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母たちの茶会
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──今から16年前。
その夏、ヴィルヘルム王国に誕生したのが王子だと判明すると、貴族達は何としてもその婚約者に一族縁の者を据えようと動き始めた。王子と歳の近い女児を養子に迎える者、娘を授かろうと子作りに励む者──。その一方で不穏な動きをする者も現れていた。
王は貴族間の権力争いが激しくなってくると、王妃に毒を盛られることを危惧し始めた。王妃が亡くなれば王は新たな妃を選ぶことになり、そこにはまた利権が生まれる。そのため王宮内での王族の食事は常に毒味役がついていたが、茶会や夜会などの大人数が参加する行事では手土産などその全てを把握することは困難を極めた。
そこで騎士団が白羽の矢を立てたのは王の側近であるスコール・バトラー公爵の夫人だった。公爵夫人であり夫が騎士であるという身分的にも申し分なく、また子供が同い年である王妃との仲も良かった為、王妃の傍に常にいてもおかしくなかったからだ。それは公の席で毒見役を果たすにはうってつけだった。
ジークフリートが7歳の誕生日を迎え正式に王太子の座に就くことになると、ヴィルヘルム国内の主立った女性貴族が集められ、王宮の庭園では盛大に祝いの茶会が開かれた。
主催である王妃の隣にはバトラー公爵夫人が座り、ジークフリートとリーナの間にはレジナルドが座っていた。茶会が始まると直ぐにバトラー公爵夫人が菓子を口にする。異常がなければそこで初めて他の者も口に入れることができるのだ。
そしてそれは公爵夫人がいくつめかの菓子を口にした時だった。幼い息子の目の前で、母親は毒に倒れたのだ。レジナルドは母親が倒れると同時に近くに控えていた騎士達が慌ただしく駆けつけるのを他人事のようにただぼんやりと眺めていた。何が起こったのか分からなかったからだ。ジークフリートもその隣で同じように呆然としていたが、その視線の先には公爵夫人の手から零れ落ちたものをしっかりととらえていた──それはトリュフチョコレートだった。
すぐに手当てを受けたおかげで公爵夫人の命に別状はなかった。しかしチョコレートに含まれていた毒の後遺症が残り、夫人はその後もほぼ寝たきりの生活を送ることになる。
スコール公爵は自ら事件の調査にあたるため王の傍付きから第一騎士団へと所属を変更し、騎士団から公爵邸へ戻ることもままならない状態が続いた。そのため王妃は幼いレジナルドを王宮で育てることを王に願い出たのだった。
チョコレートに毒を仕込んだ犯人が判明したのは、それから一月ほど経った後だった。既にその犯人は東の隣国へ逃げた後でその足取りを掴むことはできなかった。もちろん誰を狙っての犯行だったのか、その動機も分からないままだ。公爵と王妃は目に見えて落胆した。
そして時を同じくして、公爵邸からスコール公爵の元へと夫人が自ら命を絶ったとの知らせが入る。夫人は先の見えない療養生活が続く中でいつしか心を病んでしまっていたのだった。
王宮で過ごしていたレジナルドの元にその知らせを届けたのは公爵本人だった。
王族の居室がある北棟に与えられていたレジナルドの部屋を公爵が訪れることはめったになかった。その日、夜遅くに父親が厳しい顔をして部屋に入ってくると、レジナルドはすぐに何か悪いことが起きたのだと察した。
「母上が…亡くなった。」
スコール公爵はただ一言そう告げると、レジナルドをぎゅっと抱きしめた。レジナルドの記憶にある限り、父親に抱きしめられたのはこの時ただ一度きりだ。今思うとこの時公爵は泣いていたのかもしれない。レジナルドもまた父の服を涙と鼻水だらけにした。その間父は何も言わずにずっと頭を撫でてくれていた。
しばらくそうしていると、レジナルドに父の穏やかな声が聞こえた。
「私は母上を守れなかった。しかし母上は王妃様をしっかりと守ってくれた。母上の方がよほど騎士らしい…。」
父も母も王家を守るための騎士として立派に役割を果たしている──。レジナルドはこの時、両親と志を同じくすることを固く心に誓った。
ほどなく、王宮では王妃の異変が伝えられた。公爵夫人の訃報を聞いた後、衝撃の余り声が出なくなってしまったというのだ。そしてそれを境に王妃は表舞台に姿を見せることはなくなり、ついには姉弟を王都に残したまま北にある王家の離宮へと身を隠してしまった。
ヴィルヘルム国内での権力争いは王妃が王都を離れたこの出来事をきっかけに波が引くように収まって行った。王が王妃の代わりを迎えるようなことはしないと宣言したこともその一因ではあるが、なによりジークフリートの縁談が全く受けつけられないせいでもあった。いや、表向きは王が縁談を受け付けないと思われていたが、実際にはジークフリートが全てを拒んでいたのだが…。そのことを知る者はごくわずかだった。
一人しかいない王子に来る縁談をことごとく拒否するとは…。一体この国はこの先どうなってしまうのか?眉を顰める者も少なくなかった。
ジークフリートはレジナルドと二人で庭園の噴水の中にその辺りで千切ってきた花びらを投げ入れながら、落ちてくる水の中でもまれるその様子をじっと見ていた。
「王家に関わった女性は皆不幸になる宿命なのか…?それならば私は結婚などしない…。」
「じゃあこの国はお前の代で無くなるのか?」
「それは──」
庭師に悪戯が見つかって酷く叱られたせいで、その会話はそこで途切れてしまった。
その夏、ヴィルヘルム王国に誕生したのが王子だと判明すると、貴族達は何としてもその婚約者に一族縁の者を据えようと動き始めた。王子と歳の近い女児を養子に迎える者、娘を授かろうと子作りに励む者──。その一方で不穏な動きをする者も現れていた。
王は貴族間の権力争いが激しくなってくると、王妃に毒を盛られることを危惧し始めた。王妃が亡くなれば王は新たな妃を選ぶことになり、そこにはまた利権が生まれる。そのため王宮内での王族の食事は常に毒味役がついていたが、茶会や夜会などの大人数が参加する行事では手土産などその全てを把握することは困難を極めた。
そこで騎士団が白羽の矢を立てたのは王の側近であるスコール・バトラー公爵の夫人だった。公爵夫人であり夫が騎士であるという身分的にも申し分なく、また子供が同い年である王妃との仲も良かった為、王妃の傍に常にいてもおかしくなかったからだ。それは公の席で毒見役を果たすにはうってつけだった。
ジークフリートが7歳の誕生日を迎え正式に王太子の座に就くことになると、ヴィルヘルム国内の主立った女性貴族が集められ、王宮の庭園では盛大に祝いの茶会が開かれた。
主催である王妃の隣にはバトラー公爵夫人が座り、ジークフリートとリーナの間にはレジナルドが座っていた。茶会が始まると直ぐにバトラー公爵夫人が菓子を口にする。異常がなければそこで初めて他の者も口に入れることができるのだ。
そしてそれは公爵夫人がいくつめかの菓子を口にした時だった。幼い息子の目の前で、母親は毒に倒れたのだ。レジナルドは母親が倒れると同時に近くに控えていた騎士達が慌ただしく駆けつけるのを他人事のようにただぼんやりと眺めていた。何が起こったのか分からなかったからだ。ジークフリートもその隣で同じように呆然としていたが、その視線の先には公爵夫人の手から零れ落ちたものをしっかりととらえていた──それはトリュフチョコレートだった。
すぐに手当てを受けたおかげで公爵夫人の命に別状はなかった。しかしチョコレートに含まれていた毒の後遺症が残り、夫人はその後もほぼ寝たきりの生活を送ることになる。
スコール公爵は自ら事件の調査にあたるため王の傍付きから第一騎士団へと所属を変更し、騎士団から公爵邸へ戻ることもままならない状態が続いた。そのため王妃は幼いレジナルドを王宮で育てることを王に願い出たのだった。
チョコレートに毒を仕込んだ犯人が判明したのは、それから一月ほど経った後だった。既にその犯人は東の隣国へ逃げた後でその足取りを掴むことはできなかった。もちろん誰を狙っての犯行だったのか、その動機も分からないままだ。公爵と王妃は目に見えて落胆した。
そして時を同じくして、公爵邸からスコール公爵の元へと夫人が自ら命を絶ったとの知らせが入る。夫人は先の見えない療養生活が続く中でいつしか心を病んでしまっていたのだった。
王宮で過ごしていたレジナルドの元にその知らせを届けたのは公爵本人だった。
王族の居室がある北棟に与えられていたレジナルドの部屋を公爵が訪れることはめったになかった。その日、夜遅くに父親が厳しい顔をして部屋に入ってくると、レジナルドはすぐに何か悪いことが起きたのだと察した。
「母上が…亡くなった。」
スコール公爵はただ一言そう告げると、レジナルドをぎゅっと抱きしめた。レジナルドの記憶にある限り、父親に抱きしめられたのはこの時ただ一度きりだ。今思うとこの時公爵は泣いていたのかもしれない。レジナルドもまた父の服を涙と鼻水だらけにした。その間父は何も言わずにずっと頭を撫でてくれていた。
しばらくそうしていると、レジナルドに父の穏やかな声が聞こえた。
「私は母上を守れなかった。しかし母上は王妃様をしっかりと守ってくれた。母上の方がよほど騎士らしい…。」
父も母も王家を守るための騎士として立派に役割を果たしている──。レジナルドはこの時、両親と志を同じくすることを固く心に誓った。
ほどなく、王宮では王妃の異変が伝えられた。公爵夫人の訃報を聞いた後、衝撃の余り声が出なくなってしまったというのだ。そしてそれを境に王妃は表舞台に姿を見せることはなくなり、ついには姉弟を王都に残したまま北にある王家の離宮へと身を隠してしまった。
ヴィルヘルム国内での権力争いは王妃が王都を離れたこの出来事をきっかけに波が引くように収まって行った。王が王妃の代わりを迎えるようなことはしないと宣言したこともその一因ではあるが、なによりジークフリートの縁談が全く受けつけられないせいでもあった。いや、表向きは王が縁談を受け付けないと思われていたが、実際にはジークフリートが全てを拒んでいたのだが…。そのことを知る者はごくわずかだった。
一人しかいない王子に来る縁談をことごとく拒否するとは…。一体この国はこの先どうなってしまうのか?眉を顰める者も少なくなかった。
ジークフリートはレジナルドと二人で庭園の噴水の中にその辺りで千切ってきた花びらを投げ入れながら、落ちてくる水の中でもまれるその様子をじっと見ていた。
「王家に関わった女性は皆不幸になる宿命なのか…?それならば私は結婚などしない…。」
「じゃあこの国はお前の代で無くなるのか?」
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