見知らぬ君がつく優しい嘘

ゆみ

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ちょっと待った

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 一般的に噂話というものはあっという間に広まるものだが、レオがアングラード侯爵の後継ぎではなくなったという報せはそれに輪をかけた勢いで広まった。勿論、婚約破棄の件も併せてではあったが、そんな事は些事だ。
 そして人々の関心の対象はレオから次の後継者──つまりレオの弟へと移るのも時間の問題のように思えたが、今すぐにという訳にはいかない。
 


 教会での礼拝は貴族と平民とで時間が被らないように午前と午後の部に別れていた。
 シルヴィはいつものように両親とともに教会を訪れていたが、周りから向けられる憐れむような視線の数々に、早くも心が折れそうになっていた。
 視線だけではない。誰もが噂の真相を確かめたいと、シルヴィに話しかけるタイミングを見計らっているように思えてならなかった。しかし自分の口から話せることは何もない。最悪だ。



『 貴女は何も恥じることはないのだから堂々としていればいいのよ? 』

 屋敷を出る前に母親からかけられた言葉に頷きはしたものの、決して納得したわけではない。
 噂の渦中のレオがまだ公に姿を見せていないこともあり、シルヴィに対して遠慮ない視線が向けられることははじめから分かりきっていた事だ。


 ──堂々と、背筋を伸ばして。

 自分に言い聞かせながら伯爵夫妻の後ろにいたシルヴィだが、礼拝堂の入り口に近付くにつれて鼓動が早くなり、視線が下がりはじめた。
 どうして自分だけがこんなみじめな思いをしなくてはいけないのだろう。
 シルヴィは礼拝堂の入り口付近で完全に立ち止まった。ざわざわとした人々の声に足がすくんだ。きっとこの中に入ってしまえば礼拝が終わるまでの長い間外に出ることはできないだろう。
 そこから次の一歩を踏み出すことができないでいると、隣接する建物の陰から小さな姿がひょっこりと現れた。いつもシルヴィが訪れると一番に出迎えてくれるあの子だ。少女は周囲をキョロキョロと確認すると、シルヴィに向けて小さく手招きをした。
 シルヴィは救われた思いでそちらに向けて小さく頷き返すと、母親の袖をひき小声で囁いた。

「私のことは構わず、礼拝が終わったら先に帰っていてください。」

 母親は目線だけで了承を伝えると、周囲の知人たちと挨拶を交わしながら伯爵に促され礼拝堂の中へ消えていった。

 シルヴィは何事もなかったかのように礼拝堂の入り口から左にそれ、わざとゆったりとした歩調で先へ進んでいった。シルヴィの目に見えるのは今にも泣き出しそうな顔をしてシルヴィが来るのをじっと待っている小さな少女だけだった。

──泣きたいのは私の方なのに。

 シルヴィが少女の近くまで行くと、待ちきれなかった小さな体が思い切り飛びついてきた。どうやらこの子は本当に泣いているようだ。

「シルヴィ様!」
「どうしたの?」

 少し体を屈めて少女をしっかりと抱きとめたシルヴィは、つられて自分まで泣かないように気をつけながら両手にぎゅっと力を込めた。
 こうして誰かを抱きしめたのは一体どれくらいぶりだろうか。

「大変なの、いなくなっちゃうんだって。」

 シルヴィは少女の言葉に耳を傾けながら無意識にその髪を撫でた。手入れの行き届いていない傷んだ髪──。

「それだけじゃ何の話なのかわからないわ。詳しく話してくれる?」
「ギーだよ、ギーがここから出ていくんだって。話してるの聞いちゃったの。」
「……ギーが出ていく?」

 少女の髪を撫でる手が止まった。と同時に喉元までこみ上げていた何かがすっと引いていくのが分かった。
 どういうことだろうか。シルヴィはまだシスターからもギーからも何も知らされてはいなかった。
 両手を解くと少女の身体をそっと引き離した。

「あなたはギーが他の誰かと話しているのを聞いたのね?」

 少女は気まずそうに下を向くと小さく頷いた。

「……聞こえちゃっただけ。わざとじゃないよ。」
「分かってるわ。」

 ふと視線を上げると少し離れたところからこちらを伺っているギーの姿が見えた。会話が聞こえる距離ではないが少女の様子から何かを察したのだろう。いかにもシルヴィに話があるという風にも見える。
 シルヴィはギーを見つめたまま少女の耳元で囁いた。

「私がギーと話してみるわ。だからもう泣かないで?」
「うん。」

 少女は大きく頷きながら両手で顔をごしごしこすると、振り向きざま建物へと駆け込んで行った。
 後に残されたシルヴィがゆっくりと立ち上がると入れ替わるようにギーが近付いて来た。

「シルヴィ様。」
「ギー。」

 ギーはシルヴィに正面から向き合うと、少し照れたような笑みを浮かべた。

「礼拝に行かなくていいんですか?」
「……ギーも聞いているでしょ?侯爵家の話は。」
「はい。あの……シルヴィ様の婚約が解消されたというのは本当なんですよね?」
「えぇ。」
「そうでしたか。あの日、レオ様に花を贈るのはもうやめるとおっしゃったのは、そういう事だったんですね。」

 ギーは控えめながらも嬉しそうに話している。シルヴィは先程の少女の泣き顔を思い出し、違和感を覚えた。何だろうこの妙な胸騒ぎは?
 少女はギーが施設からいなくなると悲しそうに話し、ギーはシルヴィの婚約解消を喜んでいるようにも見える。
 シルヴィはギーの顔をまじまじと見ながら首を傾げた。

「貴方がここから出て行くつもりだと聞いたんだけれど、本当なの?」
「そのつもりです。まぁ、今すぐにとはいかないですけど。シルヴィ様、その時には──」

 ギーは更に一歩近寄ってくると、シルヴィの両手を取り自分の目線の高さまで上げるとぎゅっと握ってみせた。
 そのまま意味ありげな熱い視線を送ってくるギーからぎょっとして目をそらすと、シルヴィは違和感の正体を確信した。
 自分はどこでどう間違ったのだろうか……。
 確かにギーには全幅の信頼をおいていたし、いろいろな悩みの相談にものってもらった。しかしを持ったことはこれまで一度もない。
 それにシルヴィは将来的に伯爵家を出ることにはなるだろうが、街の花屋の女主人になるつもりもない。もちろんギーを伯爵家の婿にできるはずもない──そういう事だ。

「ギー、あなた何か勘違いしているんじゃない?」
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