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アリとキリギリスの葬式
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最悪だ。
近い親戚の葬式でもなければ有給も取れないとはいえ、幼い頃に会ったっきりの叔父の葬式になんか来るんじゃなかった。僕は仕事のストレスから少しでも解放されると思って来たんだ。仕事以上に疲れるなんて最悪にも程がある。
「……おじさん……煙草こっちに吹きかけないでください」
今まで言わずにいたが煙草の煙でついに目から涙が出てきて耐えきれず口にしてしまった。おじさんは僕とゆっくり目を合わせると、もう一度大きく煙を吐いてから口を開いた。
「…なんだお前、兄を亡くして傷心中の俺から煙草まで奪うのか?」
ほらな。こう言われるから我慢してたんだ。
真面目で堅実な兄と違って、弟は今も昔も素行不良だってことは親戚中が知ってる話。だから目の前で直接煙を浴びてる僕以外、この場の誰もコイツを注意しない。
でもいい加減に目が痛くてしょうがない。ここで、はいそうですか、と言って済むことじゃあなかった。
「いえ、そうじゃなくて煙が目にしみて痛いから煙を僕に向けて吐かないで欲しいって──」
そこまで言って目線をおじさんの方へ向けると、不健康な濁った眼が見るからに不機嫌そうに俺を見上げている。
ああ。怒らせた。
「……思っただけです」
膝の上に置いた手のひらが冷や汗のせいで滑り落ちていく。
「そうだな、こいつは毒だもんな。悪い」
おじさんが煙草を灰皿に突っ込むとジュっという音をたてて火が消えた。
「えっ……毒なんて……あ、いえ、わざわざ消してもらって……すみません」
全く予想していなかった言葉のせいで頭と口が上手く繋がらない。
おじさんは灰皿から僕に視線を戻すと濁った眼を今度は少し細めて目を合わせてきた。
「あーなるほど。なんかやっぱりお前兄貴に似てるな。甥っ子だからか?顔もだけど慌て方とか。それとアイツにも昔、俺の隣でわざわざ吸うなって怒られたことがあったな」
「……そうですか」
似ているなんて初めて言われてなんて反応していいのかわからずなんとも間抜けな返事をしてしまう。
「俺は死に急ぐために煙草吸ってんだよ」
そう言いながらおじさんは次の煙草に火をつけた。
「俺らよくアリとキリギリスなんて言われてんだけどよ。ほんとその通りで、アイツはいっつでも真面目だったけど俺は毎日馬鹿して遊んで、辛いことなんてなんもしなかった。だからこのまま苦しくなる前に死ねねぇかなって思って煙草吸ってんだ」
そのまま煙草に口を付けずに話を続けた。
「でもこんな俺よりより先に兄貴が過労死だってよ。いっつも頑張ってアリになってたやつの方があっさり死んじまったて、ほんとに報われねえ。やっぱり俺は間違ってなかった。こんなに早く死んじまうくらいなら兄貴も好き勝手すれば良かったんだ……」
手に持った煙草は吸われないまま少しずつ短くなっていく。先から細長く立ち上る煙が、小刻みに震える手に合わせて揺れていた。
「やっぱりアリは嫌いだ。働けど働けど、楽しいことがどこにもないまま死んじまう。キリギリスの方が苦しさも責任もなんも無いだけマシだろ……なあ、お前どうせ今日の葬式だって、会社休むための口実なんだろ?あいつと一緒だ。社畜だ、社畜……お前兄貴に似てるからさ、あんな風にはならないでくれ……」
最後の方は殆ど聞こえないくらい弱々しい声だった。
その後は、お互いに言葉を交わすことなく、その日は終わった。
*****
それから一週間後。俺は同じ寺にきている。
正面に見える遺影の顔は先週とよく似ているが、それよりもだいぶ若く、黒い枠に収まるにはあまりにも早すぎた。
「お前も最後までアリか……」
忠告は届かなかった。やっぱりだらしがないキリギリスの話なんてまともに聞いてくれるはずが無かったのだ。
その帰り道俺はいつもより重たい煙草を買った。火をつけて大きく吸い込むと、いつもより早く毒が回っていく気がした。
近い親戚の葬式でもなければ有給も取れないとはいえ、幼い頃に会ったっきりの叔父の葬式になんか来るんじゃなかった。僕は仕事のストレスから少しでも解放されると思って来たんだ。仕事以上に疲れるなんて最悪にも程がある。
「……おじさん……煙草こっちに吹きかけないでください」
今まで言わずにいたが煙草の煙でついに目から涙が出てきて耐えきれず口にしてしまった。おじさんは僕とゆっくり目を合わせると、もう一度大きく煙を吐いてから口を開いた。
「…なんだお前、兄を亡くして傷心中の俺から煙草まで奪うのか?」
ほらな。こう言われるから我慢してたんだ。
真面目で堅実な兄と違って、弟は今も昔も素行不良だってことは親戚中が知ってる話。だから目の前で直接煙を浴びてる僕以外、この場の誰もコイツを注意しない。
でもいい加減に目が痛くてしょうがない。ここで、はいそうですか、と言って済むことじゃあなかった。
「いえ、そうじゃなくて煙が目にしみて痛いから煙を僕に向けて吐かないで欲しいって──」
そこまで言って目線をおじさんの方へ向けると、不健康な濁った眼が見るからに不機嫌そうに俺を見上げている。
ああ。怒らせた。
「……思っただけです」
膝の上に置いた手のひらが冷や汗のせいで滑り落ちていく。
「そうだな、こいつは毒だもんな。悪い」
おじさんが煙草を灰皿に突っ込むとジュっという音をたてて火が消えた。
「えっ……毒なんて……あ、いえ、わざわざ消してもらって……すみません」
全く予想していなかった言葉のせいで頭と口が上手く繋がらない。
おじさんは灰皿から僕に視線を戻すと濁った眼を今度は少し細めて目を合わせてきた。
「あーなるほど。なんかやっぱりお前兄貴に似てるな。甥っ子だからか?顔もだけど慌て方とか。それとアイツにも昔、俺の隣でわざわざ吸うなって怒られたことがあったな」
「……そうですか」
似ているなんて初めて言われてなんて反応していいのかわからずなんとも間抜けな返事をしてしまう。
「俺は死に急ぐために煙草吸ってんだよ」
そう言いながらおじさんは次の煙草に火をつけた。
「俺らよくアリとキリギリスなんて言われてんだけどよ。ほんとその通りで、アイツはいっつでも真面目だったけど俺は毎日馬鹿して遊んで、辛いことなんてなんもしなかった。だからこのまま苦しくなる前に死ねねぇかなって思って煙草吸ってんだ」
そのまま煙草に口を付けずに話を続けた。
「でもこんな俺よりより先に兄貴が過労死だってよ。いっつも頑張ってアリになってたやつの方があっさり死んじまったて、ほんとに報われねえ。やっぱり俺は間違ってなかった。こんなに早く死んじまうくらいなら兄貴も好き勝手すれば良かったんだ……」
手に持った煙草は吸われないまま少しずつ短くなっていく。先から細長く立ち上る煙が、小刻みに震える手に合わせて揺れていた。
「やっぱりアリは嫌いだ。働けど働けど、楽しいことがどこにもないまま死んじまう。キリギリスの方が苦しさも責任もなんも無いだけマシだろ……なあ、お前どうせ今日の葬式だって、会社休むための口実なんだろ?あいつと一緒だ。社畜だ、社畜……お前兄貴に似てるからさ、あんな風にはならないでくれ……」
最後の方は殆ど聞こえないくらい弱々しい声だった。
その後は、お互いに言葉を交わすことなく、その日は終わった。
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それから一週間後。俺は同じ寺にきている。
正面に見える遺影の顔は先週とよく似ているが、それよりもだいぶ若く、黒い枠に収まるにはあまりにも早すぎた。
「お前も最後までアリか……」
忠告は届かなかった。やっぱりだらしがないキリギリスの話なんてまともに聞いてくれるはずが無かったのだ。
その帰り道俺はいつもより重たい煙草を買った。火をつけて大きく吸い込むと、いつもより早く毒が回っていく気がした。
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