だから今夜は眠れない

東雲紫雨

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姫君には鍵をかけて

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       Ⅳ

 貴賓室ロイヤルルームの内線が鳴ったのは、その日の午後のことだった。
 電話を受けた冴子が受話器を置くなり、不審顔で振り返った。
「フロントからですわ。警察の方がロビーにいらしていると」
「警察?」
 由樹彦の視線がためないもなく、部屋でくつろぐ二人の用心棒ボディーガードに流れた。
「なんだよ、その目は。おれたちが、なんかしたってゆーのかよ」
 祐介が口を尖らせて憤然と抗議した。だが、由樹彦は冷ややかに返した。
「ほかにいないでしょう、警察のお世話になるようなことをしそうな人は」
「おまえなぁ…」
わたくしが、用件をうかがってまいりましょうか」
 慎重にそう進言した冴子に、由樹彦は首を振った。
「僕を訪ねてきたんでしょう? 話ぐらい聞きますよ、どうせヒマですからね。フロントに連絡して、こちらに上がってきてもらってください。ロビーでは、ホテルや一般客の方にも迷惑でしょうから」
 相変わらず、十代の少年とは思えないほどの悠然とした物言いだった。
 やがて、プライベートフロアに二人の私服刑事がやってきた。専用エレベーターから降り立った彼らにはセンチュリー・ハイアットの総支配人が同行していた。
 廊下で彼らを出迎えた冴子は目を丸くした。
「まあ、ミスター・グラハム。わざわざおいでくださらなくても結構でしたのに」
 すると、このアメリカ人の大男は太い指を左右に振りながら流暢りゅうちょうな日本語で言った。
「そういうわけにはいきません。あなた方は大切なゲスト、彼らに無礼な振る舞いがないよう、私には立ち会って見届ける義務があります」
 そして彼は、刑事たちを見下ろし、高圧的な口調で催促した。
「こちらに、身分証バッジをお見せなさい」
 二人の若い刑事は不服げに顔を見合わせたものの、渋々その場で写真入りのバッジを提示した。
 同時に、そのうちの一人が気後きおくれした様子で口を開いた。
「あの、あなたが、こちらの…?」
 冴子はふと笑って応えた。
「いいえ、わたくしはただの秘書アシスタントですわ。どうぞお入りになってください」
 刑事たちを招き入れた彼女は、ガラス窓の前に立っている由樹彦を示して言った。
「お尋ねの方は、あちらに」
「えっ‼ あれが? まだ子供じゃないですか!」
 ひっくり返った声で叫ぶ刑事を、総支配人が厳しく制した。
「君、大道寺ダイドウジのプリンスに失敬だぞ」
「ああ、おかまいなく、ミスター・グラハム。慣れてますから」
 由樹彦はにっこりと笑った。
 刑事たちは小柄で童顔の由樹彦を凝視している。ぽかんとした顔で戸口につったっている彼らに、由樹彦のほうから声をかけた。
「―――僕に何か?」
「ああ…いや、あの、自分は警視庁捜査課の真壁まかべといいます。お尋ねしますが…こちらで鏑木という人を雇われているそうですが、間違いありませんか」
 刑事の言葉に、ソファの祐介が一瞬目を上げたが、由樹彦は微動だにしなかった。
「鏑木が、どうかしましたか」
「どうというか、その…昨日さくじつ、フランス大使館に出入りした車のナンバーの中に、その人が所有しているものがあったので、一応身元の確認を」
「確認されなければならないようなことを、彼がしたんですか?」
「…いえ…これはあくまで形式上のことで、大使館を訪れたすべての人の身元を照会しているんです」
「それはご苦労様ですね」
「はあ…仕事ですから」
 真壁と名乗った人のよさそうな若い刑事は、由樹彦の醸す独特の雰囲気にすっかり萎縮しているようだった。
 そんな彼に、由樹彦は言った。
「鏑木の身元は僕が保証します。といっても警察の方は納得されないでしょうから、そうですね…彼女と、そちらのミスター・グラハムに保証していただきましょう。それでよろしいですか?」
「はあ、結構です」
 由樹彦に示された冴子と総支配人を見やりながら頷いた刑事は、やりにくそうに口元を歪めて頭を掻いた。
「ところで…真壁さん、でしたね。大使館で何かあったんですか?」
「実は、外務省を通じて要請がありまして、大使館から失踪したというある人物の行方を捜索しているんです。……誘拐の可能性もあるのでまだおおやけにはできませんが、その人物は数週間前から大使館内に滞在されていたそうなんです」
 刑事の話を聞きながら、祐介はさり気なく傍らで丸くなって眠っている少女の体を毛布で覆い隠した。
 由樹彦は相変わらず笑みをたたえていた。
「それで、うちの鏑木が疑われているんですか? 令状をお持ちでないところを見ると、任意の捜査のようですが」
「疑うなんてとんでもない! さっきも申し上げたとおり、これはあくまで形式上です。そもそも鏑木という人には大使館やその人物との利害関係が見当たりませんし」
「その裏付けを、きちんと取ってくださった上での確認と解釈していいんですね?」
「もちろんです」
「では、もうよろしいですか? 客を待たせているので」
 由樹彦は、ちらりとソファに目を向けた。誘われるように視線を運んだ刑事は、そこにいる二人の人物を気遣うような素振そぶりで、わざと声高にこう言った。
「どうもお手間を取らせました、ご協力感謝します」
 決まり文句で締め括り、ぴょこんとお辞儀した彼は、同僚を促してそそくさと退出していった。
 足音が遠くなると、ドアを静かに閉めた冴子が神妙な顔つきで振り返った。
「なんだか、ずいぶん大げさなことになってきましたね」
 由樹彦が彼女の視線を受け止めて言った。
「国際問題に発展しそうな雰囲気だよなぁ」
 頭の後ろで手を組んだ祐介が、やけに間延びした声で呟いた。
「もっとも、あんなペーペーが来るようじゃ、警察も本腰入れかねてるみたいだけど」
「外交がらみの問題には、きわめて慎重ですからね」
 由樹彦が口をつぐんだとき、それまで黙々と煙草をくゆらせていた浩平が、吸い殻を灰皿に押しつけて立ち上がった。
 肘掛に乗せた上着を手に取ると、彼はそのまま無言で部屋を出ていった。
 戸口で茫然とそれを見送った冴子が、心配そうに室内を返り見た。天井を仰いでいた祐介が慣れたようにふっと吐息をつき、ソファの背もたれをひょいと飛び越えた。
「おチビちゃん、頼むね、女史」
 祐介は冴子にウインクして、浩平のあとを追いかけた。

 ロビーに下りると、刑事たちの姿はもうどこにもなかった。恐らく、巨漢の総支配人に追い立てられるように出ていったのだろう。
 浩平はベルボーイに車を頼んで、回転扉をくぐっていくところだった。
 エントランスにはジャガーが横付けされている。高級ホテルに彩りを添える優雅なたたずまいであった。
 その車体ボディに、一人の美女がもたれていた。
 女優と見紛みまがう美貌の外国人で、その映画のようなシチュエーションは、行き交う人々の視線をさらっていた。
 だが、浩平は彼女を見るなり不愉快そうに眉を寄せた。
「―――しつこい女だな」
「なんでしたら、ドアをお開けしましょうか・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・、ムシュウ」
 前科をほのめかすような口振りだった。
「ディーラーに、防犯装置を付け替えさせる必要があるようだな」
 美女は、彼の皮肉にクスッと笑った。
「無駄ですわ、いくらお取り替えになっても。ドアロックの解除ぐらい、わけありませんもの。また、傷一つつけずに開けてご覧に入れましてよ」
「だろうな」
 その苦々しい呟きに、美女は目を細めた。浩平は彼女が口を開くより早く、吐き捨てるように続けた。
SDECEスデス………フランス情報局か」
 美女の形のいい唇から溜め息が洩れた。
「日本の紳士がご存じとは、驚いたわ」
 そして、彼女は再びすうっと目を細めた。
「……やはり、あなたは只者ただものではありませんわね、ムシュウ」
「―――思うのは勝手だ」
 浩平の冷ややかな低い声が、ロータリーを吹き抜ける風にちぎれた。
 美女は魅惑的な眼差しで彼を見つめ、勿体つけた口調で呟いた。
「とても、興味があるわ」
 浩平は無表情で黙っていた。
 黒いサングラスの下に隠された瞳の色を読み取ることはできない。だが、その盾の裏に鋭い爪と牙を持っているのは想像がつく。
 諜報部員エージェントとして訓練された彼女の五感が、ゾクゾクするような危険の匂いを感じ取っていた。
「…もっと、よく知りたいものね」
「お門違かどちがいだ。男あさりならよそでやれ」
 さげすむように放たれた浩平の言葉は、彼女のプライドを容赦なく傷つけるものだった。
 そこへ、祐介が飛び込んだ。
「これが例のストーカー女? もったいねーな、美人なのに」
 彼の無遠慮な大声がエントランスに響き渡り、美女は眉を跳ね上げた。
「ストーカーですって⁉ まったく! 失礼な男には、やっぱり失礼な友人がいるものね」
 憤慨した彼女の口から反射的に溢れたのはよどみない日本語だった。
「あら、日本語しゃべれるの? やっベー…」
 祐介は悪びれもせずおどけた。
 浩平は、無言で車のドアを開けた。
「ムシュウ、そうやって恰好かっこうつけて無関心を装ってばかりはいられなくてよ!」
 美女が車の前に回り込んでまくし立てると、彼は上着を助手席に放り、サングラスの下から射抜くように彼女を見据えて応えた。
「―――おれをコケにするのも大概にしろ。関心を引きたいなら、もっと別の方法を考えることだ」
 浩平に射竦められた美女は、金縛りにあったように息を呑んで立ち尽くした。それから浩平は、おもむろに顎をしゃくった。
「あそこの白いクラウンのボーヤにも言っておけ。おれを見張るのは十年早いとな」
 彼は美女にかまわず車に乗り込み、キーを回してエンジンをかけた。
 ジャガーは、美女の脇をすれすれにかすめて走り去った。巻き上げられた風に彼女の襟元を飾っていたオーガンディのスカーフがあおられ、ふわりと宙を舞った。
「―――何者なの、あの男…」
 浩平の迫力に面食らっていた美女が、ようやく振り絞るように言った。
 祐介は、薄く笑って肩を竦めた。
「見てわかんない? ただのキザな女たらしだよ」
「でも、あんな…」
 そう言いかけた彼女を制して、祐介は大きく溜め息をついた。
「悪いこと言わないからさ、あんまりあいつ怒らせないほうがいいぜ。あいつ、選り好みはげしーから、おれと違って」
 祐介は舞い落ちたスカーフを拾い上げた。
「あんたが置いてった女の子、上でぐっすりお昼寝中だよ」
 差し出されたスカーフを受け取った彼女の表情がふとかげった。
「どーいうつもりか知らないけど、ジョークにしちゃやりすぎなんじゃないの?」
「……それは、充分承知しているわ」
「わかってないね、全然」
 祐介は畳みかけるように遮った。
「あんた、刑事をきつけただろう」
「え…?」
「さっき、刑事があいつを訪ねてきた」
「刑事が? それで⁉」
「―――別に。おれたちの雇い主が追っ払ったよ。もちろん、あの子のことは黙ってたけど」
「そう……」
 彼女は驚いた様子で目を見張っていたが、すぐに思案顔でうつむき、唇を噛んだ。その反応は少なくとも、刑事をけしかけた者の態度には見えなかった。
 祐介は冷ややかに目を細めた。
「あいつが刑事なんかに訪ねられなきゃならない理由は、あんたのほうが詳しそうだな」
 その冷徹な問いかけに、うなだれた美女の茶色い瞳は見る見る潤んでいった。
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