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侯爵夫人はお疲れのご様子
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エマ夫人はまだ早い時間にも関わらず、少し疲れた様子で自室のソファにもたれていた。いつも溌剌としている夫人にしては珍しいことだった。
それでも、シルヴィが来たことに気がつくと背筋をすっと伸ばし笑顔を浮かべて出迎えようとしてくれる。
以前はそういう細やかな気遣いにもさすがだと思えたものだが、今のシルヴィには妙に他人行儀に見えて寂しくなった。
「エマ様、ご挨拶にあがりました。」
「シルヴィ。どうぞ、かけて。」
エマ夫人は向かいのソファに座るよう示すと部屋の人払いをした。
シルヴィはソファに座る前に手に持った花束を夫人に向けて差し出した。だがその視線は侯爵夫人をまともに捉えることができないまま、しばらく夫人の手元で輝く見事な指輪の上に留まっていた。
「今日のこの花は、エマ様に。」
エマ夫人はわずかに口元に笑みを浮かべて花束を受け取った。
「ありがとう。」
「レオ様からのお手紙は先日受け取りました。ですから本日はお別れのご挨拶にと思いまして──。」
「……そうね。私の所にあの子から連絡が来たのも突然だったの。本当は帰還して成人の儀が終わった後で今後の事はじっくりと話し合う予定だったのに。」
「そうでしたか。」
それきりエマ夫人は花束をしばらくぼーっと眺めて口を開かなかった。
いろいろと思いがこみ上げてくるのはシルヴィも同じだった。
やがて、エマ夫人はいつもより抑えた調子で語りだした。部屋の外に会話が漏れ聞こえないよう気をつけているのだろう。
「貴女、この1年間本当にレオとは会わなかったわね。正直驚いたわ。」
「はじめからそういう約束でしたよね?」
「それはそうだけれど、ほら、でもあの子の噂くらいは聞いたことがあったでしょう?」
シルヴィはようやく視線を上げるとエマ夫人の顔をおずおずと見た。何もかもを見通しているかのようなその透き通った青い瞳にまっすぐに見つめられると、何もしていなくても思わずこちらから謝ってしまいそうになる。
夫人と侯爵、両方に似ているというレオはアングラード侯爵家の長男で、いずれは侯爵の位を継ぐというだけでも何かと話題にされる身であった。それに加えてレオはその整った容姿で同世代の間では将来有望な結婚相手と目されていた。
それなのに派手な遊びもせず、公の場には必要最低限しか姿を現さなかった。いや、そのせいで、というのが正しいのかもしれないとシルヴィは思っている。
シルヴィの想像の中でのレオは知的で物静かな青年という感じだ。だから公の場であれこれと聞かれるのが嫌で姿を見せないのではないかと思っていた。
「確かに噂の中のレオ様は世の女性にとってみれば理想的な方かもしれませんね。でも所詮噂ですから。」
「婚約者になったら直接レオに会ってその噂の真偽を確認することもできたでしょう?なのに貴女はいきなりレオの顔を見たくないだなんて言い出すんですもの。そして本当にあの子とは会わなかった。」
シルヴィはエマ夫人と顔を見合わせると照れたように笑った。
今になってこんなことを言われるとは思っても見なかったが、まぁ普通はそういう反応になるだろう。
「私がレオ様と会ってお顔を見て、話をして、婚約破棄は嫌だと言い出したらどうするおつもりでしたか?」
シルヴィのからかう様な言い方にもエマ夫人は笑みを浮かべたまま、返答にためらう事がなかった。
「それでも構わなかったわよ。そうなったら後の事はレオに一任するだけだもの。」
「それでは成人するまでの婚約者という最初の約束と違います。第一レオ様が困るでしょう?」
「あら、困らせておけばいいじゃない。確かに最初の約束とは多少違うかもしれないけれど。そもそも、レオの相手を貴女にと伯爵にお願いしたのはこちらの方なのよ?」
「それは父から聞いています。侯爵様とは御学友だったとか。」
「伯爵からはそう聞いているのね?」
エマ夫人は遠い目をして何かを思い出している風だった。シルヴィに何かを打ち明けたいとでも思っているのだろう。しかしまだ迷いがあるようだった。
父は侯爵に何か大きな借りでもあったのかもしれない。
しかし侯爵と父の間に過去、どのような関係があったとしても、それが子であるレオとシルヴィの婚約や結婚に影響するとは考えにくい。
それにもう今更何を言われようが、シルヴィはレオの婚約者ではないのだ。
「それよりもエマ様?今日は随分とお疲れの様ですけれど、大丈夫ですか?」
「えぇ、そうね。確かにいろいろとあったものだからなんだか疲れたわ。こういうのを気苦労というのかしらね。でも私は大丈夫よ。」
エマ夫人は疲れていることに今気がついたとでも言うように小さくため息をついた。それでもすぐに気を取り直したのか、いつもの顔に戻ると自分の中で何かを再確認するように宙を見据えた。
「そうそう、シルヴィ。貴女も近々耳にすると思うけれど、今年の帰還パレードは中止になったわ。遠征で負傷者がでたのは8年ぶりだそうよ。」
「中止ですか、それは残念ですが仕方ないですね。じゃあその後の成人の儀も?」
「いいえ、それはまだ検討中だけれど、今年は王子も成人にあたるから何もしないという訳にはいかないのよ。」
「王子──」
「そう、3番目。レオの従兄弟の。」
レオの従兄弟──その言葉にシルヴィは目の前が真っ白になった。
そうだった。どこかで聞いたことのある名前だと思った。
国王の2人いる后のうち一人はアングラード侯爵の血の繋がった実の妹だ。つまり第3王子ロジェ・ボドワンはレオの従兄弟にあたる──間違いない、侯爵家の親戚だ。
それでも、シルヴィが来たことに気がつくと背筋をすっと伸ばし笑顔を浮かべて出迎えようとしてくれる。
以前はそういう細やかな気遣いにもさすがだと思えたものだが、今のシルヴィには妙に他人行儀に見えて寂しくなった。
「エマ様、ご挨拶にあがりました。」
「シルヴィ。どうぞ、かけて。」
エマ夫人は向かいのソファに座るよう示すと部屋の人払いをした。
シルヴィはソファに座る前に手に持った花束を夫人に向けて差し出した。だがその視線は侯爵夫人をまともに捉えることができないまま、しばらく夫人の手元で輝く見事な指輪の上に留まっていた。
「今日のこの花は、エマ様に。」
エマ夫人はわずかに口元に笑みを浮かべて花束を受け取った。
「ありがとう。」
「レオ様からのお手紙は先日受け取りました。ですから本日はお別れのご挨拶にと思いまして──。」
「……そうね。私の所にあの子から連絡が来たのも突然だったの。本当は帰還して成人の儀が終わった後で今後の事はじっくりと話し合う予定だったのに。」
「そうでしたか。」
それきりエマ夫人は花束をしばらくぼーっと眺めて口を開かなかった。
いろいろと思いがこみ上げてくるのはシルヴィも同じだった。
やがて、エマ夫人はいつもより抑えた調子で語りだした。部屋の外に会話が漏れ聞こえないよう気をつけているのだろう。
「貴女、この1年間本当にレオとは会わなかったわね。正直驚いたわ。」
「はじめからそういう約束でしたよね?」
「それはそうだけれど、ほら、でもあの子の噂くらいは聞いたことがあったでしょう?」
シルヴィはようやく視線を上げるとエマ夫人の顔をおずおずと見た。何もかもを見通しているかのようなその透き通った青い瞳にまっすぐに見つめられると、何もしていなくても思わずこちらから謝ってしまいそうになる。
夫人と侯爵、両方に似ているというレオはアングラード侯爵家の長男で、いずれは侯爵の位を継ぐというだけでも何かと話題にされる身であった。それに加えてレオはその整った容姿で同世代の間では将来有望な結婚相手と目されていた。
それなのに派手な遊びもせず、公の場には必要最低限しか姿を現さなかった。いや、そのせいで、というのが正しいのかもしれないとシルヴィは思っている。
シルヴィの想像の中でのレオは知的で物静かな青年という感じだ。だから公の場であれこれと聞かれるのが嫌で姿を見せないのではないかと思っていた。
「確かに噂の中のレオ様は世の女性にとってみれば理想的な方かもしれませんね。でも所詮噂ですから。」
「婚約者になったら直接レオに会ってその噂の真偽を確認することもできたでしょう?なのに貴女はいきなりレオの顔を見たくないだなんて言い出すんですもの。そして本当にあの子とは会わなかった。」
シルヴィはエマ夫人と顔を見合わせると照れたように笑った。
今になってこんなことを言われるとは思っても見なかったが、まぁ普通はそういう反応になるだろう。
「私がレオ様と会ってお顔を見て、話をして、婚約破棄は嫌だと言い出したらどうするおつもりでしたか?」
シルヴィのからかう様な言い方にもエマ夫人は笑みを浮かべたまま、返答にためらう事がなかった。
「それでも構わなかったわよ。そうなったら後の事はレオに一任するだけだもの。」
「それでは成人するまでの婚約者という最初の約束と違います。第一レオ様が困るでしょう?」
「あら、困らせておけばいいじゃない。確かに最初の約束とは多少違うかもしれないけれど。そもそも、レオの相手を貴女にと伯爵にお願いしたのはこちらの方なのよ?」
「それは父から聞いています。侯爵様とは御学友だったとか。」
「伯爵からはそう聞いているのね?」
エマ夫人は遠い目をして何かを思い出している風だった。シルヴィに何かを打ち明けたいとでも思っているのだろう。しかしまだ迷いがあるようだった。
父は侯爵に何か大きな借りでもあったのかもしれない。
しかし侯爵と父の間に過去、どのような関係があったとしても、それが子であるレオとシルヴィの婚約や結婚に影響するとは考えにくい。
それにもう今更何を言われようが、シルヴィはレオの婚約者ではないのだ。
「それよりもエマ様?今日は随分とお疲れの様ですけれど、大丈夫ですか?」
「えぇ、そうね。確かにいろいろとあったものだからなんだか疲れたわ。こういうのを気苦労というのかしらね。でも私は大丈夫よ。」
エマ夫人は疲れていることに今気がついたとでも言うように小さくため息をついた。それでもすぐに気を取り直したのか、いつもの顔に戻ると自分の中で何かを再確認するように宙を見据えた。
「そうそう、シルヴィ。貴女も近々耳にすると思うけれど、今年の帰還パレードは中止になったわ。遠征で負傷者がでたのは8年ぶりだそうよ。」
「中止ですか、それは残念ですが仕方ないですね。じゃあその後の成人の儀も?」
「いいえ、それはまだ検討中だけれど、今年は王子も成人にあたるから何もしないという訳にはいかないのよ。」
「王子──」
「そう、3番目。レオの従兄弟の。」
レオの従兄弟──その言葉にシルヴィは目の前が真っ白になった。
そうだった。どこかで聞いたことのある名前だと思った。
国王の2人いる后のうち一人はアングラード侯爵の血の繋がった実の妹だ。つまり第3王子ロジェ・ボドワンはレオの従兄弟にあたる──間違いない、侯爵家の親戚だ。
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