帝に囲われていることなど知らない俺は今日も一人草を刈る。

志子

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新しい仕事①

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 吹き抜けの廊下で泣いていた官吏と遭遇してからひと月が経った。いつお咎めがくるかっ! と最初はビクビクしていたが特に何もなく、いつもどおり洗濯仕事に追われる日々を送った。

 その日は朝から濃霧に覆われていた。先がまったく見えない。前世の生まれ故郷でも秋とかよく濃霧が発生していてその中を運転する時はかなり緊張した。歩行者とかマジで分かりにくかったからな。

「君、顔に傷がある君」
「へ?」

 「仕事しづらくて嫌になる」と愚痴る小龍さんと「まぁまぁ」と小龍さんを宥める釆さんと一緒に洗濯場に向かう途中、官吏に呼び止められた。気配もなく霧の中からぬっと現れてびびった。

「ついてきなさい」

 官吏はそう言って俺に背を向けて歩き出した。俺は困惑して一瞬みんなのほうを見ると、みんなも困惑していた。「えっと、ちょっと行ってきます」と俺は官吏の後を追った。

 濃霧の中、聞こえるのは二つの足音だけ。人の気配もないし、話し声も聞こえない。濃霧のせいで今どこを歩いているのかも分からない。

(このままついてって大丈夫……なんだろうか?)

 不安ばかりが増す。どれくらい歩いたのだろうか、不意にその人は立ち止まり俺のほうを振り返ると、袖下から布を取り出した。

「すまないが、ここから先は見せることはできない」
「へ?」

 その人さっとは布で俺の目を覆い隠すと俺の手をとって「歩くぞ」と再び歩き出した。

(一体なにっ!?)

 俺はパニックになりそうになるのをなんとか抑えた。説明を求めたくても、上の者が「発言を許す」と言わない限り聞くことはできない。なんか右とか左とかくねくねした道を歩き扉の開閉の音がしたかと思うとまた歩く。そしてまた扉の開閉の音が聞こえた。

「着いた」

 そう言われて外された目隠しの先にあったのは、赤い塀に囲まれた荒地だった。広さは体育館ぐらいだろうか、丈の高い草がぼうぼうと生えており奥のほうに蔦に覆われた東屋があった。……あれ? 霧晴れた? と思わず空を見上げたが灰色一色で判断できない。

「突然のことで困惑しただろう。すまない」

 上の者が下の者に謝罪することはないと聞いていたので、官吏の行動にぎょっとした。

「ここは訳あって公にできない場所ゆえ、外で内容を話すわけにはいかなかった」

 官吏の言葉を俺は黙って聞いているが、内心恐怖でガクブルしていた。 公にできない場所に突然連れてこられたんだ。恐怖以外ないだろっ! 

「今日からここをそなたに任せる。内容は庭の手入れだ。必要な道具はあそこの用具入れに入っている」

 はい?

「ただ先程も告げたがここは公にできない場所ゆえ、許可なく外に出ることはできない」

 え? え? と困惑する俺を余所に官吏が歩き出したので、俺も慌てて後を追った。

「井戸はそこにある」

 官吏の指差したほうを見れば確かに草むらの中に井戸があった。

「この部屋を使うといい。奥に炊事場がある。必要な道具や日用品などは用意してあるが、他に必要なものがあれば遠慮なく私に言うといい」

 そう言って通された部屋を見た俺は言葉を失った。綺麗に調えられた部屋には装飾が施された家具や椅子、机が置かれている。前世でいうスイートルームやんけっ! どう見ても下っ端の俺が使っていい部屋じゃないっ! ってかなんで庭荒れ放題なのにこの部屋は綺麗に掃除されてるんだよっ! おかしいだろっ!

(あああああっ! 聞きたいことが色々あるのに聞くことができないっ! もどかしいぃぃぃ!)

 俺の様子に気付いた官吏が「発言を許す」と言ってくれた。俺は一旦落ち着こうと心の中で大きく息を吐き出した。よし、一つずつ確認しよう。

「発言を許していただきありがとうございます。何点か確認させてください」
「ああ」
「おれ……私は職場を異動になった……と考えてよろしいでしょうか?」
「ああ」
「仕事内容はこの庭の手入れをする……で間違いないのでしょうか?」
「ああ」
「………私以外に……」
「そなた一人だ」

 いやいやいや、一人って無理あり過ぎるだろっ! っていうか、それ以前に問題がある。

「あの……私には庭の手入れの知識がございません。何か手違いが……」

 やけに調えられた部屋からしてここがそれなりの格式のある空間だってわかった。そんな大層な場所をド素人の俺がやるのはおかしいっ!

「そなたで問題ない」

 こっちは問題大ありだよ。……ハッ! まてよ。さっきここは公にできない場所で、許可なく外に出ることはできないと言っていたよな? つまり……。

(万が一問題が起きたとしても下っ端だから消しても問題ないってことかっっ!?)

 うわぁぁぁぁっ! とんでもない所に来てしまったぁぁぁっ!!

「そなたの仕事に対する誠実さを評価し、ここを任せることにした」

 なんの慰めにもならない言葉を貰っても嬉しくないですっ!

「先程も言ったが期限は定めていない」

 確かに言った。……ん? 

「ここの主様は……」

 思わずぽろっと言ってしまった後、ハッと我に返り慌てて口を押さえた。公にできない場所で詮索する言葉を口にするのはかなり危険だ。

「いない。そして今後もない。が、余りにも酷いゆえ手入れをすることになった」

 あっさり答えてくれた。いいのか? 

「……あの」
「なんだ?」
「先程、この部屋を使うようにと仰いましたが、……その、私では不相応かと……」
「時期慣れる」

 慣れるかっ! うっかり家具や調度品を傷つけてみろっ! ただでは済まされないっ! 絶対っ!

「夕刻にまた来る」

 官吏はそう言ってここから去って行った。暫くそこに突っ立っていた俺はスススッと官吏が出て行った扉に近づいた。扉は一人で簡単に開閉できる作りで施錠するものが見当たらないし、向こう側からも何の音もしなかった。公にできない場所だと言っていたのに入り口こんなんでいいのか? と疑問に思い押してみた。………開かない。今度は力いっぱい押したがビクともしなかった。え?! どうなってんのっ?!

(……もしかして霊具?)

 施錠の代わりになにかしらの霊具が使われているのか? んんー……わからんっ! 

「……って、メシは?」

 今更そのことに気付いた。慌てて炊事場に行って戸棚の中を探ったが、食器類はあるが食料はない。え? 飢え死に? 

(いやいやいやいや)

 官吏は夕刻に来ると言っていた。きっとその時に食料を持ってくるはずだ。……はずだよね? うわぁぁっ! 一番重要なことを忘れるなんてっ! 自分の阿保っ!

「はぁ……」

 俺はため息をついて目の前にある格子窓から荒れ放題の庭を見て、それから空を見上げた。いつの間にか澄み切った青空が広がっていた。

(同郷のみんなと、釆さんと小龍さんにこの件について伝えてくれるのだろうか……)

 まさかこんな形で離れるとは思いもしなかった。配属先は言えないだろうが移動したことぐらいは伝えてくれるよね? お世話になりましたぐらい伝えることはできないかなぁ。難しいか。 

「……………はぁ、やるか」

 命令された以上やるしかない。と俺は気持ちを切り替え腕を巻き、教えてもらった用具入れに向かった。


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