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第3部 秘密の格差恋愛
過去なんて関係ない! ①
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――貢に「考える時間がほしい」と言われてから一ヶ月が経過した。
六月に入り、学校の制服も衣更えをした。夏服は少しピンクがかった半袖のブラウスに白地に赤のタータンチェック模様が入ったプリーツスカート、それに冬服と同じ赤いリボン。名門女子校らしく、洗練されたデザインだ。
わたしの学校生活では最後の夏服シーズン突入で、貢は初めて見るわたしの夏の制服姿も「可愛いですね。よくお似合いです」と言ってくれた。それは嬉しかったのだけれど、わたしの気持ちは梅雨時のジメジメと、彼に一ヶ月も待たされ続けていたモヤモヤであまりスッキリしなかった。
「だからって、こればっかりは返事を急かすわけにもいかないしなぁ……。どうしたもんかな」
彼が給湯室へコーヒーの準備をしに行っていて一人になったのをいいことに、わたしはデスクに頬杖をついて盛大なため息をついた。
結婚というものは、わたしだけの意思で決められるわけじゃない。彼の気持ちを無視しては進められない。だから、彼がそこのところをどう考えているか、キチンと話をして確かめたかった。でも、彼が「考えさせてほしい」と言っている以上、なかなかそのタイミングがつかめずにいたのだ。
もちろん交際そのものは順調で、彼と別に気まずい空気になっていたわけでもないのだけれど。今ひとつ前に進めないというか、ちょっとした引っかかりがあるというか、何だかもどかしい気持ちになっていたことは確かだ。
「貢、一体何が引っかかってるんだろ? やっぱり過去に何かあって、それを未だに引きずってるのかな……」
いくら気になるからといって、彼に正面切って「過去に何があったの?」とは聞きづらかった。彼のプライバシーにズカズカと土足で踏み込むようなことはしたくなかったので、彼の方から話してくれるのをひたすら待つしかなかった。
「もしくは外堀から攻めるか……。悠さんに訊いたら教えてくれるかな?」
わたしは勢い込んでスカートのポケットからスマホを取り出し、悠さんにメッセージアプリで訊ねてみようと思い立ったけれど、「ダメダメ!」と正気に戻った。よそ様の兄弟ゲンカの種を作り出してどうするの!? ともう一人のわたしに叱られた。
「……やっぱりやめた」
もう一度ため息をついてスマホをポケットに戻し、PCに視線を戻した。
「――お待たせしました、会長。今日は蒸し暑いので、アイスカフェオレにしてみました。ガムシロップも入っていますので、そのままお飲み下さい」
そこへ戻ってきた貢は、氷をいくつか浮かべた冷たいカフェオレのグラスを、デスクに敷いたコルク製のコースターの上に置いた。ちなみにこのアイスコーヒーも、コーヒーにこだわりのある彼の手作りだ。一度にたくさん作って、ピッチャーにストックしてあったらしい。
「……あ、ありがと」
オフィス内は冷房が効いていたのでホットでもよかったのだけれど、冷静になりたかったわたしはありがたくアイスカフェオレを頂くことにした。
「……美味しい。市販品とは薫りが違うね」
「畏れ入ります。――ところで絢乃さん、ひとつお願いしたいことがあるんですが」
「ん? なぁに?」
……来た。この切り出し方は会長秘書・桐島さんではなく彼氏モードになっているということだ。
「ここでは何なので、応接スペースで。……プライベートな話なので」
「うん、分かった。じゃあ移動しよう」
応接スペースのソファーセットに向かい合わせて腰を下ろすと、わたしは彼に話を促した。
「――で? わたしにお願いって?」
「ええとですね……。そろそろ、ウチの両親に絢乃さんのことを紹介したいんですけど。大丈夫でしょうか?」
「えっ? それは別に構わないけど……。もしかして、結婚考えてくれる気になった?」
「それはあの……、まだ追い追いということで」
「……なぁんだ」
わたしは期待を込めて彼に確かめたけれど、期待外れな返事が返ってきたのでガックリと肩を落とした。
「あの、それは別としてですね。絢乃さんには僕の〝彼女〟として両親に一度会ってほしいんです。……このごろ、週末は絢乃さんが食事を作りに来て下さるようになったので、両親が淋しがっているというか。僕はここ数年恋愛そのものから遠ざかっていたので、親が心配しているようなんです。それで、一度顔合わせしてもらって、安心させたくて」
「はぁ、なるほどね。つまり、ご両親に『こんな自分にもちゃんと彼女ができたんだよ』って、わたしをご両親に見てほしいわけだ」
「そういうことです。……お願いできますか? ウチの両親はいつでも構わないそうなので、日程は絢乃さんのご都合に合わせますから」
心優しくてご両親思いな彼の気持ちも分かるし、何よりわたしも彼のご両親には一度お会いしたいと思っていた。母には交際を始めた時に報告できたけれど、彼のご両親にはまだご挨拶すらしていなかったのでそれは不公平だと感じていたし。
「いいよ。わたしも、貴方のご両親には一度お目にかかりたいなって思ってたから」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「じゃあ、いつがいいかな? 早い方がいいよね。今月は……四週目に修学旅行があるから、その期間以外ならいつでも大丈夫だよ」
わたしはスマホでスケジュール帳アプリを開き、予定を確認した。
「今週末、土曜日あたりでどうかな?」
「はい、それで大丈夫だと思います。両親にもそう伝えておきますね」
「サプライズ訪問の方がいいかなーと思ったけど、やっぱり前もってお知らせしておいた方がいいよね」
「そうですね。サプライズはおやめになった方が」
「やだなぁ、冗談に決まってるでしょ」
渾身のボケに大真面目にツッコんでくれた彼に、わたしは苦笑いした。
「でもね、わたし、冗談抜きに貴方とはいい夫婦になれそうな気がしてるの。貴方の部屋のキッチンに二人で立ってお料理してるところなんか、まるで新婚カップルみたいだなぁっていつも思ってるもん」
「…………」
「あくまでわたしの勝手な妄想だから、気にしないで?」
リアクションに困っていた彼にそうフォローを入れることで、あまり真剣に悩まないでねというニュアンスを言葉の端に込めた。
「……あの、先ほどのお話なんですが。両親は多分、僕が絢乃会長とお付き合いさせて頂いていることを知っていると思うんです。兄がバラしていると思うんで」
「そうなの? ……うん、まぁ、あのお兄さまならあり得るね」
「ああ見えて案外口は堅い方なんで、他の人たちにペラペラ喋りまわっていることはないはずですけど。両親になら話しているかな……と」
「なるほどね。じゃあサプライズなんてやってもあんまり効果がないわけか」
「そういうことです」
もし仮に悠さんがご両親にわたしの人となりを話していたら、ご両親もわたしがどういう人間かをよくご理解されたうえで会って下さるということだ。もちろんサプライズなんて何の意味もなくなる。
「よぉーく分かりました。……ところで貢、貴方が恋愛はできても結婚に踏み切れない理由って何なの?」
「……えっ?」
「わたしがまだ高校生だからとか、喪が明けてないからとか以外にも何かあるんじゃない? たとえば貴方自身に」
「……あの、それは」
「もしかして、貴方の過去と何か関係ある?」
「……!」
思いっきり単刀直入な訊き方に、図星を衝かれた彼は大きく目を見開いた。それはこの問題の核心に触れたということであり、わたしは無意識に彼の心の傷を抉ってしまったらしい。
「…………ごめん、貢。わたし、訊いちゃいけないことを訊いちゃったみたい。答えにくいことなら、無理に答えなくていいよ。貴方が話したくなったタイミングでいい。ちゃんと話を聞かせてほしいな。それまでは、わたしもこれ以上突っ込んで訊かないようにするから」
「……はい。お気遣い、ありがとうございます。――アイスカフェオレ、氷が溶けて薄まってしまってますね。淹れ替えてきましょうか」
気まずくなった空気を変えようとしてか、彼は水滴だらけになったグラスに視線を移した。
「うん。ありがと。じゃあお願いしようかな」
わたしは薄まったグラスの中身を一気に飲み干し、空にしたグラスを彼に差し出した。
六月に入り、学校の制服も衣更えをした。夏服は少しピンクがかった半袖のブラウスに白地に赤のタータンチェック模様が入ったプリーツスカート、それに冬服と同じ赤いリボン。名門女子校らしく、洗練されたデザインだ。
わたしの学校生活では最後の夏服シーズン突入で、貢は初めて見るわたしの夏の制服姿も「可愛いですね。よくお似合いです」と言ってくれた。それは嬉しかったのだけれど、わたしの気持ちは梅雨時のジメジメと、彼に一ヶ月も待たされ続けていたモヤモヤであまりスッキリしなかった。
「だからって、こればっかりは返事を急かすわけにもいかないしなぁ……。どうしたもんかな」
彼が給湯室へコーヒーの準備をしに行っていて一人になったのをいいことに、わたしはデスクに頬杖をついて盛大なため息をついた。
結婚というものは、わたしだけの意思で決められるわけじゃない。彼の気持ちを無視しては進められない。だから、彼がそこのところをどう考えているか、キチンと話をして確かめたかった。でも、彼が「考えさせてほしい」と言っている以上、なかなかそのタイミングがつかめずにいたのだ。
もちろん交際そのものは順調で、彼と別に気まずい空気になっていたわけでもないのだけれど。今ひとつ前に進めないというか、ちょっとした引っかかりがあるというか、何だかもどかしい気持ちになっていたことは確かだ。
「貢、一体何が引っかかってるんだろ? やっぱり過去に何かあって、それを未だに引きずってるのかな……」
いくら気になるからといって、彼に正面切って「過去に何があったの?」とは聞きづらかった。彼のプライバシーにズカズカと土足で踏み込むようなことはしたくなかったので、彼の方から話してくれるのをひたすら待つしかなかった。
「もしくは外堀から攻めるか……。悠さんに訊いたら教えてくれるかな?」
わたしは勢い込んでスカートのポケットからスマホを取り出し、悠さんにメッセージアプリで訊ねてみようと思い立ったけれど、「ダメダメ!」と正気に戻った。よそ様の兄弟ゲンカの種を作り出してどうするの!? ともう一人のわたしに叱られた。
「……やっぱりやめた」
もう一度ため息をついてスマホをポケットに戻し、PCに視線を戻した。
「――お待たせしました、会長。今日は蒸し暑いので、アイスカフェオレにしてみました。ガムシロップも入っていますので、そのままお飲み下さい」
そこへ戻ってきた貢は、氷をいくつか浮かべた冷たいカフェオレのグラスを、デスクに敷いたコルク製のコースターの上に置いた。ちなみにこのアイスコーヒーも、コーヒーにこだわりのある彼の手作りだ。一度にたくさん作って、ピッチャーにストックしてあったらしい。
「……あ、ありがと」
オフィス内は冷房が効いていたのでホットでもよかったのだけれど、冷静になりたかったわたしはありがたくアイスカフェオレを頂くことにした。
「……美味しい。市販品とは薫りが違うね」
「畏れ入ります。――ところで絢乃さん、ひとつお願いしたいことがあるんですが」
「ん? なぁに?」
……来た。この切り出し方は会長秘書・桐島さんではなく彼氏モードになっているということだ。
「ここでは何なので、応接スペースで。……プライベートな話なので」
「うん、分かった。じゃあ移動しよう」
応接スペースのソファーセットに向かい合わせて腰を下ろすと、わたしは彼に話を促した。
「――で? わたしにお願いって?」
「ええとですね……。そろそろ、ウチの両親に絢乃さんのことを紹介したいんですけど。大丈夫でしょうか?」
「えっ? それは別に構わないけど……。もしかして、結婚考えてくれる気になった?」
「それはあの……、まだ追い追いということで」
「……なぁんだ」
わたしは期待を込めて彼に確かめたけれど、期待外れな返事が返ってきたのでガックリと肩を落とした。
「あの、それは別としてですね。絢乃さんには僕の〝彼女〟として両親に一度会ってほしいんです。……このごろ、週末は絢乃さんが食事を作りに来て下さるようになったので、両親が淋しがっているというか。僕はここ数年恋愛そのものから遠ざかっていたので、親が心配しているようなんです。それで、一度顔合わせしてもらって、安心させたくて」
「はぁ、なるほどね。つまり、ご両親に『こんな自分にもちゃんと彼女ができたんだよ』って、わたしをご両親に見てほしいわけだ」
「そういうことです。……お願いできますか? ウチの両親はいつでも構わないそうなので、日程は絢乃さんのご都合に合わせますから」
心優しくてご両親思いな彼の気持ちも分かるし、何よりわたしも彼のご両親には一度お会いしたいと思っていた。母には交際を始めた時に報告できたけれど、彼のご両親にはまだご挨拶すらしていなかったのでそれは不公平だと感じていたし。
「いいよ。わたしも、貴方のご両親には一度お目にかかりたいなって思ってたから」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「じゃあ、いつがいいかな? 早い方がいいよね。今月は……四週目に修学旅行があるから、その期間以外ならいつでも大丈夫だよ」
わたしはスマホでスケジュール帳アプリを開き、予定を確認した。
「今週末、土曜日あたりでどうかな?」
「はい、それで大丈夫だと思います。両親にもそう伝えておきますね」
「サプライズ訪問の方がいいかなーと思ったけど、やっぱり前もってお知らせしておいた方がいいよね」
「そうですね。サプライズはおやめになった方が」
「やだなぁ、冗談に決まってるでしょ」
渾身のボケに大真面目にツッコんでくれた彼に、わたしは苦笑いした。
「でもね、わたし、冗談抜きに貴方とはいい夫婦になれそうな気がしてるの。貴方の部屋のキッチンに二人で立ってお料理してるところなんか、まるで新婚カップルみたいだなぁっていつも思ってるもん」
「…………」
「あくまでわたしの勝手な妄想だから、気にしないで?」
リアクションに困っていた彼にそうフォローを入れることで、あまり真剣に悩まないでねというニュアンスを言葉の端に込めた。
「……あの、先ほどのお話なんですが。両親は多分、僕が絢乃会長とお付き合いさせて頂いていることを知っていると思うんです。兄がバラしていると思うんで」
「そうなの? ……うん、まぁ、あのお兄さまならあり得るね」
「ああ見えて案外口は堅い方なんで、他の人たちにペラペラ喋りまわっていることはないはずですけど。両親になら話しているかな……と」
「なるほどね。じゃあサプライズなんてやってもあんまり効果がないわけか」
「そういうことです」
もし仮に悠さんがご両親にわたしの人となりを話していたら、ご両親もわたしがどういう人間かをよくご理解されたうえで会って下さるということだ。もちろんサプライズなんて何の意味もなくなる。
「よぉーく分かりました。……ところで貢、貴方が恋愛はできても結婚に踏み切れない理由って何なの?」
「……えっ?」
「わたしがまだ高校生だからとか、喪が明けてないからとか以外にも何かあるんじゃない? たとえば貴方自身に」
「……あの、それは」
「もしかして、貴方の過去と何か関係ある?」
「……!」
思いっきり単刀直入な訊き方に、図星を衝かれた彼は大きく目を見開いた。それはこの問題の核心に触れたということであり、わたしは無意識に彼の心の傷を抉ってしまったらしい。
「…………ごめん、貢。わたし、訊いちゃいけないことを訊いちゃったみたい。答えにくいことなら、無理に答えなくていいよ。貴方が話したくなったタイミングでいい。ちゃんと話を聞かせてほしいな。それまでは、わたしもこれ以上突っ込んで訊かないようにするから」
「……はい。お気遣い、ありがとうございます。――アイスカフェオレ、氷が溶けて薄まってしまってますね。淹れ替えてきましょうか」
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