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報復と煩悶の末に愛を
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公爵家に帰宅したヴィクトリアは、王宮で起きたことをつぶさに両親へ話し、心労で疲れたからと私室で一人になり、水煙草を吸いながら思案していた。
──相手は王妃。身分も置かれている状況もまったく違うから、第二王子のときのように薬を仕込めないわね。だから手段を変えて厳しく尋問するようにしたけれど。
問題は王太子がどう動くかだ。
王太子が王妃を敬い慕ってはいないことなら勘づいている。そうでなければ、幽閉にせず地下牢に入れたことの説明がつかない。
──王妃が尋問で何を吐くかで決まる。
おそらく、王妃は今ごろ拷問を受けているだろう。王国の女性における最上位に君臨していた王妃には、地下牢の環境も拷問の痛みも耐えがたいはずだ。
──すぐに自白することは目に見えて分かる。だけど、王妃を手ひどく追いつめた私に対して、王太子殿下は何を思うかしら?報復するには拷問も必要だったものの、王太子殿下はやりすぎだと感じるかもしれない。
たとえ王家の庶子として辛酸を舐めてきた身でも、立太子されたほどの人物だ。しかも近い将来、王位に就く。
──内心に闇を抱えていても、国王になるならば貴族や平民からの支持を求めるはず。
そんな人間が、義母への拷問を黙認出来るか分からない。ことが広まれば、ただでさえ非難を浴びている王家の威信は失墜しかねない。──何しろ、被害に遭ったのは女神と崇められているヴィクトリアなのだ。
──けれど……そうね、私を想う王太子殿下ならば……その心によっては、私に不利なことはしないのではとも思える。私の心が王太子殿下から離れれば、彼は望んだ伴侶を裏切り手放すことになるから……。
それでも、王妃にはヴィクトリアが手ずから手荒な手段を用いた事実は変わらない。王太子がそれを知れば、心は穏やかでいられまい。もう彼にとって、理想の淑女ではいられなくなるだろう。
──それでも、私は私の心に向き合って行動に出ただけのこと。
王妃を堕とすことに躊躇はない。──なのに、心のどこかに魚の小骨が引っかかったような痛みをおぼえる。
さぞや王太子は悩んでいるだろう。国王は退くことを決意したのみで、王太子を後援しない。王妃が罪人の地下牢に押し込まれた事実から見るに、この件には関わろうとしない。
──王太子殿下は、今ごろ何を考えているの?私は仮面の内側にある本性を露わにしてしまった。後悔はしていないけれど……もう完璧な令嬢の仮面は着けていられない。
そう思うと、ヴィクトリアは胸に何かが詰まるような苦しさを微かに感じ、その苦しさの正体は分からなかった。
これまで己のために家も力も利用してきた自分が、それを王妃にも例外なく振るっただけだというのに。
王妃に生き地獄を味わわせようという気持ちは変わらないが、王太子を思うと心が冴えずに鈍ってしまう。ヴィクトリアには、まことに不可解な心のありようだ。
──こうしていても、気分転換にさえならない。今は迷いも悩みも打ちやって、王妃への断罪に専念すべきよ。
心を読み解くことを投げ出し、ヴィクトリアはナタリーを呼んで湯浴みの支度をさせることにした。
「ナタリー、今夜の入浴はジャスミンのハーブバスにして。お湯は少し熱めがいいわ」
「かしこまりました、お嬢様。お疲れかと思いますので、ご入浴のあとは香油で全身のお肌を揉みほぐすよう、入浴補助のものに伝えさせて頂きます」
こういうとき、ナタリーは気働きが利いている。気心の知れたメイドに、ヴィクトリアは心持ちが少しは揉みほぐされるような気がした。
* * *
王宮での晩餐から数日して、ヴィクトリアは王太子から迎えの馬車で呼び出された。
通常ならば書簡を送ってくるのに、前触れなく王家の馬車を寄越すのは、それだけ性急になる理由があるのだろう。
──王妃のことで動きがあったわね。
王太子の意図は不明だが、あらゆる事態を想定し、覚悟して行くしかない。ヴィクトリアはドレスを着替えて馬車に乗った。
そして王城に着くと、いつもの温室へと案内された。そこにはテーブルに肘をつき、両手を口もとで組んで、何かを考え込む様子の王太子が待ち受けている。
「……王国の輝ける星にご挨拶申し上げます」
作法通りの礼をしたヴィクトリアに、王太子は抑揚のない静かな声で返事をする。
「楽にしていい。──座ってくれ、すぐに茶を運ばせる」
「ありがたく存じます」
促されるまま着席すると、見計らったように紅茶が用意されたが、互いに口はつけない。
重苦しい沈黙が横たわり、ややあって王太子が話を切り出した。
「……義母上への尋問にあたる調査官らが、拷問により自白するよう促したと聞いた」
──来たわね。
腹を括るヴィクトリアを前にして、王太子は淡々と述べてゆく。
「義母上は指潰しの器具を前にして、手筈を整えたのはメイドだと話したが、調査官らは世迷い言とみなし……義母上を椅子に縛りつけ、脚割りを行なって真実を述べるよう言ったとのことだ」
──述べるよう強制した、とは言わないのね。
そこに違和感をおぼえたものの、余計な口は挟まない。王太子への失礼にあたるし、下手を打つと心象が悪くなる。
「──結果として、義母上は専属メイドにヴィクトリアへの報復を指図したと認めた。手段はメイドに任せた、とも」
──ただのメイドごときに任せて、朱砂が簡単に使えるとは思えないわ。かと言って、それ以上のことは自白しなかったようね。
貴族に危害を加えることは、王族でも重刑に処される。それでも王妃は、少しでも処罰が軽減されることを望んだのだろう。
そう察したヴィクトリアに対し、王太子はこの日初めて真っ直ぐにヴィクトリアの瞳を見つめてきた。
「……義母上に拷問してでも自白させるよう仕向けたのは、ヴィクトリア……君だね?」
──これは問いではなく、確認ね。王太子殿下は王妃が受けている扱いを見てきたに違いない。
「……直截には命じませんでしたが、否定は致しません。わたくしにはわたくしの、意思と自尊心がございました」
開き直るつもりはないが、王太子には言動を知られた以上、どう取り繕おうとも無駄だと理解出来る。ヴィクトリアは恥じるよりも毅然と答えることを選んだ。
だが、その彼女を前にして、王太子は心底意外な言葉を述べ始めた。
「責める気も咎める気も毛頭ない。義母上の罪は確かなものだ。実行犯が誰であれ、王族が為してはならぬ罪を犯した、それが事実の全てになる。私はこのことを貴族と王族の連合会議にて、君の処断を抜きにして報告させてもらった。元より、ウィンフィレア公爵家当主から義母上を糾弾すべきとの抗議も受けていたしね」
──それはつまり、一国の王妃であり自身の義母でもある女性に拷問を受けさせた私に対し、不問とするという意味になるではないの。
しかも、ヴィクトリアを見つめる王太子の眼差しからは微塵の嫌悪も軽蔑も見て取れない。
「──殿下、ですが……国王陛下が黙ってはおりませんでしょう?王妃殿下は凋落しても廃妃されてはいませんので……」
「いや。父上は退位を決意されてから、公の場には出ていない。だからこそ私は会議の場で、王国に疫病が流入したとき、父上の対応が後手に回ったことも発言に及んだ。おそらく、義母上のみならず父上への処断も考えることになるだろう」
「殿下、国王陛下までをも罰すると仰せになりますか?」
「君の尽力がなければ、王国は取り返しのつかない痛手を負っていた。義母上だけではなく、父上にも何らかの処罰を与えて無力化しなければ、いずれは君の能力を利用しようと目論むよ──たとえば、多くの命を犠牲にする戦争のような場で」
──私は、王妃からの害意に対して、実害でお返しした。仕損じた害意よりも遥かに黒い意思で、王妃を虐げさせたわ。なのに、なぜ王太子殿下は私を瑕瑾なき令嬢のままでいさせようと働くの?父である国王陛下まで排除しようと先回りするの?
さすがのヴィクトリアでも、こうなると理解が追いつかない。
さらに王太子は、瞳に熱を宿して、とどめの一撃を繰り出した。
「──ヴィクトリア。……私は君を愛している。その想いが届くのであれば、王家の威信が堕ちるところまで堕ちようとも、覚悟しよう」
「──殿下、それは……」
──愛している?そう言ったの?こんなに耳を打って聞こえた言葉が聞き間違いなわけないのに、耳を疑いそうになる。何らかの特別な感情が注がれていることは分かっていたけれど、そのような覚悟をするほどの愛情だと言うの?
愛されることは、家族愛で知っている。だが、王太子からの愛は違う愛情だ。
「……殿下、わたくしがどのような人間かを、ご理解されたうえで……愛すると仰せになられておいでなのでしょうか?」
ここまで大切にされてしまえば、もはや訊くのも無駄な作業かもしれない。それでも、ヴィクトリアは確かめずにはいられなかった。
「人間が他者を理解しきることは不可能だろうと思うが……私が見てきたヴィクトリアは、間違いなく私の愛すべき女性だと断言出来る」
──ああ、何てひたむきで暗くて、歪んだまばゆい感情を向けてくるの。
ヴィクトリアがそのように感じられるのは、心に住まう闇と共に生きてきたからだ。
王太子もまた、闇を秘めながらでも──真っ向から真剣な愛を告げた。
どのみち、婚約を交わした関係だ。そこに王太子からの愛情が加わること──それはそれで、人生に新たな彩りが見つけられたような、少なくとも不快ではない感情をヴィクトリアにおぼえさせる。
──この感情が何かは分からない。でも、毎日想像する明日が楽しみになるような、どこか軽やかなものね。王太子殿下の眼差しが真っ直ぐに向けられている間は、退屈などすることはないと分かる。
ヴィクトリアの頭脳は、とことん色恋に聡さが働いてくれない。王太子もこの先かなり苦労させられそうだ。
それをよそに、ヴィクトリアは慎ましやかに口角を上げ、それでいて妖艶に微笑んだ。
「そう仰って下さるのであれば……実のところ、国王陛下と王妃殿下は国民を裏切り窮地に立たせましたし、それは許されざる罪でございます。……ですが、殿下……国王夫妻を断罪しても、殿下とわたくしが新たな王家の規範となり、国民を慈しむものとなれば良いと、そのようにお答えさせて頂きます」
「──つまり、私の求愛に応えてくれると?」
「みなまで言わずとも、殿下にはお察し頂けることと存じます」
「私は君を手放せなくなるだろう。それでもいいと言うのならば、代わりに君を裏切りはしない」
「殿下のお心がわたくしを裏切らないと仰せになるのでしたら、わたくしは殿下の隣に立ち続けましょう」
ヴィクトリアは、これでも誠実に応えている。他者を愛したことのない彼女からすれば、嘘偽りのない精一杯な言葉だ。
同等の愛こそ返されなくとも、王太子は彼女へ向けて陶然と笑みを浮かべた。
そうして、笑みとは裏腹な言葉を平然と口にする。
「……アスランとナレステア子爵令嬢の最期は、無様で醜悪で……見事だったと記憶に残っている。いっそ清々しく愉快なほどの姿を晒して、彼らは散っていった。──ああした姿を、君ならば再び見せてくれるだろう?」
──これは、王妃に無様で醜悪な最期をと望んでいるのよね?
「そのご期待でございますが、わたくしもまた同様に願っております」
「そうか……そこにもしも罪咎があるのだとしたら、私も共に背負おう。──紅茶が冷めきってしまったようだ、淹れ直させるよ」
「ご配慮ありがとうございます」
こうして、ちぐはぐにも同類にも感じられる二人の意思は重なり交わった。
その後は婚姻の儀に関する話を中心にして、王太子はヴィクトリアの好むドレスのデザインや宝石を訊いた。
婚姻の儀は王室による晴れ舞台でもあるので、王宮では貴賓を招待したパーティーも催される。婚約の儀のような厳しい制約はないため、なるべくヴィクトリアの希望に添いたいらしい。
ひとしきり話したあと、帰りの馬車に乗る前に、ヴィクトリアが王妃の牢番を呼び出した。
そして、厳かに告げてのけた。
「牢番に次期王妃の名で命じるわ。──現王妃の処刑が執り行なわれる日取りが、じきに決まるでしょう。そうしたら、彼女には処刑の三日前から水も与えないように」
地下牢は不潔極まりなく、収監されているだけでも過酷な状態である。
そこに追撃を仕掛けるヴィクトリアには、王太子と交わした心──思惑と欲求、または願望を実現するための目論みがあった。
──相手は王妃。身分も置かれている状況もまったく違うから、第二王子のときのように薬を仕込めないわね。だから手段を変えて厳しく尋問するようにしたけれど。
問題は王太子がどう動くかだ。
王太子が王妃を敬い慕ってはいないことなら勘づいている。そうでなければ、幽閉にせず地下牢に入れたことの説明がつかない。
──王妃が尋問で何を吐くかで決まる。
おそらく、王妃は今ごろ拷問を受けているだろう。王国の女性における最上位に君臨していた王妃には、地下牢の環境も拷問の痛みも耐えがたいはずだ。
──すぐに自白することは目に見えて分かる。だけど、王妃を手ひどく追いつめた私に対して、王太子殿下は何を思うかしら?報復するには拷問も必要だったものの、王太子殿下はやりすぎだと感じるかもしれない。
たとえ王家の庶子として辛酸を舐めてきた身でも、立太子されたほどの人物だ。しかも近い将来、王位に就く。
──内心に闇を抱えていても、国王になるならば貴族や平民からの支持を求めるはず。
そんな人間が、義母への拷問を黙認出来るか分からない。ことが広まれば、ただでさえ非難を浴びている王家の威信は失墜しかねない。──何しろ、被害に遭ったのは女神と崇められているヴィクトリアなのだ。
──けれど……そうね、私を想う王太子殿下ならば……その心によっては、私に不利なことはしないのではとも思える。私の心が王太子殿下から離れれば、彼は望んだ伴侶を裏切り手放すことになるから……。
それでも、王妃にはヴィクトリアが手ずから手荒な手段を用いた事実は変わらない。王太子がそれを知れば、心は穏やかでいられまい。もう彼にとって、理想の淑女ではいられなくなるだろう。
──それでも、私は私の心に向き合って行動に出ただけのこと。
王妃を堕とすことに躊躇はない。──なのに、心のどこかに魚の小骨が引っかかったような痛みをおぼえる。
さぞや王太子は悩んでいるだろう。国王は退くことを決意したのみで、王太子を後援しない。王妃が罪人の地下牢に押し込まれた事実から見るに、この件には関わろうとしない。
──王太子殿下は、今ごろ何を考えているの?私は仮面の内側にある本性を露わにしてしまった。後悔はしていないけれど……もう完璧な令嬢の仮面は着けていられない。
そう思うと、ヴィクトリアは胸に何かが詰まるような苦しさを微かに感じ、その苦しさの正体は分からなかった。
これまで己のために家も力も利用してきた自分が、それを王妃にも例外なく振るっただけだというのに。
王妃に生き地獄を味わわせようという気持ちは変わらないが、王太子を思うと心が冴えずに鈍ってしまう。ヴィクトリアには、まことに不可解な心のありようだ。
──こうしていても、気分転換にさえならない。今は迷いも悩みも打ちやって、王妃への断罪に専念すべきよ。
心を読み解くことを投げ出し、ヴィクトリアはナタリーを呼んで湯浴みの支度をさせることにした。
「ナタリー、今夜の入浴はジャスミンのハーブバスにして。お湯は少し熱めがいいわ」
「かしこまりました、お嬢様。お疲れかと思いますので、ご入浴のあとは香油で全身のお肌を揉みほぐすよう、入浴補助のものに伝えさせて頂きます」
こういうとき、ナタリーは気働きが利いている。気心の知れたメイドに、ヴィクトリアは心持ちが少しは揉みほぐされるような気がした。
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王宮での晩餐から数日して、ヴィクトリアは王太子から迎えの馬車で呼び出された。
通常ならば書簡を送ってくるのに、前触れなく王家の馬車を寄越すのは、それだけ性急になる理由があるのだろう。
──王妃のことで動きがあったわね。
王太子の意図は不明だが、あらゆる事態を想定し、覚悟して行くしかない。ヴィクトリアはドレスを着替えて馬車に乗った。
そして王城に着くと、いつもの温室へと案内された。そこにはテーブルに肘をつき、両手を口もとで組んで、何かを考え込む様子の王太子が待ち受けている。
「……王国の輝ける星にご挨拶申し上げます」
作法通りの礼をしたヴィクトリアに、王太子は抑揚のない静かな声で返事をする。
「楽にしていい。──座ってくれ、すぐに茶を運ばせる」
「ありがたく存じます」
促されるまま着席すると、見計らったように紅茶が用意されたが、互いに口はつけない。
重苦しい沈黙が横たわり、ややあって王太子が話を切り出した。
「……義母上への尋問にあたる調査官らが、拷問により自白するよう促したと聞いた」
──来たわね。
腹を括るヴィクトリアを前にして、王太子は淡々と述べてゆく。
「義母上は指潰しの器具を前にして、手筈を整えたのはメイドだと話したが、調査官らは世迷い言とみなし……義母上を椅子に縛りつけ、脚割りを行なって真実を述べるよう言ったとのことだ」
──述べるよう強制した、とは言わないのね。
そこに違和感をおぼえたものの、余計な口は挟まない。王太子への失礼にあたるし、下手を打つと心象が悪くなる。
「──結果として、義母上は専属メイドにヴィクトリアへの報復を指図したと認めた。手段はメイドに任せた、とも」
──ただのメイドごときに任せて、朱砂が簡単に使えるとは思えないわ。かと言って、それ以上のことは自白しなかったようね。
貴族に危害を加えることは、王族でも重刑に処される。それでも王妃は、少しでも処罰が軽減されることを望んだのだろう。
そう察したヴィクトリアに対し、王太子はこの日初めて真っ直ぐにヴィクトリアの瞳を見つめてきた。
「……義母上に拷問してでも自白させるよう仕向けたのは、ヴィクトリア……君だね?」
──これは問いではなく、確認ね。王太子殿下は王妃が受けている扱いを見てきたに違いない。
「……直截には命じませんでしたが、否定は致しません。わたくしにはわたくしの、意思と自尊心がございました」
開き直るつもりはないが、王太子には言動を知られた以上、どう取り繕おうとも無駄だと理解出来る。ヴィクトリアは恥じるよりも毅然と答えることを選んだ。
だが、その彼女を前にして、王太子は心底意外な言葉を述べ始めた。
「責める気も咎める気も毛頭ない。義母上の罪は確かなものだ。実行犯が誰であれ、王族が為してはならぬ罪を犯した、それが事実の全てになる。私はこのことを貴族と王族の連合会議にて、君の処断を抜きにして報告させてもらった。元より、ウィンフィレア公爵家当主から義母上を糾弾すべきとの抗議も受けていたしね」
──それはつまり、一国の王妃であり自身の義母でもある女性に拷問を受けさせた私に対し、不問とするという意味になるではないの。
しかも、ヴィクトリアを見つめる王太子の眼差しからは微塵の嫌悪も軽蔑も見て取れない。
「──殿下、ですが……国王陛下が黙ってはおりませんでしょう?王妃殿下は凋落しても廃妃されてはいませんので……」
「いや。父上は退位を決意されてから、公の場には出ていない。だからこそ私は会議の場で、王国に疫病が流入したとき、父上の対応が後手に回ったことも発言に及んだ。おそらく、義母上のみならず父上への処断も考えることになるだろう」
「殿下、国王陛下までをも罰すると仰せになりますか?」
「君の尽力がなければ、王国は取り返しのつかない痛手を負っていた。義母上だけではなく、父上にも何らかの処罰を与えて無力化しなければ、いずれは君の能力を利用しようと目論むよ──たとえば、多くの命を犠牲にする戦争のような場で」
──私は、王妃からの害意に対して、実害でお返しした。仕損じた害意よりも遥かに黒い意思で、王妃を虐げさせたわ。なのに、なぜ王太子殿下は私を瑕瑾なき令嬢のままでいさせようと働くの?父である国王陛下まで排除しようと先回りするの?
さすがのヴィクトリアでも、こうなると理解が追いつかない。
さらに王太子は、瞳に熱を宿して、とどめの一撃を繰り出した。
「──ヴィクトリア。……私は君を愛している。その想いが届くのであれば、王家の威信が堕ちるところまで堕ちようとも、覚悟しよう」
「──殿下、それは……」
──愛している?そう言ったの?こんなに耳を打って聞こえた言葉が聞き間違いなわけないのに、耳を疑いそうになる。何らかの特別な感情が注がれていることは分かっていたけれど、そのような覚悟をするほどの愛情だと言うの?
愛されることは、家族愛で知っている。だが、王太子からの愛は違う愛情だ。
「……殿下、わたくしがどのような人間かを、ご理解されたうえで……愛すると仰せになられておいでなのでしょうか?」
ここまで大切にされてしまえば、もはや訊くのも無駄な作業かもしれない。それでも、ヴィクトリアは確かめずにはいられなかった。
「人間が他者を理解しきることは不可能だろうと思うが……私が見てきたヴィクトリアは、間違いなく私の愛すべき女性だと断言出来る」
──ああ、何てひたむきで暗くて、歪んだまばゆい感情を向けてくるの。
ヴィクトリアがそのように感じられるのは、心に住まう闇と共に生きてきたからだ。
王太子もまた、闇を秘めながらでも──真っ向から真剣な愛を告げた。
どのみち、婚約を交わした関係だ。そこに王太子からの愛情が加わること──それはそれで、人生に新たな彩りが見つけられたような、少なくとも不快ではない感情をヴィクトリアにおぼえさせる。
──この感情が何かは分からない。でも、毎日想像する明日が楽しみになるような、どこか軽やかなものね。王太子殿下の眼差しが真っ直ぐに向けられている間は、退屈などすることはないと分かる。
ヴィクトリアの頭脳は、とことん色恋に聡さが働いてくれない。王太子もこの先かなり苦労させられそうだ。
それをよそに、ヴィクトリアは慎ましやかに口角を上げ、それでいて妖艶に微笑んだ。
「そう仰って下さるのであれば……実のところ、国王陛下と王妃殿下は国民を裏切り窮地に立たせましたし、それは許されざる罪でございます。……ですが、殿下……国王夫妻を断罪しても、殿下とわたくしが新たな王家の規範となり、国民を慈しむものとなれば良いと、そのようにお答えさせて頂きます」
「──つまり、私の求愛に応えてくれると?」
「みなまで言わずとも、殿下にはお察し頂けることと存じます」
「私は君を手放せなくなるだろう。それでもいいと言うのならば、代わりに君を裏切りはしない」
「殿下のお心がわたくしを裏切らないと仰せになるのでしたら、わたくしは殿下の隣に立ち続けましょう」
ヴィクトリアは、これでも誠実に応えている。他者を愛したことのない彼女からすれば、嘘偽りのない精一杯な言葉だ。
同等の愛こそ返されなくとも、王太子は彼女へ向けて陶然と笑みを浮かべた。
そうして、笑みとは裏腹な言葉を平然と口にする。
「……アスランとナレステア子爵令嬢の最期は、無様で醜悪で……見事だったと記憶に残っている。いっそ清々しく愉快なほどの姿を晒して、彼らは散っていった。──ああした姿を、君ならば再び見せてくれるだろう?」
──これは、王妃に無様で醜悪な最期をと望んでいるのよね?
「そのご期待でございますが、わたくしもまた同様に願っております」
「そうか……そこにもしも罪咎があるのだとしたら、私も共に背負おう。──紅茶が冷めきってしまったようだ、淹れ直させるよ」
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こうして、ちぐはぐにも同類にも感じられる二人の意思は重なり交わった。
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婚姻の儀は王室による晴れ舞台でもあるので、王宮では貴賓を招待したパーティーも催される。婚約の儀のような厳しい制約はないため、なるべくヴィクトリアの希望に添いたいらしい。
ひとしきり話したあと、帰りの馬車に乗る前に、ヴィクトリアが王妃の牢番を呼び出した。
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地下牢は不潔極まりなく、収監されているだけでも過酷な状態である。
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