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高校生編 4月
取引
しおりを挟む「先日は、ありがとう。桐谷が助けてくれたおかげで、おれは今こうして暴走の恐怖を感じることなく過ごせている。」
深々と頭を下げられ、戸惑った。
「あの、すみません。人違いだと思います。」
初対面です、初対面。
会ったことありません。
心の中で何度もそう唱える。
でもまあ、私の胸の中にはしっかりと心当たりがあるわけで。
「忘れたとは言わせない。おれが覚えていないとでも?確かにおれは桐谷がおれの元に来てくれたすぐ後に気を失ってしまったけど、恩人の姿を忘れるほど忘れっぽくはない。」
ああ、駄目だ。
はっきり覚えてるよ、私のこと。
黒髪に、紫の瞳。
髪の色こそ違うものの、この学園で私と同じ瞳の色を持つ二人の内の一人だ。
後の一人?
藤沢先生に決まってる。
「桐谷が能力者で、それを隠して生活していることは知っている。深い事情があるのだろうし、詮索するつもりはない。もちろん、おれはそのことで桐谷を脅そうなんて思っていない。ただ、礼を言いたかったんだ。」
私の前に跪いて頭を垂れるその姿はまるで、騎士が誓いをたてるかのよう。
実際は誓いなんかじゃなく、お礼を言ってるんだけど。
「おれはずっと、力に怯えて過ごしていた。おれの力が誰かを傷つける度、いつか誰かを殺してしまうんじゃないかと思っていた。周囲の人間がおれを遠巻きに見る度、おれはこのまま一人で生きて、死んでいくんじゃないかと、怖かった。その恐怖からお前が、救い出してくれた。」
私には、先輩の気持ちが分からない。
私の力は先輩のものよりもはるかに強いけれど、制御できなかったことはないし、誰かを傷つけてしまうと恐怖を感じたこともない。
一人でいるのは、私が私である以上、しょうがないこと。
そう素直に受け入れてきたし、これからもそうだ。
だから先輩の気持ちは、分かる気がするけど、やっぱりよく分からない。
でも。
「何度言っても言い足りない。本当に、ありがとう。」
こんなふうに感謝されると、なんだか胸がポカポカして、同時にソワソワする。
不思議な気持ち。
「桐谷の秘密を、おれも一緒に守らせてくれ。」
秘密を、知られた。
それは確かに、大変なことだ。
入学して二週間と経たない内にカイお兄ちゃんからの言いつけを破っているんだから。
この先輩が信頼できるとも限らない。
「きっと、桐谷はおれのことを信頼できるか測りかねているんだと、思う。おれが桐谷の立場だったら、そうするから。」
私の気持ちを見透かしたように先輩がピタリと私の胸中を言い当てる。
否定するのも変な気がして、私は小さく頷いた。
「だから、取り引きをしないか?桐谷は学校でおれに会った時、挨拶をしたり、おれの話に付き合って欲しいんだ。おれはその見返りとして、桐谷と桐谷の秘密を守る。」
それはつまり、友達になろうということだろうか。
でも、友達になったとしてこの先輩には何の得があるの?
あまりに都合が良すぎる取り引きのような気がして、怪訝そうに顔をしかめた。
すると先輩は苦笑する。
「おれに何の得があるのかは、まだ教えない。でも、桐谷がおれを無視したら、おれは傷つく。だから、おれはおれが傷つかないために桐谷に友達になってもらいたい。これじゃダメか?」
ちょっと考える。
正直のところ、よく分からない。
でも、秘密を握られているこちらとしてはその条件を呑むしかない。
黙ってくれると言うならそれに越したことはないだろう。
警戒を怠るわけではないが、とりあえず今は様子を見よう。
「分かりました。じゃあ、それでお願いします。」
そう言うと、先輩は笑った。
心の底から嬉しそうな、純粋そうな笑顔に不覚にもみとれてしまった。
「おれの名前は、紫月 司。光陰部庶務を務めている。二年二組。力の属性は今まで無かったが、今回水属性に目覚めることができた。これからよろしく。」
手を差し伸べられて、慌てて握手する。
「私は桐谷 蒼来。一年三組です。これからよろしくお願いします。」
紫と紫の視線が交わる。
でも、藤沢先生の時のように底知れない恐ろしさは感じなくて。
ちょっと無表情の時が多くて感情がなかなか読めない紫月先輩だけど、その紫の瞳には、暖かい優しさが見え隠れしていた。
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