちゃんの存在に気づいていなかったのだろう。
「きゅーちゃんも秘密を守れよ?」
「きゅきゅー!」
「……じゃあ、みんなのところへ帰るぞ。きっと大騒ぎになっているな」
わたしは、ルビーノが差し出してきた手を取った。
──未来はわからない。
ルビーノはやっぱり、いつか出会うヒロインに恋をするかもしれない。
だけど、それで失恋して婚約を破棄されたとしても泣くだけ泣いたら頑張ろうと思う。
前世を思い出す前から、わたしは従弟で幼なじみの優しいルビーノが好きだったのだもの。
だからこそ、思い出した前世の乙女ゲームの記憶の中で、彼が悪役令嬢ラヴァンダの最期に涙を流してくれなかったことが悲しかったのだ。
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