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咆哮

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突然の出来事に驚く大佐。

「どうしたメカジキ。 何があった?」

メカジキ少尉は答えない。 両膝と頭を地面に付け、両手で腹を抑えた格好で悶絶している。 エリカの踵蹴りが直撃したのだ、内臓が破裂しているのかもしれなかった。

「お前のしわざかエリカ! 動くな、じっとしてろ。 これは『命令』だ」

しかし大佐の「命令」は最早もはやエリカに対し何の意味もなさない。 いまエリカの頭脳は、アリスのラスト・ベルゴンに込められたメッセージの意味を理解しようとフル回転していた。 《支配》からの完全解放を果たした喜びを味わうのも後回しだ。

(今のアリスちゃんの鐘の音、マロン君のことを言ってた)

アリスからのメッセージを頭の中で再現するが、どうにも意味がはっきりしない。 エリカはベルを鳴らし誰にともなく尋ねる。

チン?(ねえ、今のアリスちゃんの鐘、マロン君って言ってた?)

「動くなと言ったろっエリカ! 私語ベルも禁止だ」

大佐はエリカの《支配》を回復しようと必死だが、彼の部下たちは完全に諦めムードだった。

「もうダメです大佐、メカジキ少尉もやられちゃったし」「ファントムさんの《支配》は解けてます。諦めましょう!」「土下座の用意を」「シバー少尉はどこだ?」「シバー少尉、頼む」「え、ちょっと、私にも無理です」「なんとかしてくれるって言ったろう?」

そう言って男性士官2人がシバー少尉をぐいぐいとエリカの居るほうに押し出す。

「ちょっちょっと、やめてください。 今のエリカさんはヤバいです」

チン?(シバー少尉、さっきのアリスちゃんの鐘の音、マロン君がどうとか言ってたわよね?)

「オレ知ってます!」さっきシバー少尉をぐいぐいと押した男性士官の片割れ ―仮に士官Aとしておこう― がエリカの歓心を買おうと情報の提供を申し出る。「ハンター協会のマロン君なら」

そこで士官Bが士官Aの発言に割り込んだ。

「オレも知ってます、ファントムさん! マロン君はハンター協会をクっ」

今度は士官AがBの口をふさいで発言を邪魔する。 情報提供者の座を巡る醜い争いである。

士官AとBのここまでの発言で、エリカにはマロン君がどんな目に遭ったのか9割方わかっていた。 けれどエリカはきちんと確認することにこだわった。 大事なことだからだ。

チーン?(ねえ、マロン君がどうしたって?)

エリカのベルの音が広場に響きわたる。 音量は決して大きくないのに、彼女のベルの音は周囲の喧騒を圧して広場に集まった人々の耳に届いた。 マナの働きによるものだ。 エリカはたった今、ベルにマナをまとわせる術すなわち魔法ベルを会得したのだ。

魔法ベルはエリカの現在の心境をマナの力で増幅して皆様にお届けする技である。 エリカの今の心境は「90%の静かな怒りと10%の疑惑」。 魔法ベルの音がチーンと広場の隅々にまで響き渡ると、数千人の群衆はエリカの怒りに戦慄せんりつ一様いちように動きを止めた。 大佐も例外ではない。

静まり返る軍庁舎前の広場に、再びエリカのベルの音が響く。

チーン?(教えてよ。 マロン君がどうしたって?)

静寂の中で士官Aがおずおずと口を開く。

「マロン君はハンター協会をクビになりました」

チン?(いつ? どうして?)

今度は魔法ベルではない普通のベルの音だ。

エリカの質問に答えようとする士官Aを遮ってガブリュー大佐が答える。

「私が昨日クビにした」

傲然ごうぜんとした態度は、さっきエリカの魔法ベルに怯んでしまった自分を許せない気持ちの裏返しである。

チーン?(なぜ?)

エリカのベルの音に再びマナが混じり始める。 エリカの感情に呼応しているのだ。

「奴が私の更迭こうてつを企んで国の要人に働きかけたからだ」

ガブリュー大佐は事実を伝えた。 人を陥れるためなら平気で嘘を付く彼だが、人を恐れて嘘をつくなど彼のプライドが許さなかった。

チン?(更迭?)

「お前は知らなかったか。 奴はお前を救おうと、伝手つてをたどって国会議員に働きかけたのだ」

(マロン君が私のために...)

「もっとも私はこうしてミザル市に舞い戻ってきた。 奴はムダに仕事を失っただけだったな」

そうして喋る大佐の目が狡猾な光を帯び始める。 また何かを企んでいるのだ。

「マロン君... だったか。 彼も再就職が難しかろう。 何しろ私に楯突いたのだからミザル市いやザルス共和国では生き辛いこ」

ギャオーーン!(いつまでも調子に乗ってんじゃないわよ、このコワッパ小童!)

大佐のセリフの途中でエリカのベルが吼えた。 それはもはやベルの音ではなかった。 いや、エリカのマイ・ベルから出た音なのは確かだが、市販の高級卓上ベルをどう鳴らせばあんな咆哮を発するのか誰にも分からない。 ある意味、魔法ベル以上の魔法である。

野放図のほうずな怒りの咆哮がガブリュー大佐を直撃し、大佐は地面にドスンと尻もちをついた。 その大佐の股間から臀部にかけて、みるみるうちに染みが広がる。 オシッコだ。 大佐は失禁したのである。 

「うう...」

ガブリュー大佐は頭が朦朧としてオモラシにも気付かない。 両腕を後ろについて上半身が地面に倒れ込まないようにを支えるので精一杯だ。

高級官僚ぜんとした銀縁メガネの銀髪紳士が大衆の面前でオモラシをしたわけだが、ガブリュー大佐を笑うものは誰もいなかった。 周囲の群衆もエリカの魔法ベルによる咆哮を受けて恐怖に固まっていたのである。 少しばかりチビってしまった人の数も軽く二桁を超える。

恐怖に縛られていた群衆がようやくショックから覚めて広場がざわめきを取り戻すが、そのざわめきは先ほどとはどこか違う。 まるで神殿を参拝する人々が神をおそれるような、そんなざわめきが大半であった。

「龍だ... 龍が見えたぞ」「怖かったー」「ガブリュー目がけて雷光が走ったよね」「見てみい、あれがファントムさんを怒らせた者の末路じゃ!」「ちょっと家に帰って着替えて来る」「わたしも」「すんげー迫力。いいモン見れたぜ」「まるで神の怒りじゃね「腰が抜けるの初体験しちまったぜ」



エリカは無意識のうちに魔法ベルを指向性ベルチンで放っていた。 指向性ベルチンとはベルの音を特定の方向に集める技である。 エリカは近ごろ熱心かつ密かにこの技を練習中だった。 

指向性ベルチンが完成すれば特定の人にだけベルチンの音を聞かせることが可能となるが、今のところ指向性ベルチンは未完成である。

そのため魔法ベル音のうち大佐へと向かったのは4割ほどだった。 周囲の群衆は残りの6割をシェアしたわけだが、大勢で分かち合ってなお彼らは凍りつくような恐怖に縛られたのだ。 マナで増幅されたエリカの怒りの40%を一人で食らった大佐が体験した恐怖は余人の推量の及ぶところではない。



大佐の部下たちは一般の群衆よりも魔法ベルの影響が大きかった。 大佐の近くに居たからだ。 放心状態で天を仰ぎ見て何やらぶつぶつとつぶやく者、軍庁舎の中に逃げ込んでしまった者、頭を抱えてしゃがみ込む某少尉、ひたすら「ごめんなさい」を連呼する者、湿り気を帯びた股間をしきりに気にする者など様々である。

地面に両足を投げ出し無様な放心状態にあるガブリュー大佐をよそに、精神状態が比較的まともな1人の士官が口を開く。

「シ、シバー少尉... 頼むよ」

エリカに取りなしてくれという要求だ。

「え、ええ」

シバー少尉はおぼつかない足取りで立ち上がると、エリカがいると思われる辺りに向かって声をかける。

「あ、あのエ、エエエーリカさん」

ビビりまくりである。 それでもシバー少尉は僚友のために頑張る。

「どうぞお怒りをお鎮めください。 私たち一同この通り反省していますので」

そう言ってシバー少尉は皆に「ホラホラっ」という小声と手振りで土下座するよう合図する。

マベルス中尉を筆頭に大佐の部下たちが次々と地面にひざまづき、地面にまず両手を、次にオデコを付けて土下座を完成させてゆく。

「お許しくださいファントムさんっ!」「支配したりしてゴメンなさい」「なにとぞご容赦をっ」

エリカの怒りの凄まじさを魔法ベルで思い知らされた彼らの降伏は本物であった。 彼らは心の底からエリカに屈服したのである。 もう二度とエリカに敵対はすまい。 メカジキ少尉は土下座に参加していないが、両膝と頭を地面に付けた状態で気絶しているので似たようなものだ。

土下座する士官たちを見て群衆の間に拍手する者が出始める。 パチパチパチ。 どういう意味の拍手かよく分からないが、この場面に拍手がふさわしいと何故か感じた者は多いらしく、拍手する者の数がしだいに増えていく。

市民総代たちもシバー少尉も嬉しそうに頷きながら拍手をしている。 シバー少尉は拍手ではなく土下座する側ではないのだろうか? 拍手に参加する者は増え続け、いつしか全員が手を打ち鳴らしていた。 幾人かは感極まって涙を流している。

太陽はすでにすっかり沈み、夜空に浮かぶは銀色の大きな満月。 この異世界にも月はある。 月光の下で人々はいつまでも拍手を続けるのであった。
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