悪役令嬢、中身はサイコパス〜王子様、社会的にも物理的にも終わりです〜

城間ようこ

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力の影の悪意

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──もはや日常となった王太子との温室での時間。この日の茶菓子には、昼食を抜いてまで執務に励んでいる王太子に合わせて、軽食になるよう胡椒を効かせたチーズクッキーをヴィクトリアが作らせて持ち寄った。

クッキーの他には、狭間で学んだ異国の同物同治という考え方から、ヴィクトリアの美肌にも役立つよう、鶏皮を刻んでハーブと共にオリーブオイルでカリカリに焼き上げたものもある。

これらには厨房のものも合わせる飲みものに悩んだようで、王太子にはコーヒーを、ヴィクトリアには青茶をと、それぞれに違った飲みものがサーブされた。

ヴィクトリアが関わると、とかく異例になりがちだが、王太子は彼女からの心遣いを嬉しがり、喜色を浮かべてクッキーを口にした。

「甘くないクッキーも、軽食の代わりにするなら美味しいものだね。胡椒の辛みとチーズの塩味が、香ばしく焼けた小麦粉の香りと調和しているよ」

そう言って微笑む様子を見るヴィクトリアの目には、王太子の中に無理が積もってきていると感じられている。

もちろん黙って見過ごすヴィクトリアではない。こういうことは、見守って何もしないでいても何も良くはならないのだ。

「──殿下、お心が優れぬご様子とお見受け致します。差し出がましいようで恐縮ですけれど、もしや第二王子だった人物の後処理にお悩みになられておいででしょうか?」

切り出し方に遠慮がない。だが、王太子は彼女の聡い点にも惚れているから、そこに不快など感じないし逆に感心する。

「さすが、ヴィクトリアだ。何でもお見通しのようだね。……内密にして欲しい話だが、君になら大丈夫だろう。……あの件で、貴族のみならず平民からも不満が噴出した王家の進退としては、アスランの生母である王妃を廃妃に処すか、あるいは父上が退位するかで意見が分かれているが……父上は退位を望んでいるようだ」

嫡出子の不始末は、その両親に重くのしかかったらしい。あんな木偶を押しつけてきた相手だからヴィクトリアは同情なぞしないが、今の退位となると王太子にはよろしくないことも分かっている。

「国王陛下に退位されてしまうとなりますと、殿下に貴族たちからの圧力が寄せられるかと存じますが……」

「君の言った通り、私は即位するには若年だから高位貴族の傀儡になる恐れもあるし、伴侶となる君もまだ成人していない。このまま退位されると国が傾きかねない」

王太子の瞳が翳っているのは、長い睫毛がそう見せるだけではない。普通の令嬢なら言いにくくて言えないことも、ヴィクトリアは控えめな語調で口にした。

「……殿下を傀儡としたい貴族の筆頭には、わたくしの家門が挙げられると思われますが」

──お父様の祖父と国王の祖母は、どちらも他界しているものの兄妹として血が繋がっている。国王はそれを利用して、第二王子が立太子されるように私との婚約を仕組んだけれど……それも今となっては逆効果ね、公爵家が弱体化した王家に対して強気に出られるようになった。

ヴィクトリアは冷静に思考を巡らせる。しかし父親に王太子を利用させることは、なぜだか面白くないと思えてしまう。

そんな心情を知らない王太子は、淡々と言葉を続けた。

「父である国王が、廃妃よりも自身の退位を現実的に考えている意図──ヴィクトリアならば、容易に解き明かせるだろう?」

──殿下は私をよく試してくるわね。

そうも思ったが、同時に彼女の明晰な知能を買っているとも考えられる。

訊かれて出る答えは、ヴィクトリアからすれば単純で明らかだ。

「……王妃殿下のご出自は、隣国の第一王女でしたわね。そして隣国では、王妃殿下の御父君が王位に健在しておられる……隣国とは近隣国の中でも最も交易が盛んです。利にならない廃妃には出られません」

王妃は出自に恵まれている。隣国からは穀物や果物だけでなく、生と死の狭間で見たところによると、今後必ず押さえておきたい資源がある。

この目で確かめた事実を、知識として活かさない手は今の王太子を前にしてありえない。

ヴィクトリアは、隣国がマズリア王国にもまだ知らせていない特秘事項にもかかわらず詳らかにしてのけた。

「何より、──隣国では鉄鉱山が見つかり、純度の高い鉄鉱石が採掘されるようになっております。これをマズリア王国の武器と、農具を含む生活用具に取り入れることが叶えば、国が潤います」

「品質の良い鉄鉱石?初耳だが……武器に使うとすれば、何に投資するのが最善と見る?」

王太子は驚きを隠せない面持ちになったものの、国益になることを優先させた。王太子相手に国の話は面倒がなくていい、と小気味よく進む会話にヴィクトリアも口が滑らかになる。

「そうですね……たとえば、性能と安全性に優れた鉄砲の量産が可能となれば、軍事力は他国より差をつけられましょう」

──鉄砲そのものは武器として普及しているものの、戦闘の場で歩兵の主力にするほど、鉄砲を浸透させることが出来ている国は、まだ近隣諸国のみに限らず世界的にも、ごく限られた国以外に存在していないわ。高性能な鉄砲に至っては、開発こそ常に急がれているけれど……大砲が主力となっている戦場で、歩兵の基本武器として鉄砲を持たせている国は存在しない。狭間で世界中の争いを見てきたもの、それは知っている。

「現在マズリア王国にある、世界的にも主流となっている歯輪式点火法の鉄砲より利便性の高い──そうですね、他国で最近開発されたと聞く、燧石式点火法の鉄砲を主力に出来れば、歩兵の戦力が飛躍的に上がることと存じます。これならば仕組みも単純化されておりますし、製造費用も従来より安価となりますので」

「ヴィクトリアは武具にも明るいのか……」

──狭間で見たことを元に述べただけだけれど。

実際に見てきたことを言ってみただけなのだが、普通に考えると貴族令嬢が武器の知識を持ち、時代を先取りするほどだというのは通常ではありえない。

だから王太子も感嘆しているのだが、ヴィクトリアとしては狭間で得た情報や知識を王太子に出し惜しみなどしない。

「今ある鉄砲は、撃鉄に火打石を取り付け、引金を引いて作動させることにより、火打石を鋼鉄製の当たり金に打ち付けて発火させるものですわね」

──しかし、この原理こそ変わらなくとも、遥かに利便性の高い鉄砲が他国で開発されている。

それが、燧石式点火法だ。

燧石式の鉄砲の利点は、引金を引く度に発火して点火に至ってくれることにある。これならば、歩兵は最大の難点である火種の扱いに困らない。

それだけではない。点火薬を覆う火蓋が、発火装置に連動して開閉するように工夫されているため、雨の中での戦闘でも、鉄砲を難なく使える。

先んじて量産が出来れば、武力に秀でることが出来るし、実戦で使わずとも保有の事実が知れ渡ることで、他国への牽制と威嚇にもなる。

ヴィクトリアは、そのことを王太子に、狭間で見た通りの技術と共に伝えてみた。

「そのように画期的な鉄砲が……その量産が本当に可能となれば、王国の軍事力と近隣諸国との関係性に大きな変化が生まれるだろう」

「マズリア王国の持つ技術力ならば、おそらく不可能な話ではないと思われます」

「確かに、君の言う製造法ならば従来の鉄砲より作りやすい。なぜそこまで詳しいかは分からないのだが……」

さすがのヴィクトリアも、毒で滞在することとなった生と死の狭間で見学してきたとは言えない。

「国のため、日々の情報収集と勉学に努めてまいりましたゆえ……」

ヴィクトリアは毒も薬も自在に操れるような人間離れした令嬢である。王太子も、それを承知しているからこそ、彼女の一言が苦し紛れでも受けいれる余裕があったのが幸いした。

「──鉄砲については、急ぎ技術者を集めよう。これが王太子と婚約者からの働きかけとなれば、あるいは即位することとなっても傀儡にされずに済むかもしれない。──心から礼を言わせて欲しい」

「殿下のおためとなりますことは、全てがわたくしの本望ともなりますわ」

こうして、ヴィクトリアにおいても期せずして、貴族たちへの打開策が生まれてしまった。

──我が家門にも益はあるわよね。王太子のみではなく、私の名も使われることだし。そして、私の力が関わるならば、お父様の独断では王太子殿下を操れない。それでいて発言力は貴族の中でも最も強くなる。

いわば、王太子派になり共に国を動かしてゆく、同盟のようなものが両者の間に作られることになるだろう。

それならばヴィクトリアの身も安泰だし、王太子も自由を制限されない。

願ったり叶ったりだ。彼女はことの行方を思い、先が楽しみだと心でだけ笑い声を上げた。

──後日、ヴィクトリアの思い通りに新式の鉄砲が作り出せたと報告が上がり、これにより王太子の権限は確かなものとなった。

それを可能にしたヴィクトリアの権勢と、彼女へ向けられる王太子からの信頼に愛情まで、意想外なほど強まることになるが。

何にせよ、王国を動かせるだけの力、国王としての器を、王太子は高位貴族に限らず全ての民たちからも認められたのだ。

──これで、国王と王妃にはご退場願えるわね。

この二人には、いつ消えてもらっても構わなくなった。そうなれば、もはや旨みもない用済みの人間でしかない。

それに、婚約の儀にも顔を出さなかった王妃に至っては、王太子の即位までの間に、我が子ではない王太子へ何を仕掛けるか分かったものではないから、削げる力は完膚なきまでに削いでおきたい。

無力化させて名ばかりの王太后にし、王宮の片隅に追いやり、王太子の即位と在位する未来、それから国政に──何に関しても、王家の一員として口を挟めないようにしたいと目論む。

──まあ、王太后としての身だしなみを整えること程度なら黙過するけれど。

どうせ現状では追いやられた人物だ。窮鼠猫を噛むとは言うから、王太子に危害を加えることこそ危惧しているものの、王妃の権威をなくせば高貴な生まれ以外に残るものはない。

それに、第二王子のこともあるから、国庫を荒らすような贅沢三昧など出来ない──許されはしないことも想像がつく。

──せいぜい慎ましく息をひそめて余生を送ればいいわ。

ヴィクトリアにとって王妃は、どことなく影の薄い人間だからこそ──そう侮っていた。

実子を立太子出来なかった、やんごとなき生まれの王妃。

側妃が命がけで生んだ王子の代母として働いたこともない王妃で、政略結婚の立場以外に優れた何かも持たない王妃。そう見受けてきた。

だから、その人間が抱えてきた、あらゆる時々の心情にまでは思考を巡らせる労力を省いてしまっていたのだ。

王妃は、愚かに散った第二王子の実母である。──血の繋がりにより、傲慢さや利己的なところを受け継がせた母親だということは、王妃という立場に押し込められていたからか、周囲からの認識が甘かった。

ヴィクトリアの彼女らしからぬ油断は、もはや退位する国王に従属して王太后になるしかない王妃が、恨みと鬱憤を晴らすべく動くための隙を、僅かながらも確実に与えていた。

「わたくしのアスラン……高貴な血筋を引き継いで生まれた最高の子……なのに後ろ指をさされながら散った哀れな我が子……誰ひとりとして哀悼の意も示さなかった尊い王子……その存在と命が儚かったことに、誰も疑問を投げかけようとしないとは……」

ここでようやく、王妃としては恵まれてこなかった女性が、我が子と我が身を重ねて想い、負の感情を人知れず高めるようになる。
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