イールの書〜神々の⻩昏、⼈類の夜明け〜

なぎ

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第3部 3章:怪物たちの真実

第94話:フェンリル計画

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山田とリンドバーグ教授の救出から9日目。ドワーフの地下都市は、新たな使命に向けて動き始めていた。イールの「子供たち」を見つけ出し、真の目的を伝える。その準備として、賢吾たちはフェンリル計画の詳細を解読していた。そこには、科学者の冷徹な記録から、一人の父親の愛情深い日記へと変化していく、異様な記録が残されていた。



午後の研究室。山田が構築したセキュアな環境で、イールの書は新たな秘密を明かし始めた。

イールの書から浮かび上がるホログラムは、地下の研究施設を映し出した。そこでは、イールが生物兵器の開発に没頭している姿があった。しかし、その表情には、兵器開発者の冷酷さではなく、むしろ不安と期待が入り混じっていた。



「フェンリル開発記録:第1世代」



最初の記録は、機械的で感情のない報告書だった。



「実験体F-01:失敗。知能が低すぎる。言語理解不可。基本的な命令も実行できず。廃棄処分」



ホログラムは、最初のフェンリルの姿を映し出した。確かに巨大で強力だったが、その目には知性の光がなかった。ただの獣に過ぎなかった。



「第2世代:失敗。凶暴性を制御できず」



二度目の試みも失敗に終わった。今度は知能は十分だったが、攻撃本能が強すぎて、イール自身にも襲いかかってきた。やむなく処分された。

しかし、第3世代から記述が劇的に変わる。



「開発記録23日目:今日、彼が初めて名前を呼んでくれた。『父』と」



文字は手書きになり、震えているのが分かった。科学者の記録ではなく、父親の日記になっていた。

美咲が涙を流しながら言った。



「これは...親バカの記録じゃないですか」



確かに、その後の記録は、まるで育児日記のようだった。



「開発記録45日目:初めて二本足で立った。転んだが、すぐに起き上がって再挑戦。その姿に感動した」

「開発記録67日目:言葉を話し始めた。『おなかすいた』『あそぼう』簡単な言葉だが、コミュニケーションが取れることが嬉しい」

「開発記録89日目:今日、私が怪我をした時、心配そうに傷口を舐めてくれた。優しい子に育っている」



実際、フェンリルの幼体期の映像は愛らしかった。銀色の毛並みを持つ子犬のような存在が、イールの手を舐め、じゃれついている。その瞳には、純粋な愛情が宿っていた。



「これを見ると」



山田が複雑な表情で言った。



「政府やヴァルキューレが再現しようとしているものとは、全く違いますね。彼らは兵器を作ろうとしているが、イールは...」

「生命を作った」



リンドバーグ教授が続けた。



「感情を持ち、愛情を理解し、自分で判断できる存在」



斎藤博士が医学的な分析を加えた。覚醒した能力で、より深い洞察が可能になっていた。



「転機は思春期」



斎藤博士の表情が曇った。



「急激な成長で、攻撃本能が制御を超えた。人間でいう反抗期の極端な形です」



ホログラムは、フェンリルの成長過程を早送りで見せた。愛らしい子犬は、日に日に巨大化していく。そして、ある日を境に、その瞳に別の光が宿り始めた。



「開発記録267日目:最近、彼の様子がおかしい。私を見る目に、時々恐ろしいものを感じる」

「開発記録289日目:今日、些細なことで激怒し、研究室の壁を破壊した。止めようとしたが、私の声が届かなかった」

「開発記録301日目:もう、彼を檻に入れるしかない。心が痛むが、他に方法がない」



ドヴァリンが重要な指摘をした。



「最も悲しいのは、フェンリル自身も苦しんでいたこと」



老ドワーフの声は同情に満ちていた。



「制御できない自分の力に。彼は、自分が『怪物』になっていくことを理解していた」



実際、檻に入れられたフェンリルの映像には、深い悲しみが映っていた。巨大な体を小さく縮め、隅で震えている。時々、イールを見つめては、まるで「助けて」と訴えているようだった。



蒼から提供されたデータと比較すると、恐ろしい違いが明らかになった。



「ヴァルキューレのフェンリル計画」



香川教授が画面を指差した。



「感情を完全に排除し、純粋な殺戮マシンを作ろうとしている。これはイールの理念と正反対です」



イールの記録は、さらに痛々しいものになっていく。



「開発記録365日目:一年が経った。彼はもう、私の手に負えない大きさになった。でも、時々見せる優しい表情は、あの頃のままだ」

「開発記録400日目:神々が、フェンリルの処分を要求してきた。断固拒否した。彼は私の息子だ」

「開発記録456日目:グレイプニルという特殊な拘束具を作った。これで彼を縛るしかない。しかし、これは彼のためでもある。これ以上、罪を重ねさせたくない」



記録の最後の部分が、特に心を打った。



「彼を縛ることは、私の心を縛ること」



イールの声は、深い苦悩に満ちていた。



「しかし、他に方法がない。いつか、彼が自分の力を制御できる日が来ることを信じて。その時まで、この鎖が彼を守ることを願う」



山田が技術的な発見をした。



「グレイプニルの設計図を見てください」



山田は、拘束具の詳細を表示した。



「これは単なる鎖じゃない。フェンリルの成長に合わせて調整される。そして...」

「解除コードがある」



香川教授が驚いた。



「つまり、いつかは解放されることを前提に作られている」



エイリークが深い洞察を示した。



「イールは諦めていなかった。フェンリルがいつか、自分の力を制御できるようになることを信じていた。そして、その時が来たら...」

「ラグナロク」



賢吾が理解した。



「フェンリルの真の役割は、破壊者ではなく、人類の最後の守護者」



美咲が感動的な発見をした。



「見てください、最後のページ」



美咲は、イールの書の片隅に小さく書かれた文字を指差した。



「『フェンリルへ。いつか、お前が自分の力の意味を理解する日が来る。その時まで、待っていてくれ。愛する息子よ』」



ヘルガ博士が心理学的な総括をした。



「これは、親子の物語でもあったんです。イールは科学者である前に、一人の父親だった。だから失敗したとも言えるし、だから希望があるとも言える」



斎藤博士が現実的な問題を提起した。



「しかし、3000年の封印の後、フェンリルがどんな精神状態にあるか...」

「それでも」



賢吾が決意を示した。



「会いに行く価値はある。イールのメッセージを伝えるために」



愛するがゆえの束縛。それは、親としての最も辛い選択だった。救出作戦を成功させた今、次はフェンリルを見つけ、3000年前の父の真意を伝える番だった。それは、単なる戦力の獲得ではなく、引き裂かれた親子の絆を繋ぎ直す作業でもあった。
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