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祝福と陰翳
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純白から装いを変えて、王家の馬車で炊き出しパーティーへ向かう。楚々とした窮屈なドレスから一転、落ち着いた印象を持たせつつ、ヴィクトリアの美貌と恵まれた体型や肌色を活かした装いである。
その、深みがありながらも鮮やかな青のマーメイドドレスは、ヴィクトリアの容貌を引き立てて、見るもの全てを魅了すること間違いない。
ドレスこそ高貴な印象を与えるものを作らせたが、宝飾品は平民の感情を慮って、ここでも控えめにするのを忘れないのが彼女の賢明なところだ。
ちなみに王太子には、先を進む馬車に乗ってもらった。本来ならば同乗して、良好な関係を示せるという利点を優先すべきところだが、気詰まりな儀式のあとだ。
──少しの間だけ、一人でゆったりと開放的な気持ちになりたいのよね。面倒なことは、道中だけでも後回しにしたい。
それに、と思う。どうせ、ヴィクトリアが馬車から降りるときは王太子がエスコートするし、会場では並んで座り微笑み続けるのだ。仲の良さなど、それで十分に周知出来る。
──形式上、私は二度目の婚約だから……第二王子の件で傷ものになった令嬢が王太子妃の座を得ることに、快く思わない貴族も存在するでしょうが……ここは剣より強い力技で押し切るわよ。
王国中の貴族たちにとって、ヴィクトリアの家門はまさに王家の次に尊ばれるべき名門だ。表立って攻撃してくる輩はいないものの、妬み嫉みの類いは避けられない。
それらを黙らせるためにも、この王太子を伴う炊き出しパーティーは、大きな利用価値を持っている。
──それにしても、王家の馬車は何より見た目を重視していると聞いたことがあるけれど、乗り心地も悪くないじゃない。座席の角度にクッション性に、思わずまどろみたくなるわ。
誰も見ていないのを良いことに、あくびを洩らして足を伸ばす。それでも寝つきこそせずにいられたのは、祝いに大勢が集う会場の様子を想像して、心を弾ませているからだ。
──人々の心に過大な期待はしない。己への過小評価による懸念もしない。
そう思い、本当にその通りに生きられるのが彼女の強さではある。
果たして、馬車が静かに止まり、王太子のエスコートで扉が開けられると、王太子の手を取るヴィクトリアの姿に、凄まじい歓声が轟いた。
「本日の主役がおいでになられた!」
「まあ、ご覧になって。睦まじく微笑ましいほどのお二方ですこと」
目ざとい貴族が二人の姿を目に認めると、平民たちも黙ってはいない。
「公女様、いや未来の王妃殿下、輝かしいお姿を拝見出来て眼福です!」
「こうしてお祝いの場で過分なご馳走に授かれて、光栄なことこの上なく!」
「歴史に残る絶世の美女でも敵わないくらいにお美しく輝かしい公女様の晴れ舞台、心よりお祝い申し上げます!」
「公女様は、我々の灯火となりましょう!」
場内はヴィクトリアへの賛辞と讃美で溢れかえっている。まるで彼女が降臨した女神かのような言いようだ。
それを聞いていた王太子が、ふと顔を寄せ小声で耳打ちした。
「──特別な飲みものを用意したね?」
さすが王太子、見る目が鋭い。
だが、ヴィクトリアは動じる素振りもなく、むしろ楽しげに言葉を返した。
「はい、──皆さんの心と体によろしいようにと、心をこめて」
飲みものの樽に手をあてて力を注いだだけで、ここまで絶大な効果を得られる──力の強大さにも結果にも満足である。
これは、力についての検証としても大いに役立つことだろう。
「公女──私の飲みものも、そうした心がこめられているのかな?」
「王太子殿下には、わたくしが別にご用意させて頂きました。──それよりも殿下、もはや婚約の儀を済ませましたのですもの、わたくしのことはヴィクトリアと名を呼び捨てにされて下さいませ」
「そうか、私たちは公に許された関係──私としては、公女……いや、ヴィクトリアが特別に手をかけた飲みものも欲しかったところだが、これも君が選んでくれたワインと思えば呑みすぎてしまいそうで、気をつけなければ」
「殿下がお喜び下さるようにと、心を砕いて選ばせて頂きましたわ。──そろそろ、例の件につきまして殿下よりご発言をお願い致したく存じますが……」
「分かった。見渡す限り、人々の盛り上がりも最高潮のようだし、ヴィクトリアの名を出して公表するには今こそ好機だろう」
「はい。──お集まり下さいました皆さんに、王太子殿下よりご考案のお言葉がございます。お聞き下さいませ」
ヴィクトリアが呼び水を引くと、一斉にグラスやカトラリーを置き、王太子へ熱い視線を向けて、聞き入る体勢が整う。
いささか熱狂的な雰囲気ではあるが、王太子はそれに怯むこともなく、力強く発言してのけた。
「──あらゆる国民が、より良い日々と人生を得られるよう、私の伴侶となるヴィクトリアは尽力してきた。私はそれを、国政でもって後押ししようと心に決めた。これから語る詳細を聞いて欲しい」
そうして、ヴィクトリアの練った構想は王太子の口から参加者へと伝えられ、──特に平民たちは希望と活路に瞳を輝かせた。貴族は揃って、二人の温情に感服している。
底知れぬ慈愛に感激したと目を潤ませて、彼女と彼女の思いを重んじる王太子を、惜しみなく讃えて感謝の言葉を精一杯捻り出す。
最後は声を揃えて、二人を祝福した。
「たいそう慈悲深くあられて、国と暮らしを豊かにして下さるであろう公女様と王太子殿下が、末永く栄えますよう忠誠を捧げます!」
──貴族のものも、喜ぶ平民たちに冷ややかな目は向けていないわね。私の仕込みも上々といったところかしら。
「ありがとうございます、皆さん。──さ、お料理も飲みものも、引き続き心ゆくまで楽しんで欲しいと思いますわ。皆さんの幸せこそが、わたくしたちへの最高の祝福と思います」
日が沈むまで続いた炊き出しパーティーは、大盛況のうちに幕を下ろした。
* * *
それから日は過ぎて、ヴィクトリアと王太子は毎週必ず温室で時を共にしていた。
ある時のこと、王太子は何やら憂慮している面持ちで人払いをして護衛騎士まで遠ざけ、二人きりになって問いかけてきた。
「──ヴィクトリア、チェザリア皇国について知ることはあるかな?」
「はい、国名と大まかなことは学んだおぼえがございます」
──王国とは国交すらない遠くの異国ね。生と死の狭間でチェザリアを見下ろしたとき、確か疫病が蔓延して、国内では多くの民が逃げ惑い騒乱が起きていたわ。……あのとき、民は病を恐れて国外への脱出を試みていたのだとしたら。
先読みが明確だ。あの特殊な場所で世界を散々見たのだから、この程度の把握はわけもないことだが。
「ここ最近のうちに、チェザリアから近隣諸国へ難民として出国した民には、疫病を患っていたものが多くいたらしい」
「……チェザリア皇国は遠く離れてはおりますが……放置すれば、民とは常に動くものでございますから、いずれ疫病も及ぶやもしれませんね」
「ああ、チェザリアと国交のある国々からは、既に流行が起きつつあるとの報告を受けた」
「やはり、そうなのですね。──ですが、それをなぜ人払いまでして、わたくしに話されたのでしょうか?」
「君は毒を自在に用いることが出来るだろう?ならば、その逆も可能なのではと思っただけだよ」
──確かに、私の力ならば治療薬でも予防薬でも、作ることは可能だわ。何でも触媒に出来るから、大量生産も難しくない。
しかし、大きな効果を生み出せば、それは評価に繋がっても──危険と表裏一体でもある。人間の、自分自身を救ってくれるものへの依存と欲求は、心に根付くと際限なく枝葉を伸ばし広げてゆく。
その栄養源は、この場合ならヴィクトリアになってしまう。だが、彼女は一方的に自分から吸い上げられてゆく状態なぞ断固として拒否する。
「……わたくしは、まだその病を実際に見ておりません。どのような疫病で、それは一度罹患したものも再度罹患する場合があるのか……何も存じておりませんわ」
──世界の病をどうこう出来る力でも、それを世界に知らしめる必要はないのよ。私は神ではない。一個の人間だから。
「君の言う通りだが、否定もしないんだね」
「殿下への偽りは好みませんので……」
「そうか、とりあえず異国の問題を突拍子もなく話してすまなかった。──今はまだ、その一言が聞けただけで満足だ」
「疫病のことは、忘れぬよう胸に刻みます。国のために為すべきことを見いだしましたとき、わたくしは迷わず死力を尽くしましょう」
「頼りにしているよ。──紅茶が冷めたようだ、淹れ直させよう」
心に引っかかる言葉も口にしていたが、案外あっさりと王太子が引いてくれたことに、ヴィクトリアは安堵している自分を自覚した。
──殿下への配慮……言葉選び……その何もかもが自分自身のため。殿下も聡い方だから、気づいておいででしょう。私は世界に対して、残酷なことを言ったわ。それなのに、常に私の意思を尊重してくれるのは、私への思慕ゆえというの?それに甘えたい私の心の軟弱さは、一体いつの間に生まれたの?
ヴィクトリアが内心で首を傾げているうちに話題は切り替わり、上辺は穏やかな時を共にして、王太子が執務に戻らなければならない刻限が来た。
「ヴィクトリア、また来週会おう。君と出会うまでは婚約に関心もなかったけれど、実際に婚約をしてみると、生きる道に彩りが生まれたことを実感するばかりだ」
別れ際に語りかけてきた王太子の言葉には歪みを感じない。彼は真っ直ぐな喜びを口にしている。
「……気恥ずかしく存じます……わたくしも、次にお会いするときを心待ちに致します」
自分の中の優等生ならば、こう言うだろうと思える返事をしたが、それに顔を綻ばせる王太子の姿で、ヴィクトリアの戸惑いは忙しなく知性のあちこちを行き来した。
知性では理解出来ないことを、これからの彼女は本能で知ってゆくのだろう。
* * *
一日の執務が一段落ついて、王太子は執務室のソファーに身を預け、睡魔に目を閉じながら夢と現の間で、怒涛の展開を見せた最近と過去に思いを馳せていた。
──ヴィクトリアは手に入れた。あの愚弟には惜しいと思っていた、彼女を。
そこには後ろ暗い歓喜も含まれる。
──いつか、愚弟の何もかもを奪ってやりたいと思っていた。ヴィクトリアは、そのような闇に染まった願望でも叶えてくれた……。
第二王子だったアスランからは、常に敵外視されてきた。そうして、嫡出子であることを鼻にかけた彼からは、隙を見せない優れた王子として振る舞う度に、嫉妬を侮蔑にかえて睨まれてきた。
──あいつはヴィクトリアのおかげで滅びの道を歩み、最悪な最期を迎え、おそらく魂も断罪されたことだろう。
それはその通りなのだが、こうした感情の一部をヴィクトリアに漏らしてしまったことは、彼女のためとはいえ──彼女の心を掴むためとはいえ、正しいことだったとは言い切れない。
──それでも、ヴィクトリアは私の差し出した手を取った。それが結論で、彼女の狙いや思惑にも適っていた。私は彼女から選ばれた。認められた。
そう思えば、己の生きてきた道が誤っていたのではないと鼓舞出来る。
──アスランよ、私の心より冥い闇に堕ちて、永劫に絶望という責め苦を味わってくれ。
ここで王太子の意識は途切れ、ひと時の深い眠りについた。
ようやく、迫害からも命を狙われる立場からも救われた──王太子は安らかな眠りへの感謝を、ヴィクトリアへの愛に変えて、新たな道をゆくのだろう。
眼前に横たわる課題、陰に潜む問題は、つかの間の休息を味わったあとでいい。
疫病や紛争を抱えた国際問題、アスランを喪った王妃の思念、そうしたものは愛するヴィクトリアを前にすれば、瑣末事にすら思えるのだから。
その、深みがありながらも鮮やかな青のマーメイドドレスは、ヴィクトリアの容貌を引き立てて、見るもの全てを魅了すること間違いない。
ドレスこそ高貴な印象を与えるものを作らせたが、宝飾品は平民の感情を慮って、ここでも控えめにするのを忘れないのが彼女の賢明なところだ。
ちなみに王太子には、先を進む馬車に乗ってもらった。本来ならば同乗して、良好な関係を示せるという利点を優先すべきところだが、気詰まりな儀式のあとだ。
──少しの間だけ、一人でゆったりと開放的な気持ちになりたいのよね。面倒なことは、道中だけでも後回しにしたい。
それに、と思う。どうせ、ヴィクトリアが馬車から降りるときは王太子がエスコートするし、会場では並んで座り微笑み続けるのだ。仲の良さなど、それで十分に周知出来る。
──形式上、私は二度目の婚約だから……第二王子の件で傷ものになった令嬢が王太子妃の座を得ることに、快く思わない貴族も存在するでしょうが……ここは剣より強い力技で押し切るわよ。
王国中の貴族たちにとって、ヴィクトリアの家門はまさに王家の次に尊ばれるべき名門だ。表立って攻撃してくる輩はいないものの、妬み嫉みの類いは避けられない。
それらを黙らせるためにも、この王太子を伴う炊き出しパーティーは、大きな利用価値を持っている。
──それにしても、王家の馬車は何より見た目を重視していると聞いたことがあるけれど、乗り心地も悪くないじゃない。座席の角度にクッション性に、思わずまどろみたくなるわ。
誰も見ていないのを良いことに、あくびを洩らして足を伸ばす。それでも寝つきこそせずにいられたのは、祝いに大勢が集う会場の様子を想像して、心を弾ませているからだ。
──人々の心に過大な期待はしない。己への過小評価による懸念もしない。
そう思い、本当にその通りに生きられるのが彼女の強さではある。
果たして、馬車が静かに止まり、王太子のエスコートで扉が開けられると、王太子の手を取るヴィクトリアの姿に、凄まじい歓声が轟いた。
「本日の主役がおいでになられた!」
「まあ、ご覧になって。睦まじく微笑ましいほどのお二方ですこと」
目ざとい貴族が二人の姿を目に認めると、平民たちも黙ってはいない。
「公女様、いや未来の王妃殿下、輝かしいお姿を拝見出来て眼福です!」
「こうしてお祝いの場で過分なご馳走に授かれて、光栄なことこの上なく!」
「歴史に残る絶世の美女でも敵わないくらいにお美しく輝かしい公女様の晴れ舞台、心よりお祝い申し上げます!」
「公女様は、我々の灯火となりましょう!」
場内はヴィクトリアへの賛辞と讃美で溢れかえっている。まるで彼女が降臨した女神かのような言いようだ。
それを聞いていた王太子が、ふと顔を寄せ小声で耳打ちした。
「──特別な飲みものを用意したね?」
さすが王太子、見る目が鋭い。
だが、ヴィクトリアは動じる素振りもなく、むしろ楽しげに言葉を返した。
「はい、──皆さんの心と体によろしいようにと、心をこめて」
飲みものの樽に手をあてて力を注いだだけで、ここまで絶大な効果を得られる──力の強大さにも結果にも満足である。
これは、力についての検証としても大いに役立つことだろう。
「公女──私の飲みものも、そうした心がこめられているのかな?」
「王太子殿下には、わたくしが別にご用意させて頂きました。──それよりも殿下、もはや婚約の儀を済ませましたのですもの、わたくしのことはヴィクトリアと名を呼び捨てにされて下さいませ」
「そうか、私たちは公に許された関係──私としては、公女……いや、ヴィクトリアが特別に手をかけた飲みものも欲しかったところだが、これも君が選んでくれたワインと思えば呑みすぎてしまいそうで、気をつけなければ」
「殿下がお喜び下さるようにと、心を砕いて選ばせて頂きましたわ。──そろそろ、例の件につきまして殿下よりご発言をお願い致したく存じますが……」
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「はい。──お集まり下さいました皆さんに、王太子殿下よりご考案のお言葉がございます。お聞き下さいませ」
ヴィクトリアが呼び水を引くと、一斉にグラスやカトラリーを置き、王太子へ熱い視線を向けて、聞き入る体勢が整う。
いささか熱狂的な雰囲気ではあるが、王太子はそれに怯むこともなく、力強く発言してのけた。
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そうして、ヴィクトリアの練った構想は王太子の口から参加者へと伝えられ、──特に平民たちは希望と活路に瞳を輝かせた。貴族は揃って、二人の温情に感服している。
底知れぬ慈愛に感激したと目を潤ませて、彼女と彼女の思いを重んじる王太子を、惜しみなく讃えて感謝の言葉を精一杯捻り出す。
最後は声を揃えて、二人を祝福した。
「たいそう慈悲深くあられて、国と暮らしを豊かにして下さるであろう公女様と王太子殿下が、末永く栄えますよう忠誠を捧げます!」
──貴族のものも、喜ぶ平民たちに冷ややかな目は向けていないわね。私の仕込みも上々といったところかしら。
「ありがとうございます、皆さん。──さ、お料理も飲みものも、引き続き心ゆくまで楽しんで欲しいと思いますわ。皆さんの幸せこそが、わたくしたちへの最高の祝福と思います」
日が沈むまで続いた炊き出しパーティーは、大盛況のうちに幕を下ろした。
* * *
それから日は過ぎて、ヴィクトリアと王太子は毎週必ず温室で時を共にしていた。
ある時のこと、王太子は何やら憂慮している面持ちで人払いをして護衛騎士まで遠ざけ、二人きりになって問いかけてきた。
「──ヴィクトリア、チェザリア皇国について知ることはあるかな?」
「はい、国名と大まかなことは学んだおぼえがございます」
──王国とは国交すらない遠くの異国ね。生と死の狭間でチェザリアを見下ろしたとき、確か疫病が蔓延して、国内では多くの民が逃げ惑い騒乱が起きていたわ。……あのとき、民は病を恐れて国外への脱出を試みていたのだとしたら。
先読みが明確だ。あの特殊な場所で世界を散々見たのだから、この程度の把握はわけもないことだが。
「ここ最近のうちに、チェザリアから近隣諸国へ難民として出国した民には、疫病を患っていたものが多くいたらしい」
「……チェザリア皇国は遠く離れてはおりますが……放置すれば、民とは常に動くものでございますから、いずれ疫病も及ぶやもしれませんね」
「ああ、チェザリアと国交のある国々からは、既に流行が起きつつあるとの報告を受けた」
「やはり、そうなのですね。──ですが、それをなぜ人払いまでして、わたくしに話されたのでしょうか?」
「君は毒を自在に用いることが出来るだろう?ならば、その逆も可能なのではと思っただけだよ」
──確かに、私の力ならば治療薬でも予防薬でも、作ることは可能だわ。何でも触媒に出来るから、大量生産も難しくない。
しかし、大きな効果を生み出せば、それは評価に繋がっても──危険と表裏一体でもある。人間の、自分自身を救ってくれるものへの依存と欲求は、心に根付くと際限なく枝葉を伸ばし広げてゆく。
その栄養源は、この場合ならヴィクトリアになってしまう。だが、彼女は一方的に自分から吸い上げられてゆく状態なぞ断固として拒否する。
「……わたくしは、まだその病を実際に見ておりません。どのような疫病で、それは一度罹患したものも再度罹患する場合があるのか……何も存じておりませんわ」
──世界の病をどうこう出来る力でも、それを世界に知らしめる必要はないのよ。私は神ではない。一個の人間だから。
「君の言う通りだが、否定もしないんだね」
「殿下への偽りは好みませんので……」
「そうか、とりあえず異国の問題を突拍子もなく話してすまなかった。──今はまだ、その一言が聞けただけで満足だ」
「疫病のことは、忘れぬよう胸に刻みます。国のために為すべきことを見いだしましたとき、わたくしは迷わず死力を尽くしましょう」
「頼りにしているよ。──紅茶が冷めたようだ、淹れ直させよう」
心に引っかかる言葉も口にしていたが、案外あっさりと王太子が引いてくれたことに、ヴィクトリアは安堵している自分を自覚した。
──殿下への配慮……言葉選び……その何もかもが自分自身のため。殿下も聡い方だから、気づいておいででしょう。私は世界に対して、残酷なことを言ったわ。それなのに、常に私の意思を尊重してくれるのは、私への思慕ゆえというの?それに甘えたい私の心の軟弱さは、一体いつの間に生まれたの?
ヴィクトリアが内心で首を傾げているうちに話題は切り替わり、上辺は穏やかな時を共にして、王太子が執務に戻らなければならない刻限が来た。
「ヴィクトリア、また来週会おう。君と出会うまでは婚約に関心もなかったけれど、実際に婚約をしてみると、生きる道に彩りが生まれたことを実感するばかりだ」
別れ際に語りかけてきた王太子の言葉には歪みを感じない。彼は真っ直ぐな喜びを口にしている。
「……気恥ずかしく存じます……わたくしも、次にお会いするときを心待ちに致します」
自分の中の優等生ならば、こう言うだろうと思える返事をしたが、それに顔を綻ばせる王太子の姿で、ヴィクトリアの戸惑いは忙しなく知性のあちこちを行き来した。
知性では理解出来ないことを、これからの彼女は本能で知ってゆくのだろう。
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一日の執務が一段落ついて、王太子は執務室のソファーに身を預け、睡魔に目を閉じながら夢と現の間で、怒涛の展開を見せた最近と過去に思いを馳せていた。
──ヴィクトリアは手に入れた。あの愚弟には惜しいと思っていた、彼女を。
そこには後ろ暗い歓喜も含まれる。
──いつか、愚弟の何もかもを奪ってやりたいと思っていた。ヴィクトリアは、そのような闇に染まった願望でも叶えてくれた……。
第二王子だったアスランからは、常に敵外視されてきた。そうして、嫡出子であることを鼻にかけた彼からは、隙を見せない優れた王子として振る舞う度に、嫉妬を侮蔑にかえて睨まれてきた。
──あいつはヴィクトリアのおかげで滅びの道を歩み、最悪な最期を迎え、おそらく魂も断罪されたことだろう。
それはその通りなのだが、こうした感情の一部をヴィクトリアに漏らしてしまったことは、彼女のためとはいえ──彼女の心を掴むためとはいえ、正しいことだったとは言い切れない。
──それでも、ヴィクトリアは私の差し出した手を取った。それが結論で、彼女の狙いや思惑にも適っていた。私は彼女から選ばれた。認められた。
そう思えば、己の生きてきた道が誤っていたのではないと鼓舞出来る。
──アスランよ、私の心より冥い闇に堕ちて、永劫に絶望という責め苦を味わってくれ。
ここで王太子の意識は途切れ、ひと時の深い眠りについた。
ようやく、迫害からも命を狙われる立場からも救われた──王太子は安らかな眠りへの感謝を、ヴィクトリアへの愛に変えて、新たな道をゆくのだろう。
眼前に横たわる課題、陰に潜む問題は、つかの間の休息を味わったあとでいい。
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