だから今夜は眠れない

東雲紫雨

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姫君には鍵をかけて

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 ガラス張りの展望エレベーターの中で東京の夜景を見下ろしていた少佐が、呟くように言った。
「彼らに出会えただけでも、日本このくにに来た甲斐かいがあったというものだな」
 後ろで、美女がくすんと鼻をすすった。
「―――お互い、得難えがたい経験をしたな、マドモアゼル・アクエリアス」
 地上に着き、建物ビルを振り仰いだ少佐は、思い出したようにひとりごちた。
「そういえば、名を聞くのを忘れたな…」
 ネオン色の薄明るい空に、航空ジェット機の飛行灯が赤く瞬く。
 少佐は、薄く笑って目を伏せた。
 点滅を追いかける轟音がビルの谷間に届くころ、彼らを乗せた車は、気だるいスモッグの漂う夜の彼方に消えていった。

       ◇

 歩兵の常駐する古城に、目立たない黒塗りの車が入っていったのは、翌日の夜更けのことだった。
 空港から直行したその車には、屈強な二人の男とトレンチコートの紳士が同乗していた。
 紳士は、見事な銀髪の持ち主であった。
 薄暗い広間に通された彼らを迎えたのは、古いマントルピースの前にたたずむ五十がらみの堅固な後ろ姿だった。
 紳士は男たちを目で制し、その後ろ姿に歩み寄った。
 長身にこざっぱりとした室内着をまとい、襟足を短く切りそろえた白金の髪を丁寧にくしけずっている。育ちのよさが一目でうかがえる端整なたたずまいであった。
 絨毯じゅうたんに、影が揺らいでいた。
 口を開こうとすると、先に相手がこう言った。
「…門の外の無礼な衛士どもに言ってやってくれ、リーツェンベルガー。私はこのような不当な扱いを受けるいわれはない、とな」
 銀髪の紳士は黙って目を伏せた。
 作り付けの暖炉だんろの中で、まきが乾いた音をたてて崩れた。
「―――小娘はどうした」
 吐息のような暗い声が洩れる。
「…せめて小娘の命くらいはもらわねば、気が治まらぬのだが」
「―――…」
 黙したままでいると、相手は承知していたように呟いた。
「仕損じたか。悲痛に歪むシュタルトバルトの顔を見てやりたかったのだがな」
 淡々とした響きに、銀髪の紳士はようやく顔を上げた。
「…代わりに、これをお持ちいたしました」
 彼は、男たちを返り見て顎をしゃくった。
 一人が、持っていた大きな黒いトランクをテーブルの上に乗せ、もう一人が同じようにげていたボストンバッグから、一体の人形を慎重に取り出した。
「どうぞ、お手に取ってご覧ください」
 彼の指図で差し出された人形ビスクドールを眺めていた相手は、やがてそれを手に取り、その襟元にじっと見入っていた。
 だが、しばらくして相手は低くうつろに笑いはじめた。
「これは…」
 氷河色アイスブルーの瞳が、再び静かに伏せられた。
「…本物を・ ・ ・ご覧になられた殿下には、きっとお気付きになるものと思っておりました」
「いつからだ。いつからすり替わっていた」
「…恐らく、イエナ妃がご逝去せいきょあそばされる前に」
 彼の言葉に、相手はふっと口元を歪めた。
「あの女…」
 陰鬱いんうつな笑いがき込むように続く。
「よくよく私を虚仮こけにする」
 小指に指輪をはめた右手が繊細なレースに埋もれた緑色の石をでる。そこには、ある種の感情が混じっているように見えた。
「知っていたのだな、リーツェンベルガー」
 問いかけられた彼は、黙って相手を見据えていた。その沈黙は何よりも雄弁だったようで、相手はクッと小さく笑って言った。
「おまえといい、あの女といい…良くぞこの私をたばかったものだ」
「―――お察しください」
「…察しているとも。あの下賎げせんな異国の女や、近衛卿このえきょう小倅こせがれに謀られた己れの愚かしさを、いやというほどな」
 怒りとも、嘆きともつかない眼差しが向けられた。炎に彩られたその冷ややかな視線を受け止めた彼は、突き返されたビスクドールを両手で丁重に受け取った。
 トレンチコートの袖口は、鈍く光る銀の鎖でつながれていた。
 それを一瞥いちべつした目が、すうっと細められた。
「このに及んで、おまえという男は…」
 呆れたような相手の声に、彼は目礼を返し、半歩退いた。そして、控えている男に目顔で黒いトランクを開けさせた。
 中には、からのガラスケースが入っていた。
 それは、宝飾品や美術品などの陳列に用いられる特別製のものだった。
 手にしたビスクドールをその特殊なガラスケースに納めていると、後ろでくぐもった声がした。
「姫君は、しばしの休息か…」
 言葉尻が自嘲気味の吐息に変わる。
「まあいい。私ももう休む」
 やがて、足音が声とともに遠ざかった。
「―――夢を見るのは、眠りの中だけにしておくさ」
 手を止めて、扉の外に消えていく人影に改めて頭を下げた彼は、ふと傍らの壁に掛かった大きな肖像画を見上げた。
 威厳のある風貌の、偉大な眼差しが包み込むように彼を見下ろしていた。
 彼は、終焉しゅうえんの余韻を噛みしめながら敬意を込めてそっと目を細めると、再び手元に目を移した。
 アンティークのビスクドールは胸元に同じ名を持つ緑色の高貴な宝石いしを抱いて、あどけなく微笑んでいる。それは、本物以上に本物の輝きを放っていた。
 小さな姫君リトル・プリンセスの冒険は終わった。
 彼は、感慨深げにガラスケースのふたを閉じ、その留め金に静かに鍵をかけた。

 頬杖をついた祐介が、ふと呟いた。
「おチビちゃん、大丈夫かなぁ…」
「―――大丈夫だろう」
 浩平が、煙草たばこに火をつけながら低く応えた。
 よく晴れた空は抜けるように青く、木漏こもがきらきらと車体ボディに降り注いでいる。
「一生かけてつぐなうと言っていたからな、あの男」
 薄く笑った口元から紫煙があふれた。
「奴は、まれに見る忠義者だ。口にした言葉には責任を持つだろう」
 祐介が「ふうん」と鼻を鳴らすと、浩平はクッと笑って空を仰いだ。
「15年後が楽しみだな」
「ああ? なんでよ」
「王女は19で、奴は50そこそこだろう」
「だから、それがなんだっ…て…」
 言いかけた祐介が、途中で浩平を見返した。
恋愛ロマンスの対象外とは言えんだろう」
 浩平が薄笑いを浮かべながら肩を竦めると、祐介が眉をひそめた。
「じゅーぶんオヤジじゃねーかよ」
「年令差は問題じゃない」
 紫煙が、勿体もったいつけたようにふうっと吐き出された。
「王女は、面食い・ ・ ・だからな」
 ニヤリと意味ありげに口を歪めた浩平に、祐介は露骨にいやな顔をした。
「おまえな~…そーゆう魂胆コンタンだったのかっ」
「そのカオが役に立ったんだ、よかったじゃないか」
「あーもう、おまえなんか信用しねえ‼」
 祐介が不貞腐ふてくされたようにつっぷし、浩平がボンネット越しに笑いながら煙草をくゆらせている。
 磨き上げられたジャガーにまばゆい日差しが揺れ、微風そよかぜに街路樹がさざめく。
 真っ青な空に、一筋の飛行機雲が横切った。




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