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第2部 放課後トップレディの初恋
放課後トップレディ、誕生! ②
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――クルマをスタートさせる前に、わたしと母は貢からネックストラップ付きのIDカードを手渡された。
これは彼も持っている社員証とほぼ同じもので、それぞれ違う十二ケタのナンバーとカタカナ表記の名前が刻字されている。彼のものと違う点は、顔写真と部署名が入っていないことくらいだろうか。
「これからお二人は、このIDを入構ゲートに認証して頂くことになります。紛失されると再発行の手続きが面倒なので、くれぐれも失くされないようにお願いします」
「分かりました。失くさないように気をつけるね」
手続きが面倒、という部分に彼の本音が滲んでいる気がして、わたしは苦笑いしながら答えた。
「――ところで絢乃会長。そのお召し物は……、通われている学校の制服……ですよね」
「ん? そうだよ」
視線を落としてスカートの裾に入った赤い一本のラインを見つめていると、彼にそんなことを訊ねられた。彼はそれまでにも何度かわたしの制服姿を見ていたはずだけれど、この日は状況が違うので、彼が疑問に思ったのは無理もなかっただろう。
「……それが、あなたの並々ならぬ覚悟の表れということですね。どんな批判も甘んじて受け止める、と」
「うん。理解してもらえて嬉しいよ。もしかしたら、貴方には反対されるんじゃないかって心配だったから。でもこれがわたしの信念なの」
「まぁ、いくら反対したところで無駄なんだけどね。この子、あの人に似て頑固だから」
母は半分諦めたように肩をすくめた。「頑固」という言い方はちょっと不本意だったけれど、一本筋がとおっているという意味ではまぁ違わないかな。
「僕も正直、心配ではあるんですが……。ボスがお決めになったことに、秘書が異議を唱えることはできませんから。できる限り応援はしたいと思っています」
「ありがとう、桐島さん!」
「では、そろそろ参りましょうね」
――そうして、シルバーのセダンは丸ノ内へ向けて走り出した。
* * * *
「――とりあえず、今日の会見用に簡単なスピーチ原稿を用意しておきました。会社へ着きましたら、会見の前に確認しておいて頂けますか?」
彼は秘書らしい口調で(「秘書らしい口調」ってどんなものなのか、わたしにもよく分かっていないのだけど)、わたしに言った。
「分かった。ホントに作っといてくれたの? ありがとう! でも最初からそんなにマメすぎると後からストレスで胃がおかしくなっちゃわない?」
「大丈夫ですよ。僕はこう見えて、けっこうメンタル強いんで。そうでもなければ、僕はとっくに会社を辞めてます」
「……はぁ、そうなんだ。桐島さん、前の部署で相当ひどい目に遭ってたんだね」
「なになに、何の話?」
彼のハラスメント被害を知らなかった母が、首を傾げた。そんな母に、わたしが知っている限りのことを話して聞かせると、母は「う~ん」と唸った。
「あら……、あなた苦労してたのねぇ。多分、あの人も知らなかったんじゃないかしら。知っていたらもっと早く助けてあげられたのに」
母も言ったとおり、父はハラスメントのことを把握していなかったとわたしも思う。でなければ、あの社員思いだった父が何もしなかったわけがない。
「いえいえ、お気になさらず。もう終わったことですから」
彼は部署を異動したことで解放されたんだから、もう大丈夫だろうと思った。
「――そういえば、今日の会見はTV中継されるだけでなくネットでも同時配信されるそうですよ。そしたら絢乃会長は一躍有名人になりますね」
「あら! そしたら毎日メディアから取材の依頼が殺到して忙しくなるわね! 母親の私も鼻が高いわ」
「え…………。それでグループの評判が上がるのはいいけど、わたし個人まで有名になっちゃうのはちょっと……」
貢の言葉で一緒になって盛り上がっている母をよそに、わたしは困惑していた。
企業のトップとして世間の表舞台に立つのと、悪目立ちするのとはわけが違う。ただでさえわたしは人前に立つことが苦手なのに、有名人として祭り上げられてしまったら最後、プライバシーもヘッタクレもなくなってしまう。あくまで仕事と私生活は別、プライベートではひとりの普通の女の子でいたかった。
「ねえ、桐島さん。盛り上がってるところ悪いけど、お願いだから、受ける取材は最低限の数に絞ってね。でないとわたし、絶対にキャパオーバーになっちゃうから」
わたしは運転席のヘッドレストを掴み、彼に切実に訴えた。
「分かってますよ。あなたが忙しくなりすぎたら、秘書である僕自身の首も絞めることになってしまいますからね。そこはこちらでどうにか調整します」
「よかった! ありがとう!」
わたしは別に、「取材は一切受けません」と言うつもりなんてなかった。経営者となった以上は、少しくらい顔を売ることも必要なのだと父から学んでいたし、それが元で、新しい業種や業界との繋がりができることもあるからだ。でも、必要以上の取材を受けてしまうとわたしもキャパオーバーになってしまうし、何より本業である仕事と学業にも支障をきたす恐れもあった。
貢は秘書として、ボスであるわたしのスケジュールを管理する立場にあるので、メディアへの露出をどの程度に抑えるのかも彼の仕事となった。真面目だけれど優しい彼に一任しておけば安心だとわたしも思った。
「僕は秘書として、あなたに気持ちよくお仕事をして頂けるよう、これから色々な工夫をしていこうと考えてます。――絢乃さん、コーヒーお好きですよね?」
「えっ? うん。でもどうして分かったの?」
わたし、彼に自分がコーヒー好きだと話したことあったっけ?
「お父さまの火葬中、号泣された後にカフェオレをお飲みになっていたので、多分そうではないかと」
「あ、そっか。よく憶えてたね」
「ええ。僕も大のコーヒー好きなので、同じコーヒー好きの人は何となく分かるんです。実は昔、バリスタになりたいと思っていたこともあったので、淹れる方にも凝っていて……。それで、絢乃会長がご休憩される時に、僕が淹れた美味しいコーヒーをぜひ飲んで頂こうと考えているんです。ご期待に沿えるかどうかは分かりませんが」
「……そうなんだ。それは楽しみ」
わたしは顔を綻ばせながら、初めて彼に家まで送ってもらった夜の会話を思い出した。彼にははぐらかされたけれど、これが彼の夢だったのか……。
「ところで桐島くん、私は紅茶党なんだけど。あなた、紅茶も淹れられるの?」
「申し訳ありません。紅茶はちょっと専門外なので……、これから勉強させて頂きます」
彼は母の無茶ぶりにも、誠心誠意答えていた。まさか本気で紅茶の勉強まで始める気だろうか?
「――さて、もうじき着きますね」
彼の言葉で窓の外を見ると、赤レンガでできたレトロなJR東京駅の駅舎が見えていた。
――パパ、いよいよ約束を果たす時が来たよ。わたしは空を見上げて、天国にいる父に心の中で語りかけた。
これは彼も持っている社員証とほぼ同じもので、それぞれ違う十二ケタのナンバーとカタカナ表記の名前が刻字されている。彼のものと違う点は、顔写真と部署名が入っていないことくらいだろうか。
「これからお二人は、このIDを入構ゲートに認証して頂くことになります。紛失されると再発行の手続きが面倒なので、くれぐれも失くされないようにお願いします」
「分かりました。失くさないように気をつけるね」
手続きが面倒、という部分に彼の本音が滲んでいる気がして、わたしは苦笑いしながら答えた。
「――ところで絢乃会長。そのお召し物は……、通われている学校の制服……ですよね」
「ん? そうだよ」
視線を落としてスカートの裾に入った赤い一本のラインを見つめていると、彼にそんなことを訊ねられた。彼はそれまでにも何度かわたしの制服姿を見ていたはずだけれど、この日は状況が違うので、彼が疑問に思ったのは無理もなかっただろう。
「……それが、あなたの並々ならぬ覚悟の表れということですね。どんな批判も甘んじて受け止める、と」
「うん。理解してもらえて嬉しいよ。もしかしたら、貴方には反対されるんじゃないかって心配だったから。でもこれがわたしの信念なの」
「まぁ、いくら反対したところで無駄なんだけどね。この子、あの人に似て頑固だから」
母は半分諦めたように肩をすくめた。「頑固」という言い方はちょっと不本意だったけれど、一本筋がとおっているという意味ではまぁ違わないかな。
「僕も正直、心配ではあるんですが……。ボスがお決めになったことに、秘書が異議を唱えることはできませんから。できる限り応援はしたいと思っています」
「ありがとう、桐島さん!」
「では、そろそろ参りましょうね」
――そうして、シルバーのセダンは丸ノ内へ向けて走り出した。
* * * *
「――とりあえず、今日の会見用に簡単なスピーチ原稿を用意しておきました。会社へ着きましたら、会見の前に確認しておいて頂けますか?」
彼は秘書らしい口調で(「秘書らしい口調」ってどんなものなのか、わたしにもよく分かっていないのだけど)、わたしに言った。
「分かった。ホントに作っといてくれたの? ありがとう! でも最初からそんなにマメすぎると後からストレスで胃がおかしくなっちゃわない?」
「大丈夫ですよ。僕はこう見えて、けっこうメンタル強いんで。そうでもなければ、僕はとっくに会社を辞めてます」
「……はぁ、そうなんだ。桐島さん、前の部署で相当ひどい目に遭ってたんだね」
「なになに、何の話?」
彼のハラスメント被害を知らなかった母が、首を傾げた。そんな母に、わたしが知っている限りのことを話して聞かせると、母は「う~ん」と唸った。
「あら……、あなた苦労してたのねぇ。多分、あの人も知らなかったんじゃないかしら。知っていたらもっと早く助けてあげられたのに」
母も言ったとおり、父はハラスメントのことを把握していなかったとわたしも思う。でなければ、あの社員思いだった父が何もしなかったわけがない。
「いえいえ、お気になさらず。もう終わったことですから」
彼は部署を異動したことで解放されたんだから、もう大丈夫だろうと思った。
「――そういえば、今日の会見はTV中継されるだけでなくネットでも同時配信されるそうですよ。そしたら絢乃会長は一躍有名人になりますね」
「あら! そしたら毎日メディアから取材の依頼が殺到して忙しくなるわね! 母親の私も鼻が高いわ」
「え…………。それでグループの評判が上がるのはいいけど、わたし個人まで有名になっちゃうのはちょっと……」
貢の言葉で一緒になって盛り上がっている母をよそに、わたしは困惑していた。
企業のトップとして世間の表舞台に立つのと、悪目立ちするのとはわけが違う。ただでさえわたしは人前に立つことが苦手なのに、有名人として祭り上げられてしまったら最後、プライバシーもヘッタクレもなくなってしまう。あくまで仕事と私生活は別、プライベートではひとりの普通の女の子でいたかった。
「ねえ、桐島さん。盛り上がってるところ悪いけど、お願いだから、受ける取材は最低限の数に絞ってね。でないとわたし、絶対にキャパオーバーになっちゃうから」
わたしは運転席のヘッドレストを掴み、彼に切実に訴えた。
「分かってますよ。あなたが忙しくなりすぎたら、秘書である僕自身の首も絞めることになってしまいますからね。そこはこちらでどうにか調整します」
「よかった! ありがとう!」
わたしは別に、「取材は一切受けません」と言うつもりなんてなかった。経営者となった以上は、少しくらい顔を売ることも必要なのだと父から学んでいたし、それが元で、新しい業種や業界との繋がりができることもあるからだ。でも、必要以上の取材を受けてしまうとわたしもキャパオーバーになってしまうし、何より本業である仕事と学業にも支障をきたす恐れもあった。
貢は秘書として、ボスであるわたしのスケジュールを管理する立場にあるので、メディアへの露出をどの程度に抑えるのかも彼の仕事となった。真面目だけれど優しい彼に一任しておけば安心だとわたしも思った。
「僕は秘書として、あなたに気持ちよくお仕事をして頂けるよう、これから色々な工夫をしていこうと考えてます。――絢乃さん、コーヒーお好きですよね?」
「えっ? うん。でもどうして分かったの?」
わたし、彼に自分がコーヒー好きだと話したことあったっけ?
「お父さまの火葬中、号泣された後にカフェオレをお飲みになっていたので、多分そうではないかと」
「あ、そっか。よく憶えてたね」
「ええ。僕も大のコーヒー好きなので、同じコーヒー好きの人は何となく分かるんです。実は昔、バリスタになりたいと思っていたこともあったので、淹れる方にも凝っていて……。それで、絢乃会長がご休憩される時に、僕が淹れた美味しいコーヒーをぜひ飲んで頂こうと考えているんです。ご期待に沿えるかどうかは分かりませんが」
「……そうなんだ。それは楽しみ」
わたしは顔を綻ばせながら、初めて彼に家まで送ってもらった夜の会話を思い出した。彼にははぐらかされたけれど、これが彼の夢だったのか……。
「ところで桐島くん、私は紅茶党なんだけど。あなた、紅茶も淹れられるの?」
「申し訳ありません。紅茶はちょっと専門外なので……、これから勉強させて頂きます」
彼は母の無茶ぶりにも、誠心誠意答えていた。まさか本気で紅茶の勉強まで始める気だろうか?
「――さて、もうじき着きますね」
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