見知らぬ君がつく優しい嘘

ゆみ

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ご機嫌ナナメ

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 ギーは目を伏せると、シルヴィの手元に口づけようと顔を寄せて来た。
 シルヴィは血の気の引く思いでギーの栗色の髪が午後の穏やかな風を受けて揺れるのを見ていた。

「おい、ここで何をしている?」

 その時、突然背後から声をかけられシルヴィは心臓が飛び出そうな程驚いた。鼓動が早鐘を打つ──。
 ギーは慌てて顔を上げると、シルヴィの肩越しに声の主を確認しそちらに視線を定めたまますっかり固まってしまった。重ねられたままの手には一層力が込められ、痛いほどだ。


 その声色からだいたいの予想はついていたが、呼吸を整えてゆっくりと振り返る──やはり、シルヴィの思った通り。そこに立っているのは完璧な礼装に身を包んだロジェだった。

「ロジェ様。」
「礼拝堂に貴女の姿がないようだったから伯爵に聞いた。私が戻らないと礼拝がはじまらない。さぁ、早くこちらへ。」

 ギーは訳が分からずぽかーんとしているが、心境としてはシルヴィも同じだった。
 ロジェの機嫌が悪いのは一目瞭然で、以前会った時とはまるで別人の様にも見えた。

 苛立った様子のロジェは直ぐ側まで来ると二人の手を乱暴に引き離し、シルヴィの耳元に顔を近付けて囁いた。

「この男は誰だ?恋人か?」
「いえ、違います。」

 シルヴィの返答を聞くやいなや、ロジェはシルヴィを体ごと引っ張ると自分の方に引き寄せた。威嚇するようなその目はギーを睨みつけたままだ。

「行こう。」

 ロジェはギーに背を向けるとシルヴィの背中に手を添え先に行くよう促した。

 ギーはロジェの勢いに押されたのかすっかり大人しくなってしまった。ただ連れ戻されるシルヴィを見つめているだけで、声をかけることすらできないようだ。
 シルヴィは自分がギーに対して憤りも、失望も感じていないことに少しだけ驚いていた。
 それよりも、ロジェが何故自分を探しに来たのか、その方が気になって仕方がなかった。


 幸いなことに礼拝堂の入り口付近には既に人影はほとんどない。
 ようやく落ち着きを取り戻した二人は同時に大きなため息をついた。

「どうしてアンタは妙な男にばかりひっかかるんだ?」
「……そんな言い方しなくても。それより、離してください!」

 シルヴィは礼拝堂が見える場所まで戻るとふと我に返り、再び好奇の視線にさらされることを恐れた。そのことに気がついたのかロジェも立ち止まると何も言わずにシルヴィを解放した。

「私が呼び戻さなかったらどうなっていた?あの男の熱に浮かされたような顔を見たか?」

 シルヴィは言い返す言葉もなく思わず視線をそらした。
 ロジェは今度は明らかにシルヴィに向けて深いため息をついた。

 確かにギーがいきなりあんな行動に出るとは思ってもいなかった。礼拝堂から死角になるような場所で二人きりになったのは迂闊だった。さすがに今日のところは自分にも非がある……。

「確かに、少し迂闊だったことは認めます。」
「……私も少し強引すぎた。」

 シルヴィはロジェも謝ってきたことを意外に思いながら、改めてその姿に目を向けた。これが本来の姿なのだろう。以前会った時に感じた微妙な違和感は今日はどこにも感じない。『王子様』らしいその服装も言葉遣いも当然のことながらしっくりきている。
 
 それにしても、どうしてこの人はこんなに怒っているのだろう?どうして自分はこんなくだらないことにこの人を巻き込み、煩わせているのだろうか。
 もし、今こうして自分の隣にいるのがロジェではなくレオだったなら……。

「礼拝堂に戻ってください。のお戻りを皆が待っています。」
「分かっている……。」

 ロジェはシルヴィについて来いとはもう言わなかった。ただ、礼拝堂の上に広がる空を振り仰ぐように見上げぽつりと呟いた。

「レオの戻る場所はもうここにはない。だが、貴女は違う。」



 北へ派遣された部隊はロジェ率いる隊が数名先駆けて帰還した。負傷者を連れた本隊は未だ到着せず、王都へ全隊が帰還するまでにはもう少しかかる見通しだった。
 本隊が到着すると本来ならば王宮前の広場で帰還を祝うパレードが行われ、部隊はそのまま王宮へ参上し無事を報告する。そしてそのまま成人の儀が取り行われ、王宮から出てきた成人を出迎える広場はちょっとしたお祭り騒ぎになるのだった。

 その日の夕方、王宮から国民に向けて正式なメッセージが発表された。
 今回の遠征で起きた事故による負傷者は18名。その部隊を率いていたレオ・アングラードは事故の責任を負って降格という重い処分を受けることが決定した。
 帰還パレードは中止、成人の儀は負傷者の回復を待って改めて開催するという。

 正式な発表が出たものの、事故の詳細は伏せられたままで、何故レオだけが重い責任に問われたのかは謎のままだった。
 しかし当事者であるレオからも、侯爵家からも抗議の声が上がることはなかった。事前に侯爵家との間で話はついているのだろう──誰もが釈然としないものを抱えながらそう受け止める他無かった。

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